ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

真の花

2023年02月26日 | 文学

 今日は年に一度のマンション管理組合の総会が行われました。
 10時から13時半まで。
 3時間半もかかってしまいました。

 私は理事長のため、議長の役を果たさなければいけない立場。
 しゃんしゃんで済めば1時間もかからなかったはずですが、一生懸命理解しようと努めたのでしょう、80歳は過ぎていると思われる爺さんが何度も質問してくるわ、荒らし屋みたいな中年男が大きな声を出して突っかかてくるわで、大変疲れました。
 結局二人とも10個ある全ての議題に賛成したのですが、何か言わないとおさまらない面倒なやつが必ずいるものです。

 しかしこれで一年間の理事長の仕事をすべて終えました。
 理事長印を選出された新理事長に渡して、お役御免。
 ほっとしています。

 明日からはまた仕事。
 今週は難問山積で、今から憂鬱です。
 きっと連日大残業になるでしょう。

 なんだか最近公私ともに忙しく、心と体を休める暇がありません。
 
 はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る

 上掲の石川啄木の短歌が頭の中を駆け巡ります。

 本来は収入が少ないことを嘆いたものでしょうが、今の私には収入のことではなく、永久ループのように繰り返す仕事の波に疲れ果てる安サラリーマンの嘆きのように聞こえます。

 20代後半の頃は、ある程度仕事に慣れて自信をつけ、しかも何の責任も無いヒラだったこともあって、天下を取ったような気分でした。
 しかしある程度年を食って役が就くと、そういう意味不明の自信はきれいさっぱり失せてしまいます。

 おそらく諸先輩方も同じような苦労を重ねた末に、待望の定年を迎えたのでしょうね。
 20代の頃は記憶力が低下し、上司と部下に挟まれて疲れた顔が張り付いた中年や初老のおっさんを馬鹿にしていたものですが、今は私がそういうおっさんになってしまいました。

 人に起きることは大抵自分にも当てはまるようです。

 そう考えてみると、おっさんというもの、疲労こそが真の花なのかもしれません。
 少年には少年の、青年には青年の時分の花というものがあって、しかしそれは年とともに失われる幻のようなもので、年を経てこそ真の花が現れると説いたのは、能楽の巨人、世阿弥でした。
 名著「風姿花伝」に見ることが出来ます。

 しかし真の花が中年期なのだとしたら、あまりにも過酷です。
 おそらく真の花が咲くのは、もう少し年齢を重ねて、過酷を通過しなければならないのだろうと思います。
 この過酷を耐え抜かなければ真の花という美は生まれないのでしょう。
 能楽の概念である時分の花真の花というもの、あらゆる人生においても現れるのではないでしょうか。

 私が真の花を咲かせるのは、一体いつになるのでしょう?

 


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マンション管理組合

2023年02月25日 | その他

 今朝は朝一番で内科に行きました。
 4カ月に一度の血液検査のためです。
 私は家族性高コレステロールで、太ったらもちろんダメですが、痩せても薬を飲まなければいけません。
 内科医は、片親だけが高コレステロールで良かった、もし両親ともそうであったなら、20歳まで生きられなかっただろうと言われ、ぞっとしたことがあります。
 そもそも20歳前に血液検査なんてしませんから、きっと謎の死を遂げていたのでしょうね。
 運が良かったのか悪かったのかは考え方一つ。
 片親だけで良かったと思う他ありません。

 お昼は天丼を食し、買い物を済ませてからすぐに帰宅しました。
 マンションでJ:comの導入が決まり、テレビの配線を確認しに業者が来る予定だったからです。
 私は運悪く一年前の管理組合で理事長を押し付けられたため、管理会社から一戸だけでよいから配線の状況を確認させてほしいと 頼まれ、やむを得ず理事長の私が引き受けたというわけです。

 我が家は4LDKですが、テレビのアンテナ端子がリビングと各部屋で5つあることを知りました。
 テレビなんてリビングに一つあれば十分で、それすらニュースくらいしか見ませんから、各部屋すべてに端子があるなんて23年も住んで今日初めて知りました。

 明日、管理組合の総会があり、そこで議長を務めたら、無事理事長はお役御免となります。
 預かっている理事長印を押せとか、決算表を確認しろとかいう書類がしょっちゅう郵送されてきて、参りました。
 私はそれでも事務職なので、その手の書類は見慣れたものですが、職人など、書類仕事に縁のない職業の人だったら、ちんぷんかんぷんだったかもしれません。

 J:comに加えて、インターフォンの交換も全戸一斉に行うことが決まっており、今まで白黒だったのがカラーになり、全てのボタンがタッチパネルになるほか、受話器も無くなり、そのまましゃべれば良いそうです。

 時代は確実に進んでいるのですね。

 ピカピカの新築で購入したマンションですが、23年も経つと時代遅れになるようです。
 そのため、管理会社が様々な機器などの交換や導入を勧めてきて、大体提案どおりにしています。
 一戸建てと違い、管理会社が入っているとこういうところが楽ですね。
 自分で考えなくてすみますから。
 その代わり、百万単位の金を管理費の予備費から支払うことになります。
 月々の管理費が高いわけです。
 中には管理費を滞納している家もあります。
 管理費は口座引き落としなので、滞納という事態が信じられません。
 わずか数万円の預金残高も無いのでしょうか。
 こういう家には、まず督促状を送り、ダメなら管理会社が訪問督促を行い、それでもダメなら裁判沙汰になります。
 今のところ裁判沙汰にまで至ったことはありません。
 もしかしたら管理費が払えなくて退去したりなんていう家もあるのかもしれません。

 そんなことの一つ一つが、流れいく時代を感じさせて、感慨に耽ったりします。
 おぎゃあと生まれた子供が大学を卒業して社会人になるほどの年月です。
 我が家は子供が出来なかったため、いつまでも成長しないというか、家族の時が止まっているかのごとくです。

 同居人との関係性も新婚の頃と変わらず、付かず離れずでまぁまぁうまくいっています。

 今年の6月には結婚25周年を迎えます。
 銀婚です。

 そんなに一緒にいることになるとは思っていませんでした。
 生来の飽き性ゆえ、そう遠くないうちに離婚するだろうと思っていたのです。
 しかしここまで来たらもう離婚するということは考えれません。
 正規雇用の共働きなので、二人でいれば収入は倍になりますし。

 明日の総会、議長ということで少々面倒くさいですが、管理会社が完璧なシナリオを作ってくれたので、心配はしていません。
 よほど頭のおかしいやつがいれば議事が荒れるかもしれませんが、それならそれで仕方ありません。
 
 大人には三つの責任があります。
 仕事、家庭、地域社会です。

 そのうちの一つを全うできそうで、まずは良かったと思います。  


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定年延長

2023年02月24日 | その他

 木曜日がお休みだと、当たり前ですが金曜日1日出勤して週末を迎えます。
 お休みの谷間というわけで、勤労意欲がわかず、なんとなくだるく感じます。
 それでもやらなければならないことは山積し、私を苦しめます。

 持病の双極性障害が寛解に至ってから10数年経ちますから、もう職場で障害者だからという配慮は受けられず、馬車馬のごとく働かされて、60歳の定年及び年金受給だけが心の支えでした。

 役人の定年は現在60歳で、本人が希望すれば65歳まで再雇用する義務を事業所は負っています。
 とりあえず60歳で定年退職し、退職金をもらって再び就職する、という形を取ります。
 再雇用の場合、給料は現役時代の7割程度になりますが、まったく知らない職場に就職しても、おそらく現役の半分ももらえず、しかも新しいことを学ばなけれならないことを考えると、再雇用を望むのは当然で、ほとんどの定年組が再雇用を望みます。
 再雇用の場合、フルタイムかパートタイムを選ぶことが出来ます。
 そこは気力体力を自己判定して選択することになります。

 再雇用を望む者が激増した唯一の理由は、言うまでもなく年金受給開始年齢が60歳から65歳に延期されたことです。
 もし60歳で完全引退した場合、65歳までは貯金を切り崩して生活しなければなりませんから、相当貯金があっても、不安が残るだろうと思います。

 政府は国家公務員の定年年齢を60歳から少しずつ延長し、最終的には65歳とすることを決めました。
 来年度から2年間は、61歳が定年となる予定です。

 で、私はどうなるかというと、65歳が定年になります。
 今、私は53歳。
 あと7年で定年かと思っていたのに、12年に延びてしまいました。

 絶望的な気分になります。

 嫌なら65歳を待たずに、なんなら明日にでも退職すれば良いですし、年金受給まで貯蓄と退職金で生きていくことは不可能ではないと思っています。

 しかし、先般喘息の発作でわずか3日間とはいえ入院して、65歳まで働いたほうが良いかも、という気持ちに変わってきました。

 入院中はひどく不安になり、もう死んでも構わないみたいな気分になりました。
 たかが3日入院しただけでそんなに不安になるなんて思いもよりませんでした。
 治療費は大した金額ではありませんでしたが、これからは病気になる可能性が高まるに違いなく、もし大病をすれば頼りになるのはお金だけです。

 少子高齢化の現在、年金制度を支える現役世代は減り続け、そうなれば高齢者も働け、ということになるのでしょう。

 移民受入れによって若い世代を増加させるという方法もありますが、これは劇薬です。

 移民を受け入れている他の先進国を見ると、独自のコミュニティーを作り、受入先になじむ気すら無い人々が大挙して押し寄せ、社会問題になっています。
 差別するわけではないですが、現実問題として、治安の悪化ということもあり得ます。

 特にわが国は極めて同質性が高いお国柄。
 移民受入れには不安を覚える人がかなり多くいると思います。
 その上わが国では国際語とも言うべき英語を話せる人が少ないという難点もあります。

 そう考えると、昔よりは今のほうが長生きだし、働ける年齢も上がっていると思いますので、定年延長はやむを得ないのかもしれません。

 しかし国家社会のことよりも、おのれ一人、せいぜい家族、係累のことを第一に考えるのは当然のこと。
 人間というもの強欲で、自分勝手で、他人のことなどどうでもよい、愚かな特質を持っています。

 少なくとも私はそうです。

 であるからこそ、定年延長を忌避せざるを得ません。 


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ウクライナへの侵略戦争開始から一年

2023年02月23日 | 社会・政治

 今日はよく晴れて春を思わせる陽気に恵まれました。
 今上陛下の誕生日であるおめでたい今日、朝寝をして朝昼兼用の飯を食い、散歩に出かけました。

 コロナ前は休日というとよく都内各所や房総半島のリゾート地に出かけ、日帰りプチ旅行を楽しんでいましたが、今はそれもなくなりました。
 あれからもう三年も経ちます。

 そのコロナ禍にあって、ロシアがウクライナに侵略戦争を開始したのがちょうど1年前。
 彼我の軍事力の差から、遺憾ながらウクライナは早晩ロシアに飲み込まれるものと思っていました。
 ところがウクライナ軍の士気は極めて高く、欧米などからの兵器供与もあって、ロシア軍の占領地を奪還し始めています。

 ロシア軍は20万人の戦死者が出ているとか。
 自国の兵士の命を軽く扱うのは昔からのロシアの伝統で、今もそれは生きているようです。

 ウクライナがロシアから奪還した地では、多くの民間人が虐殺されたこと、拷問、強姦などが日常茶飯事であったことが明らかになりつつあります。
 明白な戦争犯罪です。

 第二次大戦の教訓は生きず、結局半世紀以上も前と同様の愚かな侵略戦争を続けています。

 人間が歴史から学べることは、人間は歴史から学ばないということだと喝破したのはヘーゲルでしたか。

 本当にそうだと思います。
 かつて起きた戦争の悲惨さをいくら強調しても、独裁者が戦争への強い意志を持てば、必ずそれは起こります。


 我が国は中国、ロシア、北朝鮮など、すぐ近くに軍事力増強を続ける独裁国家に囲まれています。
 強い反撃能力と、戦うことを厭わない覚悟を示し続けなければ、必ず独裁者たちはわが国を攻撃するに誘惑を覚えるしょう。

 政府で進められている敵基地反撃能力、非核三原則の見直しは、頼もしいかぎりです。
 もし専守防衛というものを厳密に守れば、私たちは攻撃された場合、即本土決戦に持ち込まれます。
 四方八方海に囲まれた島国が最初から本土決戦を選択するなど、愚の骨頂と言わざるを得ません。
 敵がミサイルを使うのなら、そのミサイル基地を攻撃しなければなりません。

 そんなことは愚かな人間が犯してきた数々の蛮行を思えば、猿でもわかる理屈です。

 今、わが国では65%の国民が敵基地反撃能力を持つことを支持しています。

 冷戦時代のように、米国の陰にかくれて平和を享受できる時代は終わりました。
 ナーバスになってしまった今の米国が、わが国が核攻撃を受けたからと言って、直ちに核による反撃を行ってくれるのか、甚だ疑問です。
 自国で核武装するほうが、抑止力は飛躍的に高まるものと思います。

 私はつい最近まで、軍事大国といえども、現代の価値観に照らして、侵略戦争を始めるなんて欠片も思っていませんでした。
 それが、現実には起きてしまいました。
 これがきっかっけで第三次世界大戦に広がる危険を秘めています。
 
 その時わが国がどういう立場におかれ、どう振る舞うべきか、事前に詳細なシミュレーションを行っておくべきだと思います。
 わが国が戦争に参加せざるを得なくなった時に考えたのでは遅いと思います。

 どうか与野党問わず、現実的な検討をお願いしたいものです。


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上司の入院

2023年02月20日 | 仕事

 今朝、上司が朝一番の打合せが終わってから、体調が悪いと言って早々に帰宅しました。
 午後、電話があって、入院することになったため、しばらく出勤できないとのこと。
 最近やけにだるそうにしているなと思っていましたが、無理をして出勤しいていたものと見えます。
 大したことなければ良いですが、長引くと、仕事に支障をきたすことになります。

 誰が上司の仕事をやるのか?

 多分私でしょうねぇ。

 今でも相当しんどいのですが、上司の分もやれと言われたら、激務になるでしょう。
 その時私の精神状態がもつのか?
 非常に不安です。


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働かないおじさん

2023年02月19日 | 仕事

 そろそろ年度末が近づいてきました。
 程度の差はあれ、どこの部署も猛烈に忙しくなる季節です。

 かつて、どうやったら小説を書けるのか、と聞かれた作家が、「締切があるから」、と頓珍漢な返答をしているのを見たことがありますが、これ、結構正直なところじゃないでしょうか。

 役人の世界で年度末が忙しいのは、平たく言えば締切が近づいているということです。
 お尻に火が付かないと本気が出ないのは、作家も役人も同じものと言えます。

 いや、人間の真実なのかもしれません。
 そもそも人間というもの怠け者にできていて、強制的にやらせなければ働かないという。

 会社でも同じことでしょうが、役人の世界には職務専念義務というのがあって、副業は禁じられています。
 体を休めたり趣味を楽しんだりするのは、仕事の能率を上げるためという理屈です。

 嗤うしかありません。
 話が逆です。
 休んだり趣味を楽しんだりするために働いているのであって、主客が逆転しています。

 また、50代の私が言うのも変ですが、どこの職場にも働かないおじさんというのが存在します。

 私の職場にも強烈なやつがいて、一応、それなりの立場にあるのですが、部下にすべてを押し付けて、他部署の職員や上司から仕事の話を聞かれても、「今日は○〇君が休んでいるから分からない。明日〇〇君に回答させる」なんてふざけたことをほざきよります。
 だから当然、誰も相手にしなくなります。
 それすら楽だとばかりに喜んでいるのですから、付ける薬はありません。

 仮に実務を担当しているのが部下だとしても、その内容を把握し、部下を適格に指導するとともに、他部署や上司に対しては、自らが盾となって部下を守るのが本当なのではないでしょうか。

 私はカッコつけなところがあって、どうしても「部下に回答させる」なんて無様なセリフは吐けません。

 だから精神を病んだのかもしれません。
 仕事を部下や他部署にふることも重要ですから。

 なんでも自分でやろうとする悪い癖があって、それは他人を信頼していないとも言え、最近はなるべく仕事をふるようにしていますが、思い癖はなかなか治りません。

 病気休暇から完全復帰して13年がたちます。
 若い職員は私がかつて精神障害で長期にわたって休んでいたことなど知りませんし、知ったら驚くと思います。
 若いころは想像もしていなかった仕事を優先するおじさんになってしまいましたから。

 しかしそれは立場上の義務感ゆえであり、仕事が楽しいわけでもなんでもありません。
 むしろ仕事は苦役であり、だからこそお金を貰えるのだと思っています。

 働かないおじさんになって、部下や同僚からさんざん陰口をたたかれても、それはきっと本人も気付いていると思いますが、喜々として出勤してくる神経が私には分かりません。

 それに暇というのも案外辛いものです。

 多分ネットサーフィンでもやって一日を過ごしているのだと思いますが、あんな者を血税を使って雇うなんて馬鹿げています。

 そして少し、羨ましくもあります。
 堂々と働かないおじさんになって生きていければ楽なのに、とも思います。

 仕事は忙しい人に頼め、と聞いたことがあります。
 怖ろしい言葉ですが、忙しいということは信頼されている証でもあり、きっとテキパキとこなしてくれるはずだという期待があるのでしょうね。

 働かないおじさんになるのも嫌ですが、あんまり頼られるおじさんにもなりたくありません。
 ちょうどよいというのはなかなか難しいものですね。


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訃報

2023年02月18日 | その他

 一昨日、訃報が届きました。

 かつて同じ機関で机を並べてともに仕事に精を出した後輩が亡くなったとのことです。
 後輩と言っても年は私よりも3歳年上の56歳。
 彼女は大学院に進んだため、就職が遅れたのです。
 死因はがんでした。

 175センチはあろうかという大柄な女性で、大らかな人でした。
 私と同じ江戸川区出身で、地元ネタで盛り上がったりしたこともあります。

 旦那様とお子様、さぞかしお嘆きのことでしょう。
 
 もう30年以上前のことになりますが、美空ひばりが亡くなった時、たしか50代前半だっと覚えています。
 石原裕次郎もその年代で亡くなっています。

 学生だった私は、50まで生きれば十分なんじゃないの?と思っていましたが、自分が53歳になってみると、早死にだったんだなと強く感じます。

 せっかく56歳まで働いて、定年が見えてきた頃に現職死亡とは誠にお気の毒です。
 31年も働いていると、どうしても現職死亡する先輩や後輩を見ることが多くなります。  
 新人の時、59歳の上司ががんで亡くなっています。
 それから自殺も含め、ほとんど毎年、現職死亡する人を見てきました。
 働くということは、よほどストレスが溜まるものと見えます。
    
 そのたびに、暗澹たる気持ちになります。

 定命は天の知るところ。
 人の知るところではありません。

 とはいえ、残念です。


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吉夢

2023年02月12日 | 精神障害

  昨日は元気だったのですが、今朝、くしゃみが止まらず、喉の痛みもあって、熱を測ったら37度2分の微熱がありました。
 原因は分かりませんが、とにかく体がだるくて重く、今日は布団とお友達。
 市販の鼻炎カプセルと解熱鎮痛剤と咳止めを一緒に飲んで、眠くなってしまいました。

 うとうとしていると、なぜか私が大量殺人鬼になっている夢を見ました。
 機関銃と手榴弾を持って警察庁を襲撃、警官や警察事務官を殺しまくり、ついには警察庁長官まで殺害。
 死刑になろうかというところで、寝汗をびっしょりかいて目が覚めました。

 自分が死ぬ夢はとても怖ろしいものですが、じつは吉夢だと聞いたことがあります。
 死は再生の始まりであり、それまでの人生からより良い生活を新たに始める象徴なんだとか。

 転職する気も退職する気も無い私が再生するのだとしたら、それは精神上のことに違いありません。

 私は今まで、生活のために労働するのはとても卑しい行為だという感覚をずっと持ってきました。
 豊かな生活は働いていたら送れないような気がしていたし、今もそうです。
 そんな風に労働を忌避してきた私ですが、死と再生の夢を見て、労働に対する価値観が逆転し、労働を貴いものだと実感するようになるということでしょうか。

 そうだとしたら私の生き方というか精神の在り様は大きく変わることになります。

 卑しいと思い続けてきた行為が貴いものだと実感できれば、きっと人生が楽しくなると思います。
 その時私は無駄な時間だと思ってきた31年間の仕事生活が、有意義なものだと思えるようになるはずです。
 
 それなら私は、明日からの仕事を楽しめるのでしょうか。
 そうでありたいと願ってやみません。


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自主的休日出勤

2023年02月11日 | 仕事

 今日は神武天皇が即位された日とされる建国記念日。
 戦前は紀元節と呼ばれていました。
 それが嘘か真かは分かりませんが、民族の物語として尊重したいと思います。
 物語にしか、真実は存在し得ないのですから。

 この良き日に、私は自主的な休日出勤。
 命令されているわけではありませんので、お手当はでません。
 土曜日でしかも祝祭日の今日、電話がかかってくることもなく、メールもありません。
 仕事がはかどります。
 癖になりそうです。

 平日は部下からの相談事や質問への対応、上司らとの打ち合わせ、会議、メール対応ばかりで、実務が進みません。
 残業も疲れちゃうのであんまり出来ません。
 取り戻すには、休日出勤しかないのです。

 元々仕事嫌いで、およそワーカホリックとは縁遠いと思っていたのですが、立場上、やむを得ず仕事人間みたいになってきてしまいました。

 これも年回りゆえのこと。
 こんなことをしてまで仕事に精を出さないと食っていけないなんて。
 すまじきものは宮仕えとはよく言ったものです。 


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眼科から自立支援

2023年02月10日 | その他

 今日は休暇を取って千葉大学附属病院の眼科を受診しました。
 緑内障で通っていたクリニックの医師から手術の検討をする病状だと言われ、紹介状をもらって千葉大学医学部附属病院を初めて受診したのが2年前。

 半年に一度、同病院で視野検査を受けていますが、まだ手術を行うほどには悪化していないとのことで、今回も手術の検討は見送られました。
 近所のクリニックには、2カ月に一度、視野検査の結果報告と目薬をもらうために相変わらず通っています。
 大学病院に通院しているのに近所のクリニックにも通うとは面倒なことです。
 大学病院には8時に到着し、検査、診察、会計が終わったのが11時半。
 大学病院というのはどうしても半日仕事になってしまうようです。

 終わって、その足でタクシーをとばして区役所に行きました。
 双極性障害のため、私は自立支援医療受給者証というのを持っています。
 これは障害者手帳と異なり、障害者が働きながら生活を続けるための支援として、診察費、薬代を1割負担にしてもらうためのものです。
 その更新のためです。

 私の収入から考えて、このような制度を利用するのは少し気が引けるのですが、主治医が一生薬を飲まなければならない障害だから支払う額は安いほうが良いだろうと、年度の終わりに診断書を書いてくれます。
 これにより、晴れて私は障害者認定を受け、1割負担で済んでいます。

 障害者手帳をもらうと月々わずかながら年金がもらえるそうですが、それは無職か、あるいは福祉作業所の作業で月1万円程度の報酬をもらっている人に限られるようです。

 それはそうでしょうねぇ。
 普通のサラリーマンと同程度の給料をもらっているやつに年金なんて出るはずもありません。

 人間50歳を超えると色々なところにガタが出始めるようで、面倒くさいですが、病院には真面目に通っています。

 貴重な休暇を病院通いにあてる日が来るとは若い頃は考えもしませんでしたが、これからは心身の不調が増えるのでしょうね。


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無常

2023年02月05日 | 思想・学問

 最近、近所のお店が次々と畳んでいます。

 しばらく前に撤退したモスバーガー、なかなか次のテナントが入りません。
 住まいの向かい側にあったお気に入りのイタリア料理店。
 23年前、マンションに入居した時は洋食屋でした。
 その後本格的なバーになりましたが数年で撤退。
 イタリア料理店は18年頑張って、それなりに繁盛していましたが、コロナの流行や物価高に勝てなかったようで、誠に残念です。
 その店が撤退し、建物も壊されて更地になりました。
 次は何になるのやら。
 マンションの隣にはコナミスポーツクラブがあり、スポーツクラブは2階から6階で、1階には書店とDVDのレンタル店が入っていたのですが、1階の両店舗が出ていくことになりました。
 本はインターネットで購入する人が多いし、DVDもインターネットで借りられます。
 実店舗は相当体力が無いと厳しいでしょう。
 反対側のお隣はパチンコ屋でしたが、数年前に葬儀屋になりました。
 徒歩5分ほどの所にあった回転ずし屋はドラッグストアになりました。
 お花屋さんはコインランドリーになり、クリーニング屋はリサイクルショップになりました。

 町の様子が変わってきています。
 私はそれを喜ぶことが出来ません。
 町が衰退しているように感じるのです。

 盛者必衰、栄枯盛衰。

 時の流れとともに、全てが変わっていきます。
 何もお店だけではありません。

 私たち人間も赤ん坊が成長し、やがては年老いて最後は石の下。

 何もかもが変化することに、世の無常を感じずにはいられません。

 無常というのは仏教で強調される概念で、私たち日本人は、この国で生まれ育つうちに、知らず知らずのうちに身に付ける物事の本質かと思います。

 その本質が、いずれ死に行く全ての生物の業だと思うと、なんだか憂鬱になります。
 
 古来、人間は不老不死の妙薬を探し続けていますが、誰も成功していません。
 当たり前です。
 それはこの世の真実の逆を求める行為だからです。

 また、一定数の人々は精神の不滅や、極楽往生を信じて真実から逃れようとします。
 それは精神衛生上は結構なことかと思いますが、これもこの世の真実からは外れる考え方です。

 真実から目を背けずに対峙することは苛烈な行いです。
 しかしその苛烈から逃れることが出来る者などいるはずもありません。
 それならば仕方ありません。
 生命が尽きるまで、その日その日を淡々と暮らしていく以外に生きる道は無いものと思います。
 
 辛い。


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眠る

2023年02月04日 | その他

 土曜日。

 今日はとにかく眠りました。
 朝8に起きて飯。
 食い終わってそのままリビングで爆睡。
 11時に起きて飯。
 今度はベッドに横たわって17まで眠りました。

 全然腹が減りません。
 ここまで眠れるということは相当疲れているんでしょうか。
 今、17時45分。
 まだ寝足りない感じです。
  


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