今日は天気晴朗なれども北風強し、といったところで、昼飯を食いに近所の中華屋に行き、帰りに魚屋へ買い物に寄ったくらいで、ほぼ家に閉じ込められました。
近所の魚屋、なかなかの品ぞろえで、いつも目を楽しませてくれます。
それだけに、いつも繁盛しています。
今日は初ガツオと、珍しい活赤貝の刺身を購入しました。
スーパーなどでは手に入らない良い魚ばかりで、何を購入するか、迷います。
野菜は毎度おなじみのフルーツトマトと、ゴボウとニンジンのサラダを食す予定。
これで一杯やるのが楽しみです。
週末の贅沢ですかね。
平日は大した物を食っていませんから。
最近よく食品ロスという言葉を耳にします。
主に先進国での、食物の廃棄を呼ぶようです。
我が家もご多分にもれず、そのうち食うだろうと思って冷蔵庫に入れておいていた物が、気付けば賞味期限をすぎてしまい、処分することがよくあります。
内戦の絶えない国など、貧しい国々では、その日の食い物にも困る有様だというのに。
そういう現実を知りながら、多くの豊かな国の人々は、大切な食物を安易に捨てています。
それを嘆くことはあっても、行動に移さないのが、大多数ではないかと思います。
やがて人口爆発が本格化し、食料が足りなくなる日が来ると聞き及びます。
その時、貴重なタンパク源になるのが、虫だとか。
わが国はじつは昆虫食が盛んだとか。
私は虫を食したことはありませんし、虫そのままの形状の物を食う気にはなれません。
せめてパウダー状にしてもらわないと。
わが国の料理は豊かで、見た目も美しく、もちろん味もよろしく、アメリカン・ジョークなどでは、食い物へのこだわりが異常に強い国民ということでネタにされるようです。
私自身、確かに旨い物はつい食いすぎ、そうでないものは一箸で残してしまうことがよくあります。
もったいない話ではあります。
しかしコロナ禍の現在、私が好んで通っていた名店の数々は、瀕死の状態のようです。
つぶれなければよいのですが。
しかしその時こそ、私たち日本人はあ、美食に走ることを止め、真剣に食の問題に取り組めるのかもしれませんね。
今日は今上陛下の誕生日だとか。
私が天皇制廃止を望んでいることは、何度もこのブログで記事にしてきたところです。
しかしそうは言っても、天皇の地位は日本国憲法の第一条に規定されており、しかも国民の8割が支持しているとあっては、天皇の存在はまだまだ続くに違いありません。
それに私はべつに天皇個人を攻撃する気はありません。
一個人としては、篭の鳥のような一生を送らざるを得ないことに、同情を禁じ得ないだけです。
今上陛下、61歳に御なりあそばしたんだそうですね。
意外とお年だったのですね。
三島由紀夫は、天皇こそ、わが国の文化や国民性の源泉だと主張していましたね。
あのようにシニカルなあ人が、こと天皇のことになると、狂気じみた発言をすることがどうしても解せません。
私は天皇には、静かに引退していただくことを望んでいます。
今日は日差しは強いながら、強風が吹いて、好きな散歩にも行けませんでした。
残念。
年度末に向かって狂気じみた忙しさのなか、わずかな楽しみすら享楽できないとは、寂しいかぎりです。
明日は日曜日ですが、サービス出勤する予定です。
2月24日の会議の準備が全然できていないのです。
23日が休みのため、22日に資料をそろえて議長にレクチャーしなければなりません。
23日がお休みでなければ、22日に資料をそろえて23日にレクチャーという手もありなのですが、こればかりは仕方ありません。
なかなか仕事というのはうまい具合に進みません。
若いころは、50歳を過ぎれば、仕事にも慣れ、何も恐れることなく、心穏やかに仕事ができるようになるだろうと思っていました。
あにはからんや。
全然そんなことはありません。
むしろ苦しみは増すばかり。
若いころは責任もないし、手さえ動かしていればよかったので、結構楽でした。
今は手を動かしつつ、下の者からの相談や、他の部署との折衝などがあって、疲れます。
そもそも手を動かすのが億劫でなりません。
2月23日は天皇誕生日。
今上陛下の誕生を祝う日ですが、そんなにめでたいことなんでしょうかねぇ。
しょせんお飾りのような存在なのに。
それでも、お休みというのは嬉しいものです。
楽しまなければ損というものですね。
森氏の女性蔑視発言が問題になっています。
私は露骨な女性蔑視だとは思いません。
しかし、違和感を感じます。
女性が入ると会議が長いとか、女性は競争心が強いとか。
それは男性の特徴であって、女性はその逆なのではないかと思います。
男だけの会議も長いし、競争心が強いのはむしろ男。
なんだかとち狂った発言です。
辞職して良かったと思います。
少なくても私の職場では、女性が優遇されているように感じます。
年齢が同じで経験年数も同じ、評価もそこそこという場合、女性が先に昇進します。
女の管理職を増やせば、それだけ評価が高くなるシステムのようです。
また、男の育児休暇も推奨されています。
役人の世界はそういう風に出来ています。
まして女性蔑視発言など、とんでもないことです。
そもそもなんで男女差別があるのでしょうねえ。
人種差別と比べても、差別される側が多すぎます。
人口の約半分が女性なのですから、これをすべて差別していたら、きりがないのではないでしょうか。
今日は建国記念の日。
戦前は紀元節と称され、初代である神武天皇が即位した日とされています。
なんでも紀元前の何年かは忘れましたが、その何年だかの1月1日に即位されたと古事記や日本書紀などに記されており、それを西暦に直した日が今日なのだとか。
なんとも嘘くさい日ではありますが、国家や民族には物語が必要です。
革命で国家が成立したとか、独立戦争で勝利したとかいうのは、概ね近い過去の出来事であり、日付ははっきりしています。
革命前も独立前も、国家や民族というのはあったはずですが、現代の国家という意味では分かりやすいでしょう。
そういう意味では、わが国の場合、連合国と講和を結んだサンフランシスコ平和条約締結の日が新生日本の建国の日にあたるのかもしれません。
しかしそれでは、戦前の日本を否定することにもつながり、わが国の伝統文化であり、物語であるところの、民族の中核とでもいうべきものが、忘れられてしまうかもしれません。
そういう意味で、神武天皇の即位の日という、信じがたい、いわば嗤うべき日に建国の日を定めたことは、明治政府の、欧米列強に対する矜持だったのかもしれません。
おかげ様をもちまして、嗤うべき日は尊ぶべき日となりました。
わが国の人々にとって、大切な日です。
普段はその意味など考えず、ただお休みできる日としか思わなくなっているとしても。
今日も朝湯、朝寝を楽しみました。
非常に贅沢な気分です。
そして、散歩。
今日は昨日以上に温かく、春の到来を感じさせました。
春になると訪れる謎の憂鬱。
春愁という言葉があるくらい、人間にとって生きやすいはずの春に憂いを帯びるというのは不思議なことです。
そしてまた、私は春愁に囚われているようです。
この思い癖を、なんとかしたいものです。
すっかり春めいてきました。
今日は暖かく、素晴らしい陽気。
朝は6時に起き、まずは朝風呂。
朝飯は納豆と生卵、それにソーセージを2本とぬか漬けに、たっぷりの白飯。
すっかり満足して、もう一度布団へ。
1時間ほど、二度寝を楽しみました。
陽気に誘われて、ご近所を2時間ほども散策。
歩くと暑いくらいで、少々疲れました。
昼は近所のイタリア料理店でペペロンチーノとガーリックトースト、サラダ、鳥の煮込み。
さらに生ビールまでいただきました。
デザートはチーズケーキと紅茶。
歩いたせいか腹が減り、いつになく、食い過ぎてしまったようです。
胃薬を飲んで、食後は1時間ほど昼寝。
ついさっき、起きました。
なんだか食っては寝てを繰り返しているようで、これでは太るというもの。
現に、コロナ太りもあって、ベスト体重の53キロを維持していたのが、55キロになりました。
今のうちに手を打たないと、ぶくぶくいってしまいそうです。
これからゆっくりと新聞を読みつつ珈琲などいただいて、夕方になったら本日2度目の風呂につかりたいと思います。
夕飯には、中おちとタコ、それにちぢみほうれん草を購入しました。
これで冷酒を軽くやる予定。
軽いつもりが軽く済んだことなどないのですけれど。
こんな風に働いて、休んでを繰り返し、定年を迎えるのですね。
生きていれば、ですが。
定年というご赦免船が迎えに来た時、私は何を思うのでしょうか。
私が緑内障を患い、長いこと近所のクリニックに通っていたところ、医師から手術を検討したほうがよいと言われ、千葉大学医学部附属病院に紹介状を書かれたことは、すでにこのブログに記したところです。
で、今日、休暇を取り、千葉大病院に行ってきました。
8時に着いて、検査が始まったのは9時半。
検査、診察が終わったのは11時過ぎでした。
大学病院は時間がかかると聞いてはいましたが、クリニックなら1時間もかからないのに、こんなに時間を要するとは、参りました。
肝腎な結果ですが、結局結論は出ずじまい。
緑内障の専門医の先生に診てもらいましょうということで、3月5日に再度受診することになりました。
同じ大学病院の眼科医でも、それぞれ細かく専門が分かれているようです。
てっきり手術しましょうと言われると思っていたので、結論が先延ばしになり、なんだか拍子抜けです。
まぁ、心筋梗塞やら脳梗塞で倒れたみたいな話じゃないですから、緊急性が低いのでしょうね。
のんびり、長く付き合っていかなければならない病気だということだけはよくわかりました。