義母が10月21日(月)に特別養護老人ホームに入居することが決まりました。
今日、契約に行ってきました。
契約関係書類の中には延命処置を望むか、と言った切実な問題が含まれていました。
つい最近出来た施設で、我が家から車で10分ほどと至近です。
しかも10月中に満員になるとのことでギリギリ間に合いました。
義母は85歳。
車椅子でしか移動は出来ないし、車椅子に自力で乗ることも出来ません。
認知も危うくなってきました。
誰もが年老いてやがては死んでいきます。
当然私も。
それがいつ来るのかは誰にも分かりませんが、必ず来ることだけは避けようの無い事実です。
怖ろしいことです。
人間は生きたいもの。
私が死を迎えようとする時、どんな心境になっているのでしょうか。
義母が老いていく過程をみて、死ぬということについて考えさせられます。
今日は雨。
雨に閉じ込められて、魚屋と八百屋に行った以外家でごろごろしていました。
そんな風に過ごしていると、知らず、過去のことが想起されます。
思えば子供の頃から躁鬱気質だったような気がします。
ほんの幼い頃を除いて。
12歳くらいから、時折訪れる激しい高揚感と、なんとなく憂鬱な日が続く日常を繰り返していました。
ただその頃は、己の心理状態に目を向けることが無かったため、とくだん苦しいとは思いませんでした。
幸せな時代です。
15歳くらいから落ち込みと高揚が激しくなりました。
その時初めて、自分の精神は異常なのではないかと感じ、風邪薬や鼻炎カプセルの副作用で心が落ち着くことを経験的に知り、体調が悪くないのにそれらを飲むことが増えました。
それでもまだ精神科を訪れようとは思いませんでした。
高校・大学時代をそんな風にしてやり過ごしていました。
今思えば圧倒的に暇で、それほど追い詰められることが無かったため、まぁまぁ平穏だったのかと思います。
就職して3年目に最初のうつの波が押し寄せました。
とにかく不安で憂鬱で仕方ないのです。
その年の秋、初めて精神科を訪れました。
精神科の敷居は高く、クリニックの前まで行って入ることが出来ず、そのまま引き返してしまったこともあります。
それでも勇を鼓して精神科を受診し、初めて抗うつ薬というものを処方されました。
ドグマチールと言うマイルドな抗うつ薬です。
その当時は薬の知識が無かったので、ドグマチールがどんな薬なのかは知らず、処方されたままに飲み始めました。
すると圧倒的な力で薬が作用し、不安感も憂鬱感も吹っ飛んでしまいました。
これで救われる、と思いました。
その後何度か小さなうつ波はあったものの、軽躁状態が続きました。
それは10年にも及び、もう二度と精神的に不安定になることは無いと思っていました。
しかし、36歳の頃小泉改革によって、勤めていた国立の学術研究機関が法人化されることになり、全ての規程、規則、申し合わせなどの決まり事を見直すことになり、当時財務畑の筆頭主任であった私は、単式簿記から複式簿記への転換、各種規程の見直しに奔走することになり、筆頭主任という面倒な肩書のため、上からも下からも責められ、ついには頼みのドグマチールも薬効を感じなくなり、病気休職へと追い込まれました。
休職したり出勤したりを3年ほども繰り返し、ようやく寛解に至った時点で、私は人生を斜めに見るようになっていました。
休職期間中に激躁に襲われ、徹夜で愚にも付かない駄文を書き散らしたり、性的逸脱行動に走ったりしました。
病名はうつ病から双極性障害(昔で言う躁鬱病)に変わり、飲む薬も抗うつ薬から気分安定剤へと変わりました。
注意願いたいのは、精神安定剤ではなく、気分安定剤だと言うことです。
精神安定剤は抗不安薬とも呼ばれ、不安を抑える薬です。
気分安定剤は躁状態の出現を抑えることを主眼とし、気分が落ち着くことでうつ状態にも効くという面倒くさい薬です。
結果、躁状態が現れることは無くなりましたが、いつも軽いうつ状態が続くということになりました。
患者にとって躁状態は万能感や多幸感に包まれた気持ちの良いものです。
激躁になると生活が破綻してしまうのでまずいですが、軽躁状態がもっとも良いと私は思っています。
しかし精神科医によると、双極性障害は軽くうつっぽい状態が最も良いと言います。
それほど躁転は危険ということでしょう。
その状態に落ち着いたのが40歳くらいの時でしょうか。
以来、抗うつ薬ではなく、気分安定剤での治療ということになり、軽躁状態になることは無く、もちろん激躁も無く、なんとなく憂鬱な気分のまま15年も過ごしてしまいました。
それが6月に二つの役職を兼務することになり、激務のせいか軽いうつから本格的なうつへと悪化しつつあります。
昔のことをおさらいするように、うつ状態が悪化しているように感じます。
こうなると、おそらくは近いうちに出勤出来なくなるような気がします。
現に主治医からは休養を勧められてもいます。
しかし朝はきちんと起きられるし、憂鬱感から仕事は効率が悪くなりましたが、まだ働けないと言うほどではないので、今も出勤を続けています。
何より、4週間に一度通院していますので、それほど悪化していません。
今、過去を振り返って思うのは、つまらぬ人生を歩んできたと言うこと。
安定した職に就いているため、マンションを購入し、車を何台も買い換え、買い物の際はよほど高い物でない限り値札を見ることもありません。
子宝には恵まれませんでしたが、今も関係が良好な伴侶を得ることもできました。
世間的に見て、まぁまぁの生活を送れていることは確かだと分かってはいます
しかしそのことがイコール幸福で充実した生活と言うことにはなりません。
もちろん、貧乏では幸福にはなれないと思いますが、私が求めていたのはもっと時間に融通が利き、創造的な仕事に就くことでした。
そんなことはごくわずかな限られた天才にだけ許されることだというのは分かっています。
かつて根拠の無い自信を持っていた少年期から青年期の自分が、今となっては懐かしくもあり、愛おしくもあります。
色々なことを諦めるのが凡人の人生なのだとしたら、私は凡人の王なのかもしれません。
かつて「アマデウス」で描かれた宮廷音楽家のサリエリがモーツァルトの才能に嫉妬し、老いて自分を平凡の王と嘆いたことを思い出します。
雨中の休日、すっかり愚痴っぽくなってしまいました。
出来なくなることが増えること、過去を悔いるようになること、私にはそれこそが加齢による衰えだとしか思えません。
損な気質に生まれついてしまいました。
先週、雨の夜道で自損事故を起こしてしまいました。
車の左側をガードレールにこすってしまったのです。
理由ははっきりしています。
緑内障による左目の視野の欠損です。
眼科医からは車の運転は控えた方が良いと言われていました。
ただし、今の法律では運転に関して視力の検査は必須ですが、視野の検査は行われません。
したがって、視野が欠損していても法律上は運転が出来ることになります。
私もそれを頼りに運転を続けてきました。
しかしもう無理です。
同居人に運転を頼るしかないようです。
残念です。
残業続きだった今週。
今日はなんだか早起きしてしまい、早朝5時に起きてシャワーを浴びました。
その後生卵と納豆で白飯を食い、しばし食休み。
9時に浄水器を交換するための業者が来て90分ほどで作業を終えました。
先週の脱衣所の引き戸に続き、2週連続の屋内の修繕となりました。
前の浄水器、蛇口がくるくると動くようになってしまったので、是非とも交換したかったのです。
こんな感じです。
お昼は近頃我が家でブームのあっさり塩ラーメンを食いに行きました。
私はここで塩ラーメンに味玉、チャーシュー、雲吞が載った全部載せを食すことを慣例としています。
毎週末通っています。
すっかり常連です。
これほどしょっちゅうラーメンを食うのは初めてです。
温麺のようなまっすぐ細麺と浅利の出汁が効いたスープが食欲をそそります。
食後、大分涼しくなってきたので近所を散歩しようと歩き出したのはよいですが、まだまだ蒸し暑く、わずか10分で断念し、魚屋と八百屋に行きました。
魚屋では秋刀魚が一尾78円で売っていました。
今季は5年ぶりに秋刀魚が豊漁だとニュースで放送していましたが、本当なのですね。
迷わず秋刀魚を2尾購入。
野菜は定番のフルーツトマトと煮浸しにしました。
帰宅してから2時間も昼寝してしまいました。
盛沢山なようでいて、実感としては特に何もしない土曜日となりました。
折角の休日、もったいないような気もしますが、これを贅沢と言うのかもしれません。
数か月前まで私が住むマンションのすぐ近くに大型の書店とDVDレンタル店があって、ずいぶん使わせてもらいました。
ところがインターネット通販の影響でしょう、両店とも閉店してしまいました。
私自身、映画やドラマはNetflixで観るようになり、また本もネット通販で購入することが多くなりました。
リアルな店が潰れるわけです。
しかしネット通販で本を購入すると、本との偶然の出会いがありません。
偶然の出会いが欲しかったら、わざわざ千葉まで行かなければ大型書店はありません。
電車か車で行かざるを得ません。
難儀なことです。
今日は千葉の駅ビルに在る大型書店に行きました。
そこで小説2冊と、珍しく川柳集を買いました。
早速川柳集を読みました。
五七五が1頁に書かれているので一瞬で読み終わってしまいます。
シルバー川柳14「ワシだって 財布の中身は キャッシュレス」という、高齢者を題材にした本です。
病院は 具合悪くて 休みます
会場が 法事に見える クラス会
来世では 探さないでと 妻が言う
モテ期きた ロマンス詐欺が 押し寄せる
「出席」に 生きていたらの 但し書き
等のブラックな川柳群に圧倒されます。
若者が老人を嗤うのは見苦しいですが、高齢者自らが自身の老いを笑い飛ばすのは寂しくもありますが、どこか痛快な感じがします。
私も老人と言われる年齢になったなら、自分の老いさらばえた状態を笑いたいと思います。
もう9月の下旬だというのにひどく蒸し暑い日が続きます。
三連休の真ん中。
通常であれば出かけたく日ですが、体がだるくて一日中寝ていました。
最近なんだか体がだるく、何をするにも億劫です。
一週間ほど前に風邪で仕事を休み、内科に行って薬を処方してもらい、ほぼ完治したと思っていたのですが、まだ本調子ではないようです。
体調が良くないと悪いことばかり考えるか、思考が停止します。
今回は思考が停止したようで、何も考えられなくなりました。
良いことも悪いことも。
それはそれで良いのかもしれませんが、頭がぼうっとして、呆けたようになります。
あるいは認知症の始まりのような。
世間には若年性認知症と言うものがあって、50代で罹患して、何もかもを忘れてしまう人がいるようですね。
なんだかそれに罹患したのではないかと疑ってしまいます。
近頃人の名前が出てこなくなったり、若い頃だったら決してしなかったような物忘れをしたりするようになりました。
加齢による一般的なものだったら良いのですが。
一度検査を受けたほうがよいのかもしれません。
今日は午前中建具屋が来て、洗面室というか、脱衣所の引き戸を交換してもらいました。
引き戸に脚立をぶつけて凹みが出来てしまいましたので。
来週は浄水器の交換があります。
両方昨年リフォームをお願いした業者に頼んで、合わせて20万円弱の出費。
痛いですが、結構長く住んでいるマンションですし、ここに生涯住むつもりなので仕方ないことです。
建物といえども一種の消耗品。
メンテナンスを怠ればたちまちボロ家になってしまうでしょう。
それは人間も同じで、年とともあちこちガタが来て、治療しなければ長生きできません。
もっとも、長生きすることが良いことなのかどうかは一概には言えません。
もっと根源的な問題なのでしょう。
衰えるということ、痛みとわずかな哀しみを伴うようです。
今朝目覚めたら喉がひどく痛み、咳が止まりません。
体の節々が痛み、微熱がありました。
出勤できないことも無いかなと思いましたが、こじらせる前に治したいと思い、仕事を休んで内科に行きました。
つい一週間ほど前に同じ部屋で執務する後輩がコロナに罹ったことも心配でしたし。
内科でコロナの検査を行った結果、幸い大丈夫でした。
抗生物質やら咳を止める薬やら色々薬が出て、朝と昼に飲んだら大分楽になりました。
ただし、喉の痛みは相変わらずです。
多少体調が良くなったので、「ふたりぐらし」という小説を読みました。
今では職業として成り立たなくなった映写技師で脚本家になる夢を捨てきれない40歳の男と看護師で36歳の妻との生活がそれぞれの目線で交互に語られる連作短編集の体裁を取っています。
看護師の妻が夫を養っており、世間から見れば夫はヒモです。
しかし二人は仲睦まじく、生活を楽しんでいます。
家族の始まりとでも言いましょうか。
そしてそれぞれの親との関係性も描かれます。
母親はどちらもいわゆる毒母に近い人です。
その母親との関係の難しさは、私の義母と同居人を見ても分かります。
同居人は親との関係が悪く、今も面倒は見ていますが、内心嫌っています。
母を嫌う娘を描くサイドストーリーとしても楽しめる作品になっています。
この小説を読んでいると、仲睦まじい夫婦というもの、たった二人の世界で生きているようで、二人だけど孤独な感じがします。
言ってみれば自分とパートナーだけが生身の人間として存在しており、その他の人は存在していないも同然です。
我が家は子宝に恵まれず、だからこそ二人だけで世間を渡ってきました。
相互に依存し、傍から見たら気持ち悪いほど相手にべったりです。
そんな私にとってこの小説の夫婦には共感できる要素が満載です。
ただし、脚本家を目指してせっせと投稿を続ける点を除いて。
私は物語作者として生計を立てていきたいと、同人誌に参加したり新人賞に応募したりを36歳まで続けました。
精神障害を発症して、完全に諦めました。
この小説に出てくる夫、きっと夢が叶うことは無いのでしょう。
それもまた共感を呼ぶ要素なのかもしれません。
昨日は一昨日と打って変わって静かに読書をして過ごしました。
恩田陸の「夜のピクニック」です。
この人はミステリーやホラーの作家というイメージを漠然と持っていましたが、「夜のピクニック」はいわゆる青春小説と呼ばれる分野かと思います。
田舎町の進学校、北高。
ここでは1年生から3年生、全員が参加する奇祭、歩行祭が毎年行われています。
朝8時に学校を出発し、途中で休憩や2時間の仮眠を挟んで80キロの道のりを翌朝8時までに歩き通すという過酷なものです。
しかし、ヘトヘトになりながらも達成感があるらしく、多くの生徒は歩行祭の実施を支持しています。
ただ歩くだけで何の事件も起こらないのですが、歩行中に生徒達の間で交わされる会話が面白く、文庫本で447ぺージの作品を一気に読んでしまいました。
最後の学校行事である受験を控えた高校3年生の数人を主人公にした物語です。
私はもちろん夜通し歩くなんて体験はありませんが、この小説を読んで、何となく懐かしいような、ノスタルジックな気分に浸りました。
近くにいなければ忘れられる。忘れられればいないのと同じ。
こんなフレーズが、続ける努力をしなければ簡単に切れてしまう友情というものの儚さを感じさせます。
現に私も高校時代の友人で未だに付き合いがあるのは一人だけです。
これからどれだけ「一生に一度」を繰り返していくのだろう。いったいどれだけ、二度と会うことのない人たちに会うのだろう。なんだか空恐ろしい感じがした。
多くの二度と会うことのない人々と出会ってきた中年のおじさんには胸に刺さるフレーズです。
あたしなんか、部活もしていなかったし、勉強もいまいちだし、何も起きない、冴えない高校生だったよ。
というセリフ。
私は中学・高校・大学と帰宅部で、部活動もサークル活動も経験していないし、成績も良くないし、魂の漂流を続けるだけの、冴えない青春時代をおくりました。
多少の後悔はあるものの、それでも輝かしい時代だったと思います。
もうすぐ終わる。歩行祭が終わる。
という独白は、すなわち高校生活が終わることを象徴していて、それがノスタルジックに感じるのかもしれません。
高校生達のちょっとした秘密が暴かれたりはしますが、基本的に歩くだけの、何も起きない小説が魅力的なのはなぜでしょうね。
昨日、10月1日職場内の異動が示されました。
6月17日という中途半端な時期に私の部署の職員が定員削減になったばかりで青息吐息なのに、またもや1名削減となりました。
立ち直れないくらいショックです。
私を辞めさせたいとしか思えません。
しかしそうは言っても勤め人。
上層部が決めてしまった人事に何を言っても切ないばかりです。
もう少し頑張って、どうにもお手上げとなったら、15年ぶりの病気休職もやむ得ないかと思っています。
精神科医はいつでも診断書を書く、というか休めと言っていますし。
で、残暑厳しい今日という休日、少し歩き回って気分転換をしたいと、冷房の効いた巨大ショッピングモール、イオン幕張新都心店に出かけ、ペットショップで犬や猫を見たり、北欧家具の洒落れた店を冷やかしたり、喫茶店で紅茶を飲んだりして1日を過ごしました。
少しだけ、気分転換になったような気がします。
この三連休、憂色濃いものではありますが、楽しみたいと思っています。
今日は同居人が休日出勤を命じられたため、独りで過ごす日曜日となりました。
こんな日、普段私はどれほど同居人に依存しているかを思い知らされ、愕然とします。
奥様が留守だと嬉しいと言う中年男性のほうが多いというのに。
お昼は近所のあっさり系ラーメン屋で塩ラーメンを食したのですが、店に向かう一時間ほど前から、食前酒と称して禁断の昼酒を呑んでしまいました。
寂しさゆえだと思います。
食前酒を飲むと食事が美味しく感じられることは確かですが、昼酒は変に効きます。
実際、今日はラーメン屋から帰宅して2時間も昼寝してしまいました。
晩御飯には鰹のたたきと蛸ぶつ、それにフルーツトマトと枝豆を買ってあります。
呑みメニューです。
晩も吞んでしまうんでしょうね。
同居人と一緒に過ごす休日であれば、昼酒を呑むのは正月と花見の時だけです。
こんなことでは、同居人に先立たれたなら、私は生きていけない気がします。
江藤淳のようなことにならなければ良いのですが。
待ちに待った土曜日。
今日は読書などしてのんびり過ごそうと思っていたのですが、同居人がLOFTと無印良品に行きたいと言います。
これはすなわち、そごう千葉店に行きたいということ。
LOFTと無印良品の両方があるからです。
少々暑くはありましたが、車で行けばどうということも無いので、気分転換に出かけることにしました。
10時45分に出発して11時には着いてしまいます。
少々早かったですが、寝坊して私も同居人も朝食を摂っていなかったため、昼飯にしました。
いつもの椿屋茶房のビーフカレーのセットです。
食後も紅茶を飲みながらダラダラして、2時間もお店に居座ってしまいました。
店外で待っていた方々、ごめんなさい。
10階にある飲食店街からエスカレーターで1階降りては店を冷やかしを繰り返し、2階に辿り着くまで2時間かかってしまいました。
2階の喫茶店で一休み。
珈琲好きだったのが、なんだか珈琲を飲むとドキドキするようになり、最近はもっぱら紅茶です。
で、恒例のデパ地下のお弁当を購入して帰りました。
こういう何ということもない土曜日を、何ということもなく過ごせるのが幸せというものなのかなと思いました。
精神障害を発症してもうすぐ20年。
寛解に至って15年経ちます。
やっとそういう境地に辿り着けたことを、素直に喜びたいと思っています。
かねて読み進めていた村田沙耶香の「地球星人」を読み終わりました。
この人の小説を読むのは「コンビニ人間」、「消滅世界」に続いて3冊目です。
「コンビニ人間」や「消滅世界」はジェンダーレスの世界を描いていて、それだけでも世の中の常識から反する、いわば反社会的な作品でした。
しかるに「地球星人」はそんな生半可な小説ではありません。
人間社会の全てを否定しているかのごとくなのです。
最初は世の中というものに違和感を持つ少年少女の淡い恋物語の様相で始まります。
その違和感はますます大きくなり、長じて、人間社会を工場と呼ぶにいたります。
勉強を頑張り労働する、女の子を頑張り生殖する、この二つが地球星の成り立ちであり、それは社会というより工場だというわけです。
それに順応して何の違和感もなく生きるのが地球星人であり、違和感を持つ者は異星人ととらえます。
そこでは価値観が錯綜し、逆転し、また反転します。
さらには殺人、人肉食までもが正当化されます。
それは彼らの合言葉、異星人として、なにがなんでも生き延びる、という価値観からすれば合理的とされるからです。
怖ろしい小説です。
半端なミステリーなど足元にも及びません。
この物語は多くの人に不快感をもたらすでしょう。
私もそうです。
つまらない、のではなく、不快です。
しかし誰もが社会というものに何らかの違和感を感じているものと思います。
それら全ての人々に突き付けられた刃のような作品です。
刺激的な物語を好まない方にはお勧めできません。
この世に対する違和感を強烈に感じている人だけが共感できるものと思います。
少年の頃の私だったらこの物語に共感したかもしれません。
しかし工場の中で暮らし続けてきた私には、もはや懐かしい感覚でしかありません。
今朝は6時半に起きて生卵と納豆で白飯を食いました。
その後日曜日の朝恒例の洗濯。
朝が弱い同居人は夢の中です。
午前中はテレビなど観てだらだら過ごし、昼は近所の蕎麦屋で鴨せいろを食しました。
その後床屋で散髪しました。
午後は読書。
軽い物が読みたいと、かねて購入してあった松任谷正隆の「おじさんはどう生きるか」というエッセイ集を読みました。
私はこの人、松任谷由美の旦那で音楽関係の仕事をしているとしか予備知識はありませんでした。
しかしこのエッセイを読むと、文章を書いたり、音楽劇の演出をしたり、バンドをやったりと多彩な活動をしていることを知りました。
内容は偏屈なおっさんの繰り言という感じで、我が意を得たり、と思うことが多くありました。
そのなかに、寂しがり屋の一人好き、という言葉がありました。
こういう感覚、誰にでもあると思います。
それをこういう言葉で表すところに、この人のエッセイの神髄があるように思います。
また、人間ドックをやった。どうやら小さな動脈硬化があるらしい。おいしいものを食べて早く死ぬか、まずいもので長生きするか、という命題が提示され、私はどっちを選ぶのだろうなと悩みました。
まずいものを食って長生きするのは嫌だし、早死にするのも嫌だし。
軽くて楽しめる本でした。
台風10号の影響か、今日の千葉市は突如雷を伴う大雨になったり、すぐに止んだり、奇妙な天候となっています。
こういうのは珍しいのではないでしょうか。
もう5年も前になるでしょうか、台風で停電し、信号機が止るという異常事態が発生しました。
あの時は本当に怖かったですねぇ。
出勤時はなんともなかったのですが、帰りにそういう目にあいました。
台風というのはひどい惨禍をもたらしますが、どこか気分を高揚させる作用があるように思います。
往年の名作、「台風クラブ」では、台風の晩にバカ騒ぎをする中学生たちが描かれています。
そうはいっても、それほど大規模な台風で無いからそんなことが出来るので、激甚災害となったらそんな悠長なことはやってられません。
今度の台風はあまりにも遅く、いつまで経っても関東にやってきません。
いっそ早く来て早く行ってしまってほしいものです。