昨日の夕方は精神科の診察がありました。
私のことはともかく、最近、ますます我儘になった義母のオーダーが激しく、同居人がまいっていることについて相談しました。
あれを買ってこい、これを買ってこい。
しかもそれはつい最近買って持って行ったものばかり。
どうしたのかと問えば、なくしただの、もう使い切っただの。
さらには子供の頃手がかかったのだから、今孝行するのは当然だの。
掃除をしに来い、布団を干しに来い。
私が行くと気を使って疲れるから同居人一人で来い。
それでいて、同居することは嫌がります。
施設に入ることを勧めても、どこも悪くない、頭もしっかりしているの一点張り。
しかし、体温計の使い方さえ分からなくなってパニックを起こし、使いやすい体温計を買って来いと言ったり。
役所から手紙が届いたと言ってはパニックを起こし、電池が切れたと言ってはパニックを起こします。
もう一人暮らしは無理だと思います。
呆けたら施設に入れてくれと言っていますが、もう認知症が始まっているような気がしますが、頑として検査を受けようとしません。
まるで取引のように、幼い頃面倒をみたことと、今面倒をみてもらうことを正当化しています。
毎日の1時間を超える長電話。
デイ・ケア、ケア・マネージャー等の社会資源を使うことへの嫌悪。
老いた親の面倒をみるのはわが国では子供の義務のようになって、親も子供もそれを当然とみなしています。
しかし、フルタイムで働きながら、義母の要望にすべて応えるのは無理というもの。
年より嗤うな行く道じゃ、と申します。
それはそのとおりだと思いますが、同居人と私の生活が乱れてきているのも事実。
精神科医は無理にでも施設に入れてしまえと言いますが、本人の意志に反してそのようなことは出来ません。
車で10分とかからぬ場所にマンションを購入したのは、老いたなら面倒を見るためだったことは確かですが、もはや限界です。
本当に足腰立たなくなって、それでもなお施設に入ることを嫌がったら、同居人は介護離職に追い込まれるでしょう。
二人で楽しく暮らしてきましたが、ここにきて、ピンチを迎えています。
私としては、施設に入ってもらい、上げ膳据え膳の生活を送ってもらいたいと思っています。
そのほうが安心だし、何かがあっても人の目があるので素早く対処できるでしょう。
老いるということ、誠にしんどいことのようで、30年経ったら私も得心がいくのかもしれません。
しかし、私たちには現在の生活があります。
義母の老いに付き合っていかなくてはなりませんが、ここ数か月、私たちを試すかのような要求には耐えがたいものがあります。
同居人は実の娘でありながら、近頃義母の悪口を言うようになりました。
今までそんなことは一度も無かったというのに。
私の母は兄夫婦、孫らと大勢で暮らし、曾孫まで出来ました。
次男の私が心配することは何もありません。
しかし同居人は一人娘で、義母は一人暮らし。
同居人は仕事と義母という、重たい物を背負っています。
同居人と義母、共倒れにならなければ良いのですが。
すっかり愚痴っぽくなってしまいました。
もう少し前向きに義母の老いを見つめなければなりませんね。
土曜日の朝。
今朝は7時に目覚めました。
白飯をたっぷり食いたいと思って、そのためにはおかずを減らすことだと、塩らっきょのみ。
塩らっきょのみで白飯をたっぷりと食いました。
腹がくちくなれば眠くなるのが人情というもので、朝食後、ソファで眠っしまい、起きたら11時。
コロナの前はよく東京まで出かけて様々な町を歩き回りましたが、もう1年以上、そういうことはしていません。
家でダラダラするばかりです。
こういう生活に慣れてしまうと、出かけるのがひどく億劫になります。
昼は徒歩10分弱のイタリア料理店で軽いコース料理を食う予定。
自宅の目の前のイタリア料理店がコロナ禍で閉店してから、土曜日の昼はそういう仕儀となりました。
夜は魚屋で魚を購入して一杯。
土曜日のルーチンのようになっています。
また都内散歩を楽しむ日が来るのでしょうか。
仮にそんな僥倖が訪れたとして、出かける気力体力があるかどうか。
このまま千葉市内で完結してしまいそうな気がします。
夕方は月に一度の精神科。
もう何も相談することとて無いのですが、薬が無くなるのが怖くて、真面目に通っています。
精神障害を発症して良かったとは思いませんが、今まで見えなかった世界を見られるようになったこともまた事実。
自助グループやリワークプログラムに参加して、じつに多くの精神病患者と知り合いになったお陰で、生きにくい世の中を薬の力を借りて必死で生きているその姿を見て、まばゆいばかりの生の力を感じます。
生きるということは誠にしんどいですが、誰もがしんどさに耐えて生きています。
なかにはしんどさに負けて自殺してしまう人もいますが。
私の後輩に27歳で自殺してしまった者がいました。
もう四半世紀も昔のことですが、今思い返しても胸が痛みます。
私の後任者で、それだけにその席の辛さはよく分かります。
特に年度末を越えるのは大変な労力で、完徹したことも一度や二度ではありません。
私は別の機関に異動していたので、自殺前後の彼の様子は知りません。
せめて私がその機関に留まっていたのなら、彼を少しはサポートできたかもしれないと思うと、やり切れません。
その後、私は精神を病んで、自らも強い希死念慮に悩まされることになり、ますます彼の心中が察せられて、ついには悪夢に苦しむことになりました。
今、私は服薬治療を続けながらとは言うものの、苦役でしかない労働に耐えられるまでに回復し、もう10年以上がたちます。
あの時自殺しなくて良かったと、つくづく思います。
毎日が憂鬱ではありますが、それだからこそ、休日の嬉しさや、ちょっとした幸せに、強い幸福感を感じるようになりました。
この、時折訪れる幸福感を大切にして生きていきたいを思います。
人間、たまの休みや時折の幸福感だけでも生きていけると思うのです。
今日もやっと仕事を終えました。
休前日、酒を飲むのは当然ですが、休日も必ず飲んじゃうんですよねぇ。
日曜日とか。
明日があるのにね。
あるいは明日があるからこそ、ひと時、酒で紛らわそうということでしょうか。
昨日も結構な量を飲んでしまいました。
その割には爽やかな目覚めで、自分でも不思議です。
そういうこと、時折あります。
酒飲みにとっては、とても嬉しいことです。
良く晴れた勤労感謝の日。
同居人は休日出勤です。
最近、忙しいようです。
同居人に依存している私は、一人の休日を持て余して、昼まで寝ていました。
昼に起きて、何も食う気が起きず、ビールを飲んで良い気持ちになりました。
つまみはなし。
空きっ腹に効きます。
体重は昨日の晩より1キロ落ちてしまいました。
その後、DVDを借りに出かけ、「サイレント・トーキョー」という爆弾テロを描いたサスペンスを借りました。
DVDを借りるのは、じつに久しぶりです。
爆弾テロの犯人は、「日本を戦争ができる国にする」と言い放つ時の総理大臣との直接会談を要求。
受け入れなければ渋谷のハチ公口を爆破すると予告します。
そしてそれは不幸にも実現してしまいます。
大規模な爆弾で、多くの人が死傷します。
時あたかもクリスマス・イブ。
悲惨な事件です。
犯人は何者か。
警察は爆弾に精通した警察官や自衛官を疑います。
しかし一向に犯人は浮かび上がってきません。
焦る警察。
焦るがゆえに誤認逮捕を繰り返し、爆弾魔は、次は東京のいずこかに爆弾を仕掛けた、と予告します。
東京のいずこかでは、探しようもなく、警備のしようもありません。
しかしある父子の登場で、次は東京タワー、さらにはレインボー・ブリッジを狙っていることが示唆されます。
東京タワー、そしてレインボーブリッジはどうなるのか、目が離せません。
犯人は地雷処理のために紛争地に赴いた自衛官の身内で、しかも小さな女の子が自衛隊に戦争を酷くしたと恨み言を述べ、自ら地雷を踏んで自殺します。
少女の自らを犠牲にした訴えは、誰にも届きません。
ただ、一人の使命感に燃える自衛官の心を破壊しただけです。
自由主義諸国、わけても米国は、様々な紛争地に出かけて行っては、騒ぎを大きくし、結局解決出来ずに後は野となれとでも言うがごとく、撤退してしまいます。
アフガンからの撤退はまさにそうでした。
爆風で足をやられ、心に深い傷を負った自衛官は狂気を帯びて帰国。
妻に爆弾の扱い方、作り方を詳細に教え、自分の身は自分で守れと言い残し、自殺してしまいます。
そしてあまりに意外な犯人とその動機。
それらが繋がった時、あまりにも切ない犯人、そして犯人の身内の過去が明かされます。
主題歌も静かなクリスマスソングで、心に響きます。
Awich - Happy X-mas (War Is Over)
佐藤浩市. 石田ゆり子. 西島秀俊. · 中村倫也. 広瀬アリスら、当代一流の豪華俳優陣が映画を盛り上げます。
難を言えば、警察、犯人、被害者がそれぞれに深い闇を抱えていて、盛り込み過ぎの消化不良を起こしていることです。
尺が短すぎたのかもしれません。
しかし単に長くすると冗長になりますから、その塩梅は難しいところです。
秋の休日、一人静かにDVD鑑賞も悪くありません。
月曜日。
普段ならひどく落ちているところですが、明日が勤労感謝の日でお休みのためか、落ち着いています。
こんな風に落ち着いているところをみると、労働がいかに肉体にも精神にも悪影響を及ぼすか、痛感させられます。
勤労感謝の日、元々は新嘗祭という神事を執り行う日でしたが、戦後、勤労感謝の日にかわりました。
そういうのはいっぱいあって、明治天皇の誕生日は文化の日だったり、秋季皇霊祭は秋分の日だったりします。
昔の名前のほうが由来が分かって良いように思いますが、敗戦ショックの一つでしょうか。
勤労感謝の日、、互いの労働にたいして感謝する日だそうですが、そもそも自分が働ているのが嫌でしょうがないのに、感謝されたら逆に腹が立つような気がします。
建前の美辞麗句はよしてくれ、というような。
そもそも小役人の仕事は、出来て当たり前、出来なかったら叱られるけど、出来たからと言って褒められたり給料が上がるわけではありません。
よくお役所仕事と言ってその能率の悪さや複雑さをあざ笑うことがありますが、事実、そういう面はあると思います。
くだらない規則でがんじがらめになって、小役人自身が馬鹿々々しいと思いながら仕事をしているのです。
一生懸命やっても、手を抜いても、忙しい部署でも暇な部署でも給料は同じ。
忙しければ儲かる客商売とは対極にいます。
給料が同じなら暇な部署のほうが良いと思ってしまうのは人情で、私も暇な部署に行きたいのですが、なかなかそうもいきません。
そんな風だから、小役人の士気は極めて低く、労働意欲なんて立派なものがある人は皆無なんじゃないかと思います。
それでも、馬鹿々々しいと思いながら、生活のために小役人を30年も続けてしまいました。
60歳定年が守られる僥倖があったなら、あと8年で定年退職です。
ところが定年年齢が伸びることは確実で、多分65歳まではのびるでしょうね。
5年も伸びたら負傷者、病人、死者続出なんじゃないでしょうか。
労働は肉体も精神もひどく蝕みますから。
とくに現在進行形の情報革命、50過ぎのおじさんには、付いて行くのがかなり厳しい状況です。
しかしついて行かないと、おまんまが食えなくなってしまいますので、若い職員にばかにされながら、必死で覚えています。
私が若い頃、まだワープロが中心でコンピュータは一部の電子計算機専門の技官が扱うものでした。
私たち事務官には魔法の箱に見えたものです。
おそらくWindows95が発売されてから、爆発的にコンピュータは普及し、数年後には職員全員にパソコンが支給され、パソコン無しでは仕事が出来ないという状況が出現しました。
今になってみると、パソコン無しでどうやって仕事を回していたのだろうと、不思議な気持ちになります。
ごく若いころはパソコン無しで仕事をしていたのにね。
勤労感謝というと、なんとなくお百姓さんや漁師など、第一次産業で頑張っている人を思い浮かべます。
あってもなくても良いような学術機関で事務職をやるなんて、勤労とも言えません。
苦行ではありますが。
私も体力があったなら、第一次産業に就いてみたいと思います。
しかし、冷暖房完備の清潔なオフィスで働き続けた私には無理でしょうね。
せめては、異業種の方々に感謝申し上げて、私の勤労感謝の日にしたいと思います。
最近、5080問題という言葉を耳にする機会が増えました。
50代の引きこもりを80代の親が面倒を見ている、という状態を指す言葉だそうです。
20年くらい前までは、引きこもりというのは若者が多く、若者の問題として語られていました。
しかし、長く引きこもっていれば、若者は中年になるに違いなく、当然予測しえた事態です。
そもそもある一定の年齢になれば引きこもりから脱することが出来る、と考えるのだとしたら、それは頭にお花が咲いている人でしょう。
引きこもりは長引けば長引くほどそこから脱することが困難になりますから、20年、30年の長期にわたることになり、ついには死ぬまで引きこもり、ということになるのだと思います。
5080問題は数年で6090問題になるでしょうし、親が亡くなれば引きこもりの孤独死、それも餓死などの悲惨な末路を遂げること必定です。
しかしこれ、政治や行政がいくら頑張っても解決しないでしょうね。
引きこもっている当のご本人が行政の支援を受けて働こうなんていう気がないでしょうから。
私はかつて職場ストレスがもとで長期病気休職に追い込まれましたが、リワーク・プログラムに通うなど、復帰への道を本気で探っていました。
そしてそれは成功したわけです。
そんな風に、本人がその気にならなければ引きこもりからの脱出は難しいでしょうね。
親が亡くなっても葬式にも参列せず、社会人経験が無いか、あってもごく短期間であるがゆえ、遺産相続などの手続きも満足に出来ず、生活に困り果てる、そんな事例が実際に起きているそうです。
引きこもりという現象、私の個人的な考えでは、まず自分が傷付きたくないこと、さらに、他人を傷つけたくないこと、この2点が主な原因ではないかと考えます。
もちろん、親子関係とか、友人関係とか、学校や職場への不適応など、様々な問題が複雑に絡み合っているのだろうと思います。
しかしその底の底には、傷付きたくない、傷付けたくないという気持ちがあるのではないでしょうか。
深夜、コンビニに行くことすら蛮勇を奮わなければできない、もしくは奮ってもできない、そういう状態はさぞかし辛いだろうと思います。
個別具体的には様々でしょうが、大きな目で見ると、この問題の根本的解決は不可能だと思います。
大人になれない50代、そしてその親、どうしたらいいんでしょうね。
私には解決策が見えませんが、とりあえず生活保護の申請を、対面ではなく、ネットのみで出来るようにするとかいったことが必要なのではないでしょうか。
土曜日。
今朝は採血をしに内科に行きました。
近頃は薬のおかげで安定していますが、もともと家族性の高コレステロール。
主にコレステロールの値を調べるため、4か月に一度、血液検査をしています。
痛いのは嫌いですが、ぐっとこらえて血液を採ってもらいました。
採血のため朝食を抜いたので腹が減り、11時過ぎころには昼食に向かいました。
行きつけだたった我が家の向かいのイタリア料理店、コロナに負けて閉店してしまいましたので、少し離れた、と言っても徒歩10分ほどですが、魚介料理を得意とするイタリア料理店を訪れました。
食したのは、あさりときのこがたっぷり乗ったペペロンチーノ、それにガーリックトーストとサラダと珈琲が付いて980円という驚愕の安さ。
以前通っていた店はもっちりしたパスタが自慢でしたが、今日行った店はおそらく乾麺かと思われます。
麺のクオリティは前の店に負けますが、具が多いのと、やや薄味の上品な感じは、まぁまぁいけます。
リピートしてしまうかもしれません。
その後、一時間ほど散歩してから夕飯の買い物。
塩焼き用の特大さんまと、煮浸し用の油揚げと小松菜、それに定番のフルーツトマトを購入。
トマトは幼い頃からの大好物で、食卓にのぼらない日はありません。
これで今夜のつまみはそろいました。
今週は月曜日から金曜日までの5日間、一滴も酒を口にいていないので、今日は酒が沁みるでしょう。
最近、年老いて一人暮らしをする義母の食卓が気になります。
生協の宅配で大量の食材を購入しているようですが、料理をして、後片づけをして、というのが億劫で、なかなか台所に立てないようです。
心配ですが、義母は同居を嫌がっており、老人ホームに入るのもまだ早いと言っていますので、静かに見守る他方法がありません。
猫は長生きすると猫又という怪物に変じるとか。
それならば人間も、長生きして化け物だか仙人だかに変じてもおかしくありません。
いや、むしろ化け物に近づくほどの長生きというのは、あってもおかしくありません。
義母はそういった化け物に近づいているのでしょうか。
元、「明月記」等で猫又は山中に住まう化け物として描かれ、人を襲ったりする怖ろしい生き物でした。
それが「古今著聞集」では、人に飼われる猫も、長生きすると猫又という化け物になると伝えられ、それは大層怖ろしい怪物として描かれます。
長生きした人間は化け物になるわけではありませんが、人によって、老いて仏のようになる人と鬼のようになる人がいると聞きます。
また、仙人になる、とも。
義母は少々我儘になったくらいで、まだ仏でも鬼でもありません。
そしてまた、仙人でもありません。
私は仙人なる人物に会ったことはないし、ほぼすべての人類が仙人に会ったことなどないでしょう。
修行して長生きし、不死の肉体と神通力を持つとされる仙人。
そんなものは存在しないとわかってはいても、年老いたなら、仙人のような存在になりたいと思ってしまいます。
義母の急速な老いが、私をして猫又だの仙人だのといった、長生きゆえの怪物を想起させたのだろうと思います。
義母にはまだまだ生きてほしいと願います。
それによって、例え仙人になろうと、あるいは猫又のごとく凶悪な何者かに変じても構いません。
義母の老いに、徹底的に付き合っていくつもりです。
最近、酒を呑む回数が減りました。
前は毎晩、休日には昼も夜も吞んでいたのですが、今は週末だけ。
素面でも眠れるようになりました。
起きている時は抗不安薬。
抗不安薬、かつては精神安定剤と呼ばれていました。
ラリった状態で日中を過ごしています。
そうは言っても合法薬なので、どうってことはありません。
ラリった状態でも、仕事に支障を来すことはありません。
抗うつ薬は一種の興奮剤。
こちらも手放せません。
気持ちよいですから。
抗うつ薬と抗不安薬の組み合わせ、ほとんど合法ドラッグです。
症状がきつい時は水でも飲んでいるかのように効いている感じがしませんでしたが、寛解の状態に至って、薬の効き目を実感するようになりました。
寛解状態であるからこそ、ラリった状態になっちゃうんでしょうね。
元気になったから減薬しようという話になったことが何度もありますが、そのたびに失敗しています。
おそらく、精神病薬の中毒みたいになっているのだと思います。
中毒になっているからこそ、減薬に挑んでも、離脱症状みたいなものが起きて、苦しいだけだから減薬をしようとも思いません。
精神障害発症前、薬を飲まずに元気に働いていたことが、今となっては信じられないような気がします。
そして世間の多くの人が、薬も飲まずに元気でいられるということも。
合法薬物患者一丁上がりです。
でも、私は今の状態が幸せだし、医者が出す薬を飲んでいるだけなので、何の問題もないと思っています。
よく、精神病薬や睡眠薬は癖になると言います。
依存性が強いのですね。
で、私はそれにどっぷりとはまり、抜け出せなくなっているというわけ。
しかし、酒と違って肝臓をやられることはないし、正気を失うこともありませんし、二日酔いになることもありません。
アルコール中毒みたいに生活が破綻することもありません。
違法薬物ならともかく、合法ドラッグなら、自分が心地よいと感じる量を、じゃんじゃん飲んでやろうと思っています。
それで精神の均衡が保てるなら、迷うことはありません。
むしろ、精神を病んでいるのに精神科への通院を嫌がったり、通院して薬も処方されているのに飲まずに捨てちゃったりする人の気が知れません。
精神病患者自らが精神病差別をしているようなものです。
おそらく私は生涯精神病薬を飲み続けるものと思います。
高血圧の人が一たび降圧剤を飲み始めたら止めることが出来ないのと同じようなものかと思っています。
ただ違うのは、気持ちよいということ。
でも気持ち悪いよりよほど良いと思うのです。
今週も月曜日が始まりました。
辛い日です。
今日は職場で防災訓練がありました。
想定は震度6の地震。
火事じゃなくて良かったぁ。
火事だと消火器を持って走らなければならないのですよ。
しかも男は2本持て、なんて言われちゃって。
しかし私はあまりに非力ゆえ、消火器一本を、赤ちゃんを抱くみたいに抱えて消火に向かうことが許されました。
他の野郎どもは、なんと二本を手にぶら下げて走っています。
世の中には体力のある人がいるもんだなと、感心します。
コロナ禍で、例年だったらやってきて講評を行う消防署が来なかったので、急遽地震にしたようです。
実際に大地震が来たら、あんなのんびりした避難は不可能でしょうね。
東日本大震災の教訓は、てんでんばらばらに逃げろということ。
誰かを待っていれば、それだけ自分の身が危険にさらされます。
私が住む町も職場も海からは離れており、津波の心配はありません。
ただし、職場の近くには川があり、これが氾濫する可能性はあります。
いつどんな災害が来てもおかしくない、自然災害大国、わが日本。
自分の身を自分で守るようにしないといけませんね。
今朝はなんとなく食欲がなくて、朝飯を抜きました。
良くない兆候です。
面倒くさかったのですが、9時から床屋を予約していたので、散髪に赴きました。
約1時間20分。
終わってみればさっぱりして良い気分です。
帰宅して10時半。
さすがに腹が減ってきましたが、1時間我慢しないと行きつけの蕎麦屋は開店しません。
開店を待って、蕎麦屋に行き、鴨せいろの大盛を頼みました。
大盛を頼むことはあまりありませんが、かなり腹が減っていたので、ちょうど良い量に感じました。
蕎麦を食って、珈琲が飲みたいと思い、ドトールに行きました。
珈琲一杯で約1時間。
優雅なひと時です。
平日と休日とでは、落差が大きすぎると感じます。
珈琲を飲んで頭がしゃっきりすると、金曜日のミスが思い起こされて、暗澹たる気分になりました。
それは小さなミスですが、影響は大なのです。
それからくよくよしっぱなし。
折角の週末がもったいないですが、気になるものは気になるので、どうしようもありません。
こんなしんどい気持ちを、当分の間引きずるのかと思うと嫌になります。
30年も働いて、この様。
滑稽としか言いようがありません。
よく晴れた土曜日。
昨日、仕事でミスを犯し、その解決に一か月かかるとあって、気分が沈んでいます。
そんな気分を晴らそうと、映画を観に出かけました。
私が大好きなテレビドラマを映画化した、「きのう何食べた?」です。
中年のゲイカップルが主人公の作品。
西島秀俊が弁護士役を、内野聖陽がオネエの美容師役を演じています。
じつに豪華です。
で、弁護士、料理好きで、やたらと調理シーンや食事シーンが出てきます。
しかもこの二人、非常に旨そうに食うのです。
それがタイトルの理由でしょうね。
この映画の良い点は、同性愛を扱った作品によくみられる、激しい濡れ場やキスシーンが全く無いことです。
ゲイカップルの日常が、淡々と綴られます。
美的な同性愛映画を期待すると、肩透かしをくらいます。
この映画、これといった事件は起きません。
だからこそ、この映画は静謐で、ややコミカルな面を持っています。
中年のゲイカップルは互いを思いやり、静かで、深い愛情を感じさせます。
冒頭の京都旅行のシーンから、ラストのお花見で桜吹雪が舞う中ビール片手にお弁当を食べるシーンにいたるまで、すべてが愛おしく感じられます。
それにしてもあれほどきついホラー映画を好んでいた私が、こういった映画に感銘を受けるようになるとは我ながら意外です。
年のせいで趣味嗜好がかわったのかもしれません。
今朝は変に早起きしてしまいました。
4時半起き。
いつもなら二度寝するところですが、目が冴えてしまって、そのまま起きだしました。
こういうことは最近ありませんでした。
せっかく早く起きたのだからと、いつもより30分早く出勤しました。
すると、いつもの出勤時より明らかに車が少なく、スムーズに車を走らせることができました。
職場に着いて、途中のコンビニで買ったサンドウィッチの朝飯。
誰もいない事務室は静かで快適です。
今日も一日の仕事が始まれば、怒涛の勢いで時間が過ぎていくでしょう。
気乗りしませんが、今日も一日、為すべきことを為そうと思います。
昨夜の酒が過ぎたのか、だるい朝になりました。
起床は11時。
起きたら、同居人が洗濯を済ませておいてくれました。
いつもの日曜日だと、私は7時には起きます。
で、同居人は9時くらいまで寝ています。
したがって、週に1度の洗濯は私がやることが多いのですが、今日は逆転してしまいました。
明日、同居人は研修の講師で1時間ほどしゃべらなければならず、今日はせっせとパワー・ポイントで資料を作成。
自室にこもって仕事をしていました。
私はと言えば、早くも明日からの仕事を思い、憂悶に沈んでいます。
月曜日が憂鬱なのは、サラリーマンなら大抵の人がそうでしょうが、日曜日から憂鬱になるとは損な性分です。
今宵は飲みすぎないようにしないといけません。
一週間を乗り切るのは相当な体力が必要ですから、酒なんぞに体力を奪われていは、サラリーマン失格というべきでしょう。
なんて言いながら、多くの月曜日、私は体力を奪われた状態で仕事をするのですが。
今日は愛車の法定点検のため、ディーラーに車を持ち込みました。
朝10時。
90分くらいかかるとのことで、陽当たりの良い場所で椅子に座っていたら、眠ってしまいました。
起きたらもう11時を過ぎていて、じきに点検は終わりました。
どこも悪い所は無いとのこと。
エンジンオイルの交換とタイヤのローテーションをやってくれました。
そのまま帰るのももったいないけれど、遠くに行くのは億劫だし、まだコロナが怖いしということで、千葉市の中心街に車をとめ、秋の一日、散歩を楽しみました。
千葉神社に立ち寄ると、七五三を祝う多くの子供たちとその親や祖父母があふれていました。
眩しい光景です。
私の年齢だと、おじいちゃんになっちゃうんでしょうか。
若いつもりが確実に年を取っています。
この時期、七五三を見るにつけ、私たち夫婦に子供が授からなかったことは良いことだったのか悪いことだったのかを考えます。
私が28歳、同居人が29歳の時に、入籍し、儀式をし、宴を催しました。
平凡で馬鹿々々しい、とその時は思って、半ば義務感でそれらをこなしましたが、今となっては輝かしい思い出です。
新婚の頃は、なんとなく、そのうち子供を授かるんだろうなと思っていましたが、いつまで経っても子供は出来ず、子供を望んでいた同居人が、幼子を連れた若い夫婦を見て涙ぐむにおよび、不妊治療を開始しました。
しかし何をやってもダメで、30代も後半になって、二人で生きていこうと、治療を止めました。
大金をドブに捨てたとは思いません。
二人だけで生きていく覚悟を買ったのだと思っています。
私には一つ年上の兄がいますが、すでに孫が二人います。
そのことを考えても、じつに長い年月、私と同居人は二人だけで過ごしてしまったのだなと感慨を覚えます。
世間の人は、「結婚はまだなの?」と人生の墓場行きを勧め、やむなく結婚すると、「赤ちゃんはまだなの?」と、純粋で残酷な言葉を吐き散らします。
同居人はそういった不躾な言葉を聞くたびに、深く傷ついていました。
普通は金のことを言う言葉なのでしょうが、持てる者と持たざる者、おのずと考えは異なるのでしょうね。
子供のいる幸せ、いない幸せ。
私たちはいない幸せを追い求めるしかありませんし、そうしてきました。
今頃になってやっと、同居人は名前も知らない他人の子供が七五三を祝う姿を見て、笑顔を見せるようになりました。
その笑顔はとても美しいと、いい年をしたおじさんは思います。
最近お気に入りのうぴ子が金曜日の開放的な気分を歌った曲です。
死だのメンヘラだの手首の傷だの人身事故だの人殺しだの、きつい歌詞が多い中、こんな風に勤め人が感じる金曜日を愉快に歌うことができるのですね。
がんばれ、うぴ子、おじさんは応援しているぞ。