今日は仕事帰りにスバルの営業所へ行き、1カ月点検を済ませました。
走行距離は850キロ。
一般に、1カ月1,000キロと言いますから、若干、走行距離が短いようです。
点検に1時間くらいかかると言われたのですが、35分ほどで終わりました。
特に問題はないとのことでしたが、1カ月点検時は無料でオイル交換をしてくれるとのことで、オイル交換と、タイヤの空気圧の調整くらいしかすることが無かったようです。
洗車もしてもらい、ピカピカになりました。
インプレッサに1カ月乗って感じたのは、とにかく取り回しが楽だということです。
ハンドル操作をするとよく分かるのですが、回転半径が短く、くるくる回る感じです。
それと、2000ccの車にしては出足が早く、もちろん加速も良いということですかねぇ。
さらに、タイヤが同格の車種のなかでは大きく、路面を噛んでいるような感じが伝わってきて、面白いですねぇ。
それを話したら、営業マンは嬉しそうに、インプレッサは3ナンバー車のなかで最も回転半径が短いとかで、下手な5ナンバー車よりよほど小回りが利くとのことでした。
スバルの営業マンが全てそうなのではないでしょうが、私の担当は、スバル入社前からレガシィのマニュアルにしか乗ったことがなく、今もそうなのだとか。
就職時、トヨタも受けたが、自分が欲しいと思わない車を売ることを潔しとせず、スバルに入社したそうです。
そのせいか、営業マンだかメカニックだか分からないほど車の性能の話ばかりしたがり、お金の話は苦手なようです。
私がこれまで付き合ってきた、狸揃いの日産の営業マンとはまるで違います。
おそらくトヨタや日産などの大手に比べ、一般向けする車よりも、車好きが好む車作りを旨としてきたのだろうと思います。
最近の報道では、北米市場でスバルが大人気で、売る車が不足気味なんだとか。
販売台数はトヨタや日産より大幅に少ないですが、利益率はトヨタを抜いて世界一になったというニュースもありました。
よく言えば、様々な走りを楽しむ機能を標準装備した男らしい車。
悪く言えば、一般ユーザーには必要ない余計な機能を標準装備し、一般ユーザーを戸惑わせる車と言えるでしょう。
1カ月経って、私は走りを楽しむためだけに標準装備された様々な機能をおっかなびっくり使っている感じですが、走るのが楽しいというのは、23歳の時私が初めて購入した日産のスポーツ・セダン、初代プリメーラ以来ですねぇ。
中年になって走りが楽しい車を買うとは、思ってもいませんでした。
もうおっさんなので無理な走りはできませんが、良い買い物をしたと感じています。
先週に引き続き、月曜日から金曜日まで、しっかり出勤できました。
但し、明後日、日曜日は新宿の某ホールでイベントのため出勤しなければなりません。
韓国人の研究者をたくさん呼んでいます。
去年は中国人でした。
中国人の研究者は持ち時間を過ぎても平気でしゃべり続け、参りました。
韓国に詳しい日本人研究者に聞いたら、韓国人研究者もあまり持ち時間を守るという意識が無いとのことで、思いやられます。
わが国では、学部の演習から、修士、博士と、常に与えられた持ち時間で分かりやすくプレゼンすることを叩きこまれますが、大陸ではその辺、ゆるいようです。
プレゼンが近付いたら、学生同士でプレゼンの予行演習を行い、時間配分や説得力などを互いに批判し合うことを奨励されます。
人様に話を聞いてもらうとはそうしたことです。
まして将来、大学教員などで禄を食み、それで生活の糧を得ようと思うならなおさらです。
人前で話をするのが苦手なら、それこそ噺家に一時的に弟子入りするくらいの覚悟が必要でしょう。
日曜日の振替休日は11日の水曜日と決めました。
その翌週は21日残っている年休のうち1日を消化しようと思っています。
20日間は来年に繰り越せるので、ぴったりです。
平成26年は、精神障害発症以来初めて、繰越の20日+本来の20日=40日の年休でスタートできそうです。
まずはおめでたいことです。
アパルトヘイト(人種隔離政策)という言葉を初めて知ったのは、小学校5年生の頃でしたか。
1980年のことです。
当時、すでに世界は人種差別を、少なくとも表向きは認めないということになっていたので、ひどく驚いた覚えがあります。
さらに、わが国の経済規模が大きいからでしょう、日本国民は名誉白人と呼ばれて白人なみの待遇を受けていると知り、子どもながら激しい憤りを覚えたことを思い出します。
誇り高い日本民族をつかまえて、名誉白人とは何事ですか。
誰が白人なんぞになりたいものですか。
その後、南アフリカで日本国籍を持つ外国人として暮らしていた日本女性が、現地の人と結婚して南アフリカ国籍を取った途端、有色人種として隔離されたことが問題になりましたね。
要は南アフリカ共和国という国は、少数の白人が自国を植民地扱いし、黒人などの有色人種を支配していたというのが現実。
当時南アフリカ政府は、差別ではなく、不測の事態を避けるための隔離だ、と苦しい言い訳をしていました。
敢然と現れたのが、アパルトヘイト撤廃を求める闘士、ネルソン・マンデラ氏。
彼は27年間も投獄されながら信念を貫き、ついにはアパルトヘイトを撤廃させ、黒人初の大統領に就任しました。
その表情は、信念の闘士とは思えない、穏やかなものでした。
そのネルソン・マンデラ氏の訃報が飛び込んできました。
氏の驚嘆すべきところは、全民族融和を説き、白人に対して復讐的な政策を採ることが無かったこと。
後にノーベル平和賞を受賞しましたね。
享年95。
小学生の私を憤慨させたアパルトヘイトを終わらせた偉大な政治家のご冥福を祈ります。