新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

辻 邦生著 『春の戴冠』

2013年01月11日 | 本・新聞小説

Img_1197このところ、ひょんなきっかけで辻邦生氏の本を読み続けています。うんざりするほど長い本ばかりですが、深い感銘と感動と細やかな文体から受けるしみじみとした共感から逃れられないでいます。

舞台が日本であれ、西欧であれ、膨大な資料をよく研究されているようで、時代背景や当時の生活の描写が緻密で、すんなりとイメージできる所が親しみを覚えます。

『背教者ユリアヌス』の次は何を・・・と思っているときに、ちょうどcannellaさんのお薦めがありました。『春の戴冠』です。
これがまた1800ページもありますが、時代はルネサンス、あのボッティチェルリを中心に彼を取り巻く歴史的にも豪華な人物像を浮かび上がらせながら、花のフィレンツェの喜びと苦悩が克明に描き出されています。

時はフィレンツェの15世紀半ば。メディチ家は13世紀に台頭し銀行家として財を蓄えながら、14世紀には銀行業は急成長し、コジモは15世紀前半に強大なメディチ家の基礎を築きます。建築、彫刻、絵画を通じてフィレンツェの街づくりに力を注ぎ、老練な政治家としても辣腕をふるいます。プラトンアカデミーを設立しルネサンスの繁栄へと導き、「祖国の父」と呼ばれます。

その後、孫のロレンツォは15世紀後半のフィレンツェに君臨し、父祖の文化の奨励を受けつぎ拡大させ、周りの都市国家とも安定した関係を結びながら、平和なフィレンツェを30年も維持します。一流の学者や芸術家が集まる宮廷を作り上げ、「豪華王」と呼ばれます。

15世紀の半ばに生まれ、フィレンツェ繁栄の申し子として活躍するボッティチェルリは、当然生まれるべくして生まれた『 春 』、 『 ヴィーナスの誕生 』を描きます。その裏にはフィレンツェ随一の「美しきシモネッタ」の存在と、時代を超えても変わらないで続く「不変の形」を描くことに、苦悩しながら挑戦する画家の深い思いがあります。

なんと、ボッティチェルリがそのシモネッタを描いたものが日本にあるのです。丸紅が所蔵する『美しきシモネッタの肖像』です。その後のボッティチェルリの描く絵の中には、彼女の死後もなお、その美しさをずっと引き継いで行きます。

フィオレンツァ随一の美女と言われる彼女は、一度はマルコ・ヴェスプッチ( 航海者アメリゴ・ヴェスプッチの従弟)と結婚しますが、そのあと離婚しています。
そして、馬上槍試合で美の女王として選ばれ、その時の優勝者ジュリア―ノ( 豪華王ロレンツォの弟)と彼女は恋仲になります。
プラトン・アカデミーの常連、詩人アンジェロ・ポリツィアーノは甘美な花の香りのような二人の恋を歌い上げます。
ボッティチェルリも、この本の進行を務める「私」も、プラトンアカデミーの人たちも、このカップルに敬意を表し、好意的に交流を図ります。

シモネッタは結核で、ほどなくジュリア―ノも反メディチのパッツィ家の陰謀により暗殺され、二人とも若くして世を去ります。そして、これが花の都フィレンツェにひとつの陰りを落とす出来事になります。

ロレンツォの死後、息子ピエロの凡庸さとフランスの侵入にフィレンツェは危機に陥り、市民は怒り狂いピエロを街から追い出します。

こうした爛熟の後の危機に、必然的に表れたのが修道僧サヴォナローラです。彼の実直とも言える説教は、市民の間にはびこる退廃的な雰囲気にマッチしたかのごとく市民の心をつかみます。
サヴォナローラ(本書ではジロラモ)は、華やかな文化とメディチ家に断罪の目を向け、市中の多くの美術品や貴重な本をかき集めて広場に積み上げ、虚飾の焼却を行います。
ボッティチェルリも彼に大きく影響を受け、それまでの古典的な美しさと調和を保つ絵とはうって変わった、精神性があらわに見える固い表現に変わっていきます。( この変化を時系列的に、画集の絵を見ていくとはっきりそれがわかります)

イタリア全土を巻き込んで発展するルネサンス思想の中で、フィレンツェだけがこうした禁欲的な厳しい教えの中にある状態が長く続くはずはありません。
サヴォナローラはローマ教皇をも攻撃し、教皇からは破門されます。市民の間からも反動が起こり、人々はメディチ家の自由な暮らしを懐かしみ、フランス寄りだったサヴォナローラに憎しみを抱き始めます。
まだ力を残していた市議会のメンバーと教皇とが手を組んでサヴォナローラの失脚を謀り、彼がかつて芸術品を焼いたその広場で火刑に処されます。20年ほどでサヴォナローラの暗黒の時代は幕を閉じました。

ボッティチェルリの最後の絵( 多分『神秘の降誕』のことだと思いますが)で、『 ( 人間の運命をフィオレンツィアの形で表す)フィオレンツィアが、ただ十字架を抱いて心から痛悔する時だけに( 自分の一切の虚偽、不正、冷酷を告発する時にのみ)初めて人間の心の美にかなうようになる』としています。
『絵の美しさも、人間が願わしい理想を実現できず、それに無関心なら、何の意味もない』というボッティチェルリの心は、サヴォナローラに傾倒していった彼の絵の変化でした。

レオナルドやラファエロ等は、フィオレンツィアを出て新しい地で芸術の才能を伸ばしていきます。しかし、ボッティチェルリは最終的にはフィレンツェから離れることはできず、新しい手法を学ぶこともしませんでした。時代遅れの手法として、いつしかフィオレンツィアの人からも忘れさられていきました。

この本に出てくる数々の絵を画集で対比しながら読んでいくと、確かに絵の技法も表現も変わっていくのがわかります。個人的にも、『 春 』、『 ヴィーナスの誕生 』が最も美しく穏やかな調和を保っていると思います。

ここに登場する人たちをイメージするために、いくつかの冊子から取り込んでみました。

左の写真・・・コジモ
右の写真・・・黒いマントの横顔の男がジュリアーノ 
         右の茶色のマントの男がボッティチェルリ
( 『 東方三博士の礼拝 』 の部分より ) 

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下の写真左・・・サヴォナローラ ( 厳しい神聖政治を行い芸術の思想を大きく変貌させる)
下の写真右・・・左から フィチーノ ( ロレンツォと交流しながら新プラトン主義を説く)
ポリツィアーノ ( ロレンツォの友人で詩人、彼の詩からヒントを得てシモネッタの肖像を描く)
ピコ・デラ・ミランドラ ( 眉目秀麗な哲学者、のちにサヴォナローラに傾倒)

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この本は、ボッテチェルリの友人で古典学者のフェデリゴが、「私」という形で話を進めていきますが、あまりに多くのことが書かれていてとても書き表すことはできません。

一度目の旅では娘と、二度目は夫と、当時から残る黒い石畳のフィレンツェを歩き回ったことを思い出しながら、フィレンツェという花の都に起きた運命的な出来事を、少しは身近に感じながら読むことができました。

∞-*-∞-*-∞-*-∞-*  ついでに      ∞-*-∞-*-∞-*-∞-*-∞-*-∞-*-∞-*-∞-*-∞

ボッティチェルリが工房で修業をしているときに、7歳年下の若きレオナルドも登場します。
レオナルドは、親方が10種類の絵の具の作り方を教えると、即座に自分で20種類の絵の具を調合できる才能を持っていることが書かれていました。ほかの画家には見い出せない、あの深い抑えた色調は、その稀なる天才の腕から紡ぎだされたものなのです。
ダ・ヴィンチのウフィッツイ美術館の『受胎告知』や、アルテピナコテークの『聖母子』の奥ゆかしく、存在感のある色彩を見ると、ボッティチェリの『受胎告知』も物足りなく感じます。

もう一つ印象的だったこと。『ヴィーナスの誕生』の描き方で悩みぬいて考え出した手法のことです。
まず、板に布を膠で貼り付け、そこに絵を描き、色を塗る段階でヴィーナスの裸体の下地に金箔を塗りこめ、そのあとに肌色を塗ることです。もし板絵だったら、金箔が浮いて上塗りの肌色をはじき飛ばすし、逆に単なる画布なら上塗りの肌色が強くなって、下塗りの金箔の効果がでません。このボッティチェルリが考え出した手法、板と布を一つにして初めて効果が得られるということが、なぜかとても心に残りました。

読み終わったのが大晦日の真夜中の3時。元旦の日の出までに読み終わろうという意図は全くなかったのですが、ついつい面白くてちょうど区切りよく読み終えることができました。

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