昨夜は「コンフィデンスマンJP プリンセス編」を鑑賞しました。
なかなかに面白いコンゲームでしたが、前作の「ロマンス編」に比べると、クールさが足りないというか、騙し騙されの要素が少ないような印象を受けました。
それでも十分楽しめましたので、今度は「英雄編」っを観たいと思っています。
昨夜は「コンフィデンスマンJP プリンセス編」を鑑賞しました。
なかなかに面白いコンゲームでしたが、前作の「ロマンス編」に比べると、クールさが足りないというか、騙し騙されの要素が少ないような印象を受けました。
それでも十分楽しめましたので、今度は「英雄編」っを観たいと思っています。
4月から別の部署に異動が決まったことは、すでにこのブログでお知らせしました。
現在の部署には2年間しか在籍しませんでした。
短くても3年はいるのが普通なので、異例の人事です。
その不安に押しつぶされそうになり、昨日は懸案事項を少しでも片づけようと、休日出勤しました。
予定していた仕事の最小限まではやりましたが、まだまだ引継ぎができるような状況ではありません。
2日続けての休日出勤は辛抱できないので、今日は自宅でのんびり過ごしています。
前は休日と言えば、必ず散歩をしたりお出かけをしたりしていたのですが、コロナ禍ですっかり外出しなくなりました。
そしてそれに慣れてしまいました。
オンライン会議の導入で、仕事の仕方は大きく変わりました。
これはコロナ後も続くんでしょうね。
なにしろ楽ですから。
コロナ後の世界、どうなってしまうんでしょうね。
50過ぎのおっさんは付いていくのがやっとです。
長く続いているこの不安、いつ解消されるんでしょうか。
昨日、都内で桜の開花が宣言されました。
これから一気に咲き乱れ、散り乱れるんでしょうね。
この季節、多くの勤め人がそうであるように、私も苦手です。
桜の美しさや儚さが、年度末の猛烈な忙しさと相まって、春愁の気配を感じさせ、憂愁に囚われるのです。
春を迎えるというのに、私の心は冷えっ来ています。
あたかも今日はお彼岸。
実家の寺にも行きません。
そんな気分ではありません。
そういえば、毎年休暇を取ってでも墓参りに行っていた父の命日である3月5日、休日勤務のため、お参りしませんでした。
実家には不義理をはたらいています。
毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは
正岡子規の句です。
これを私は、実際に寒いのではなく、俳人の心象風景が、寒々しい季節を見せているのだと思っています。
これから一か月ほど、年度末そして新年度と、多忙を極めるわけですが、その時の私の心象風景も、寒々しいものだと予想しています。
今日は昼飯を食いに蕎麦屋に行った以外は、家でのんびり過ごしました。
その間、私の頭を去来するのは、4月からの新しい部署のこと。
あんな仕事をしなきゃいけない、こんな仕事もしなきゃいけないと、頭がぐるぐるまわって、気持ちが安らぎません。
人事異動はサラリーマンの宿命。
辞令一枚でどんなことでもやらなければいけません。
辛いです。
新しい部署は激務で知られています。
果たして私に務まるんでしょうか。
不安しかありません。
30年も勤めても、心が平穏になることは無いようです。
最近すっかり春めいてきました。
春は人事異動の季節。
昨日、4月1日異動がオープンになりました。
今の部署に2年しかいない私は関係ないだろうと思っていましたが、意外にも内示をもらいました。
職階は変わりませんが、部下の数が増えました。
今までは3人だけの小じんまりとした部署でのほほんとやっていましたが、今度の部署では部下が13人になります。
これらの管理は困難でしょうね。
女性も多いので、女同士のどろどろに苦労したと前任者が言っていました。
この部署には昔在籍したことがあります。
それだけに、何月にはこれをやり、何月にはあれをやり、と言ったことを知り尽くしており、それらを束ねなければならないのは、予期不安に襲われます。
今年の春は比較的平穏に過ごせるだろうと思っていたのに、誠に残念です。
今日はマンションの消防設備の点検と排水管の清掃のため、休暇を取りました。
一昨日はワクチン接種の副反応で休んでいるので、今週は職場に通うのがわずか三日です。
年度末を乗り切れるんでしょうか。
甚だ不安です。
消防設備の点検も排水管の清掃も午前中に終わり、午後はコメディ映画を借りてきて、鑑賞しました。
きっついホラー映画やサイコ野郎が登場するサスペンスばかり観ていたのが、近頃はコメディばかり。
私はどうなっちゃったんでしょうね。
観たのは、広瀬すずと堤真一が親子を演じる「一度死んでみた」です。
堤真一演じる製薬会社の社長。
彼は家族を省みないワーカホリックです。
妻の死に際にも実験を続ける、製薬ヲタク。
そんな父を毛嫌いする娘。
親子関係を軸に、物語は進みます。
製薬会社では、画期的な新薬、若返りの研究を進めています。
その新薬を狙って、合併を狙う大手製薬会社。
新薬を開発する途中で、1度死んで、二日後に生き返るという薬が副産物として生まれます。
それを試すために飲んだ社長が、本当に死んでしまいます。
それを良いことに、大手製薬会社は一気に合併話を進めます。
しかし、二日で生き返るらしいことを知った大手製薬会社は、二日経つ前に火葬にしてしまおうと画策します。
火葬を阻止しようとする若手社員と娘。
ドタバタ喜劇が疾走感をもって描かれます。
でも、どこか楽しめませんでした。
死ぬ死ぬという言葉が連呼され、ドタバタぶりもやりすぎ感が漂います。
喜劇にも静かさが必要なようです。
観終わって、急に明日以降の仕事が気になり始めました。
就職して30回目の年度末。
年度末のしんどさだけは、何度経験しても慣れるということがありません。
やれやれ。
昨日の午前中に掛りつけの内科でコロナワクチンの3回目を接種しました。
1回目、2回目は副反応は起きなかったのですが、今回は酷い目にあっています。
まずは発熱。
今朝起きたら体が異常に重く、目に熱感があったため、体温を測ったら38度5分ありました。
風邪と違うのは、喉や鼻はなんともなく、ただ熱だけがあるのです。
食欲もあります。
ネットで調べたら、これらはコロナワクチンの副反応として典型的なものだと書いてあり、ワクチンが効いている証拠で、1日か2日で熱は下がる、とあります。
職場に休む旨のメールを送信し、念のため、と内科医からわたされていた解熱鎮痛剤のカロナールを服用しました。
カロナールが効いたのか、36度9分まで熱は急降下。
しかし、午後からまた熱が上がって、38度8分になりました。
カロナールが切れたのかと思ってまた飲んだのですが、効いてくれません。
熱の他、悪寒、体のだるさ、節節の痛み、注射を打った左腕の痛みなどがあって、辛い状態です。
年度末の多忙を極めるこの時期に、休んでいられない、という焦りのようなものがあります。
しかし、私の職場は玄関に顔をあてると熱を計測する機械が設置してあり、発熱があると機械が反応して、警備員に強制帰宅させられてしまいます。
無理して出勤しても仕方ないので、今は安静にしていますが、焦燥感ばかりがつのります。
読者の皆様におかれましては、ワクチンの副反応を甘くみないようお願いします。
一人で過ごす週末。
今日はDVDを観ました。
詐欺師と詐欺師が二重三重に騙しあう、コンゲームの佳品です。
コンゲームの映画といえば、往年の名作「スティング」があまりにも有名です。
今日観た映画は、その壮大さ、スケールの大きさ、騙しが複雑に絡まっている点など、「スティング」にも劣らない出来栄えで、大いに騙され、楽しませてもらいました。
知りませんでしたが、元々はテレビドラマで、映画もシリーズ化されているそうです。
すべてを観たいと思いました。
映画の性質上、このブログでは何も語れません。
ネタバレがネタバレを呼び、さらに騙される、という趣向ですから。
久しぶりにエンターテイメントの名画を観させてもらいました。
幸せ。
今日も同居人は施設の義母を見舞うため、出かけています。
私は一人ソファでウトウトしたりして、のんびりと過ごしています。
寂しいと言えば寂しいし、勝手気ままに出来て気楽だと言えば気楽です。
思えば私は、20代も半ばを過ぎるまで、結婚願望など無く、一生独身で過ごすのだろうと思っていました。
そのほうが色々な女性と遊べるし、楽しいだろうと思っていたのです。
それが何の因果か同居人と出会い、お付き合いをし、ついに結婚する羽目に陥りました。
私の我儘で傲慢な性格ゆえ、早晩離婚すると思っていましたが、気付いたら結婚して24年が過ぎようとしています。
来年は銀婚式。
よくも続いたものだと思います。
幸か不幸か子宝に恵まれず、だからこそ私たちは二人で生き、世界に二人で取り残されたような気分が今も続いています。
恋は打上げ花火ではなく、熾火のように静かに燃え続けるものだと、今になって思います。
同居人が人格者ゆえか、24年間、一度も喧嘩したことがありません。
週末に二人で外食したり、散歩に出かけることを恒例とし、楽しみにもしてきました。
しかし義母の老いゆえ、そのような時間を持つことはなくなりました。
してみると、その散歩や外食といった、その時はなんとも思っていなかった小さなことが、とてつもなく幸福で、かけがえのない時間であったと思うようになりました。
躁状態が激しい時は、女道楽に走ったこともありますが、同居人は、それは病ゆえと、気にもかけない様子でした。
躁状態から醒めて、私は自責の念に駆られ、いつ離婚を切り出されてもおかしくないと思っていましたが、同居人は精神病患者と人生を歩み続けることを選んでくれました。
躁状態の時の蛮行を思うと、頭が上がりません。
義母はもはや車椅子の生活になり、おそらく施設で余生を暮らし、老いていくものと思います。
その姿は、私たちの未来を暗示しているようで、怖ろしくすら感じます。
体のあちこちが痛み、悲観的になり、我儘になった義母。
人はこうして老いていくのだと、しかも早死にした場合を除き、必ず老いるものだという人間の真実を見せつけられているように感じます。
私の実父は72歳で亡くなりました。
入院して一週間も経っていませんでした。
それまでは元気でいたのに。
義父は82歳で亡くなったのですが、謎の感染症に罹患し、3週間ほどで亡くなりました。
二人とも、老いていく姿を見せぬまま、儚くなってしまったわけです。
したがって徐々に老いていく姿を見るのは、義母が初めてです。
私は早くも、やがて訪れるであろう自らの老いを考えざるを得なくなりました。
同居人と二人で老いていくのだとしても、必ずどちらかが先に亡くなり、一人は取り残されます。
一緒に亡くなることがあるとしたら、それは不慮の事故とか、不幸な理由であるに違いありません。
そう思うと、同居人よりも一秒でも先に死にたいと思います。
老いてからの一人暮らしは想像するだに怖ろしいことです。
その最後の瞬間まで、私たちの熾火は燃え続けているでしょうか。
燃え続けてほしいと、切に願います。
今日は3月11日。
東日本大震災の日です。
思えばその時、私は職場復帰していくらも経っておらず、管理職の配慮により、暇な部署でのんびり過ごしていました。
ところが午後2時過ぎだったでしょうか、強い揺れが起こり、職員は急遽玄関前の庭に避難するよう放送で命令がありました。
直後、私鉄、JR、バスなど、あらゆる交通機関が完全にストップしていることが判明。
建物に大した損傷はありませんでしたが、即時帰宅が命じられました。
しかし公共の交通機関が動いておらず、帰るに帰れない者たちは、職場に段ボールを敷いて眠るしかありませんでした。
私は車通勤でしたが、普段なら30分で着くところ、激しい渋滞でわずか14キロの距離に5時間もかかりました。
途中休憩のためコンビニに寄ったのですが、早くも水やおにぎり、弁当などは全て売り切れで、トイレにも長蛇の列。
その時は東北の惨状など知る由もなく、何が起きたのか分かりませんでした。
帰宅してテレビを見て初めて、大地震や津波によって、東北地方はひどいことになっていると知りました。
特に津波に流されていく車や家屋には、ひどいショックを受けました。
復職して間もない私は、精神がやっとかさぶたに覆われたような状態で、人の悪意にひどく感応してしまうことは自覚していましたが、他人の不幸にも激しく心を痛めつけられるのだと知りました。
その後何日も職場は開店休業状態となりました。
その時は民主党政権下で、菅直人が総理大臣でしたが、あまりの狼狽ぶり、無能ぶりに全国民のみならず全世界が呆れ果てました。
最高指揮官たる総理大臣が官邸を留守にして被災地を訪れては被災者を励ましたり、東京電力に乗り込んでは幹部を怒鳴りつけたり。
その間刻々と上がってくる報告や、指示を求める声に、官邸は悲鳴を上げていたはずです。
危機の真っ最中に総理大臣が現場を訪れるなど有りえないことぐらい、子供にだってわかるというもの。
活動家あがりの政治ゴロに危機下の国家を舵取りする能力は無かったようです。
一方、被災者たちが、全く暴動や略奪を起こさないことが、世界のメディアを驚かせ、また称賛されていました。
日本人の国民性だとか言っていましたが、だだでさえひどい状況で、暴動や略奪を起こす気力も体力もなく、そんなことをしても誰も得をしないと分かっていたからでしょうね。
あれから11年。
着実に復興は進みましたが、まだ行方不明の方が多くいると聞きました。
もはや存命ということはなかろうと思いますが、海中などで、細々と捜索活動が続いているそうです。
骨のひとかけらでも見つかれば、ということでしょうか。
この11年、私個人にとっても、日本あるいは世界にとっても、長い年月でした。
自然災害の恐ろしさを痛感させられました。
そして、今。
ロシアはウクライナに侵攻し、破壊の限りを尽くしています。
ロシアは局地的な小型核兵器の使用を検討しているらしいと報道で見ました。
なんとも愚かな人災です。
ロシアはウクライナを軍事小国と侮って攻め入ったのでしょうが、侵略されている側は必死で戦いますから、簡単に降伏せしめることはできません。
天災と違い、人災は防ぐことが可能なはずですが、当事国のどちらかが戦うことを決意してしまった場合、なかなか簡単にはいきません。
ウクライナの姿を見るにつけ、勝てないまでも負けない軍事力を持つことが、わが国が平和を保つ第一歩だと感じます。
相手国が戦うことを決意できなくさせるように。
大分暖かくなってきました。
とはいえ、三寒四温と言いますから、まだ冬物の衣類は手放せません。
冬場、股引をはき、起毛した下着を着用するようになったのはいつからでしたか、記憶が定かではありません。
子供のころはあまり寒さを感じなかったような気がします。
それは青年期にいたってもあまり変わらず、40を過ぎてからやたらと寒がりになってきました。
筋肉が減ってきているからですかねぇ。
そもそも運動は苦手で、せいぜい散歩するくらいだったのが、コロナの影響でそれすら止めてしまいました。
先日、大部の書類を抱えて階段を上っていたら、バランスを崩して派手に転んでしまいました。
あの時は恐怖でした。
これも足の筋肉の衰えでしょうか。
怖いので、二階に上がるのでも、荷物があるときはエレベーターを使うようにしています。
で、ますます筋力が落ちるのでしょうね。
すこしづつ、あれっ変だ、と思うことが増えてきたし、これからますます増えるのでしょうね。
そういうのは順番だから仕方ありません。
自分が少しづつ衰えていく様を、他人のような目で観察していと思っています。
ロシアによるウクライナへの侵攻、まだ終結する気配はありません。
ロシアはウクライナのNATO加盟を許すまじと侵略を始めたわけですが、ジョージアとかフィンランドとか、今までNATO加盟の意志を示してこなかったロシア周辺の国々が、大慌てでNATO加盟を求めていると聞きました。
NATOに加盟していれば、侵略された際、共同で防衛してくれるでしょうから。
おそらくプーチンは、ウクライナのごとき小国は、ロシアのような大国に攻撃されれば、ひとたまりもなく降伏すると思い込んでいたのではないでしょうか。
甘い。
ウクライナは言論の自由があり、民主的な国家です。
そのような国は、全体主義的、権威主義的な体制に組み入れられるのを嫌います。
まして今は情報革命の真っ最中。
新聞やテレビのニュースよりも早く、SNSで動画付きの情報が得られます。
そこにはフェイクニュースもあるでしょうが、多くは本物と見て良いのではないでしょうか。
世界は最前線の動画を見ることができ、そこで何が起きているか知ることができます。
いくらロシアやその友好国が情報を遮断したところで、他の国々にまでそんなことをすることは出来ません。
私には、プーチン政権の終わりが始まったように思えます。
よそから攻められれば、自国を守るために必死で戦うでしょうが、攻める側には大義もなければ戦闘意欲もないでしょう。
西側諸国をはじめとして多くの国々がロシアに対して制裁を課しています。
欧米諸国が参戦すれば、第三次世界大戦になってしまうので、そのような選択肢はないものと思いますが、制裁は苛烈を極めていくことでしょう。
そしてロシアが干上がってしまえば、ロシア人はプーチン政権の打倒を求めて立ち上がるものと思います。
日曜日。
同居人は今日も実家で義母のお世話。
大変です。
私はひとり、寅さんのDVDを2本借りてきて、しばし、笑い転げました。
最近、寅さんばかり観ています。
寅さんをはじめ柴又の人々の切れの良い江戸弁も爽やかで、耳に心地よい。
失恋しては旅に出る寅さんの姿には哀愁が漂い、何度観ても飽きさせません。
すでにシリーズの全てを観ていますが、つい、2回、3回と借りてきてしまいます。
明日からの仕事を思うととてつもなく憂鬱になりますが、これが勤め人の辛いところ。
寅さんのような渡世人には渡世人の辛さがあるごとく、勤め人には勤め人の辛さがあります。
わずか48時間前、金曜日の夜には格別の解放感を覚えますが、日曜日の夜はその真逆。
48時間前に戻りたいと毎週思います。
会議資料の作成、会議のお世話、印刷物の作成、そして年度末の予算の管理執行、わずかばかり狂気じみた職場の人々。
どれも辛いことばかり。
世のサラリーマンがみな同じ思いをしていると自らを慰めてみても、他人が辛いからといって自分の辛さが軽減されるわけではありません。
思えば就職して30年、時代は悪い方へ悪い方へと向かっていきます。
就職して10年ばかりは景気が良かったのですが、もうダメです。
バブルがはじけてから給料は上がらず、人員削減で一人一人の仕事が増え、メンタルをやられる者も多くいます。
私が学生の頃、バブルで浮かれる人々は、最強の通貨となった円を握りしめて海外旅行を楽しみ、我が日本国は永遠の繁栄を続けるのだと信じていました。
私も円を頼みに海外へ出かけ、面白おかしい旅行を味わったものです。
それが今では、わが国は貧しい国へと落ちつつあります。
栄枯盛衰は人の世のならいとはいうものの、落ちていく感じが気持ちを沈ませます。
そんな時だからこそ、高度経済成長期からバブルの頃までを舞台にした「男はつらいよ」というシリーズに、郷愁を感じるのかもしれません。
近頃めっきり春めいてきました。
気が付けば3月。
当然のごとく、季節は移ろっていきます。
ニュースを見ればロシアのウクライナへの侵略の話ばかり。
プーチン、気が狂ったのか焼きが回ったのか、現代では考えられない横暴ぶり。
涙を流すウクライナの人々を見るにつけ、人間の愚かしさを嘆かずにはいられません。
しかし私たち夫婦にとって最大の問題は、義母のこと。
足が弱って歩くことはおろか立ち上がることさえ難儀している様子。
電話に出るにも、固定電話が置いてある場所に這って行かなければならず、電話を掛けることさえ憚られます。
とにかく足と胸の痛みは尋常ならず、痛み止めの飲み薬、注射、弱いモルヒネが配合された張り薬などを使っても痛みは治まらず、このところ同居人は休暇を取って義母の世話をしに行っています。
土日はもちろん義母と過ごします。
同居人が「このままでは介護離職に追い込まれる」、と思わず義母につぶやいたところ、絶対に嫌だと言い張っていた介護施設に、とりあえず来週の火曜日から2週間のショートステイをすることになりました。
齢82歳。
東京大空襲では母親と幼い妹を失いながらなんとか生きながらえてきましたが、人生最大の危機を迎えています。
施設は我が家から車で10分の至近距離ですが、そこはデイケアとショートステイのみのサービスしかないため、2週間で痛みが治まらなければ、別の、おそらく終の棲家となるであろう施設を探さなければなりません。
義母は他人である私に老いた姿を見せることを潔しとせず、私と会うことを嫌います。
すべては、一人娘である同居人の肩に押しかかっています。
時あたかも年度末。
我が業界は一年で最も忙しい時期を迎えており、そうそう休暇を取ってもいられません。
わずかながら、同居人にとって負担が軽くなることを望みます。
こういうのは順番で、順番が狂うことほど不幸なことはありません。
そういう意味では、義母の老いは当然のことかもしれません。
生まれ、成長し、人生を戦い、疲れ果てて老いていくその姿に、人間の真実が込められており、そのことに慄然とします。
せめては義母の余生が、痛みなく、安らかであらんことを。