ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

35年目のラブレター

2024年07月16日 | 文学

 昨夜は珍しくノンフィクションを読みました。
 読んだのは「35年目のラブレター」です。

 山間部に建つ小さな小屋で炭焼きを営む西畑家。
 そこの長男、西畑保の生涯に取材したもので、小説のような体裁を取っています。

 小学校までは獣道みたいな未舗装の細い道を3時間も歩かなくてはなりません。
 それでも同学年の友達が出来ることを楽しみに通い始めます。
 しかし、草鞋履きで継接ぎだらけのボロを着た見るからに貧しい彼は、その貧しさゆえにイジメにあってしまいます。
 しかも教師までが、彼を疎んじ、イジメを止めさせようとしません。
 西畑少年は登校拒否になり、山間部にぽつんと建つ自宅で父親の仕事を手伝ったり、同じ山間部に住む年上の少年と唯一の友達になり、遊びまわったりします。
 家庭では白飯を食うことなど出来ず、薄い粥ばかりで、いつもお腹を空かせています。
 小学校もろくに通っていないのだから、当たり前ですが読み書きが出来ません。
 それが西畑保を苦しめ続けることになります。

 長じて町に出、食堂で下働きのようなことを始めますが、メモが取れないので注文を受けることが非常に困難です。。

 出前の電話も満足にできません。

 しかも周りの同僚や先輩後輩に文盲であることを隠そうとします。
 そんなことは無理なのに。
 しかし高度経済成長でどこも人手が足りず、仕事にあぶれるということはありません。

 いくつかの飲食店を転々とし、最後は寿司職人におさまります。
 この間、役所の書類などは、右手を怪我したことにして包帯でぐるぐる巻きにし、怪我で文字が書けないと嘘をついて代筆を頼んだりします。

 文盲ゆえに結婚は諦めていますが、お見合い話が転がり込んで、西畑保は相手に一目惚れしてしまいます。

 結婚話はトントン拍子に進み、結婚に至ります。
 当初は妻にまで読み書きが出来ないことを隠し通そうとしますが、回覧板の署名までも書かないことに不審に思った妻に問われるまま、文盲であることを告白します。

 彼は離婚を切り出されることを極端に怖れながら、それを受け入れざるを得ないと覚悟します。

 しかし奥様は彼に深く同情し、字を教えようとします。
 それでも西畑保は拒否反応を示し、字を覚えることはかなわず、妻も字を教えることを諦めてしまいます。

 やがて64歳で寿司職人を引退。
 悠々自適の生活に入ります。

 ここまで来てやっと、彼は夜間中学に通い、読み書きを覚えることを決意。
 その最大の動機は、愛する妻にラブレターを書きたかったからです。 

 涙無しには読めません。

 知らなかったのですが、夜間中学には最長20年間在学できるそうで、その間にひらがな、かたかな、簡単な漢字覚えるのみならず、パソコンのワープロソフトを使って文章が書けるようになるまでに成長します。

  二人の娘、五人の孫に恵まれ、文盲というハンディも乗り越えて、充実感を覚えます。

 結婚35年、妻に初めてのラブレターを送ります。
 その後も妻の誕生日にラブレターを送ったりしますが4通目のラブレターを書いている間に妻が急死。

 それでもへこたれず、文盲に対する差別を無くし、文盲の人を無くそうと、様々な講演会などを精力的に行います。
 88歳の今も老いてなお元気です。

 この本を読んで感じたのは、人間いくつになっても物を覚え、成長することが出来るということと、なぜ64歳まで読み書きを覚えようとしなかったのかという疑問です。

 現代の日本では識字率は99.96%をされているそうです。
 100%ではないのは、西畑保同様、戦後の混乱期に学校に通うことが出来なかった人たちがいるからだといわれています。
 この日本で読み書きが出来ないというのは想像を絶する困難がつきまとうことでしょう。

 ちょっとした書類に署名することすら出来ないのですから。
 貧しいというのは罪なことです。

 一方、東大生の6割以上の親の年収は1,000万円を超えているそうです。
 金持ちは高学歴となって益々豊かになり、貧乏人は文字を覚えるのがやっとだとしたら、日本という国は、根本的なところで教育を誤っているのかもしれません。

ノンフィクションというジャンル、あまり好みませんが、これは小説仕立てで書かれており、読みやすいながら、現実というものを突き付けられて、辛い読書体験となりました。

 


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吸血鬼

2024年07月15日 | 文学

 今日は読書をして過ごしました。
 読んだのは佐藤亜紀の「吸血鬼」です。
 吸血鬼とはいっても、ヴァンパイアが出てきて活躍するわけではありません。

 1845年のポーランド。
 その当時、ポーランドはオーストリア帝国の支配下にあります。
 ポーランドの片田舎の村にオーストラリアの行政官が赴任します。
 因習的で気味の悪い村です。
 ここで続いて3件、不審死が起こります。
 村民は動揺します。
 村民の不安を鎮めるため、行政官は村に伝わる因習的な方法を採ることを決意。
 それは棺を掘り起こし、遺体の首を切断するというもの。
 行政官は当然そんな迷信を信じているわけではありません。
 あくまで民心を安んじるための方便です。

 時を同じくして、ポーランド全土でオーストリア帝国打倒のための反乱計画が密かに進められます。
 この村の地主もこれに呼応するため、大量のライフルを調達して納屋の地下に隠します。

 反乱と因習が結びついて、大きな事件を予感させます。
 
 私はかつて、佐藤亜紀の小説を2冊だけ読んでいます。
 日本の内乱を描いた「戦争の法」という作品がとにかく面白くて、続けて「バルタザールの遍歴」というのを読みました。

 

 「戦争の法」は日本の話でしたが、「バルタザールの遍歴」はヨーロッパが舞台でした。
 そうすると、当たり前ですが人物名も地名も横文字で、これが読みづらく、この作者の作品の多くがヨーロッパの歴史小説だと知り、その後読むことを止めてしまいましたが「吸血鬼」というタイトルに魅かれて久しぶりに読みました。

 オーストリア帝国に支配されていたポーランドでは、オーストリア人がポーランド人を差別し、ポーランド人は少数派のウクライナ系住民を差別するという構図が出来上がっています。
 さらには地主と農奴との関係などが描かれ、物語は重層的な趣を醸し出します。
 「吸血鬼」というのは、ポーランド系やウクライナ系の農奴の血液を吸うがごとくに搾取する支配層を指しています。

 石川淳を思わせるような精神上の暗闘が描かれます。
 物語は非常に面白いものでしたが、やはり地名や人名がよく分からなくなるという読む上での困難を感じました。

 精神の暗闘を描くことこそ、小説の醍醐味の一つです。
 暗闘というのが大袈裟なら、精神の漂流と言っても良いかもしれません。

 私も少年の頃から精神の漂流が始まり、50代半ばを迎えてなお、その漂流が終わることはありません。
 この漂流が終わることは決して無く、それが人間というものなのだろうと思います。


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定年まで

2024年07月14日 | 仕事

 普段なら日曜日の夕方はひどく落ち込みますが、今週は月曜日がお休み。
 精神的にずいぶん楽です。
 火曜日になればまた地獄が待っているというのに。

 就職して33年目。
 若い頃よりはずいぶんずうずうしくなりました。
 休み明け辛いのは辛いですが、休みの最中も仕事のことを思って憂鬱になることは少なくなったような気がします。

 今日は雨が降ったりやんだりで、食材の買い物と昼食に出かけた以外、家でのんびりと過ごしました。
 退職すると毎日がこんな感じになるのでしょうか。
 そうするとずいぶん心穏やかでいられるような気がします。
 多分定年は65歳に延長されるでしょうから、そこまで勤めたらあと10年もあります。
 65歳までは気力、体力ともに持たないような気がします。
 そうなったら早期退職するしか無いでしょうね。
 とりあえず現在の定年である60歳までは勤めたいと思っています。

 


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お買い物

2024年07月13日 | 散歩・旅行

 今日は雨が降る予報でしたが、意外にも晴れ間ののぞく陽気となりました。
 曇りがちなので、気温もそれほど上がらず、そごう千葉店にお買い物に行きました。
 まずはそごう千葉店でお気に入りの椿屋茶房でビーフカレーとサラダとスープの昼食。
 食後にはホットコーヒーをいただきました。
 私たち夫婦は飲食店ではつい長っ尻になりがちで、1時間半もかけてゆっくり食事を楽しみました。

 その後LOFTへ。
  同居人が欲しがっていたちいかわのぬいぐるみを購入。
 同居人、子供の頃お小遣いをもらえず、大人から見たらくだらない、しかし子供にはとても魅力的なぬいぐるみや駄菓子などを購入することが出来ず、思い残しゆえか、社会人になってからそういった物を買いあさるようにになりました。
 それは就職33年目の今も続いています。
 私から見たら馬鹿げているように見えますが、子供の頃の境遇というのはいくつにになっても影響を残すもののようです。

 私は長袖で生地の薄いカジュアルシャツをスコッチハウスで購入。
 クールビズ用のカジュアルなシャツは5枚持っていますが、1枚に朱肉が付いてしまい、しぶしぶ購入。
 月火水木金で5枚は必要なのです。
 職場は冷房が効いているし、車通勤なので、真夏でも長袖を着用しています。
 土日は着物で過ごすことが多いので、それ以上は必要ありません。

 同居人、体重も体脂肪率も人生で最大を記録し、ついにはジム通いを決意。
 週2回、6週間のプログラムに申し込み、運動用にTシャツや短パンを購入。
 同居人、何事も長続きしませんが、今度ばかりは本気のようです。

 さらにデパ地下で今宵の夕飯を購入。

 少々疲れたので喫茶店で本日2杯目の珈琲をいただき、帰宅しました。
 幸いにも雨が降らず、買い物を楽しめたのは私の喜びとするところです。
 


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寛解

2024年06月30日 | 文学

 昨日は月に一度の精神科受診日でした。
 もう寛解にいたって15年以上経ちます。
 日常の苦しみはもはや生きるうえで避けられないと分かっています。
 単に予防的に飲む薬が欲しくて通っているだけのような状態が続いています。


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独り

2024年06月23日 | その他

 今日は同居人が休日出勤を命じられたため、独りで過ごす日曜日になりました。
 我が家では土曜日はお出かけなどして遊ぶ日、日曜日は洗濯や掃除、一週間分の食料の買い出しなどの家事の日と定めています。
 それはどちらかが休日出勤をしていても変わりません。
 したがって、今日は独りで家事をこなしました。
 私は基本的に一通りの家事は自分だけでできちゃいます。
 料理もレパートリーは少ないながら、そこそこ美味しくできると思います。
 しかし、やはり独りで過ごす休日は面白くありません。
 結婚から26年。
 もはや独りが嬉しいはずなのに、私はそうではありません。
 とても寂しく感じます。
 同居人にどれだけ依存しているのかを思い知らされます。
 同居人に先立たれでもしたら、私は後追いはしないまでも孤独に耐えきれず、過度の飲酒や精神病薬のOD などにより、じきに亡くなってしまうような気がします。
 同居人よりも先に逝きたいと願っています。


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大賀ハスまつり

2024年06月22日 | 散歩・旅行

 今日は千葉公園へ大賀ハスを観に行きました。
 大賀ハスは千葉市の花。
 大賀博士という方が千葉でこれを咲かせたそうです。

 幟があちこちに立っていました。

 

 こんな感じです。
 大乗仏教では亡くなる時に仏様がハスの花に乘って迎えに来てくれるのだとか。
 そうであるなら私はもっとこの花を愛でたいと思います。


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その世とこの世

2024年06月16日 | 文学

 昨夜は京懐石の店(なぜか千葉にある)で結婚26周年のお祝いをしました。
 京都で長年修行したという板前が10年前に開いた店で、まぁまぁ満足できました。
 良い夜だったと思います。

 今日は「その世とこの世」という、大詩人の谷川俊太郎とライターのブレイディみかこの往復書簡集を読みました。
 150ページ程度ですので、すぐに読み終わりました。

 タイトルのその世とこの世は、あの世とは別にその世があり、世界はこの世とその世とあの世で成り立っている、という示唆に富んだ書簡から取ったものです。

 詩人とライターという関係性ですが、幽霊とお化けの話から、ウクライナ戦争やコロナ禍の話、果てはトランスヒューマニズムという一種の未来の人間の在り方を規定しようとする思想の話まで出てきて、スリリングな内容になっています。

 少々昨日の酒が残っている身には、読みやすくて興味深い書簡集だったと思います。

 


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儚い

2024年06月15日 | その他

 昨夕、義母が入院している病院から同居人が呼び出されました。
 この3日ばかりの間に義母の体調は著しく悪化し、もはや口から食事を摂ることは無理であろうこと、認知機能はまだそれほど衰えていないが、普通に会話することは無理であること、車椅子に座ることは体を支えられないために困難であろうこと、今後の治療は義母の年齢や状態から考えて、積極的には行わず、痛みや不快感を緩和するだけにしたいこと、等の説明があったとのことです。
 週末は主治医がお休みのため、金曜日のうちに説明しておきたかったとのことでした。
 最悪今日、明日にも危ないということです。

 義母は東京大空襲を生き残りますが、幼い妹と母親ははかなくなってしまいました。
 戦後は父親と祖母から可愛がられて育ち、少々わがままな性格になってしまいました。
 商業高校としては日本一と言われる芝商業高校を卒業して日債銀に勤め、結構楽しいOL生活をおくったようです。
 その後義父とお見合い結婚し、二人の娘に恵まれますが、妹の方はわずか18歳で病死。
 義父は5年前に他界しており、家族を喪うことの多い人でした。

 今日、最近近所に出来た特別養護老人ホームに見学に行きました。
 できて数か月ですが、もう20人待ちだそうです。
 義母が退院できるかどうかは分かりませんが、退院出来た後のことを考えてのことでしたが、20人待ちでは無理でしょうね。
 その間に亡くなってしまいます。
 そもそも退院できる可能性のほうが低いと思います。

 タイミングが悪いというか、今夜は結婚26周年を祝って少々値の張る懐石を食す予定になっております。
 予約がなかなか取れない店なので、ずいぶん前に予約しました。
 いつその時が来るかは分からないわけですが、予定どおりお祝いをしたいと思っています。
 万が一小宴の途中に連絡が来たら、タクシーで病院に駆けつけるしかありますまい。

 宴会をやったり旅行に行ったり趣味を楽しんだり、恋をしたり友人が出来たり、人生の楽しみすべてが儚いことのように思えてしまいます。

 私の親世代はいわゆる後期高齢者で、順番に亡くなっていくのでしょう。
 その後は私たち世代の番。
 私にも必ずその時が来ます。
 その時どういう心境になるのかは見当もつきませんが、心穏やかでありたいと思っています。

 


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26

2024年06月14日 | その他

 昨日、6月13日は26回目の結婚記念日でした。
 昨年は銀婚ということで、式を挙げた東京大神宮から祝詞に招待され、千葉からわざわざ飯田橋まで出かけました。
 東京大神宮に隣接するマツヤ・サロンで宴会もあったのですが、25年前に同じ式場で式を挙げたというだけのご縁で氏素性の知れない人々と宴席を囲むのはつまらんと思い、宴は欠席しました。

 その他に、二人で蓮池の路地裏にある千葉市一番の高級寿司でコースを食い、大酒をも喰らいました。

 あれから一年。
 今年は明日の土曜日に千葉駅から徒歩10分ほどの高級和食店で懐石料理を食いつつ、お酒をいただく予定にしています。

 唯一の心配は先般軽い脳梗塞を起こした義母が入院中だということ。
 脳梗塞はごく軽く、若ければ問題にならないらしいのですが、何しろ84歳と高齢ですから、どうなるか分かりません。
 食事もほとんど取れず、このままでは鼻からチューブで栄養分を補給する他なくなるそうです。
 もともとは食欲旺盛な健啖家だったのですが、年を取ると好きな飯も食えなくなるのでしょうか。

 義母の晩年が安らかであらむことを。


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地獄の花園

2024年06月13日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は息つく暇もないほど忙しく、酒を呑もうとも思わなかったので駅前の中華屋で冷やし担々麺を食って帰宅するなり風呂も入らずリビングのホットカーペットで1時間ほど眠ってしまいました。
 そうなると今度は眠れなくなるというのが世の常で、ネットフリックスでなるべく馬鹿々々しいドラマか映画を観ようと、「地獄の花園」というのが眼にとまり、なんとなく1時間40分ほどの作品を観てしまいました。

 大会社には堅気のOLと喧嘩に明け暮れるヤンキーOLが存在する世界。
 その世界で繰り広げられる抗争が描かれ、誠に馬鹿々々しいほど痛快です。

 そんな中、堅気のOLとして生きている主人公の永野芽郁演じるナオコ、普通に仕事をし、仕事帰りには同僚と食事をしたりして、彼氏が欲しいとぼやきながら普通のOLとして生きています。

 そんな中、途中入社の広瀬アリス演じるランが3派が入り乱れていたヤンキーOLたちを一日で傘下に収めてしまいます。
 なぜかランとナオコは仲の良い友人になっています。

 ランの強さに脅威を感じた一部上場の大会社のヤンキーOLがランを呼び出すためにナオコを拉致。
 一人乗り込んだランは孤軍奮闘するものの、多勢に無勢、屈辱の敗北を喫してしまいます。
 しかし恐るべきことに、実は世界最強OLだったナオコが全員倒してしまい、それからランとナオコの関係性も崩れ・・・というお話。

 「翔んで埼玉」を観た時のような爽快感があります。

 私はかねてより、およそ意味の無いことにのめり込んで破滅していく姿だけが美しいと、このブログに何度も書いてきました。

 OLに喧嘩の強さなんて何の必要もありません。
 そもそもOLが喧嘩による派閥争いをするなんて分かりやすいことをするはずがありません。

 するはずがないことを必死でやるから滑稽味がうまれ、爽快感を感じるのだと思います。
 本当に出会いがしらのように観た映画ですが、楽しめました。


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永遠と横道世之介

2024年06月11日 | 文学

 横道世之介3部作の最後、「永遠と横道世之介」を読み終わりました。
 上下2巻。
 合わせて700頁に及ぶ長編です。

 第1作では大学1年生の一年間を、第2作では就職に失敗してバイトで過ごす24歳の1年間を、今作ではまがりなりにもプロのカメラマンとなった39歳の世之介が描かれています。
 お調子者で誰からも好かれる世之介。
 唯一、女性からはもてません。

 今作では、30歳でお付き合いした薄幸の女性との思い出が頻繁に語られます。
 世之介が彼女に出会った時、すでに彼女は余命2年の宣告を受けていました。
 しかし世之介は、彼女に「早く出会えて良かった」と言います。
 2年遅かったら彼女は亡くなっていたと思うと、2年といえど長い年月なのかもしれません。
 短い夏の思い出も、クリスマスの思い出も、2回だけ。
 それでも世之介にとっては最高の彼女なのです。

 彼女と死に別れて後、新しい彼女と付き合うことになりますが、あろうことか最初の告白の時に、「2番目に好き」と言ってしまいます。
 死に別れた彼女が永遠に一番ということでしょうか。

 世之介にとって最高の人生はリラックスして生きること。
 世之介は実際にそうやって生きています。

 世之介は40歳で事故死してしまうのですが、彼は精一杯に生きたと思わせる小説でした。

 吉田修一と言えばバリバリの純文学作家ですが、こんなに軽い、そして何も起こらない小説も描けるのですね。

 軽い嫉妬を感じました。

 

 


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義母の入院

2024年06月10日 | その他

 今朝、義母が入所している施設から電話があり、朝食に箸を付けず、表情に精気が無く、血圧を測ったら上が190を超えていたとかで、掛りつけの内科に連れて行ったらその場で大きな病院へ行くよう紹介状を渡され、大病院で検査の結果、入院となりました。
 脳梗塞とのことです。

 一か月程度ということです。

 今入っている施設は医療行為は行えないので、退院後は特別養護老人ホームに移る必要がありそうですが、果たして空いているか。
 もし空いていなかったら、同居人は介護離職せざるを得ないでしょう。
 人は簡単には亡くならないのかなと変なことを感じてしまいました。


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定員削減

2024年06月09日 | 精神障害

 6月17日(月)から、私の部署では1名定員削減の憂き目にあうことになりました。
 私にとっては衝撃的な出来事です。
 ただでさえ少ない人数でどうにか仕事を回してきたというのに。
 部下たちの仕事の分担を考えなければなりません。
 もちろん私の分担も。

 上層部は私の病歴を当然知っています。
 寛解に至って15年も経つので、もう負荷を増やしても大丈夫だろうという判断なのでしょうが、そんなに甘いものではありません。

 じつはもう精神科医から休養すべきだと言われ、診断書も貰っています。
 とりあえずはこの診断書を常に忍ばせ、様子を見つつ、もうダメだとなったら病気休暇に入ろうと思っています。
 自分を守るのは自分だけですから。


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おかえり 横道世之介

2024年06月05日 | 文学

 今朝はなんだかひどく体が重く、起き上がる気が起きなかっので、思い切って休暇を取りました。
 あらかじめ申請してあった休暇と違い、何となく罪悪感がありますが、仕方ありません。

 重い頭でベッドから出ずに読書しました。
 かねて読み進めていた「おかえり 横道世之介」を読み終わりました。

 前作では18歳から19歳にかけての、大学1年生という設定でしたが、続編では24歳にして就職に失敗し、バイトとパチンコに明け暮れながらぼんやりと写真家を目指す姿がゆるーく描かれています。

 舞台が小岩のせいか江戸川区出身の私には親しみやすい物語でもありました。
 いわゆる良い人であることが唯一の取柄のゆるーい横道世之介、それでも生きていかなければなりません。
 
 死なないかぎり生きていかなければならないのは当然のことで、私もまた、あと30年だか20年だか生きなければなりません。
 現役で働いている間は難しいと思いますが、退職したならば、自己実現を目指そうと思うのも、誰もが同じことなのかもしれません。

 


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