ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

空白

2022年01月30日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は昼過ぎまで眠り、さすがに腹が減って、朝昼兼用の飯をたっぷり食いました。
 その後手持無沙汰で、DVDを借りに出かけました。
 借りたのは、「空白」です。

 女子中学生がスーパーで化粧品を万引き。
 それを見ていた店長が追いかけ、女子中学生は逃走。
 国道に飛び出したところを車にはねられ、運の悪いことに後続のトラックに引きずられ、見るに堪えない姿になって死亡。

 その後、女子中学生の父親の暴走が始まります。
  それはしつこいほど。

 しかし、時が父親の心を静めていくヒューマンドラマ。
 重たい作品でした。
 

 私には子供がいないのでよくわかりませんが、逆さ仏ほど辛いものはないでしょう。
 少しづつ、暴走をやめ、大人しくなっていく父親の姿が泣けてきます。

 


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戦後はない

2022年01月29日 | 社会・政治

 今朝は珍しく早朝4時に目が覚め、もう眠れませんでした。
 土曜日で気分が上がっているせいかもしれません。
 5時には早くも朝飯を食いました。
 卵と納豆で白飯をたっぷり。
 平日は朝コンビニに寄ってサンドウィッチを購入し、職場で食すことが恒例になっていますから、白飯の朝食は休日にのみ許された贅沢です。
 その後8時に内科に行き、コレステロールを下げる薬をもらいました。

 帰宅後、ソファでウトウトとしてしまいました。
 さすがに4時起きは早すぎたようです。

 BSで山本五十六と軍縮会議のドキュメンタリーを鑑賞。
 山本元帥、日米開戦を阻止しようと努力しながら、結局は真珠湾攻撃の中心人物になってしまったという悲劇の海軍軍人です。
 この番組を観るかぎり、海軍は軍縮交渉を受け入れるべきだとする人々が次々に予備役(事実上の首)にまわされたり左遷されたりするなかで、山本元帥だけが海軍内部で出世していったそうです。
 山本元帥、忍び寄る日米開戦の足音を聞きながら出世していくことに、忸怩たる思いを抱いていたのではないでしょうか。

 山本元帥は米国と戦えば、2年くらいは太平洋を舞台に日本海軍は大いに暴れて見せるが、その後は彼我の生産力の違いから劣勢に立たされ、敗戦は必至だと考えていたようです。
 敗戦を見たくなかったのか、あえて激戦地に飛行機で赴こうとし、撃墜されて戦死してしまいました。
 元帥は戦後の日本がどうなるか、考えていたのでしょうか。

 ヒトラーは敗戦必至となった終戦間際、軍需大臣のシュペーアから敗戦後のドイツをどうするかを問われ、「戦後などない」、と応えたそうです。
 千年王国を目指して戦い、それが叶わないと悟った時、ヒトラーはドイツ全土の建築物やインフラを破壊するように命令しました。
 敗れたドイツ国民に生きる資格は無く、千年王国の夢とともに滅ぶべきだと考えたのでしょうね。
 幼稚な考えです。
 幸いにして、シュペーアはドイツ全土を自ら焦土と化す愚かな命令をサボタージュし、もって戦後のドイツ復興に寄与したそうです。
 ベルリンの総統地下壕が陥落するまで戦い続けたドイツですが、戦後は確かに存在しました。

 我が大日本帝國で言えば、皇居や首相官邸が落ちるまで戦い続けるようなもので、本土決戦を回避したおかげで、そんな悲惨な目には会わずに済みました。
 米国は、大日本帝國は必ずや本土決戦を選択し、その結果100万人の米軍将兵が戦死すると試算していたようです。
 本土決戦もやらずにポツダム宣言受託を決心した帝國に拍子抜けするとともに、安堵したことでしょう。

 帝国は空襲でひどい被害にあいましたが、ドイツや沖縄の例を見るまでもなく、地上戦は悲惨です。
 それこそ国が亡ぶようなものでしょう。

 しかし帝国は、戦後の復興を信じていました。
 そこがナチとの大きな違い。

 大日本帝國はナチが信奉した国家社会主義のような理念を持ちませんでしたから、当たり前と言えば当たり前です。

 戦後など無いと言い張った独裁者を持ったドイツ。
 独裁者など存在せず、単に主戦派の主張が通っただけで開戦に踏み切った大日本帝國。

 独裁者など存在しなくて良かったと思います。
 東条英機も戦中に総理大臣を辞めていますし。

 考えてみれば、明治維新以降、わが国に独裁者が存在した試しがありません。
 主権は天皇にありましたが、事実上は君臨すれども統治せず、というスタンス。

 現在、ロシア軍によるウクライナ侵攻が迫っていり、中国軍による台湾攻撃が論じられたりしています。
 国家というもの、よほど戦争がお好きなようです。
 
 しかし軍事力によって他国を侵攻するなど、もはや許されないし、そういう時代は過ぎました。
 時計の針を戻すような行動は成功した試しがないし、今後ともそうでしょう。

 中露両国におかれては、自重を強く求めたいと思います。


 


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近付いてくる

2022年01月25日 | その他

 今日、私の職場で初めてコロナ患者が出ました。
 箝口令がしかれているので、誰かはわかりません。
 でも同じ部署の人は当然分かっているのでしょうね。
 コロナ差別が起きることを警戒しての箝口令。
 私の身近にも、確実に、コロナが近付きつつあるようです。


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散漫

2022年01月23日 | 精神障害

 昨日は疲れていたせいか、15時過ぎまで眠ってしまいまいました。
 こんなに眠れることはありません。
 起きて、時計を二度見してしまいました。

 それでもなお眠かったのですが、夕方、月に一度の精神科診察日だったので、やむなく起き上がりました。
 なんだか土曜日を失ってしまったような、損した気分です。

 理由は分かっています。
 来週の一週間、猛烈に忙しいからです。
 私はうつっぽくなると、過眠になります。
 不眠になる人が多いと聞きますが、過眠になる人も一定数いるそうです。

 精神科に出かけて、来週への予期不安というか予期恐怖というか、そういうものに襲われていると相談しました。
 精神科医、パソコンを検索して、ちょうど一年前のデータを見、去年も同じような不安を抱えながら切り抜けたじゃないですか、予想するのは仕方ないですが、予想しすぎないことです、と慰めてくれましたが、不安や恐怖がそれで去るわけではありません。

 帰って、いつもより一杯多く、焼酎のお湯割りをやってしまいました。

 で、今日。

 土曜日よりも憂鬱になるはずの日曜日、不思議なほど落ちていません。
 抗不安薬を処方の倍飲んだせいでしょうか。
 いつもよりは朝寝しましたが、9時には起きました。
 食欲が無くて、朝飯は抜き。
 昼は軽くざる蕎麦でも、と思って近所の蕎麦屋に出かけたのですが、シャッターが閉まっていて、「感染症対策のため、しばらく休業します」との張り紙が。

 ショックです。

 これまで一度もこういうことは無かったので、おそらくは家族の誰かが罹患したのではないでしょうか。
 お気に入りだったイタリア料理店は閉店するは、蕎麦屋は長期の休業に入るは。

 仕方なく、中華屋に行きました。
 熱いタンメンを食い、お隣のドトールで食後の珈琲。

 しばらくは蕎麦屋にも行けないんでしょうか。

 職場でパートとして働く女性は、小学生の子供が通う学校でコロナが発生し、休校になってしまったので、しばらくは出勤できない、とのことで、パートとはいえ貴重な戦力だったので、堪えます。

 身近にコロナが迫ってきていると、切実に感じます。

 むしろ、不謹慎ではありますが、私がコロナに罹ってしまいたい気分です。
 そうしたら大手を振って休めますから。
 それで死ぬのならそれも結構。
 あの世で安楽に惰眠を貪ることが出来ましょう。

 うつっぽくなると、死ぬということが、いとも容易いような気分になります。
 長く自宅でうつ病治療をしていた時は、常に死にたいと思っていました。

 寛解に至って12年。
 今でもそういう気分になるのだから怖ろしい病気です。

 明日の今頃どんな気分で働いているのかと思うと、恐怖に身が縮む思いです。
 多分来週の土日のどちらかは、自主的休日出勤必至でしょう。

 どんな仕事も楽ではないでしょうが、隣の芝は青く見えるという如く、転職したいという思いに駆られます。
 しかしこれと言った技術もない52歳のおっさんに、今の職場並みの給料をくれるところなどないでしょう。
 ていうか、そもそも雇ってくれる会社など存在しないでしょう。
 今の職場にしがみつくしかありません。

 なんだか散漫な記事になってしまいました。
 これも病ゆえ、でしょうか。
  


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精神科病院×新型コロナ

2022年01月16日 | 精神障害

 昨夜、NHKで、「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」という番組を観ました。
 当たり前ですが、精神病院に入院している患者も、コロナに罹患します。
 精神病の治療を受けつつ、コロナの治療も行わなければならない、現場は悲惨なことになっていました。

 わが国の精神病治療には決定的な問題があります。
 一度入院すると、30年も40年も退院できない、という。

 しかしこれ、医療の問題ではありません。

 一般社会における精神病差別の問題です。

 家族は精神病患者を看病する気はさらさらなく、むしろ家族の恥として、精神病院に隔離しておくことを望んだりします。
 社会資源も、例え治っていても、受け皿を作ろうとしません。
 退院しても行き場の無い患者は、結局、入院し続けるしかありません。

 幸いにして、私は精神病患者ですが、入院にまで至ったことはありません。
 しかし自助グループには何人も入院経験者がいて、拘束されたことがある人もいました。
 口をそろえて、入院だけはしたくない、と言っていました。

 もともと劣悪な環境に、コロナが襲い掛かりました。
 ある精神病院では、コロナ患者たちを一つの和室に閉じ込めて鍵をかけ、感染の拡大を止めようとしました。

 しかし、そのやり方が残忍と言ってもよいようなものです。
 和室に布団を敷き詰めて患者を寝かせ、部屋の中央に簡易式のトイレを置いていた、というのです。
 しかもトイレはむき出し。
 用をたしているところが丸見えで、臭い。
 水が欲しいと泣き叫ぶ人、外から鍵がかかった部屋のドアをたたいて看護師を呼ぶ人、地獄図です。

 しかも保健所が来た時だけ、鍵を外し、簡易トイレも隠したのだそうです。

 怖ろしいことですが、もともと精神科は法律で一般の病院よりも、少ない医師、看護師で治療することが認められているそうです。
 少なかった医療スタッフ、しかも精神科医がコロナの治療にあたるわけですから、たまったものではありません。

 ある大規模精神病院の院長が、緑に囲まれた公園のような施設に閉じ込めて、我関せずと精神病院の存在を無視する人々の差別意識が、精神病患者はもちろん、医療スタッフをも苦しめている、と、淡々と、しかし静かな怒りを込めて、話していたのが印象的でした。

 そしてもう一つ驚いたことが。
 世界の精神病入院患者の2割を、わが国が占めているというのです。
 世界の2割。
 なぜそんなことがと思いますが、先にも記したとおり、退院しても行き場がないから、何十年も精神病院に入院し続けるのです。

 私は自身が精神病患者ですから、このような問題に敏感ですが、全く興味が無いひとが多いのだろうと思います。
 まずは一般社会での啓発が重要かと思いますが、難しいでしょうね。
 誰もが自分の生活に汲々としていて、他人のことなど興味がないのですから。
 あまりにも根深い問題だと思います。
 私には、どうしようもありません。
 私もまた、自分の生活に汲々としている、愚かな大衆に過ぎませんから。


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天魔と食う雑煮

2022年01月15日 | 文学

 正月に雑煮を食わなくなってどれくらい経つでしょう。
 おそらく10年どころではありません。

 同居人は雑煮が嫌いで、元旦の朝はもっぱら私が作っていました。
 きちんと昆布と鰹から出汁を取り、鶏肉などを入れて醤油で味付けした、本格の雑煮です。
 私はその出来に満足し、雑煮を旨く感じていました。
 しかし同居人は、申し訳程度に餅を一つだけ食い、汁を啜ると早々に食事を終えるのでした。

 これでは面白かろうはずもありません。

 じつは私も、餅はそんなに好まないので、正月の雑煮を止めてしまいました。
 毎年餅を喉に詰まらせて死ぬ愚か者がいます。
 命がけで食うような代物ではあるまいと、自分に言い訳をして。

 で、元旦から普通に白飯を食うようになりました。
 そうなってみると、なぜあれほど力を入れて雑煮を作っていたのかと、自分が滑稽に感じられるようになりました。

 雑煮食う 天魔のごとき 男らと

 猫鮫先生(小説家、小林恭二の雅号)の俳句です。

 様々な解釈が可能で、うら若い乙女が荒くれ男どもと雑煮を食う様子、と解く者もいれば、帰省した倅たちが雑煮をがっついて食っている、と解いた人もいます。
 甚だしきに至っては、暴力団に囚われた社長が、正月だけは縄を解かれて天魔のごときヤクザ者たちと雑煮を食っている図、と解いた人があって、そこまで言われれば猫鮫先生も嬉しかろうと思います。

 雑煮の起源については、私は寡聞にして知りませんが、日本人が儀式のように食してきたことは事実。
 面倒だとか嫌いだからとかいう理由で止めるようなものではありませんが、わが家で雑煮を食うことは二度とないでしょう。

 二度とないであろうからこそ、上出の句に接して、感慨深いものがあります。
 天魔のごとき男らと食う雑煮、旨いのか、味わうこともできないほど恐ろしいのか。

 雑煮を捨てた我らこそ、雑煮を食うには天魔のごとき連中に脅されない限り無理でしょう。
 それならば、天魔とは、雑煮の化身か妖精でなければなりますまい。

 捨てたとは言うものの、化身か妖精に促されて、私が作ったものではない、どこからとも知れず現れた旨い雑煮を、一生に一度だけ食してみたいと思うのは、わが国の民として、ふざけた料簡でしょうか。 


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迷妄の森

2022年01月14日 | 精神障害

 今日は休暇を取りました。
 役所に障害者自立支援の手帳更新に行くためです。
 この手帳が交付されると、精神科の診察代と薬の処方費が1割負担になるのです。
 通常、3割負担ですから、長く通うと馬鹿になりません。 

 私はうつが酷かった頃、希死念慮に悩まされていました。
 平たく言えば、死にたくて仕方ないのです。
 うつ病は自殺率が極めて高い病気ですから、私もまた、死と生の堺を、塀の上を歩くようにして彷徨っていたわけです。
 この塀の、生の側に落ちたから、今こうしてブログを更新できているのです。
 死の側に落ちれば私は安楽にあの世でまどろんでいたでしょう。

 生の側に落ちるのと、死の側に足を踏み外すことと、どちらが楽なんでしょうね。
 生きている私は、いっそ死の側に落ちれば良かったのに、と思うことがあります。
 生きるということはしんどいですから。
 
 「男はつらいよ」で、満男に、「人間何のために生きているんだろう」と問われた寅さんが、「あぁ、生きてて良かったと思うことがたまにあるだろう、そのために生きているんじゃないのか」と応える場面があり、鮮明に覚えています。 

 生きてて良かったと思うことは、今の私にはありません。
 好きなホラーやサスペンスなどの映画を観ても、優れた文学作品に接しても、どこか生きていることが苦痛です。
 
 長い病気休暇から復帰してもう12年くらいになりますが、今も、弱い希死念慮は常に私を苦しめます。
 全く因業な病に罹患したものです。

 一方、躁状態にあった時は、自分が神様にでもなったように錯覚し、高揚した気分のまま、無駄遣いをしたり、使い物にならない駄文を書き散らしたりしました。
 その時はうつ病から解放されたと思いましたが、精神科医にそれは双極性障害という病気だと諭され、躁を抑える薬を飲むことになり、今も飲んでいます。
 最初うつ病と診断され、その後躁状態が現れて、双極性障害に病名が変わることはよくあるそうです。

 しかも面白いことに、うつ病の人の脳波と、双極性障害のうつ状態にある人の脳波は全く異なるのだそうで、近いように見えて違う病気なのだと実感します。

 リワークプログラムに通っていた頃、私と同じ双極性障害の人が何人かいて、明らかに華やかな印象を受けました。
 きっと私もそうだったのでしょうね。

 この病気を発症したのが36歳の時。
 今、52歳になりましたが、完治ということはありません。

 ほぼ症状が抑えられている寛解という状態になってずいぶん経ちますが、いつ再発してもおかしくない病気だそうで、完治するということはあり得ないのだそうです。
 一生、付き合っていかなければなりません。
 そのために障害者自立支援の手帳が交付されているわけです。

 双極性障害、じつはわりと多く、田中角栄や北杜夫などがそうだったとか。
 他にもきっとたくさんいるのでしょうね。

 患者としては、軽い躁状態にあるのが気持ちが良いのですが、医師は軽いうつ状態にあるほうが健康だと言います。
 躁状態になると、喧嘩っ早くなったり、無駄遣いをしたりするので、生活が破綻することが多いそうです。

 幸い、躁エピソードは一回しか経験していません。
 しかし一回でも躁エピソードが現れれば、それはうつ病ではなくて、双極性障害なのだとか。

 私としては、弱いながらも希死念慮に悩まされ続ける軽いうつ状態よりも、万能感にあふれる躁状態にあるほうが気持ちが良いのですが、根が真面目な私は、医師の処方どおり、躁を抑える薬とともに、うつを抑える薬をきちんと飲んでいます。
 ただし、この病気、抗うつ薬が使えません。
 躁転の危険があるからです。
 そのため、抗うつ薬の代わりに、主に統合失調症に処方される、気分を安定させる薬を飲んでいます。

 そのおかげで、一見健康に見えるかもしれません。

 しかし私は今も、迷妄の森を彷徨っています。
 この森から抜け出す日が来るのでしょうか。   


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新成人の皆様へ

2022年01月10日 | 文学

 今日は成人の日なのですね。
 コロナのために式典を中止する自治体もあったとか。
 新成人の皆様にはお気の毒です。

 由来は、かつて元服の儀を行う日だったからだそうです。
 もっとも、昔の元服は数えで15歳と言いますから、今でいえば中学生。
 ほんの子供だったのですね。

 数年前まで、大人になったことを祝うはずの式典で、自ら子供であると主張するような、蛮行が流行っていました。
 首長の挨拶を妨害したり、大酒をくらって安い着物姿で町を練り歩いたり。
 それは新成人のほんの一部でしょうが、目立つので、みんながみんなそうであるような錯覚を覚えました。
 特に沖縄は酷くて、中学時代の仲間が同じ着物を着て、別の着物を着た=べつの中学の同級生といざこざを起こしたり。
 しかしもう子供だとは認められないお馬鹿さんたちは逮捕されて実名で報道されたりして、やっと成人たるの自覚を持ったことでしょう。

 あれは高知県だったでしょうか。
 逮捕された倅たちを、未熟な者が行ったことゆえ、許してほしい、と親が何組も市庁舎に嘆願に行き、当然ながら拒否される、というニュースを見て、溜飲が下がったことを思い出します。

 それが大人になるということです。
 少年院ではなく、刑務所に入れられるということ。
 少年院は更生を主たる目的としますが、刑務所は更生以上に、罰を与える 場。

 振り返ってみると、新成人を迎えた時、私は大学生でした。
 男子大学生で成人式に出席する者は、ごくわずかでした。
 女子大生は振袖が着たいのか、わりと出席したようです。

 もちろん私は出席しませんでした。
 本来の成人の日は20歳の誕生日であるはずで、学年暦で成人の日を祝うのは奇妙だと思ったからです。
 
 そしてまた、20歳という年頃は、人生で最も美しい時。
 その眩さに、中年のおじさんは自身の若い頃を省みて、自分は成人してから30年以上、何事も為さなかったのではないかと、後悔の念に駆られます。

 その子二十(はたち) 櫛に流るる黒髪の おごりの春の 美しきかな 

 「みだれ髪」に見られる与謝野晶子の短歌です。
 二十歳を迎えた女性が黒髪を梳く青春の美しさを賛美したものと思われます。

 男も女も、誰もが二十歳の頃は美しい。
 見た目だけではなく、無限に広がる将来への希望に燃える姿が美しい。

 そして多くの新成人は、年を経るごとに、少しづつ諦めることを覚え、疲れた中年になり、さらには老人へと衰えていくのでしょう。

 「泥棒日記」で有名なフランスの作家、ジャン・ジュネは同性愛者でしたが、若いころは大層な美少年で、多くの大人の男性に可愛がられたそうですが、老いて後は、美少年を可愛がることしか出来なくなった、可愛がられていた昔が懐かしい、というような意味のことを書き記しています。

 若さは永遠ではないことを痛感したのでしょうね。

 思い返してみると、私も20代の頃は、年上の男性からも女性からも、可愛がられたというか、おちょくられていたというか、とにかくちょっかいをだされました。
 その時は面倒くさいと思っただけだけでしたが、今思うと、それも輝かしい思い出です。

 新成人の皆様には、夢をあきらめるな的は、陳腐な言葉を贈る気はさらさらありません。
 夢が叶わないと知った時、平凡でもまっとうな社会人として生きることを目指してほしいと思います。
 
 夢や野望というもの、ほとんどの人は叶わないのですから。


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衰え

2022年01月09日 | 精神障害

 昨日は出勤しました。
 週明け火曜日、午前に一本、午後に一本、私が担当の会議があり、その資料作りが間に合わなかったので。
 それでも今週はマシです。
 今日、明日とお休みですから。

 疲れていたのか、午前11時まで寝てしまいました。
 その後軽い朝昼兼用の飯を食って、内科に行きました。
 コレステロールを下げる薬をもらうためです。
 この内科、日曜日も午前だけ診察を行っています。
 ありがたいかぎりです。

 近頃、言葉がうまく発せられなくなってきました。
 若いころは弁舌さわやかで、私とは絶対に差しで話をしない上司がいました。
 変に説得力があって、言いくるめられてしまうからだそうです。

 久米宏が、かつてニュース・ステーションを降板する際、「思うように言葉が出てこなくなった」と言っていたのを思い出します。
 
 相手を説得する能力に長けていた私が、まさか言葉に詰まるようになるとは思っていませんでした。

 これも加齢による衰えでしょうか。

 加齢による衰えをカバーするのは経験だと思います。
 30年も働いていれば、嫌でも知恵がついてきます。
 しかし私は、その経験すら生かせずにいます。

 昔は好きだった車の運転が怖くなりました。
 部下が陰で悪口を言っているのではないかと、部下も怖くなりました。
 炭酸リチウムという躁を抑える薬の副作用で手が震えるようになり、それを指摘されるのが怖くなりました。
 
 色々と怖いことが増えてきて、これも加齢による衰えでしょうか。

 私は予定日より二か月早く生まれた未熟児でした。
 何事もせっかちなのは、生まれてきた瞬間から運命づつけられていたのかもしれません。 
 加齢による衰えまでせっかちになるなんて、滑稽なものです。

 まだ定年まで8年あります。
 そのうえおそらく、65歳まで定年延長になることは必定で、そうすると13年もあることになります。
 そんなに働けるのか不安です。

 そうかと思うと、同世代で、テニスをやったり水泳をやったり、はたまた詩吟で大声を出したり、元気に遊んで回っている人も多く見かけます。

 そういうことは36歳で精神障害を発症してから、強制引退となりました。

 衰えていくしかない肉体と精神。
 私はこれを拒否するのではなく、観察していきたいと思っています。
 人はどうやって衰えていくのか、見届けたいと思っています。


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2022年01月08日 | 文学

 一昨日は首都圏にひどい雪が降りました。

 朝は曇っていたので、車で行こうかとも思いましたが、午後からみぞれの予報で、ノーマルタイヤを履いている私は、念のため電車で通勤しました。

 これが大当たり。

 首都圏としては大雪と言ってよい、積雪10センチを観測しました。
 これではノーマルタイヤでは走れません。

 路面凍結のため、昨日も電車通勤となりました。
 寒さから、疲労がひどく、帰るなり倒れるように眠ってしまいました。

 子供の頃は雪が降るとワクワクしたものですが、
 大人になると寒いばかりか、通勤に支障をきたすので、雪は大嫌いです。

 わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後

 天武天皇の短歌です。
 自分が住む都に大雪が降ったよ、君が住む大原の古びた里に降るのはもっと後だろう。
 というほどの意味かと思います。

 自分の里に綺麗な大雪が降ったことを自慢した、子供っぽい短歌ですが、どこか微笑ましいですね。

 天皇の歌ですから、雪かきの必要もないし、出勤もしなくて良い、高貴な人の心境を歌っており、下々の者にはあり得ないものと思います。
 それは現代人も同じこと。
 出勤を必要とするサラリーマンには羨ましい境地です。


 引退したなら、そんな気持ちになれるのでしょうか。
 是非なってみたいものです。

             


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獅子舞と和太鼓

2022年01月02日 | 散歩・旅行

 正月2日。
 朝は10時まで寝ていました。
 朝昼兼用の飯をたっぷりと食い、またもやソファでうとうと。
 このところ食っちゃ寝を繰り返しています。
 正月太りは必至です。

 正月気分を味わいたいと思い、だけど寺社仏閣はどこも混んでいていやなので、和太鼓の演奏と獅子舞を広場で行っているというそごう千葉店に繰り出しました。
 そごうで紳士小物や江戸切子売り場などを冷やかし、広場へ。
 大層な人出で、よく見えなかったのですが、とりあえず獅子に頭を齧ってもらいました。
 これで今年は幸福になれるはずです。

 続いて和太鼓の演奏。
 大変な迫力でした。

 明日で正月休みも終わり。
 実家に挨拶に行く予定です。
 正月休みなんて呆気ないものですね。

 仕事が始まれば怒涛の日々が待っています。

 それに怯えながら明日は一日を過ごすんでしょうね。 
 サラリーマンなんてつまらないものです。


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元旦

2022年01月01日 | その他

 皆様新年明けましておめでとうございます。
 
 新しい年を迎え、千葉市の空は見事に晴れています。
 強風が吹いていますが、雪国の方々の苦労を思えば、なんということもありません。
 元旦の今日は家でのんびり過ごしています。
 朝、お屠蘇を飲んでから、そのまま朝酒に突入。
 当然ながら朝酒は昼酒になり、勢いあまって夜酒となります。
 正月の私は、もはや酒粕です。

 去年は江戸川区の実家に挨拶に行きませんでした。
 もちろん、コロナの影響です。
 江戸川区なんて、千葉県と江戸川を挟んですぐお隣。
 江戸川を渡るくらい構わないかと思いましたが、県境を越えるなの大合唱を受けて、断念した次第です。
 今年は緊急事態宣言が解除されたこともあり、3日に挨拶に行く予定。
 甥や姪にお年玉をあげるために行くようなものですが、私も子供の頃は親戚が来るとお年玉がもらえるということで、叔父や叔母が来るのは嬉しかったものです。

 父が生きていた頃は、毎年親族一同うちそろって宴会を開くのが元旦恒例の行事でしたが、それも無くなりました。
 その頃は面倒くさいと思っていましたが、今になって、年に一度、親族が揃うのも悪くなかったと思います。 

 三が日が過ぎれば仕事始め。
 6日なんて短いものです。

 今年の目標は節酒ですかねぇ。
 でも毎年そんなことを思っているのです。


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