昨夜は珍しくノンフィクションを読みました。
読んだのは「35年目のラブレター」です。
山間部に建つ小さな小屋で炭焼きを営む西畑家。
そこの長男、西畑保の生涯に取材したもので、小説のような体裁を取っています。
小学校までは獣道みたいな未舗装の細い道を3時間も歩かなくてはなりません。
それでも同学年の友達が出来ることを楽しみに通い始めます。
しかし、草鞋履きで継接ぎだらけのボロを着た見るからに貧しい彼は、その貧しさゆえにイジメにあってしまいます。
しかも教師までが、彼を疎んじ、イジメを止めさせようとしません。
西畑少年は登校拒否になり、山間部にぽつんと建つ自宅で父親の仕事を手伝ったり、同じ山間部に住む年上の少年と唯一の友達になり、遊びまわったりします。
家庭では白飯を食うことなど出来ず、薄い粥ばかりで、いつもお腹を空かせています。
小学校もろくに通っていないのだから、当たり前ですが読み書きが出来ません。
それが西畑保を苦しめ続けることになります。
長じて町に出、食堂で下働きのようなことを始めますが、メモが取れないので注文を受けることが非常に困難です。。
出前の電話も満足にできません。
しかも周りの同僚や先輩後輩に文盲であることを隠そうとします。
そんなことは無理なのに。
しかし高度経済成長でどこも人手が足りず、仕事にあぶれるということはありません。
いくつかの飲食店を転々とし、最後は寿司職人におさまります。
この間、役所の書類などは、右手を怪我したことにして包帯でぐるぐる巻きにし、怪我で文字が書けないと嘘をついて代筆を頼んだりします。
文盲ゆえに結婚は諦めていますが、お見合い話が転がり込んで、西畑保は相手に一目惚れしてしまいます。
結婚話はトントン拍子に進み、結婚に至ります。
当初は妻にまで読み書きが出来ないことを隠し通そうとしますが、回覧板の署名までも書かないことに不審に思った妻に問われるまま、文盲であることを告白します。
彼は離婚を切り出されることを極端に怖れながら、それを受け入れざるを得ないと覚悟します。
しかし奥様は彼に深く同情し、字を教えようとします。
それでも西畑保は拒否反応を示し、字を覚えることはかなわず、妻も字を教えることを諦めてしまいます。
やがて64歳で寿司職人を引退。
悠々自適の生活に入ります。
ここまで来てやっと、彼は夜間中学に通い、読み書きを覚えることを決意。
その最大の動機は、愛する妻にラブレターを書きたかったからです。
涙無しには読めません。
知らなかったのですが、夜間中学には最長20年間在学できるそうで、その間にひらがな、かたかな、簡単な漢字覚えるのみならず、パソコンのワープロソフトを使って文章が書けるようになるまでに成長します。
二人の娘、五人の孫に恵まれ、文盲というハンディも乗り越えて、充実感を覚えます。
結婚35年、妻に初めてのラブレターを送ります。
その後も妻の誕生日にラブレターを送ったりしますが4通目のラブレターを書いている間に妻が急死。
それでもへこたれず、文盲に対する差別を無くし、文盲の人を無くそうと、様々な講演会などを精力的に行います。
88歳の今も老いてなお元気です。
この本を読んで感じたのは、人間いくつになっても物を覚え、成長することが出来るということと、なぜ64歳まで読み書きを覚えようとしなかったのかという疑問です。
現代の日本では識字率は99.96%をされているそうです。
100%ではないのは、西畑保同様、戦後の混乱期に学校に通うことが出来なかった人たちがいるからだといわれています。
この日本で読み書きが出来ないというのは想像を絶する困難がつきまとうことでしょう。
ちょっとした書類に署名することすら出来ないのですから。
貧しいというのは罪なことです。
一方、東大生の6割以上の親の年収は1,000万円を超えているそうです。
金持ちは高学歴となって益々豊かになり、貧乏人は文字を覚えるのがやっとだとしたら、日本という国は、根本的なところで教育を誤っているのかもしれません。
ノンフィクションというジャンル、あまり好みませんが、これは小説仕立てで書かれており、読みやすいながら、現実というものを突き付けられて、辛い読書体験となりました。