先日購入したソファが到着しました。
二人がけの小さな安物ですが、一目で気に入りました。
緑を基調にした我が家のリビングに合っていますし、座椅子のようにリクライニングを4段階に調節できるのも良いです。
リビングの様子が一変しました。
気持ちよすぎて酔ってソファで眠らないようにしないといけませんね。
今朝は平日と同じ朝6時半に起床しました。
寝汗をかいて、体が暑かったので、水のシャワーを浴びました。
一瞬心臓がとまるかと思いましたが、浴びているうちに慣れてきて、気分爽快。
しゃっきりとしました。
朝飯は生卵と納豆だけで、白飯をしっかり食いました。
その後掃除機をかけてから便所掃除。
一休みしてからニトリに買い物に出かけ、キッチンマットを購入。
前に買ったものが大分くたびれてきましたので、交換です。
そうこうしているうちに昼になり、生ハムとオクラがたっぷり乗った冷製パスタで昼飯。
今日はこれから月に一度の精神科の診察。
暑くて出かけられないと、かえって家事がはかどるようです。
○ドライないい方をすれば、老人は もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。
○障害者などの劣等遺伝による障害児の出生を防止することも怠ってはならない。
○障害者も老人もいていいのかどうかは別として、こういう人がいることは事実です。しかし、できるだけ少なくするのが理想ではないでしょうか。
○植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者や恍惚の老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない。
上は、元国会議員で、初代安楽死教会会長を務めた産科医、太田典礼の発言です。
この発言を見ると、先日の障害者大量殺人を思い起こさずにいられません。
また、ナチによる障害者の虐殺も。
このような考え方に対しては、多くの人々が生理的嫌悪を覚えずにはいられないでしょう。
しかし、障害者や老人、植物人間などは安楽死させたほうが良いと考える人々も、一定の割合で存在することもまた、確かなようです。
なにしろ上のような考え方の持ち主が国会議員に当選してしまうくらいですから。
ドライな言い方をすれば、と言うより、功利的に見れば、上のような意見もうなづけます。
それなのに、一見合理的なようでいて、なぜ私たちはそれら意見に生理的嫌悪を覚えるのでしょうね。
それは一種の直感のようなものなのかもしれません。
社会に役立たないという理由だけで、人を殺すことは悪であり、耐えがたい、という。
現在は安楽死という言い方よりも尊厳死という言い方を多用するようです。
スイスやオランダなどの欧州諸国、また、米国の一部の州などでは、厳格な運用のもと、尊厳死が法的に認められています。
その多くは、病気などで耐えがたい苦痛があり、治癒は不可能であり、本人が尊厳死を強く望んでいる場合などに限定されますから、社会に役立たない奴は殺してしまえ的な、テロリストのような考えに基づくものとは根本的に異なり、多くの人が受け入れられる法律であろうと思われます。
むしろわが国のように、苦しもうがなんだろうがとにかく生かしておくのが医学の使命、みたいな考えのほうが、自分が苦痛に満ちた晩年を送る可能性を考えると、怖ろしく感じられます。
尊厳死ということと、社会に役立たない者は安楽死もしくは自殺すべきだという考えは、相容れないもので、これを混同してはいけません。
私は百万言の理屈よりも、自らの、そして圧倒的多数の人々の直観を恃みたいと思っています。
理由はどうあれ、殺すこと、死を強要することは悪であるに違いないのだ、と。
本当にひどい事件が起きてしまいました。
やまゆり園を深夜、ナイフで武装した同園の元職員を名乗る人物が侵入し、重度の障害がある方々を次から次へと切り殺していったとか。
首をねらうという、明白な殺意が感じられるもの。
19人もの障害者が犠牲になりました。
被疑者は、日頃から、重度の障害がある者は生きていても仕方ない、などと主張していたと聞き及びます。
聞き捨てならない暴言です。
生きていても仕方がないなどと決めつけることが、どうしてできましょうや。
私もまた、大分回復したとはいえ、障害者自立支援法の適用を受けている障害者です。
障害者といえど、それぞれが出来る範囲のことをして、精一杯生きています。
その命を奪うなど、しかもそれを正当化しようなど、許しがたい悪魔の所業です。
かつてナチは、ユダヤ人のみならず、障害者や同性愛者などを次々とガス室送りにしました。
それを彷彿とさせる今回の事件。
第一報を聞いたときは、精神障害社で責任能力を問えない者の犯行なのかと思いましたが、その後の被疑者の主張や、首を狙って確実に殺害している点などに鑑みて、十分責任能力を有するものと推察します。
責任能力が問えるのであれば、19人殺害という規模からみて、死刑以外の選択肢はあり得ないと思います。
私は強い死刑廃止論者ですが、現在の刑法が死刑を認めている以上、最高刑を課すほかありません。
悪法といえども法なり、という言葉を残してアリストテレスは毒杯をあおったと言い伝えられます。
私は死刑は悪法だと考える者ですが、現在の法制度が変わらない限り、この悪法を適用するのもやむを得ないとも思っています。
重度の障害者を大量に殺害して、おのれは国家に殺されるとは、なんともバカなことをしたものだと思います。
私たち、特に若い人たちは狭い視野で魔術的思考に陥り、それが正義だと信じてしまう傾向があります。
魔術的思考に堕ちることがないよう、健全な教養を全ての人が見に付けることが急務だと実感したしだいです。
今日は休暇を取りました。
何か用事があったわけではありませんが、年次休暇も余っていることだし、消化しようと思ったのです。
今朝はいつもどおり6時半に起きて納豆とハムエッグで白飯をたっぷりと食いました。
その後整形外科で頚椎椎間板ヘルニアの治療のため、リハビリに行きました。
週3回通って、首の痛みも右手のしびれもほぼ治まりました。
リハビリとは言っても、10分間肩を赤外線で温めた後、10分間機械で首の牽引をするだけなので、苦ではありません。
お昼は近所のイタリアンでサラダとパスタを食し、食後にホットコーヒーを2杯いただきました。
その足で魚屋に行き、ヒラメとイワシの刺身を購入しました。
ヒラメは我が家で最近流行りの煎り酒でいただく予定。
今日はこれから千葉三越でお買い物の予定。
頂き物をしたので、返礼の品を買うのです。
このところ涼しい日が続いて、ずいぶん楽です。
でも世の若者たちは盛り下がっているかもしれませんね。
昨日は読書などしてゆっくりと過ごしました。
読んだのは、「6月31日の同窓会」です。
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6月31日の同窓会 |
真梨 幸子 | |
実業之日本社 |
もちろん、暦上、6月31日という日は存在しません。
神奈川県の某市にある私立の名門女子校。
この学校には、6月31日の同窓会の通知が来ると、お仕置きされる、という噂があります。
89期生で28歳になるOGたちに、次々とその通知が届き、実際に死んでしまう者が多数出ます。
じつによく人が死にます。
怯えるOGたち。
高校時代の思い出と、28歳の現在を交差しながら描き、そこそこ読ませます。
しかし残念ながら、印象は安っぽいホラー仕立ての少女小説の域を出ていません。
お気楽に楽しめましたが、もう少し重たい物を読んでみたくなりました。
昨夜は焼酎のロックをちびちびやりながら、サスペンス小説を読みました。
帯には、最恐サスペンスと謳っていましたが、それほど恐くはなかったですね。
春口裕子の「悪母」です。
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悪母 |
春口 裕子 | |
実業之日本社 |
平たく言えば、ママ友同士の人間関係のゆがみを描いたものですが、LINEやらフェイスブックやらツイッターやらのSNSを駆使して嫌いなママ友を攻撃したり、一人だけLINEから外したり、なんだか陰湿なんですなぁ。
ママどころかパパですらない私には感情移入しにくいストーリーでしたが、一気に読んだということは、それなりに面白かったんでしょうね。
古今東西、女同士というのは問題が絶えないようです。
私も就職して25年、女性同士の関係性には苦労しています。
対立するグループの双方から悪口を吹き込まれたり。
幸い私は男なので、そういうのからは常に中立でいられはしますが。
今日は震え上がるようなサスペンスを鑑賞しました。
「ルームメイト」です。
北川景子演じるハルミは、ある晩、交通事故にあい、入院してしまいます。
入院先の看護師、深田恭子演じるレイコと仲良くなり、二人はルームシェアをすることに。
楽しく二人で生活する二人。
しかし時折、レイコは人が変わったような乱暴な口を聞いたりするようになります。
そして近所で飼われていたチワワが迷子になるのですが、なんとレイコがチワワを殺害して茹でていたのです。
混乱するハルミ。
一方、事故の加害者である青年、工藤とハルミは急接近。
ハルミは工藤にレイコのことを相談します。
工藤は多重人格を疑います。
ある晩、派手な化粧をしていかがわしい店に出入りするレイコに出会ったハルミは、レイコの口から、「レイコ、レイコってそんなにレイコが大事なの?でも私はマリよ」と、決定的な告白を聞かされます。
マリはさらに残忍な行為に及ぶことになります。
ここから先はネタバレになりますが、レイコもマリも実際には存在しません。
じつはハルミが一番目の人格、レイコが二番目の人格、マリは三番目の人格なのです。
つまりは全てがハルミの一人芝居。
優しいレイコと残忍なマリを演じ分ける深田恭子の怪演が見事です。
ラスト近く、北川景子と深田恭子が二重写しのように一体化していき、怖ろしい殺人が繰り広げられる場面は圧巻です。
さらに、虐待にあっている少女が、同じような多重人格の兆候を見せるに及び、虐待及びそれに伴う多重人格の問題は続いていくのだなと、妙な余韻を残します。
最初は凡作かと思いましたが、次々と仕掛けられた罠やクスグリが加速度をつけて疾走していくのは、本当に恐ろしい。
まずまずの出来かと思います。
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一昨日、木曜日は八重洲の貸し会議室で一日会議でした。
ひどく疲れました。
で、その後、枢要なメンバーと飲みに行ってしまい、結局三次会まで行って、終電で帰るはめになりました。
酒も過ぎてしまい、昨日はぐったり。
それでも、飲んだ翌日はいつもより10分早く出勤すべし、という古い教育を受けている私は、これを忠実に守って早めに出勤しましたが、使い物にならず、だらだらと一日を過ごしました。
今朝はすっきり目覚めました。
久しぶりにDVDでホラー映画でも楽しみたいと思います。
月に一度通院を続けている精神科の医師の口癖は、ハッピー感を感じられているか、というものです。
幸福感ではなくハッピー感なのは、軽い感じを出したいからでしょうか。
サラリーマンで精神科を受診している人の多くは、仕事や職場のストレスにさらされた人がほとんどでしょうから、仕事でハッピー感を感じている人はほとんどいないでしょう。
仕事以外に、例えば家族や友人との団欒であるとか、趣味であるとか、日常のちょっとしたことにハッピー感を感じられているかが、その人の精神の健康具合を診るのに適しているのだろうと思います。
とかく若いうちは、立身出世して大儲けしたいとか、スポーツ選手になって大活躍したいとか、学者や芸術家として成功したいなど、大それた野望をもって、小さなハッピー感など馬鹿にするものです。
私自身がそうでした。
しかし仕事や職場の人間関係に疲れ、長い精神障害に苦しんだ後であってみれば、精神科医が言うハッピー感の重要さが身に沁みます。
私であれば、旨い物を食い、旨い酒を飲みながら同居人や古い友人と語り合うことや、映画や小説などで虚構の世界に遊ぶこと、街歩きを楽しむことなどが、ハッピー感を強く感じられる場面です。
私にとって、これらに浸る時間は、まさしくハッピーとしか言いようがない感情を覚えることが出来る、至福の時と言えましょう。
精神が健康になったせいか、さらに新しいことをやってみたいと思うようになりました。
今興味を持っているのは、詩吟と居合。
どちらもわが国伝統の物。
元々私はバタ臭い物が大嫌いで、和風なものが大好き。
週末には着物を着て街歩きを楽しむことを常としています。
どちらが鶏でどちらが卵なのか知りませんが、私の外貌もまた、きわめて和風なようです。
同居人からは、よく、外人離れした顔、などと言われます。
ただ、和風好みの私にとって、決定的な欠陥があります。
正座が苦手なのです。
すぐしびれちゃって、立てなくなるのです。
だらしないことに。
で、詩吟と居合に興味を持ってはいますが、一歩を踏み出すことが出来ません。
百歩譲って、詩吟は椅子に座ってでも出来るのでしょうが、居合の道場で胡坐をかくわけにはいきますまい。
そしておそらく、道場に座布団はありますまい。
板の間に正座なんて、考えただけで冷や汗が出てきます。
居合は体を動かすし、詩吟は大きな声を出すし、両方とも背筋が伸びそうだしと、健康に良さそうで、益々ハッピーになれそうですが、正座を考えると、ちょっとねぇ。
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最近、煎酒にはまっています。
但し、アルコール飲料ではありません。
ブラタモリでタモリが、「鯛の刺身にはわさび醤油より煎酒が合うんだよな」と言いながら旨そうに食っていたのを見たのがきっかけです。
煎酒とは、日本酒に梅干しと花がつおをいれ、ことことと煮詰めた調味料で、 かつお節の旨味、梅干しの酸味と塩けが生魚や野菜の味を引き立てることから、江戸時代の食卓では欠かせない調味料として広く使われていたものです。
鰹節の旨みがギュッと濃縮されたところに梅干しの酸味とほどよい塩気が加わって、醤油よりも穏やかでさっぱりした風味。
味加減のことを塩梅(あんばい)と書くように、梅の酸味と塩分が絶妙なバランスです。
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煎酒(いりざけ) 大 煎り酒 |
銀座・三河屋 | |
銀座・三河屋 |
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煎酒(いりざけ) 小 |
銀座三河屋 | |
銀座三河屋 |
醤油よりも古く、鯛やヒラメなどの白身魚の刺身、イカの刺身、豆腐などによく合います。
醤油をつけると醤油の味が前面に出ますが、煎酒だと、魚本来の旨味を引き出してくれます。
私は毎朝の納豆や卵かけごはんにも使っています。
優れものの煎酒ですが、なぜかマグロなんかには合いません。
マグロは脂が多いからかもしれませんね。
脂が少ない赤身にも、煎酒は合わず、わさび醤油のほうが合うようです。
いり酒を 鍋にのまれて 叱られる
江戸時代の川柳です。
おそらく自宅で煎酒を造っていたのでしょう。
酒を煮詰めすぎて蒸発してしまった様を表しているように思います。
なんだか微笑ましいですねぇ。
醤油の普及とともに廃れてしまったようですが、こんな旨い調味料、復活させない手はありますまい。
スーパーなどで見ることはほとんどありませんが、今はアマゾンなどのネット通販でも購入できます。
出来れば鯛、旨い鯛が手に入らなければイカの刺身でも良いですから、是非煎酒をご賞味あれ。
今日も暑いですねぇ。
こう暑いと勤労意欲も失せるというものです。
もっとも私の場合、暑かろうが寒かろうが快適だろうが、一年中勤労意欲なんてありはしませんが。
就職して25年目。
働くことの意味を考え続けてきましたが、結局生活の糧を得ると言うこと以外、何もみつかりません。
一日の大半を過ごす職場での日々を、もう少し充実させることができれば嬉しいのですが、仕事=嫌なこと、という刷り込みがなされているようで、なかなかうまくいきません。
己の不明を恥じるばかりです。
それでも、やる気なし男のまま、働かなければならないとはしんどいことです。
さすがに海の日だけあって、今日はよく晴れて暑いですねぇ。
外を歩くのは無理なので、幕張にある巨大な家具屋、東京インテリアを歩き回りました。
冷やかすだけのつもりが、安価で、しかもリクライニングできる小型のソファが気に入り、沈思黙考の末、購入しました。
私はアパートで一人暮らしをしていた時も、新婚時代の一年半をすごした官舎の時も、90平米の4LDKのマンションを購入してからも、ソファは買わず、ずっと座椅子ですごしてきました。
ソファは圧迫感があると思いましたので。
しかし、40代後半に差し掛かり、椅子のほうが楽だろうなと思うようになった矢先、家具屋でまさしく一目ぼれしてしまうような、座り心地の良いソファに出会うにおよび、座椅子生活からの脱却を決意したというわけです。
取り寄せ品ということで、届くのは7月31日の日曜日。
今から楽しみです。
こうやって、少しずつ、年齢に合わせた生活に変わっていくのでしょうね。
そのうち風呂やトイレに手すりをつけたり、電動でリクライニングするベッドを購入したりするのでしょうか。
昨日は上野の東京藝術大学美術館に出かけました。
観音の里の祈りと暮らし展を観るためです。
会場は観音、観音、如来、如来、といった趣き。
長浜市の観音や仏像を集めた展覧会です。
長浜はお土地柄、戦乱の絶えた試しがありません。
焼失したお寺やお堂は数知れず。
そのたびに、農民らが仏像を土に埋めたり池に沈めたりして守ってきたそうです。
国宝やら重要文化財やらはほとんどありませんが、農民たちの切ないばかりの祈りや信仰が感じられて、必ずしも文化的価値が高くない仏像群は、深く私の心を打ちました。
一時間ばかりかけて如来や観音像を堪能した後、美術館内にあるホテル・オークラのレストランで昼食。
その後上野公園をそぞろ歩きました。
不忍池では、間近に鵜を観ることが出来ました。
蓮も咲いていました。
ボート遊びを楽しむ善男善女も数多く。
わが国は今のところ平和なようです。
この平和が続くよう、観音に祈りましょうか。
今上陛下が退位したい旨の発言をされていると聞きました。
そりゃそうだろうと思います。
死ぬまで働けというのは酷というものです。
まして、過去、退位して上皇や法皇にお就きあそばされた帝はあまたいらっしゃいます。
伝統を重んじるなら、何の問題もありますまい。
皇室典範の改正とやらが必要らしいですが、なるべく早く改正して、早く上皇となっていただきたいと強く願います。
あのお年まで現役ではさぞかししんどいでしょうから。
そして退位後は、和歌や蹴鞠など、雅な遊びをして過ごされたらいかがかと思います。
京都御所にお帰りになるのも良いでしょう。
なんといっても皇族には京都が似合います。
東京にいるのがむしろ不思議なくらいです。
いっそ東京という名前も改名したらどうかと思います。
東の京なんてねぇ。
なんだ癪に障る名前です。
江戸都で結構だと思いますが。