今日、夏休み明けの初日でしたが、ぐったり疲れました。
クレーマーに捕まったのです。
私が勤務しているのは、某研究施設の図書室です。蔵書は約30万冊ありますが、分野が偏っており、研究者専用としています。
それでも稀に一般の方から使いたい、という要望があり、その時は近所の公立図書館等で紹介状をだしてもらっています。
それなのに、そのシステムを理解せず、紹介状なしで入れろ入れろ、の一点張り。こっちも入れない入れないの一点張り。
馬鹿げた押し問答は二時間近くも続きました。
図書館とはいえ、客商売は楽じゃありませんね。
結局諦めて帰って行きました。
二夜、伊勢で宿泊して、夜がとてつもなく深い闇に包まれていることを実感しました。
それは田舎に旅行するといつも感じることで、礼文島に宿をとったときや、霊峰、大峰山や天河弁財天の入り口の天川村に宿泊したときなど、強く感じたことでした。
古来、人が最も怖れ、鬼が支配すると考えたものが、夜の闇でした。
「日本霊異記」に、伊豆に流罪になった修験道の開祖、役小角(えんのおづの)が、
昼は皇に随ひて嶋に居て行ふ。夜は駿河の富士の嶽に往きて修す。(昼は天皇の命令に従って伊豆で修行した。夜は富士山に行って修行した。)
と、あります。
もちろん、そんなことは不可能で、これはフィクションと考えるべきですが、当時の人々の感覚では、昼と夜は時間の流れによって繋がっているものではなく、朝焼けと夕焼けによって全く別の世界が現出していたと思われます。
そのような例は枚挙にいとまがなく、例えば今では当たり前の、戦における夜討ちが、堅い禁忌であったことからも知れます。
民俗学者、宮本常一は、名著「忘れられた日本人」に、ある村で、文盲の人たちは底抜けに明るく、誠実で、例外なく時間の観念がなかった、と記しています。つまり時計が読めないから、お日様の具合によってしか時を感じることがなく、一時間とか、一分とか、そういうせせこましい考えがなかったのですね。朝と昼と夕と夜があっただけ、というわけです。
街に灯りがともるようになり、時計が普及し、私たちは楽になったかといえば、そうではありません。
勤務時間が定められてタイムカードで管理され、電車は一分でも遅れればお詫びの放送を流し、都会の人は十分間隔で動く電車の時刻表を見て本数が少ない、と不満をもらします。
灯りは深夜残業や徹夜仕事を可能にし、若い人は夜明けまで遊び騒ぐことを、オールなどと呼んではしゃいでいます。
これでは鬼の出る幕はありません。
人は昼を作り、鬼は夜を作るのだとすれば、人は鬼の世界を滅ぼそうとするかのごとくです。
あと二十年、無事働けたなら、深山幽谷に隠居して、鬼と昼と夜を分けたいものです。
日本霊異記(上) 全訳注 (講談社学術文庫 335) | |
中田 祝夫 | |
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日本霊異記(中) 全訳注 (講談社学術文庫 336) | |
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日本霊異記 下 講談社学術文庫 337 | |
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日本霊異記の世界 説話の森を歩く (角川選書) | |
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忘れられた日本人 (岩波文庫) | |
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遅い夏休み最後の日、午後のひと時をDVD鑑賞で過ごしました。
フランス映画界の大御所、リュック・ベッソン製作総指揮のサイコ・サスペンス「EXIT イグジット 」です。
ある青年が殺人の疑いで逮捕され、精神病院に措置入院させられます。嫌疑不十分のまま五年間治療を受け、釈放されると、時を同じくして連続殺人が起こります。
自分が犯人なのか、それとも無実なのか苦しむ青年。
死体処理の仕事をしながら、通院により、精神治療を受けます。
妻子を亡くして自殺未遂を繰り返す同僚に頼りながら、おのれの中に潜む悪魔と葛藤を続ける青年。
そして、突如現れる売春婦。
青年・同僚・精神科医・売春婦が、いずれ劣らぬ危うさをもって、鮮烈でありながらダークな映像を醸し出し、観る者を混乱に陥れ、魅了します。
低いロックが雰囲気を盛り上げます。
アメリカ映画にはない、ヨーロッパ映画ならではの重苦しい映像が強烈な印象を残します。
前半、分けがわからず冗長な感もありますが、ラストに向かって加速していく後半のスピード感が良いです。
そしてラスト。
こんなのあり?、と驚嘆させられます。
ホラーやサスペンスをずいぶん観ていますが、自信をもってお勧めできます。
EXIT イグジット [DVD] | |
パトリック・フォンタナ.フェオドール・アトキン.クロチルド・クロウ | |
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン |
二泊三日の伊勢・鳥羽旅行から昨夜帰りました。
初日の午後、雨に降られましたが、それ以外はなんとか持ちこたえてくれました。
まずは、豊受大神宮(とようけだいじんぐう、外宮=げくう)参拝です。
伊勢市駅から歩いて五分ほどで、外宮入口に着きますが、御宮までは十分以上歩かなければならず、また、社は見えないように塀や布で隠されています。
遠く鳥居から、二礼二拍手一礼の正しい作法で参拝しました。
お名前の「うけ」とは食物のことで、豊受大御神(とようけのおおみかみ)は食物・穀物を司る神です。このことより、衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。 内宮にまつられる天照大神の生活を守る神様です。
外宮です。
お昼は伊勢名物、伊勢うどんです。
柔らかくゆでた太麺に、ほとんど生醤油に近いしょっぱいたれをたっぷりとかけたうどんで、正直、食うのが苦痛でした。名物にうまいもの無し、とは、この伊勢うどんからきているのでは、と思いました。
伊勢うどんです。
満足いくものではありませんでしたが、昼を食って、バスで皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ) を祀る内宮に向かいました。
こちらはたいへんな人出で、さすが伊勢神宮と思わせました。
また、内宮ちかくのおかげ横丁は、土産物屋や藍染め店、招き猫専門店が狭い路地に並び、古い町らしい風情を感じました。
内宮です。
二日目は、まずは二見浦です。
昔風の旅館が並ぶ町で、江戸時代、お伊勢詣りに来た旅人はこの町に宿をとったようです。
海岸に旅館が軒をつらね、皇族などの賓客が宿泊した賓日館というのが、今は公開されていました。120畳の畳敷き、シャンデリヤつきの大広間など、たいそう豪勢なものです。昭和59年に当時の礼宮殿下が宿泊されたのを最後に、旅館としての使命を終えたとのことです。
賓日館です。
その後、夫婦岩を御神体とする神社に詣でました。
岩と岩の間から朝日が拝めるとのことでしたが、そんな早起きはできませんでした。
夫婦岩です。
午後は鳥羽に向かい、ミキモトの創始者、御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功したという、真珠島や、かつての水軍、九鬼氏の居城であった九鬼城跡などを訪れました。
最終日は伊勢市から近鉄特急で名古屋に向かい、ここで半日を過ごしました。
徳川園という、尾張徳川家の隠居所や、尾張徳川家の宝物を展示する徳川美術館で目の保養をしました。
徳川美術館は、甲冑、刀、鉄砲などの武器武具、絵画、茶道具などの美術品、能衣装や能面などの能道具が、まるで昨日作ったかのような輝きをもって展示されていました。
尾張でこれなら、徳川本家はどれほどのものでしょう。想像もつきません。
徳川園の滝です。
お昼は、名古屋名物、味噌カツです。
私はこれを初めて食しましたが、マイルドな甘さの味噌だれに、さっくり揚がったとんかつで、ふつうのソースカツより食いやすいと思いました。
名物でも、伊勢うどんとは違い、美味でした。
思わず味噌カツ用に味噌ソースを購入してしまいました。
味噌カツ定食です。
短い旅行でしたが、楽しい珍道中でした。
明日からまた仕事、お遊びモードは今日で終わりです。 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
以前、夢日記をつけていたことがあります。
筒井康隆が夢日記をつけている、と知り、その真似をしたのです。
しかし、一カ月ほどでやめました。
夢日記をつけ始めて5日ほどで、毎夜見る夢が、極めて鮮明になりました。
その後、日を追うごとに夢は現実を侵食し、起きているのか、眠っているのか、夢と現実の境界が曖昧になってきて、怖ろしくなってやめたのです。
やめると、すぐに現実は力強く蘇り、夢は勢力を失いました。
その後、私は宮城音弥の「夢」や、ルドルフ・シュタイナーの「神秘学概論」などを読み、夢日記は危険であることを知りました。
ショウペンハウアーは、夢は短い狂気、狂気は長い夢、と評しています。
夢に関しては、予知夢、白昼夢、夢遊病、夢想、性的抑圧と、様々に分析されていますが、その実態は謎のままです。
面白いのは、断夢実験、というレム睡眠が起きた途端に起こす実験です。これを行うと、レム睡眠が後に過剰に増えるそうです。
つまりレム睡眠による夢が不足すると、脳はそれを補おうとするわけで、これは夢が人間が生きていくうえでぜひとも必要だということを表しています。
私は毎朝、夢日記をつけてみようか、という欲望にかられます。
しかしそれが、底なしの退行欲求に繋がっていると知ってしまった以上、決して手を出してはならない劇的な麻薬なのです。
明日の朝も、私はアルコール中毒患者が震える手で酒瓶から酒を捨てるように、見た夢を放置しなければなりません。
夢 (1972年) (岩波新書) | |
宮城 音弥 | |
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神秘学概論 (ちくま学芸文庫) | |
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今日から来週の水曜日まで、遅い夏休みです。
暑い時期に休んでも、何もする気が起きないと思い、この時期にしました。
予想は的中。すっかり涼しくなりました。
明日から二泊三日でお伊勢参りに行く予定です。
学生時代、外宮だけ参拝したのですが、内宮には足を踏み入れたことがありません。
今回は古来からのならわしに従って、外宮から内宮へと参拝しようと思っています。
伊勢神宮の他に、二見浦をぶらつき、帰りは乗換駅でもあるので、素通りばかりしてきた名古屋にも立ち寄ろうかと思っています。
去年は京都に行きました。
関西は歴史や文学に関する史跡があって面白いですね。
関東の片田舎に住む者にとって、都とその周辺はあこがれのまとです。
京都でとった宿は、大通りをはさんで向かい側に在原業平邸跡の石碑が建っていて、びっくりしました。
伊勢は古来から文学作品にも多く取り上げられ、江戸時代には参拝が江戸庶民にブームを巻き起こした社。
靖国神社と違って総理大臣や皇族が堂々と訪れても、何の問題も起きない真なる聖地です。
仏教と神道を比較すると、仏教は深い思想性が魅力で、神道はスタイリッシュな儀式や衣装が魅力ですね。
用明天皇ではありませんが、仏法を信じ、神道を敬うのが、わが国の伝統文化を味わいつくす要諦かと思います。
沖縄地検によれば、日中関係を考慮した、とか。
地検が外交を配慮する必要があるのでしょうか。
法に反したのなら、法に基づき堂々と起訴すれば良いし、反していないのなら釈放すればよいことです。
外交を配慮する必要は全くありません。
明治24年、有名な大津事件がありました。
来日していたロシアの皇太子ニコライに、大津で警備にあたっていた巡査が切りつけて重傷を負わせ、日本政府はロシアへ気を配り、司法省に働きかけ、巡査を死刑にしようとしましたが、大審院院長が傷害罪で死刑は適用できない、と突っぱねて三権分立を守った、という事件です。
明治人は気骨がありました。
今回のケースは、日本政府から沖縄地検に圧力があったのか、沖縄地検が勝手に外交問題を忖度したのか不明ですが、「日中関係を考慮した」と発表したのでは、中国の圧力に屈します、と言うに等しく、嘘でもいいから「立件するだけの証拠がなかったためで、日中関係は何の関係もない」、と言うべきでした。
これで、国民の反発は高まり、菅政権の支持率は下がるでしょう。
そして中国は、日本は脅せば屈する国だ、との認識を持つでしょう。
南沙諸島の問題で中国にやられっぱなしのASEAN諸国は失望し、米国は日本を守るに値しない国、と感じるでしょう。
この一件が将来に大きな禍根を残すことは火を見るより明らか。
中国は脅していただけです。脅して様子を見ていただけのこと。
大津事件のように、司法は毅然として、法だけを根拠に判断すべきでした。
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尾佐竹 猛,三谷 太一郎 | |
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児島惟謙―大津事件と明治ナショナリズム (中公新書) | |
楠 精一郎 | |
中央公論社 |
DVDで「彼岸島」を観ました。
人気コミックの映画化ということでしたが、煮え切らない映画でした。
某島は吸血鬼一族が支配しており、そこでレジスタンスを繰り広げる兄を救いに弟とその仲間が乗り込む、というストーリーです。
ホラー・アクションということで、派手な殺陣が繰り広げられます。
それはそこそこ良いのですが、ストーリーに説得力がありません。
やはり怪物ものは怪物の悲しみみたいなものを詩情豊かに描かないと、無理な作り物に終わってしまいます。
彼岸島 スタンダード・エディション(本編DVD) | |
石黒英雄,水川あさみ,他 | |
キングレコード |
いったいなぜ。
しかもその矛盾を指摘したのが、村木元局長だというから、笑うに笑えません。
事件は追及するものだったはず。
それなのに事件を作り上げようとしたのですね。
権力を持つ者が、それを恣意的に行使しようとすれば、とんでもない事態になることは明白です。
おそろしい。
警察官の犯罪は時折耳にしますが、検察官の犯罪というのは、聞いたことがありません。
この上は、身内可愛さに甘い捜査ですませず、徹底的に追及してほしいものです。
あと、村木元局長はスター扱いで復職しましたが、課長時代に部下が不正を働いたことへの管理責任は忘れられてしまったのでしょうか。
暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、今日は肌寒いくらいですね。
着実に秋は近付いています。
私はといえば、昨夜薬を飲み忘れたせいか、ひどい悪夢に襲われ、今も不安感、焦燥感が強く、頓服の抗不安薬ワイパックスを処方の倍飲んで、どうにか落ち着きました。
良くなっているつもりでも、薬でどうにか持ちあげているだけだ、と実感します。
今夜はきちんと夜の薬を飲もうと思います。
じつは、時々奇妙なものが見えます。
多くは、普通の人物。
でも、数秒で消えてしまうのです。
初めてそういう体験をしたのは16年前。
精神病を発病する10年も前のことで、一人暮らしを始めたばかりのアパートに痩せた男が現れました。
それも突然に。冬場、こたつにあたってテレビを見ていたときに、テレビの横に突如その男は現れ、物言いたげに私を見るのです。
腰が抜けるほど驚きましたが、別段恐怖は感じませんでした。ただ、驚いただけです。
私は最初ベランダから男が侵入したのかと思い、「出ていけ」と怒鳴りました。十秒ほども私を見ていたでしょうか。
ふっと、消えてしまいました。
不思議な現象ではありましたが、怖くもないし、物理的被害もなかったので、大して気にもとめませんでした。
二回目は、それから4年後、北海道のある温泉旅館でした。
そのときは30前後の女で、夜中に現れました。それは鬼女の形相で私に襲いかかろうとしましたが、私は強い気迫で、「やってやろうじゃねえかっ」と叫び、戦闘態勢を整えると、やはり十秒ほどで消えてしまいました。
この時はかなり恐怖で、その後眠ることができませんでした。
夜明けとともにチェックアウトしました。
精神病を発病してからはそういうことが頻発していますが、いつも、普通の人間にしか見えず、突如消えてから、それと気づくのです。
怖い、ということもありません。
別にこちらに危害を加えるわけではありませんし、悪意も感じません。
石ころが道に転がっているように、蹴飛ばせば転がるように、そいつはそこにいて、気がつくと消えてしまうのです。
精神科医に相談したこともありましたが、精神科医は幻覚とも何とも説明しませんでした。
よくあることだし、説明しようとしても合理的な説明は不可能だから、気にしなくてよろしい、とのことでした。
それがどういう現象なのか、私にはわかりませんし、わかりたいとも思いません。
ここに私が生きて在る不思議を思えば、大したことではありません。
在るから見えるのではなく、見えるから在るのだとすれば、物事の実態など、理解できないことです。
仏教の唯識では、世界は各個人にとってのイメージであると言います。
ただ通常の無意識の奥に、マナ識とアラヤ識を置いて、世界と意識を重層的にとらえているため、難解にも思えますが、考えてみれば、当たり前にも思えます。
世の中のあらゆることは、瞬間瞬間に生まれ、滅んで、常に変化しています(刹那滅)。そうすると実態があるものはこの世に存在せず、ただ各個人が感じるイメージ(識)が、繰り返す刹那滅を実在するもののごとくとらえているということになります。
そうであってみれば、幽霊だろうと妖怪だろうと、イメージがとらえれば、それは家族の存在が確からしいのと同じ程度の確度で存在が確からしい道理です。
そう言えば、私が時折見るものが幽霊だとすると、幽霊にも寿命がありそうです。せいぜい平安時代くらいまで。縄文人とか弥生人とか、ネアンデルタール人とかは、見たことがありません。
ホラー映画や怪奇文学でも、そこまで昔の幽霊は出てきませんね。
あんまり遡ると、単細胞生物まで行っちゃいますし。
わかる唯識 | |
岡野 守也 | |
水書坊 |
やさしい唯識―心の秘密を解く (NHKライブラリー) | |
横山 紘一 | |
日本放送出版協会 |
唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門 (NHKライブラリー) | |
岡野 守也 | |
日本放送出版協会 |
昨夜はDVDで「シャッフル」を観ました。
古いアパートに住むゲイ、小うるさい老婆、ヤクの売人、精神病で自傷行為を繰り返す妹と真面目な姉の双子、精神科医、それに新しい大家。
彼らが次々と変死を遂げます。
何か変だ、何かがおかしいと思っていると、謎は双子の姉妹に行き当たります。
彼女たちの関係性は
ラストはちょっとぞっとしましたね。
良くできた心理サスペンスだと思います。
それにしてもアメリカのアパートは広々していて、うらやましいかぎりです。
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ジャド・ネルソン,ジェニファー・カーペンター | |
パンド |
「クレタ島人が言うことは全て嘘である」と、あるクレタ島人が言いました。これは嘘、本当。
髪の毛が一本もない人は禿げ。一本植えても禿げ。二本植えてもはげ。ふさふさになるまで植えたら禿げじゃない。じゃあ、禿げの定義は?
ここに落書きをするな、って壁に書いてあったら、それは。
人生を幸福にするためには、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。
文明は神秘主義に長足の進歩を与えるものである。
以上はそれぞれ有名な逆説的ユーモアです。
頬笑み、嘲笑、失笑、爆笑、哄笑、艶笑、照れ笑い、人様に笑われる。
笑いに色々ありますが、私は逆説的ユーモアを好みます。
中でも出色なのが、落語「粗忽長屋」です。
浅草で大酒を食らって仲見世あたりで凍え死んだ男が、自分が死んだと気付かずに長屋に帰ってしまいます。
そこへ浅草帰りの隣家の男が、「お前、死んでんだぞ、死人らしくしろいっ」と叱って、「ああ、俺死んでんのか」といって自分の遺体を取りにいきます。人だかりのなかを、本人です、本人です、と言ってかき分けて、死体を担いで長屋に戻っていく、というなんともシュールな話です。
「薔薇の名前」では、コメディーを禁書にした中世の教会がおどろおどろしく描かれています。
笑いはときに鋭い風刺の毒をもって、権力者や宗教的権威を脅かします。
わが国でも江戸時代、山東京伝が洒落本を描いた罪により手鎖50日の刑を受けています。
喜劇の持つ怖ろしさを認識した、鋭い喜劇を観たいものです。
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佐藤 至子 | |
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五代目柳家小さん 名演集2 粗忽長屋/湯屋番/狸賽 | |
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ポニーキャニオン |
もとをただせば、1970年代初期、どうもあのあたりで油がとれるらしい、と判明したとたんに中国、台湾が領有を主張し始めた、油ほしさの露骨な泥棒根性です。
日本では、この件に関し、領土問題は存在しないことになっています。
無視するほかありません。
しかし日の出の勢いの中国がどう出てくるかわかりません。
まさかいきなり武力で島々を占領するということはないと思いますが、予断を許しません。
そのときは、日米共同で、中国相手に戦火を交えることになります。
これが最悪のシナリオです。
ではこれを回避するにはどうしたらよいか。
日米協調して中国に対して、尖閣諸島周辺に軍事展開したなら黙ってはいない、ただちに精鋭部隊を同海域に派遣する、と軽くかましてみる必要があるでしょうね。
それでも中国が強引に海軍を展開させたなら、警告どおり、日米両軍からなる艦隊を対峙させるほかありますまい。
恐らく、攻撃してはこないでしょう。中国はそこまでのリスクは犯さないと考えます。
日米とまともに戦う気はないでしょう。
脅してみて、こっちの出方を見ているのでしょう。
お話合いで解決しましょう、なんてゆるいことを言っていたら、そのお話合いの最中に中国に分捕られちゃいます。
ああいう古典的なパワーゲームを仕掛けてくる国には、パワーゲームで応じる以外ありません。
理屈もへったくれも通用しません。