今日は肉体労働でした。
古くなった大量の雑誌をしばって、車で構内にあるゴミの集積場所へ運ぶのです。
これが結構な重労働です。
紙は重いし、雑誌は表紙がペラペラなので、扱いに難儀します。
幸いにして今日は涼しかったので、それだけは救いでした。
勤務時間が増えて、ただでさえ疲労するのに、参りました。
しかも一緒に作業した先輩が、年甲斐もなくタフガイなので、休憩をとろうとしません。
ガテンな仕事にはつけないなあと、しみじみ思いました。
でもまあ、これが額に汗して働く、ということなのでしょうね。
月曜日の朝というのは憂鬱なものですね。
仕事を休んでいた間は忘れていた感覚です。
今日から16時15分までの勤務。不安はぬぐえません。
しかしいつまでも時短勤務が許されるほど、職場は甘くありません。病癒えたなら、当然、健康人と同じ働きが求められます。
今のところ、業務量は少ないし、気楽なものですが、長く拘束されるというのは、それだけで疲れるものです。
なんだか気分的には、定年後にアルバイトしているおじさんのような感じがしています。
なんというか、サラリーマンとしては、終わっちゃった感じがするのです。
話題のベストセラー「1Q84 BOOK3」を購入し、半分くらいまで読みました。
BOOK1とBOOk2はもちろん、読み終わっています。
私はこの作家の本は、四半世紀というもの、ほぼリアルタイムで読んでいます。今はヨーロッパでも読まれ、ノーベル文学賞候補にまでなっているとか。
大したものです。
この作家の小説は、その文体などから、アメリカナイズされたように誤解されがちですが、そうではないと思います。記紀万葉の時代から、わがくにびとが大切にしてきた無常感や諦念といったものが小説の根底を流れていて、口当たりだけ、ハンバーガーのように食べやすいのだと思います。
その本質は、醤油と味噌と米。決して、ハンバーガーやフライドチキンではありません。
残念なのは、「風の歌をきけ」から「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」までは、瑞々しく、濃密な物語世界が展開されていたのに、「ノルウェイの森」以降、どこか気の抜けたビールのような小説が多くなってしまったことです。
いくつかの短編には見るべきものがありますが、「海辺のカフカ」にしろ、「ねじまき鳥クロニクル」にしろ、また今回の作品にしても、何か物足りないのです。読ませる力は十分ですが、読後感が良くありません。
また不思議なことに、「ノルウェイの森」以降のほうがよく売れていますね。
今後村上春樹が老境を迎え、どんないぶし銀の筆の冴えを見せるか、同時代人として、注視していきたいと思います。
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昨日、診察がありました。
今は調子が良いので、診察はすぐに終わりました。
処方は変えず、この調子でいきましょう、ということでした。
支払いを待っている間、私の後に診察室に入った初老の女性の、怒っているんだか、嘆いているんだか、かなり興奮した様子の声が待合室まで聞こえてきました。
彼女の症状が軽くなると良いですね。
精神科医も、大変です。
躁が激しい頃、私は愚かな遊びをくりかえしました。
そのころ、なじみのお姉さんが言ったこと。
「遊びが、きれいだね」
すなわち、金離れが良く、がつがつしていないことだと、思いました。
遊びをいくら繰り返しても、いくら遊びで濃密と思う人間関係を築いても、むなしいかぎりです。それは銭金によって、媒介されているわけですから。
真に信頼できる人が一人でもいること。それが幸福だと思います。それが同性であれ、異性であれ。
私には今、この人こそ信頼できる、と思える異性が一人だけいます。
その人と出会って、今年で十九年目になります。
私の愚かさゆえ、この年になりました。
これからどうなるんでしょうね。
「サイコ・キラー」を観ました。
聖書になぞらえた連続殺人を扱ったスリラーです。ストーリーはよくできているのですが、映像に緊張感がなく、冗長な感じがしました。
聖書になぞらえた連続殺人といえば、「セブン」が有名ですね。
映画としての完成度も、エンターテイメント性も、「セブン」のほうがずっと上です。
ちょっとがっかり。
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今週も、無事5日間すべて出勤することができました。
帰宅後の疲労は着実に緩和されてきていると感じます。
今週は15時15分まで。来週は一時間延びて16時15分までとなります。
来週も皆勤できたら、再来週は17時15分までのフルタイム出勤となります。そうなってからが、本番です。仕事の量も少し増やしてもらわないといけません。あんまり退屈だと、かえって疲れますから。
今日は金曜日、軽くビールでも飲みましょうか。
最近、仕事中といわず、入浴中といわず、シューベルトの交響曲「未完成」が私の頭の中でがんがんと鳴り響いています。執拗にくりかえされる主題が、途切れることもなく。
通勤の車で聞くようになり、なぜか、この曲ばかりくりかえし聞いています。
こういう経験は、はるか昔、小学校のころにありました。
そのときは、「地獄の黙示録」で米軍がベトナムに空爆をする際、大音量で流していたワーグナーの「ワルキューレ」です。
そのシーンは凄惨で、ひどく恐ろしいのに、「ワルキューレ」はどこまでも美しく響くのです。
それと、「オーメン」シリーズの混声合唱。J・ゴールドスミスの「アヴェ・サンターニ」です。恐怖シーンには必ずこれが流れて、幼い私は震えあがったのです。
小学生の私は、勝手に流れ出す「ワルキューレ」や「アヴェ・サンターニ」に恐怖しながらも、その美しい旋律に酔いしれたのです。
中学生になると、私は文学や古典芸能に興味が移り、音楽に頭が支配されることはありませんでした。流行の歌を、テレビやラジオが垂れ流すままに、ぼんやりと聞いていました。
35歳でうつ病に罹り、ポップスもロックも演歌も耐えがたい騒音としか思えなくなりました。そのとき、唯一聞けたのが、「ジムノペティ」などの、エリック・サティの静かなピアノ曲でした。しかしこのピアノ曲が私を支配することはついにありませんでした。
その後いくつかシンフォニーを聞くことができるようになって、目下「未完成」が鳴り響いているというわけです。
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朝、起きたら、猛烈に不安でした。
昨夜、夜の薬を飲み忘れたせいだと思います。
夜は、抗うつ薬がリフレックスとジェイゾロフトとドグマチール。気分安定剤がリーマス。眠れないときはこれにサイレースという睡眠導入剤が加わります。
一回飲み忘れただけで、これほど不安が強く、厭なことが次々にフラッシュバックするのかと、薬の威力に驚くと同時に、飲み忘れは絶対にダメだ、と思いました。
今朝は頓服で出ている抗不安薬(ワイパックス)を、処方の倍飲みました。
不安は和らぎましたが、眠くなるのには困りました。
今、昼休み。少し横になるとしましょう。畳の部屋があるのです。
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数年前に、「負け犬の遠吠え」という本が流行りましたね。
30、未婚、子無しは「負け犬」だとか。著者自身のことでもあります。
人の多様な生き方を型にはめて本にするとはずいぶん下品な所業ですが、ここではあえてその内容は問いません。
私は、そのなかに出てくる「いや汁」という言葉が変に気に入りました。
この著書では、負け犬がかもしだす、独特のいやあな感じを、「いや汁」と言っています。
私は、この「いや汁」を、別な意味で用いています。
すなわち、働いていると出てくる、疲労をともなった、いやあな感じです。
労働による汗とか、そういう爽やかなものではありません。
油汗とも違う、実際の体液ではない、奇妙なそしていやな感じです。
一日働けば、必ず、一度や二度は意識してしまうものです。ふと仕事が暇になったときや、一段落したとき、「いや汁」は強烈に意識されるのです。
今日もたっぷりと、「いや汁」をだらだらと流しながら、職務に精励したのです。
最近、外で酒を飲む機会がめっきり減りました。
時代の流れでしょうね。仕事帰りに上司や同僚、後輩と軽く一杯、という風習は、もはや無くなったと言っていいでしょう。
個人の時間を大切にする、という意味で喜ばしいことですが、一方、なんだかさびしいような気もします。
オーソン実験の昔に立ち返るまでもなく、職場における人間関係が業務能率に影響を与えるのは、当たり前の話です。 むしろ欧米人が、オーソン実験の結果をみて、人間関係が能率に影響することに驚いた、という事実に日本人たる私は驚きます。我々にとっては、あまりに当たり前の話です。
その私たちも、古い言葉ですがノミュニケーション というものを捨てようとしています。
病気の私には、ありがたいことです。
外で飲むことは減りましたが、家ではよく飲みます。酒好きなのですね。
身もおもく 酒のかをりはあおあおと 部屋に満ちたり 酔はむぞ今夜
酒を愛した歌人、若山牧水の歌です。いかにも酒好きらしい、飲むことを楽しみにしている風情が伝わってきます。
蒼ざめし 額つめたく濡れわたり 月夜の夏の 街を我が行く
同じ歌人の手になる和歌です。大正元年発表の「死か藝術か」という歌集の冒頭を飾っています。この歌は牧水の歌の中ではあまり人気がありませんが、私は十代のころからなんとなく魅かれています。
同じ歌集に、
しのびかに 遊女が飼へるすず蟲を 殺してひとり かへる朝明け
と、いう、少し気味の悪い歌があります。私はその気味の悪さゆえに、気に入っています。
そうは言っても、牧水の歌といえばその知名度、完成度からいって、下の二首に敵うものはないでしょう。
酒と旅を愛した歌人の面目躍如ですね。
白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まず ただよう
幾山河 越えさりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ きょうも旅ゆく
私は牧水をお手本にして、ノミュニケーションを捨て、独り静かに酒を楽しむとしましょう。
「牧水歌集」などめくりながら。
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若山牧水 さびし かなし 田村 志津枝 晶文社 このアイテムの詳細を見る |
産業文明における人間問題―オーソン実験とその展開 (1967年) エルトン・メイヨー 日本能率協会 このアイテムの詳細を見る |
今朝は早朝覚醒がありましたが、躁の徴候は出ていないようです。
むしろ、なんだか不安なような。 復職直後よりも、この2~3日のほうが、不安と緊張が強いです。
なぜかはわかりません。
芥川龍之介は、「将来に対するぼんやりとした不安」を理由に自ら命を絶ちました。 きっとうつ状態だったんでしょうね。晩年の作品は、侏儒の言葉」にしても、「或る阿呆の一生」にしても、凄惨な感じが漂っています。
≪自殺に対するモンテーヌの弁護は幾多の真理を含んでいる。自殺しないものはしないのではない。自殺することのできないのである。≫
上は、「自殺」と題された一節です。 自らを自死に向けて奮い立たせているかのごとくです。
≪俳優や歌手の幸福はかれらの作品の残らぬことである。≫
「作家」と題した警句です。死を前にして、あまたの自らの手になる名作が、鬱陶しく感じたのでしょうか。でも今は、DVDやらCDやら、各種メディアで残ってしまいますね。不幸なことに。
私は、妙な気を起こすほどの不安は持っていません。 頓服で抗不安薬(ワイパックス)も出ていますし。
芥川龍之介全集 全8巻セット 芥川 龍之介 筑摩書房 このアイテムの詳細を見る |
或阿呆の一生・侏儒の言葉 (角川文庫) 芥川 龍之介 角川書店 このアイテムの詳細を見る |
久しぶりに早朝覚醒してしまいました。
午前3時半に目覚めて、もう眠くないのです。
躁転の予感がします。しかし、今は自分がそういう病気だという病識があるので、前のような浪費はしないと思います。リーマスも朝・夕飲んでいますから。
軽躁はけっこう良い気分です。ところがこれが激躁になると、自分が自分でなくなるのです。
ここは、要注意。
霞が関にうん兆円の埋蔵金があって、7兆や8兆、すぐに出てくる、と言っていましたね。しかし事業仕分けでは1兆が精一杯。財源をどうするかは、何も言いません。世の中の役人や天下り役人は馬鹿ではありません。そう簡単にしっぽを捕まえられると思ったら、大間違いです。
ことここにいたって、鳩っちが続けても、参議院選挙には勝てますまい。言うことがころころ変わる総理では、怒りを通り越して、笑ってしまいます。
引き際を考える時期に来ているのではないでしょうか?
今日は朝からだるく、しんどい一日でした。
それでも、15時15分までの勤務を無事終えました。
やろうと思っていた仕事も、片付けました。
すると不思議なもので、少し良い気持ちになって、だるさが和らいだように思います。
今はだるかろうがしんどかろうが、よほど体調が悪くないかぎり、とにかく出勤することが肝要です。おそらくそれだけが、病気を克服し、信頼を回復する方法だと思います。