ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

迷妄

2022年05月29日 | 仕事

 朝から微熱があって、横になっていました。
 そんな時は、碌なことを考えません。
 
 私は小役人として禄を食み、人並みの生活をしてきました。
 車を買ったりマンションを買ったり。
 愚かにも結婚までしてしまいました。
 しかしそれは、生活上の必要あってやむを得ずしてきたこと。

 仕事というもの辛いものですが、それをやって、どうにか生きてきました。
 しかし、青年の頃思い描いていた生活とはかけ離れたものです。
 とんだ俗物に変化してしまいました。

  微熱がそうさせるのか、本心なのか。
 50を超えたおっさんは、未だに迷妄の森をさまよっているのです。 

 


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小さなこと

2022年05月28日 | その他

 急に暑くなりました。
 調子を崩します。

 しかし今、風邪をひくわけにはいきません。
 コロナを疑われて、出勤停止になってしまいます。

 そして面白いことに、コロナが流行りだしてから、風邪をひかなくなりました。
 手洗い、手の消毒、マスクが効いているのかなと思います。

 こういう小さなことが大切なのですね。  


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この世は

2022年05月22日 | 仕事

 今週末ももう終わり。
 呆気ないものです。
 新しい部署に異動になってから、一か月半過ぎましたが、なかなか慣れません。

 上司という人、気が悪い人ではないのですが、何しろ口が悪い。
 何だかいつも喧嘩口調なのです。
 それにイライラして、金曜日には、つい、怒鳴りつけてしまいました。
 上司、びっくりしたようで、急に猫なで声で私の機嫌を取ろうとします。
 部下から怒鳴られるという経験が無かったのでしょうね。

 小さいやつです。
 それでも、上司は上司。
 ある程度は立ててやらなければなりません。
 勤め人の辛いところです。

 このところ残業が続いています。
 明日からの一週間も地獄のように忙しいのでしょうね。

 早く引退したいところですが、そうもいきません。
 こんなことを繰り返して、30年も働いてしまいました。
 誠この世は生きにくい。


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江戸川

2022年05月15日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 日曜日の夕方。
 一週間で一番憂鬱な時間です。
 それを吹き飛ばそうと、寅さんを観ました。
 今回は珍しく、アメリカ人の渡世人が登場します。
 堪能しました。

 寅さんの故郷は葛飾柴又で、江戸川のすぐ近く。
 江戸川土手で川を見ながらほっこりする場面が良く出てきます。

 私の実家は江戸川区で、同じように江戸川がすぐ近くを流れています。
 よく、江戸川土手を散歩しました。 
 その思い出が、寅さんを観ると懐かしく感じられて、故郷が恋しくなります。
 それが、寅さんばかり観ている理由の一つでしょうか。
 しかしコロナ禍で、実家にもなかなか帰れません。

 最も私は堅気の木っ端役人。
 寅さんのような旅から旅の渡世人とは正反対の職業に就いています。

 隣の芝は青く見えるの譬えのごとく、寅さんのような生活に憧れを抱かずにはいられません。
 
 日曜日の夜、本当は明日に備えて素面で寝るべきでしょうが、日曜日の夜は心が乱れて、一杯ひっかけないと眠れません。


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言葉が出ない

2022年05月14日 | 精神障害

 土曜日を迎えました。
 千葉市は本降りの雨が降っています。
 夕方にはやむらしいですが、気分が晴れません。

 今朝は朝一番で内科に行きました。
 コレステロールを下げる薬をもらうためです。

 夕方には精神科に行かなければなりません。
 面倒くさいですが、大量の精神病薬を飲んでやっと正気を保っている身であれば、いたし方ない仕儀と言えましょう。

 そして最近、違和感を感じているのが、うまく言葉が出なくなったこと。
 吃音というわけではなく、すらすらと言葉が出ないのです。
 私は人前で話したりするのは得意だと思っていたのですが、どこか奇妙です。

 かつて久米宏がニュースステーションを降板する際、適格なタイミングで分かりやすく話すことが出来なくなったことを理由に挙げていました。
 久米宏のごとき話すプロにとっては致命的だと感じたのでしょうね。

 私は事務職ですから、仕事に支障があるということはありませんが、何か嫌ぁな感じがします。
 若年性認知症だと困ります。
 少し様子を見ますか。


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逃げる花嫁

2022年05月08日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 またもや、寅さんを観てしまいました。
 わざわざDVDを借りて。
 今回のマドンナは桃井かおり。

 結婚式の最中にウェディングドレスのままタクシーで逃げてしまう上流階級のお嬢様。
 このシーン、「ロング・バケーション」というドラマでも同じようなのがありましたっけ。

 勝手知ったる柴又の、寅さんの実家へ逃げて、しばらく滞在。
 上流階級同士の結婚を潔しとせず、自活して生きることを目指します。
 そこでいつもの寅さんの恋愛沙汰。
 しかし結局、マドンナは元の鞘に収まります。
 ただし、大会社の社長の息子であったお相手は家出して工場労働者になり、父親から勘当されてしまいます。
 マドンナも英語塾を開いて貧しいながら二人で暮らすのです。
 珍しいのは、柴又の皆さんが開いた小さな披露宴で、寅さんが仲人を務めること。
 いつもだったら、ふられたと知った寅さんはふいっと旅に出てしまうのですが。
 寅さんも老いたということでしょうか。

 私たち夫婦は子宝に恵まれず、二人で生きてきたせいか、いつまでも若いような気がしています。
 子供がいれば、もう20歳を超えているはず。
 子供の成長とともに、親も成長できたでしょうに。
 今の私には想像がつきません。

 結婚して24年を経てなお新婚気分が抜けないとは、とんだ間抜けです。
 奥さんがいない休日は、旦那は嬉しいものだとか。
 しかしその心境、私には理解できません。
 同居人に頼り切っている私には寂しいばかりです。

 失恋ばかりの寅さんの恋愛、その心境は、いかばかりであろうかと思います。

 そして私は、同居人に頼り切っている生活を、脱していかなければならないと思うのです。


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時代

2022年05月07日 | 仕事

 ゴールデンウィークも終わりに近づいています。
 私は暦どおりのお休みでしたが、なかには休暇を取って10連休だった者もいます。
 私は異動してやっと一か月なので、休暇を取る余裕はありませんでした。

 着実に日は過ぎ、新しい職場にも慣れていくんでしょうね。
  就職して31年目。
 異動したところでどうということも無いのは、よく分かっています。

 私は学術行政の仕事に就いていますが、年々、仕事が増えているように感じます。
 お金の使い方に瑕疵がある研究費の不正、盗用などの研究不正。
 これらが問題になり、研修を頻繁に行っています。
 私のごとき木っ端役人が、大先生たちを相手に不正防止の講習会の講師っを務めたり。
 
 また、外部資金の獲得に奔走したり。
 わが国の研究機関は危機に瀕していると感じます。

 思えば30年前は牧歌的でした。
 職員もたくさんいて、一人が受け持つ仕事はわずかでした。
 今は定員削減が進み、誰もがパンクしそうなほど仕事を持たされています。

 こんな時代が来るとは。

 それでも、辞めるわけにはいきません。
 手に職の無い私が、そこそこの収入を得るためには、現在の仕事にしがみつくしかありません。

 そう考えてみると、今の若手職員は大変です。
 気楽な時代を知らないわけですし、精神疾患で倒れる者もたくさんいます。
 私も精神の病で長期病気休暇に陥ったことがあります。
 復帰して13年くらい経ちます。
 もう二度と長期休暇はご免です。
 休んでいるのに気ばかり焦って休んでいる気がせず、絶えず罪悪感に苛まされました。

 今は定年が60歳で、希望すれば65歳まで働けます。
 ただし、給料は半減します。

 せめては60歳ですぱっと辞めて、余生を平穏に暮らしたいと思いますが、この先どうなるか分かりません。

 嫌な時代になってしまいました。 


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フーテン

2022年05月05日 | その他

 今日は朝から微熱があって、大層、大義でした。

 朝は11時まで寝ていて、少し元気になったので、車で10分ほどのところにある、パスタ専門店を訪れました。
 サラダにジェノベーゼ、珈琲をいただいて、大分元気になりました。

 珈琲は覚醒作用があるように思いますが、その作用は不安を伴います。
 今日はそれが強くて、食後、頓服の抗不安薬を処方の倍、飲みました。
 するとゆるりと効いてきて、不安は大分解消されました。

 しかし不安の種は、仕事にあります。
 明日、そして来週からの怒涛の忙しさを思うと、抗不安薬による効果など、酒でも飲んだような、一時的なものでしかないことも分かっています。
 一つ一つ困難な仕事を片づけなければ、平穏は訪れません。
 宮仕えなど、するものではありませんね。

 今日も寅さんを観てしまいました。
 的屋稼業は辛いことも多いでしょうが、旅から旅の暮らしには、憧れを感じます。
 私もあんなフーテンの暮らしをしてみたいものです。


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死ぬ

2022年05月04日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日、大好きな寅さんシリーズの、伊藤蘭がマドンナの作品を観ました。
 若くて元気な寅さん、おいちゃん、おばちゃん、そしてさくらにひろしに満男。
 みな若い。
 若いということ、それだけで溌剌として美しい。

 しかし今、寅さんも、おいちゃんも、おばちゃんも、この世の人ではありません。
 映像のなかに残された元気な姿が、切なく感じられます。

 おぎゃあと生まれた赤ちゃんは、少年、青年、中年の時を経て老境に至り、必ず、死んでいきます。

 人間(じんかん)五十年。

 人の世にいられるのは五十年だとか。
 私は今52歳。
 もう、それを超えています。

 思えば多くの人の死を見てきました。
 思い出すだけで泣けてくる父の死。
 義父の死。
 あまたの職場の先輩の死。
 切ないのは後輩の自殺。

 それらあまりに多くの死に接して、思わないわけにはいかないのが、私自身の死です。

 死ぬのは怖ろしい。

 しかし生きていくのも面倒だというのが、私の偽らざる心境です。

 死ぬに至るには、衰えがあり、体の各地に痛みがあり、誠に苦しいことだと思います。
 私は先人の死の在り様を思い、己の死が、安らかでありたいと願います。

 死の問題を考えるのに、若いということは無いと思います。
 物心ついた瞬間から、それを考えずにはおられないのが人間だと思います。

 私が老醜をさらしながら長生きするのか、父のように突然死のような死に方をするのかは分かりません。
 しかし、どうか老醜をさらすことのない死を迎えたいものだと思います。

 喜劇でありながら、死を考えざるを得ない名品だったと思います。

  
  


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憲法はお経?

2022年05月03日 | 思想・学問

 今日は憲法記念日。
 永井荷風はその日の日記に、米国の作りたる憲法発布の由、嗤うべし、と短く記しています。

 私は憲法など変えようと変えまいと、大した違いは無いと思っています。
 よく、平和憲法などと言って、これさえ守れば国は守れる、みたいな妄言を吐く人がいます。
 それなら憲法に、地震も台風も起きない、と書けばよいのです。
 そうすれば天災地変も起きなくなるでしょうから。

 しかしわが国は、平和憲法を持ちながらも、強力な軍隊を保持し、英国の軍事雑誌で、世界第5位の軍事大国と評されています。
 したがって、平和憲法は有名無実化し、実際には全く守られていないと言ってよいでしょう。
 解釈改憲と言われる所以です。
 さらには米国と軍事同盟を結び、その軍事力ゆえに、わが国は平和を享受してきました。
 そう考えると、わが国は法律は変えずに、運用で重大な憲法違反を行っていることになります。
 
 国の最高法規に違反した状態を続けるのは、わが国民の倫理感を害していることは言うまでもありません。
 しかしわが国は、じつはこういうことを気にしないお国柄。
 養老律令という最高法規がありながら、そんなものの存在など忘れて、明治を迎えるまでいじらなかったのですから。

 日本国憲法も、いじらないならいじらないで、永遠に違憲状態を続けながら、軍隊の増強を続ければ、それで現実に対処することができます。

 改憲論議になると、神学論争みたいな状態になって、うんざりします。
 どうせ守らないなら、神棚か仏壇にでもおさめて、中身を見ずに、拝んでいれば良いのです。
 何か素晴らしいことが書いてあるらしい、しかし中身は分からないお経で十分なのではないでしょうか。 


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我と我々

2022年05月01日 | 思想・学問

 今日は昨日とうって変わって冷たい雨の一日になりました。
 ゴールデンウィークというと、初夏を思わせる日が続くイメージがありますが、今年は違っているようです。

 朝は小雨でしたので、今のうちに買い物を済ませようと近所のスーパーへ。
 同じようなことを考える人が多かったのか、日曜日の午前中にしてはお客さんが多かったように思います。

 お昼は近所のお蕎麦屋さんでとろろ蕎麦を食しました。

 それ以外は家でゴロゴロ。
 
 同居人、仕事と介護で疲れ切っている様子で、お昼寝中。
 同居人の仕事と介護をこなす様子には、頭が下がります。

 同居人と私は職場の同期。
 ただし同居人は一浪して大学に入っているので、年は私より一つ上です。

 正直、出会ったばかりの頃は、田舎くさい、冴えない女だと思って、近づきもしませんでした。
  しかし同期ということで、酒を飲んだりしているうちに、考えが変わってきました。

 まず第一に、嫌いなものが一致したこと。
 私が大嫌いな尾崎豊を、彼女も毛嫌いしていました。
 犯罪奨励ソングを歌って小銭を稼ごうなどと、愚かな考えを持っているとしか思えない不真面目な態度が嫌いでした。

 そしてまた、好きなものが一致したこと。
 幻想文学などの、この世ならぬ存在への予感を持ち続けていることが一致して、当時一部から熱狂的な支持を得ていた「牧歌メロン」という雑誌への興味も一致しました。。
 この雑誌は知る人ぞ知る無名なもので、それを知っていること、そればかりか所有していることに、お互い驚きました。
 なにしろ妖しい雑誌なのです。

 私はそれまで、女性の精神性ということにあまり興味が無かったのですが、同居人の精神に深く接したいと思うようになりました。
 そうなってみると、容姿についても好ましく思うようになりました。
 
 その頃、小説家を目指してせっせと書いていたのですが、これを同居人に読んでもらって、意見を聞くようになりました。
 これが同居人との馴れ初めです。

 嫌いなものと好きなものが一致するということは、そこに同志のような連帯感が生まれます。

 そして、私はヘーゲルが問題にした、我々なる我、我なる我々ということに、少し、糸口を見つけたような気分になりました。
 もちろん、ヘーゲルの著作は難しいし、浅学菲才の私には、正確に理解することなど不可能です。

 

 哲学上の難問はとりあえず置くとして、私は同居人との間に、我々なる我、我なる我々というものが存在していると、予感するようになりました。

 そして同志愛でしかなかったものが、いわゆる恋に昇華していったものと思われます。
 その恋は、同志愛的な要素を濃密に漂わせながら、少しづつ、深められていきました。

 ただし、私には浮気性なところがあって、同居人との恋も、やがて雲散霧消していくのだろうなと思っていました。
 ところが、入籍して24年間、喧嘩一つすることなく、我々なる我、我なる我々という言葉が、染み入るようになりました。

 結局、私は同居人に救われたということでしょうか。

 この静かな恋は、激しさを伴わないがゆえ、今も続いていると感じます。

 日々の仕事は憂鬱で、ため息ばかりついてますが、私たちはどこまでも我々なる我、我なる我々という言葉を、曲解でも構いませんから、胸に刻んで生き続けたいと願っています。
 


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