未唯への手紙
未唯への手紙
格差と不平等の是正から正義へ
『社会学のエッセンス』より 不平等と正義 社会に構造はあるか
所得格差
戦後日本社会における格差の問題を、所得格差と学歴格差という2つの視点から眺めてみよう。所得格差は、日本社会における人びとの富(富力)の違いを測る1つの指標であるし、学歴格差は、人びとの教育機会および教育達成の違いを測る代表的な指標である。
図11-1には、明治中期以降、約100年間の1人当たり実質国民所得の推移が示されている。図の左側が戦前の推移であり、図の右側は戦後の推移である。図から明らかなように戦前の60年間(1885~1945年)には、国民所得はわずかしか増加していないのに対して、戦後の1955年頃から95年までの40年間に急激に増加している。とくに生活水準が戦前の水準に回復した55年から、73年の第1次オイルショックに至るまでの時期における増加の勢いが急激である。第1次オイルショック以降、わが国は安定成長期に入るのだが、国民所得の増加の勢いがそれほど衰えていないことをこの図は示している。よくいわれるようにあの高度経済成長によって、日本社会は『ゆたかな社会バガルブレイスrゆたかな社会』岩波書店、原著1958年)になったのである。
それでは、「ゆたかな社会」になっていくなかで、所得格差はどのような変化を示したのだろうか。図11-2は、1963年から2015年までのジニ係数(183頁参照)の推移を示したものである。この図から、高度経済成長期に所得格差は急激に縮小したこと、しかし1973年の第1次オイルショック頃から、所得格差は拡大しはじめ、とくに1980年代後半以降徐々に拡大傾向にあり、1990年から2015年までのジニ係数は、2003年、2004年、2005年で低下していることを除けば、ほぼ同じ水準で推移していることがわかる。したがって戦後日本社会は物質的な豊かさを実現していくなかで、富の不平等を縮小していったが、その後、経済的格差が拡大したまま今日に至っているといえる。
学歴格差
図11-3には、戦後の就学率・進学率が示されている。この図から、高等学校進学率も、大学・短期大学進学率も1975年頃まで急激に上昇し、その後徐々に上昇していることが明らかである。高度経済成長の時代は、教育爆発の時代でもあったのである。
高学歴化の趨勢のなかで、学歴格差は縮小していったのであろうか。図11-4は、出身階層別の大学・短期大学進学率を示したものである。この図から注目されるのは、どの出身階層においても、高等教育への進学率は上昇しているのであるが、出身階層間の進学率の差がそのまま維持されていることである。つまり、戦後日本社会において、高学歴化の趨勢がみられたが、出身階層間による格差は維持されたままだったのである。
所得格差と学歴格差という限られた指標からではあるが、戦後日本社会においては、未曾有の高度経済成長によって「ゆたかな社会」が実現され、高等教育への進学率も上昇した。高度経済成長期には、格差も数年にわたって縮小した。しかし第1次オイルショック以降、もしくは1980年代以降、格差は縮小しておらず、とくに経済の領域では拡大気味であることが明らかになった。
平等社会か、格差社会か
このような格差が、今後ずっと続くならば,その格差は人びとによって「不平等」として意味づけられるし、好きな言葉ではないが、「勝ち組」と「負け組」をっくってしまうことにもなる。人生におけるちょっとした「勝ち組」と「負け組」であれば、許容できるかもしれない。しかしその人にとって、取り返しのつかないような「負け」を生みだす社会であってはならないし、「負け組」が敗者復活戦によって、カムバックできるような社会でなければならないのだ。逆に、もし「勝ち組」と「負け組」が世代を超えて継承されるようになるならば、問題は深刻である。このように格差の程度が大きく、不平等が世代を超えて継承される社会は階級社会と呼ぱれて、格差社会とは区別されている。つまり大きい格差が、ちょっとした努力では埋められないような溝になっている社会が階級社会なのだ。階級社会は不平等が構造化された(不平等が埋め込まれた)社会だといってもよい。
19世紀のイギリスにおける労働者階級の生活状態から、将来を予測したマルクスを持ちだす必要はないかもしれないが、格差社会が21世紀的な階級社会をつくりだすとしたら、そのことに警鐘を打ち鴫らすべきであろう。
不平等の是正から正義へ
すでに述べたように これが平等な状態だと直截に定義するのはなかなか難しい。それでは、私たちにできることは何であろうか。社会学的想像力を働かせれば、格差の拡大にともなって、しだいに人びとが不平等だと感じるようになる事象に注目し、不平等を生みだすメカニズムを明らかにし、解決策を提示することはできるはずだ。
もちろん不平等を解消しようとすると、ともすれば、近代産業社会の中核的原理である競争原理を規制したり、人びとの向上心を弱めたりすることになりかねない。不平等の是正と競争原理との両立という難問が立ちはだかっている。また日本社会における不平等問題にこでとりあげた所得格差、学歴格差以外に地域による格差、年齢による格差、性差による格差などがある)を考えるということは、日本人相互の不平等問題のみにとどまらない。しばしば日本社会における日本人と外国人との不平等の問題や、日本をはじめとする先進諸国と開発途上国との格差の問題を考えることへと発展していくのである。
ここで不平等問題のひろがりと大きさを述べたのは、厄介な問題だとして、人びとにこの問題に対する消極的な態度や懐疑的な態度を醸成するためではない。ひとえに不平等の問題が近代社会の構造に、さらには社会の安定化ということに深く関係していることを強調したかったからである。
近代社会におけるこれまでの歴史をふりかえってみると、眼下の不平等を一歩ずつ解決する試みがなされてきたことが明らかになる。社会の不平等や不正を社会問題として提起し、その解決策を考えていくのは、社会学が得意とするところでもある。不平等の是正が、平等という理想への第1歩であるし、正義への道程につながっていることもたしかだ。
不平等の是正から正義へと至る道は、わずかでも記録を縮めようとする短距離ランナーや水泳選手の営みに似ている。どんなに努力しても、100mを7秒台で走ることも、30秒台で泳ぐことも不可能であろう。不平等を是正しかとしても、この世に完全に平等な社会を実現することは不可能なのかもしれない。見果てぬ夢というのが正鵠を得ているかもしれない。しかし100分の1秒でも記録を縮めるために、日夜、おのれの肉体を鍛え上げるアスリートのように前に進む以外ないのだ。ささやかだが、確実な1歩を踏み出すことが、いま、私たちに求められている。
所得格差
戦後日本社会における格差の問題を、所得格差と学歴格差という2つの視点から眺めてみよう。所得格差は、日本社会における人びとの富(富力)の違いを測る1つの指標であるし、学歴格差は、人びとの教育機会および教育達成の違いを測る代表的な指標である。
図11-1には、明治中期以降、約100年間の1人当たり実質国民所得の推移が示されている。図の左側が戦前の推移であり、図の右側は戦後の推移である。図から明らかなように戦前の60年間(1885~1945年)には、国民所得はわずかしか増加していないのに対して、戦後の1955年頃から95年までの40年間に急激に増加している。とくに生活水準が戦前の水準に回復した55年から、73年の第1次オイルショックに至るまでの時期における増加の勢いが急激である。第1次オイルショック以降、わが国は安定成長期に入るのだが、国民所得の増加の勢いがそれほど衰えていないことをこの図は示している。よくいわれるようにあの高度経済成長によって、日本社会は『ゆたかな社会バガルブレイスrゆたかな社会』岩波書店、原著1958年)になったのである。
それでは、「ゆたかな社会」になっていくなかで、所得格差はどのような変化を示したのだろうか。図11-2は、1963年から2015年までのジニ係数(183頁参照)の推移を示したものである。この図から、高度経済成長期に所得格差は急激に縮小したこと、しかし1973年の第1次オイルショック頃から、所得格差は拡大しはじめ、とくに1980年代後半以降徐々に拡大傾向にあり、1990年から2015年までのジニ係数は、2003年、2004年、2005年で低下していることを除けば、ほぼ同じ水準で推移していることがわかる。したがって戦後日本社会は物質的な豊かさを実現していくなかで、富の不平等を縮小していったが、その後、経済的格差が拡大したまま今日に至っているといえる。
学歴格差
図11-3には、戦後の就学率・進学率が示されている。この図から、高等学校進学率も、大学・短期大学進学率も1975年頃まで急激に上昇し、その後徐々に上昇していることが明らかである。高度経済成長の時代は、教育爆発の時代でもあったのである。
高学歴化の趨勢のなかで、学歴格差は縮小していったのであろうか。図11-4は、出身階層別の大学・短期大学進学率を示したものである。この図から注目されるのは、どの出身階層においても、高等教育への進学率は上昇しているのであるが、出身階層間の進学率の差がそのまま維持されていることである。つまり、戦後日本社会において、高学歴化の趨勢がみられたが、出身階層間による格差は維持されたままだったのである。
所得格差と学歴格差という限られた指標からではあるが、戦後日本社会においては、未曾有の高度経済成長によって「ゆたかな社会」が実現され、高等教育への進学率も上昇した。高度経済成長期には、格差も数年にわたって縮小した。しかし第1次オイルショック以降、もしくは1980年代以降、格差は縮小しておらず、とくに経済の領域では拡大気味であることが明らかになった。
平等社会か、格差社会か
このような格差が、今後ずっと続くならば,その格差は人びとによって「不平等」として意味づけられるし、好きな言葉ではないが、「勝ち組」と「負け組」をっくってしまうことにもなる。人生におけるちょっとした「勝ち組」と「負け組」であれば、許容できるかもしれない。しかしその人にとって、取り返しのつかないような「負け」を生みだす社会であってはならないし、「負け組」が敗者復活戦によって、カムバックできるような社会でなければならないのだ。逆に、もし「勝ち組」と「負け組」が世代を超えて継承されるようになるならば、問題は深刻である。このように格差の程度が大きく、不平等が世代を超えて継承される社会は階級社会と呼ぱれて、格差社会とは区別されている。つまり大きい格差が、ちょっとした努力では埋められないような溝になっている社会が階級社会なのだ。階級社会は不平等が構造化された(不平等が埋め込まれた)社会だといってもよい。
19世紀のイギリスにおける労働者階級の生活状態から、将来を予測したマルクスを持ちだす必要はないかもしれないが、格差社会が21世紀的な階級社会をつくりだすとしたら、そのことに警鐘を打ち鴫らすべきであろう。
不平等の是正から正義へ
すでに述べたように これが平等な状態だと直截に定義するのはなかなか難しい。それでは、私たちにできることは何であろうか。社会学的想像力を働かせれば、格差の拡大にともなって、しだいに人びとが不平等だと感じるようになる事象に注目し、不平等を生みだすメカニズムを明らかにし、解決策を提示することはできるはずだ。
もちろん不平等を解消しようとすると、ともすれば、近代産業社会の中核的原理である競争原理を規制したり、人びとの向上心を弱めたりすることになりかねない。不平等の是正と競争原理との両立という難問が立ちはだかっている。また日本社会における不平等問題にこでとりあげた所得格差、学歴格差以外に地域による格差、年齢による格差、性差による格差などがある)を考えるということは、日本人相互の不平等問題のみにとどまらない。しばしば日本社会における日本人と外国人との不平等の問題や、日本をはじめとする先進諸国と開発途上国との格差の問題を考えることへと発展していくのである。
ここで不平等問題のひろがりと大きさを述べたのは、厄介な問題だとして、人びとにこの問題に対する消極的な態度や懐疑的な態度を醸成するためではない。ひとえに不平等の問題が近代社会の構造に、さらには社会の安定化ということに深く関係していることを強調したかったからである。
近代社会におけるこれまでの歴史をふりかえってみると、眼下の不平等を一歩ずつ解決する試みがなされてきたことが明らかになる。社会の不平等や不正を社会問題として提起し、その解決策を考えていくのは、社会学が得意とするところでもある。不平等の是正が、平等という理想への第1歩であるし、正義への道程につながっていることもたしかだ。
不平等の是正から正義へと至る道は、わずかでも記録を縮めようとする短距離ランナーや水泳選手の営みに似ている。どんなに努力しても、100mを7秒台で走ることも、30秒台で泳ぐことも不可能であろう。不平等を是正しかとしても、この世に完全に平等な社会を実現することは不可能なのかもしれない。見果てぬ夢というのが正鵠を得ているかもしれない。しかし100分の1秒でも記録を縮めるために、日夜、おのれの肉体を鍛え上げるアスリートのように前に進む以外ないのだ。ささやかだが、確実な1歩を踏み出すことが、いま、私たちに求められている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
哲学的な何か 論理--言語ゲーム
『哲学的な何か、あと科学とか』より 哲学的な何か
言語ゲーム
ダマされるな! 論理的な話に聞こえても、実は自作自演さ
前の項では、「AはBである」という言葉について、「A=B」という観点で考えてきた。だが、一般的には、「AはBである」は、「AはBに含まれる」という意味で使われることが多い。たとえば、「ボクは人間である」は、「ボク」が「人間」というカテゴリに含まれている、という意味だ。
だが、ちょっと待ってほしい。「ボクが人間というカテゴリに含まれている」となぜそんなことが言えるんだろうか? いったい、何の根拠があって、そんなことを言ってんだろうか?
たとえばだ。脳死した体は人間だろうか? 胎児は人間だろうか? 卵細胞は人間だろうか? と考えてみたとき、そこに「人間」と「人間でないもの」を分ける明確な境界線などないことに気がつく。
何百年も大昔なら「異教徒は人間ではない」「黒人は人間ではない」という文化を持つ国もあった。これらの言葉にも、「客観的な根拠」なんかない。それは国とか社会とかが、伝統的に「そういうもんです」と「決めつけた」だけである。
これは「ボクは人間である」という言葉に限ったものではない。人間が使っている、あらゆる言葉がそうなのだ。
これは、哲学史最大の言語哲学者であるウィトゲンシュタインの結論でもある。
言葉とは、客観的な根拠によって成りたっておらず「伝統的文化的に決められた生活様式というルール」を根拠として述べているにすぎない。このことをウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」と表現した。
「ボクは人間である」という一見正しそうな言葉でさえ、客観的な根拠を持たず、それを「正しい」としているのは、伝統的文化的なルール、つまり「決めつけ」である。
だから、ある言葉の根拠を示そうとして、いくら言葉を尽くそうとも、その説明のための言葉すら、根拠のないルールをもとに述べられているにすぎない。そうすると、言葉を使って論理的に何かを述べたと思っていても、その正しさの根拠は結局のところ「決めつけ」によるものである。
自分自身で決めたルールの中で、自分自身を正しいとしているのであるから、つまるところ「論理」というものは、「自作自演」なのだ。
イデア論
あなたは「三角形」を見たことがありますか?
「線」って見たことありますか?
あると答えた人、「ほお~、そうかい、そうかい、じゃあ今すぐオレに『線』を見せてみろ、オラァ!」と問いつめさせてもらいます。
「線なんて、すぐ見せられるよ」と言って、紙に、鉛筆で線を描いた人、「もっとじっくり見てみろ! 幅があんだろ! 幅があったら、線じゃねえじゃん!」と、あなたの頭をつかんで紙に押しつけさせてもらいます。
そうなんです。「線」って誰も見たことないんです。ていうか、見られない。視覚的には、幅がないと見られないけど、そもそも幅があったら線じゃない。
同様に、「点」も「面」も見られない。「三角形」も「四角形」も見られない。世の中には見えないものがたくさんあるんです。
三角形の石を見ても、それはあくまで「三角形っぽい石」であって、実際には三角形ではない。よく見りや、角が丸まっていたり、ちょっと歪んでいたり……。理想的で完璧な「定義どおりの三角形」を見ることは絶対にできない。
とすると、問題は、
「じゃあ、なんで、見たこともないのに、オレらは『三角形』というものを頭の中で思い浮かべることができるのか?」
ということになる。
こういう問題について、紀元前400年くらいに、プラトンという人が考えた。プラトンさんは大胆だった。
『三角形』という観念的なものが、どこかに『存在する』んだよ」と主張したのだ。
この「観念的なもの」を「イデア」(ギリシャ語で「姿形、原型」)、イデアが存在する観念の世界を「イデア界」と名づけた。
プラトンはこう考えた。
人間は、現実世界の「デコボコの三角形っぽい石」を見ているとき、頭の中で「完璧な三角形」を思い浮かべて、「三角形だ」と言う。この「三角形」は、厳密で完璧な三角形であり、つまり「三角形のイデア」である。
ようは、「三角形っぽい石」を見るときに、「三角形のイデア」も同時に見ており、ゆえに「三角形」だと認識できるのである。
そして、「デコボコの三角形っぽい石」はいくらでも破壊することができるが、イデア界の「三角形」は壊すことができない。したがって、現実の世界にある存在よりも、イデア界にある存在こそが、普遍的で本質的な存在なのである。
う~む、紀元前の人なのに、よくここまで考えたね~と感心します。
「私は、見たものしか信じません!」という人だって、「三角形」がどんなものか理解している。見たこともないくせに……。
改めて考えると、不思議なことじゃありませんか?
言語ゲーム
ダマされるな! 論理的な話に聞こえても、実は自作自演さ
前の項では、「AはBである」という言葉について、「A=B」という観点で考えてきた。だが、一般的には、「AはBである」は、「AはBに含まれる」という意味で使われることが多い。たとえば、「ボクは人間である」は、「ボク」が「人間」というカテゴリに含まれている、という意味だ。
だが、ちょっと待ってほしい。「ボクが人間というカテゴリに含まれている」となぜそんなことが言えるんだろうか? いったい、何の根拠があって、そんなことを言ってんだろうか?
たとえばだ。脳死した体は人間だろうか? 胎児は人間だろうか? 卵細胞は人間だろうか? と考えてみたとき、そこに「人間」と「人間でないもの」を分ける明確な境界線などないことに気がつく。
何百年も大昔なら「異教徒は人間ではない」「黒人は人間ではない」という文化を持つ国もあった。これらの言葉にも、「客観的な根拠」なんかない。それは国とか社会とかが、伝統的に「そういうもんです」と「決めつけた」だけである。
これは「ボクは人間である」という言葉に限ったものではない。人間が使っている、あらゆる言葉がそうなのだ。
これは、哲学史最大の言語哲学者であるウィトゲンシュタインの結論でもある。
言葉とは、客観的な根拠によって成りたっておらず「伝統的文化的に決められた生活様式というルール」を根拠として述べているにすぎない。このことをウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」と表現した。
「ボクは人間である」という一見正しそうな言葉でさえ、客観的な根拠を持たず、それを「正しい」としているのは、伝統的文化的なルール、つまり「決めつけ」である。
だから、ある言葉の根拠を示そうとして、いくら言葉を尽くそうとも、その説明のための言葉すら、根拠のないルールをもとに述べられているにすぎない。そうすると、言葉を使って論理的に何かを述べたと思っていても、その正しさの根拠は結局のところ「決めつけ」によるものである。
自分自身で決めたルールの中で、自分自身を正しいとしているのであるから、つまるところ「論理」というものは、「自作自演」なのだ。
イデア論
あなたは「三角形」を見たことがありますか?
「線」って見たことありますか?
あると答えた人、「ほお~、そうかい、そうかい、じゃあ今すぐオレに『線』を見せてみろ、オラァ!」と問いつめさせてもらいます。
「線なんて、すぐ見せられるよ」と言って、紙に、鉛筆で線を描いた人、「もっとじっくり見てみろ! 幅があんだろ! 幅があったら、線じゃねえじゃん!」と、あなたの頭をつかんで紙に押しつけさせてもらいます。
そうなんです。「線」って誰も見たことないんです。ていうか、見られない。視覚的には、幅がないと見られないけど、そもそも幅があったら線じゃない。
同様に、「点」も「面」も見られない。「三角形」も「四角形」も見られない。世の中には見えないものがたくさんあるんです。
三角形の石を見ても、それはあくまで「三角形っぽい石」であって、実際には三角形ではない。よく見りや、角が丸まっていたり、ちょっと歪んでいたり……。理想的で完璧な「定義どおりの三角形」を見ることは絶対にできない。
とすると、問題は、
「じゃあ、なんで、見たこともないのに、オレらは『三角形』というものを頭の中で思い浮かべることができるのか?」
ということになる。
こういう問題について、紀元前400年くらいに、プラトンという人が考えた。プラトンさんは大胆だった。
『三角形』という観念的なものが、どこかに『存在する』んだよ」と主張したのだ。
この「観念的なもの」を「イデア」(ギリシャ語で「姿形、原型」)、イデアが存在する観念の世界を「イデア界」と名づけた。
プラトンはこう考えた。
人間は、現実世界の「デコボコの三角形っぽい石」を見ているとき、頭の中で「完璧な三角形」を思い浮かべて、「三角形だ」と言う。この「三角形」は、厳密で完璧な三角形であり、つまり「三角形のイデア」である。
ようは、「三角形っぽい石」を見るときに、「三角形のイデア」も同時に見ており、ゆえに「三角形」だと認識できるのである。
そして、「デコボコの三角形っぽい石」はいくらでも破壊することができるが、イデア界の「三角形」は壊すことができない。したがって、現実の世界にある存在よりも、イデア界にある存在こそが、普遍的で本質的な存在なのである。
う~む、紀元前の人なのに、よくここまで考えたね~と感心します。
「私は、見たものしか信じません!」という人だって、「三角形」がどんなものか理解している。見たこともないくせに……。
改めて考えると、不思議なことじゃありませんか?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
哲学対話と学びの共同性
『「ラーニングフルエイジング」とは何か』より 老いと学びの共同性
2013年以来、私は東京大学駒場キャンパスにある「共生のための国際哲学研究センター(UTCP)」で「Philosophy for Everyone (哲学をすべての人に)」というプロジェクトを進めてきました。これは「子どものための哲学(Philosophy for Children)」の中心的手法となっている「哲学対話」を、子どものみならず、その名のとおり、あらゆる人に開いていくプロジェクトです。そしてこれまで、大学のキャンパスでイベントとして行う以外にも、学校や都市の地域コミュニティ、農村など、さまざまな場で、いろいろな人たちとともに哲学対話を実践してきました。
ここで言う「哲学」は、いわゆる大学で専門分野の一っとして学ぶような文献を読んで一人一人が思索を深めていくものとは大きく異なります。また「対話」とは、議論や話し合いと違って、誰が正しく、誰が間違っているかをはっきりさせたり、何か結論を出すわけでもありません。哲学対話で大切なのは、お互いに問い、語り、聞きながら、他者と共に思考することです。そうやって物事や相互の理解を深めたり、違った視点から考えたり、背景や前提を探るのです。
その特徴をさらに詳しく知るためには、哲学対話のルールを見るのがいいと思います。それは以下のようなものです。
①何を言ってもいい。
②否定的な発言はしない。
③発言せずに、ただ聞いて考えているだけでもいい。
④お互いに問いかける。
⑤誰かが言ったことや本に書いてあることではなく、自分の経験から話す。
⑥結論が出なくても、話がまとまらなくてもいい。
⑦わからなくなってもいい。
ここで重要なのは「発言と思考の自由」と、それを支える「知的安心感」、「参加者の多様性」です。
まず「発言と思考の自由」」に関わるのは、ルール①「何を言ってもいい」です。すなわち、どんな問いであれ思いであれ、言うことが許されて初めて、私たちは自由に考えることができる、ということです。
私はこれまで、さまざまな場所で対話をしてきましたが、世の中で本当に「何を言ってもいい」場というのは、ほとんどありません。特に学びの場であるはずの学校においてはそうです。そこでは、先生の意に沿うこと、すなわち正しいこと、いいこと、その場にふさわしいことを言うように教えられます。先生の意に沿わない間違ったこと、悪いこと、関係のないことを言えば、注意され、怒られ、笑われ、否定され、あるいは無視されます。最終的には何であれ「わかりました」と言うことが良しとされるのです。
しかしそうやって自らの疑問を押し殺し、外にある枠組みに自分をはめ込むことで、子どもたちは考えないように習慣づけられていきます。それに反発する子もいますが、正しいこと、いいこと、先生の気に入りそうなことの基準は同じで、それに反発しているだけで、そこに自由はないのです。
日本の学校教育に特徴的な「教えられることを身につける」という受動的な学びは、「生涯教育」に至るまで、多かれ少なかれこのような性格をもっています。それは結局、発言と思考の自由を許容しないものであり、この特徴は社会人になってからも同じか、むしろ強化されます。
親密な間柄であれば、何でも話せるかというと、そうでもありません。長く続いている関係では、役割が固定していて、自分らしくない発言はできません。今さら聞けないこともあります。相手のことを思って、言わないこともあるでしょう。そうした配慮じたいは悪いわけではなく、他人とともに生きていくうえで必要なことでもあります。しかし「何を言ってもいい」わけではないことには変わりないのです。
次に「知的安心感」と関連するのが、ルール②「否定的な発言をしない」であり、これが「何を言ってもいい」ことを保証します。私たちはしばしば、自分の発言が人から否定されるのではないか、受け止めてもらえないのではないかという不安から、言いたいことを言いません。逆に否定されないとわかっていれば、安心してどんなことでも言えるし、考えられます。ルール③「発言せずに、ただ聞いているだけでもいい」も、安心感につながります。私たちは、発言を強いられることもよくあります。それでいて何か言えば、否定されたり、ちゃんと聞いてもらえなかったりします。実際には、発言しない自由がなければ、発言する自由もないのです。
こうした「安心感」をたんなる気楽さと区別し、「知的安心感」にするのが、ルール④「お互いに問いかける」です。これにより対話は哲学的になり、共同の探求となります。これは言い換えれば、疑問に思ったら「なぜ?」「どういうこと?」「たとえば?」「本当?」と聞いていいということです。たんに安心して気楽に話ができるということなら、酒やお茶でも飲みながらおしゃべりすればいいでしょう。しかしそのような場で探求はできません。「なぜ?」「どういうこと?」などと聞いていたら、詮索しているか、突っかかっているみたいで、相手は不愉快に思うでしょう。哲学対話では、そうした問いかけが安心してできるのであり、これが「知的安心感」なのです。
次のルール⑤「誰かが言ったことや本に書いてあることではなく、自分の繩験に即して話す」は、参加者が対等に話すのを可能にします。他の人の意見や本に書いてあること、つまり外から仕入れた知識は、権威づけに使われます。そうすると、知識が多い人ほど有利になり、話すべき人と聞くべき人に分かれてしまい、自由な発言ができなくなります。しかし自分自身の経験から出発すれば、年齢や教育、職業にかかわらず、それは経験という点で優劣がっけられないため、対等に言いたいことが言えます。しかも自分の経験と結びつけて話をすることが、当事者として物事を考えることを可能にします。
誰もが自分の人生の当事者なのです。にもかかわらず、私たちは自分の問題を人に考えてもらったり、他人の判断や社会が決めた基準に従って自分を理解しようとします。哲学対話においては、自分の問題を自分事として考えます。そしてそれを自分の言葉で語るのです。それは、ささやかではあっても、自分の人生を取り戻すことに他なりません。自分の言葉を獲得すると、人間は自由になれるし、自分で自分の人生に責任が負えるようになるのです。
ルール⑥「結論が出なくても、話がまとまらなくてもいい」は、哲学的な問いには、明確な結論はないので当然でしょう。けれどもそれだけでなく、私たちはしばしば結論を出したり、話をまとめようとして、言いたいこと、聞きたいことを聞かないのです。あるいは、話がまとまらないと、落ち着かない人も多いでしょう。だから、そのような配慮をしないことで、「何を言ってもいい」場が可能になるし、安心して考え、語ることができるのです。
以上のような哲学対話では、「参加者の多様性」がきわめて重要です。通常私たちは、同じような境遇、立場の人で話したほうが、深い話ができると思いがちです。とはいえそれは、専門用語や内輪の言葉を使って、効率よく話をしているだけで、深いとしても、特定の視点から狭いところを掘り下げているにすぎません。しかも、そのような場では、知識が豊富な人の発言力が強くなり、皆が対等に何でも話していい自由がありません。
またそこでは、基本的な前提が問われないため、合意に達しやすくなります。そのため生産的であるような印象まで与えるのですが、実際のところ限定的な結論が出ているだけで、根本的に新しい着想は出にくいのです。他方、参加者の年齢、職業、性別、学歴などが多様であればあるほど、考えていること、感じていることの前提がそれぞれ異なっています。そして上記のように、自分の経験に基づいて話をすることで、お互いに対等な立場で、各自がもっている暗黙の前提におのずと目が向き、考えなおすことになります。
このように当たり前だと思っていることを問うこと、これがまさに哲学なのです。さらに問い、語り、聞きながら、他者と共に考える対話では、お互いを認め合う、相互承認が自ずと起こります。しかもそれは同じであることによる承認ではなく、異なる人たちどうしが、お互いの違いを違うからこそ認め合うのです。「自分の存在を認めてもらえた」「自分が存在していいと感じた」という感想は、哲学対話のイベントでしばしば聞かれる感想です。
このことは、老いにおける学びにおいて、とりわけ重要です。老いの問題は、「できる」から「できない」への変化に深く根ざしています。すでに述べたように、成長と「できる」を基本とする社会では、この変化を十分に受け止められず、「できない」は許容されません。これを、心身の衰えや社会的地位の低下のような個人レベルでの変化として見るのではなく、それぞれの人が他者と共に生きることから捉え直さなければなりません。それは、さまざまな意昧での「できる」と「できない」の差異を認め合うことです。このことは、老いの領域においては、家族との間で、介護者との間で、より社会的にはより若い世代(老老介護に見られるように、高齢者の間でも世代間の問題がある)との間で、しばしば起きる対立や戴語を緩和するのに必要です。そのために対話による共同の学びは、きわめて重要な場となるでしょう。
もう一つ、対話による学びには大きな利点があります。それは、いっしょに問い、考えることは、とにかく楽しく心地いいということです。これまでさまざまなところで哲学対話をしてきてよく思うのですが、誰もが話すこと、聞くこと、考えることで、普段では味わえない充実感、幸福感、解放感を味わっているようです。福島の郡山で行った対話で、ある70歳をすぎた女性が「こんな幸せを感じたのは人生ではじめてだ」と言っていました。現在多摩ニュータウンの百草団地で行っている高齢者の寄合所では、そこに普段から出入りしている人たちと、若い人が数人混じって、1ヵ月に一度対話の場を作っていますが、そこでもみな、ときに難しい顔をして考えながらも、一様に生き生きと語っています。
上で相互承認について書きましたが、みんな自分を認めてほしいのです。それが互いに満たされると、相手をそのまま受け入れられます。しかもそれは、何も言わずただ黙認するのはなく、お互いに問い、考え、理解し合うことではじめて可能になるのです。考えることが楽しい、疑問をもつのが楽しい、好奇心がふくらみ、いろんな物事、周りの人々のことを知りたいと思う--しかも他者とともに。それが学びの基本ではないでしょうか。
2013年以来、私は東京大学駒場キャンパスにある「共生のための国際哲学研究センター(UTCP)」で「Philosophy for Everyone (哲学をすべての人に)」というプロジェクトを進めてきました。これは「子どものための哲学(Philosophy for Children)」の中心的手法となっている「哲学対話」を、子どものみならず、その名のとおり、あらゆる人に開いていくプロジェクトです。そしてこれまで、大学のキャンパスでイベントとして行う以外にも、学校や都市の地域コミュニティ、農村など、さまざまな場で、いろいろな人たちとともに哲学対話を実践してきました。
ここで言う「哲学」は、いわゆる大学で専門分野の一っとして学ぶような文献を読んで一人一人が思索を深めていくものとは大きく異なります。また「対話」とは、議論や話し合いと違って、誰が正しく、誰が間違っているかをはっきりさせたり、何か結論を出すわけでもありません。哲学対話で大切なのは、お互いに問い、語り、聞きながら、他者と共に思考することです。そうやって物事や相互の理解を深めたり、違った視点から考えたり、背景や前提を探るのです。
その特徴をさらに詳しく知るためには、哲学対話のルールを見るのがいいと思います。それは以下のようなものです。
①何を言ってもいい。
②否定的な発言はしない。
③発言せずに、ただ聞いて考えているだけでもいい。
④お互いに問いかける。
⑤誰かが言ったことや本に書いてあることではなく、自分の経験から話す。
⑥結論が出なくても、話がまとまらなくてもいい。
⑦わからなくなってもいい。
ここで重要なのは「発言と思考の自由」と、それを支える「知的安心感」、「参加者の多様性」です。
まず「発言と思考の自由」」に関わるのは、ルール①「何を言ってもいい」です。すなわち、どんな問いであれ思いであれ、言うことが許されて初めて、私たちは自由に考えることができる、ということです。
私はこれまで、さまざまな場所で対話をしてきましたが、世の中で本当に「何を言ってもいい」場というのは、ほとんどありません。特に学びの場であるはずの学校においてはそうです。そこでは、先生の意に沿うこと、すなわち正しいこと、いいこと、その場にふさわしいことを言うように教えられます。先生の意に沿わない間違ったこと、悪いこと、関係のないことを言えば、注意され、怒られ、笑われ、否定され、あるいは無視されます。最終的には何であれ「わかりました」と言うことが良しとされるのです。
しかしそうやって自らの疑問を押し殺し、外にある枠組みに自分をはめ込むことで、子どもたちは考えないように習慣づけられていきます。それに反発する子もいますが、正しいこと、いいこと、先生の気に入りそうなことの基準は同じで、それに反発しているだけで、そこに自由はないのです。
日本の学校教育に特徴的な「教えられることを身につける」という受動的な学びは、「生涯教育」に至るまで、多かれ少なかれこのような性格をもっています。それは結局、発言と思考の自由を許容しないものであり、この特徴は社会人になってからも同じか、むしろ強化されます。
親密な間柄であれば、何でも話せるかというと、そうでもありません。長く続いている関係では、役割が固定していて、自分らしくない発言はできません。今さら聞けないこともあります。相手のことを思って、言わないこともあるでしょう。そうした配慮じたいは悪いわけではなく、他人とともに生きていくうえで必要なことでもあります。しかし「何を言ってもいい」わけではないことには変わりないのです。
次に「知的安心感」と関連するのが、ルール②「否定的な発言をしない」であり、これが「何を言ってもいい」ことを保証します。私たちはしばしば、自分の発言が人から否定されるのではないか、受け止めてもらえないのではないかという不安から、言いたいことを言いません。逆に否定されないとわかっていれば、安心してどんなことでも言えるし、考えられます。ルール③「発言せずに、ただ聞いているだけでもいい」も、安心感につながります。私たちは、発言を強いられることもよくあります。それでいて何か言えば、否定されたり、ちゃんと聞いてもらえなかったりします。実際には、発言しない自由がなければ、発言する自由もないのです。
こうした「安心感」をたんなる気楽さと区別し、「知的安心感」にするのが、ルール④「お互いに問いかける」です。これにより対話は哲学的になり、共同の探求となります。これは言い換えれば、疑問に思ったら「なぜ?」「どういうこと?」「たとえば?」「本当?」と聞いていいということです。たんに安心して気楽に話ができるということなら、酒やお茶でも飲みながらおしゃべりすればいいでしょう。しかしそのような場で探求はできません。「なぜ?」「どういうこと?」などと聞いていたら、詮索しているか、突っかかっているみたいで、相手は不愉快に思うでしょう。哲学対話では、そうした問いかけが安心してできるのであり、これが「知的安心感」なのです。
次のルール⑤「誰かが言ったことや本に書いてあることではなく、自分の繩験に即して話す」は、参加者が対等に話すのを可能にします。他の人の意見や本に書いてあること、つまり外から仕入れた知識は、権威づけに使われます。そうすると、知識が多い人ほど有利になり、話すべき人と聞くべき人に分かれてしまい、自由な発言ができなくなります。しかし自分自身の経験から出発すれば、年齢や教育、職業にかかわらず、それは経験という点で優劣がっけられないため、対等に言いたいことが言えます。しかも自分の経験と結びつけて話をすることが、当事者として物事を考えることを可能にします。
誰もが自分の人生の当事者なのです。にもかかわらず、私たちは自分の問題を人に考えてもらったり、他人の判断や社会が決めた基準に従って自分を理解しようとします。哲学対話においては、自分の問題を自分事として考えます。そしてそれを自分の言葉で語るのです。それは、ささやかではあっても、自分の人生を取り戻すことに他なりません。自分の言葉を獲得すると、人間は自由になれるし、自分で自分の人生に責任が負えるようになるのです。
ルール⑥「結論が出なくても、話がまとまらなくてもいい」は、哲学的な問いには、明確な結論はないので当然でしょう。けれどもそれだけでなく、私たちはしばしば結論を出したり、話をまとめようとして、言いたいこと、聞きたいことを聞かないのです。あるいは、話がまとまらないと、落ち着かない人も多いでしょう。だから、そのような配慮をしないことで、「何を言ってもいい」場が可能になるし、安心して考え、語ることができるのです。
以上のような哲学対話では、「参加者の多様性」がきわめて重要です。通常私たちは、同じような境遇、立場の人で話したほうが、深い話ができると思いがちです。とはいえそれは、専門用語や内輪の言葉を使って、効率よく話をしているだけで、深いとしても、特定の視点から狭いところを掘り下げているにすぎません。しかも、そのような場では、知識が豊富な人の発言力が強くなり、皆が対等に何でも話していい自由がありません。
またそこでは、基本的な前提が問われないため、合意に達しやすくなります。そのため生産的であるような印象まで与えるのですが、実際のところ限定的な結論が出ているだけで、根本的に新しい着想は出にくいのです。他方、参加者の年齢、職業、性別、学歴などが多様であればあるほど、考えていること、感じていることの前提がそれぞれ異なっています。そして上記のように、自分の経験に基づいて話をすることで、お互いに対等な立場で、各自がもっている暗黙の前提におのずと目が向き、考えなおすことになります。
このように当たり前だと思っていることを問うこと、これがまさに哲学なのです。さらに問い、語り、聞きながら、他者と共に考える対話では、お互いを認め合う、相互承認が自ずと起こります。しかもそれは同じであることによる承認ではなく、異なる人たちどうしが、お互いの違いを違うからこそ認め合うのです。「自分の存在を認めてもらえた」「自分が存在していいと感じた」という感想は、哲学対話のイベントでしばしば聞かれる感想です。
このことは、老いにおける学びにおいて、とりわけ重要です。老いの問題は、「できる」から「できない」への変化に深く根ざしています。すでに述べたように、成長と「できる」を基本とする社会では、この変化を十分に受け止められず、「できない」は許容されません。これを、心身の衰えや社会的地位の低下のような個人レベルでの変化として見るのではなく、それぞれの人が他者と共に生きることから捉え直さなければなりません。それは、さまざまな意昧での「できる」と「できない」の差異を認め合うことです。このことは、老いの領域においては、家族との間で、介護者との間で、より社会的にはより若い世代(老老介護に見られるように、高齢者の間でも世代間の問題がある)との間で、しばしば起きる対立や戴語を緩和するのに必要です。そのために対話による共同の学びは、きわめて重要な場となるでしょう。
もう一つ、対話による学びには大きな利点があります。それは、いっしょに問い、考えることは、とにかく楽しく心地いいということです。これまでさまざまなところで哲学対話をしてきてよく思うのですが、誰もが話すこと、聞くこと、考えることで、普段では味わえない充実感、幸福感、解放感を味わっているようです。福島の郡山で行った対話で、ある70歳をすぎた女性が「こんな幸せを感じたのは人生ではじめてだ」と言っていました。現在多摩ニュータウンの百草団地で行っている高齢者の寄合所では、そこに普段から出入りしている人たちと、若い人が数人混じって、1ヵ月に一度対話の場を作っていますが、そこでもみな、ときに難しい顔をして考えながらも、一様に生き生きと語っています。
上で相互承認について書きましたが、みんな自分を認めてほしいのです。それが互いに満たされると、相手をそのまま受け入れられます。しかもそれは、何も言わずただ黙認するのはなく、お互いに問い、考え、理解し合うことではじめて可能になるのです。考えることが楽しい、疑問をもつのが楽しい、好奇心がふくらみ、いろんな物事、周りの人々のことを知りたいと思う--しかも他者とともに。それが学びの基本ではないでしょうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
生まれてきた理由に対して、平等って何
生まれてきた理由に対して、平等って何
他者が居ない世界での平等とか格差の意味から考えていかないといけない。そうなると、他者の世界での出来事になります。
自由に対してよりも難しいのは確かです。結局、比較でしょう。高級車に乗るとか、ブランド品を持っているとかは、それらを気にしないものには意味を持たない。むしろ、それを哀れむ。宗教の常套手段のように。
キリスト教がローマ帝国に拡がったのは、奴隷の慰みだったから。同じ一神教でもムスリムは異なる。コミュニティ(ウンマ)で格差を吸収している。
そうなると、平等は宗教を含んで考えないといけない。
それと、究極の平等をといたのは、マルクスの共産主義だけど、こちらは人間が生まれてきた理由に及んでいない。ハイアラキーに頼ってしまった。スターリンは市民を信頼していないし、毛沢東は農民を道具にしただけ。
OCR化した本の感想
『「ラーニングフルエイジング」とは何か』
「老い」という問題
「老いる」とはある種の変化だと述べました。成長が「できない」から「できる」への変化だとすれば、老化はその逆、「できる」から「できない」への変化だと言えます。成長にもさまざまな問題がありますが、それでも概して肯定的に捉えられるのは、社会が「できる」ことを基礎としているからでしょう。「できない」状態から「できる」状態への移行は、望ましい変化であり、いろいろ問題はあっても、個人としても社会としても積極的に対処しようとします。逆に、「できない」ことが増えていく老化は、個人の人生の中でも社会のなかでも、十分な位置づけをもたず、否定的な問題として、消極的にやむをえず対処するだけになります。そうなったとき、老いの問題は、個人的にも社会的にも、負担、欠損、不足、障害として現れます。けれども、老いに対しては、こうした否定的態度をとるしかないのでしょうか。より積極的な態度というのは、不可能でしょうか。
『哲学的な何か、あと科学とか』
言語ゲーム
論理②--言語ゲーム
ダマされるな! 論理的な話に聞こえても、実は自作自演さ
「AはBである」という言葉について、「A=B」という観点で考えてきた。だが、一般的には、「AはBである」は、「AはBに含まれる」という意味で使われることが多い。たとえば、「ボクは人間である」は、「ボク」が「人間」というカテゴリに含まれている、という意味だ。
だが、ちょっと待ってほしい。「ボクが人間というカテゴリに含まれている」となぜそんなことが言えるんだろうか? いったい、何の根拠があって、そんなことを言ってんだろうか?
たとえばだ。脳死した体は人間だろうか? 胎児は人間だろうか? 卵細胞は人間だろうか? と考えてみたとき、そこに「人間」と「人間でないもの」を分ける明確な境界線などないことに気がつく。
何百年も大昔なら「異教徒は人間ではない」「黒人は人間ではない」という文化を持つ国もあった。これらの言葉にも、「客観的な根拠」なんかない。それは国とか社会とかが、伝統的に「そういうもんです」と「決めつけた」だけである。
これは「ボクは人間である」という言葉に限ったものではない。人間が使っている、あらゆる言葉がそうなのだ。
これは、哲学史最大の言語哲学者であるウィトゲンシュタインの結論でもある。
言葉とは、客観的な根拠によって成りたっておらず「伝統的文化的に決められた生活様式というルール」を根拠として述べているにすぎない。このことをウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」と表現した。
他者が居ない世界での平等とか格差の意味から考えていかないといけない。そうなると、他者の世界での出来事になります。
自由に対してよりも難しいのは確かです。結局、比較でしょう。高級車に乗るとか、ブランド品を持っているとかは、それらを気にしないものには意味を持たない。むしろ、それを哀れむ。宗教の常套手段のように。
キリスト教がローマ帝国に拡がったのは、奴隷の慰みだったから。同じ一神教でもムスリムは異なる。コミュニティ(ウンマ)で格差を吸収している。
そうなると、平等は宗教を含んで考えないといけない。
それと、究極の平等をといたのは、マルクスの共産主義だけど、こちらは人間が生まれてきた理由に及んでいない。ハイアラキーに頼ってしまった。スターリンは市民を信頼していないし、毛沢東は農民を道具にしただけ。
OCR化した本の感想
『「ラーニングフルエイジング」とは何か』
「老い」という問題
「老いる」とはある種の変化だと述べました。成長が「できない」から「できる」への変化だとすれば、老化はその逆、「できる」から「できない」への変化だと言えます。成長にもさまざまな問題がありますが、それでも概して肯定的に捉えられるのは、社会が「できる」ことを基礎としているからでしょう。「できない」状態から「できる」状態への移行は、望ましい変化であり、いろいろ問題はあっても、個人としても社会としても積極的に対処しようとします。逆に、「できない」ことが増えていく老化は、個人の人生の中でも社会のなかでも、十分な位置づけをもたず、否定的な問題として、消極的にやむをえず対処するだけになります。そうなったとき、老いの問題は、個人的にも社会的にも、負担、欠損、不足、障害として現れます。けれども、老いに対しては、こうした否定的態度をとるしかないのでしょうか。より積極的な態度というのは、不可能でしょうか。
『哲学的な何か、あと科学とか』
言語ゲーム
論理②--言語ゲーム
ダマされるな! 論理的な話に聞こえても、実は自作自演さ
「AはBである」という言葉について、「A=B」という観点で考えてきた。だが、一般的には、「AはBである」は、「AはBに含まれる」という意味で使われることが多い。たとえば、「ボクは人間である」は、「ボク」が「人間」というカテゴリに含まれている、という意味だ。
だが、ちょっと待ってほしい。「ボクが人間というカテゴリに含まれている」となぜそんなことが言えるんだろうか? いったい、何の根拠があって、そんなことを言ってんだろうか?
たとえばだ。脳死した体は人間だろうか? 胎児は人間だろうか? 卵細胞は人間だろうか? と考えてみたとき、そこに「人間」と「人間でないもの」を分ける明確な境界線などないことに気がつく。
何百年も大昔なら「異教徒は人間ではない」「黒人は人間ではない」という文化を持つ国もあった。これらの言葉にも、「客観的な根拠」なんかない。それは国とか社会とかが、伝統的に「そういうもんです」と「決めつけた」だけである。
これは「ボクは人間である」という言葉に限ったものではない。人間が使っている、あらゆる言葉がそうなのだ。
これは、哲学史最大の言語哲学者であるウィトゲンシュタインの結論でもある。
言葉とは、客観的な根拠によって成りたっておらず「伝統的文化的に決められた生活様式というルール」を根拠として述べているにすぎない。このことをウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」と表現した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
アレクサンドリア、紀元前三〇年八月
『王妃たちの最期の日々』より 破れた夢 クレオパトラ
終わりを理解するには、はじまりをふりかえる必要がある。クレオパトラ七世が紀元前五一年に弟のプトレマイオス一三世とともに共同統治者として玉座についたとき、プトレマイオス王朝のエジプトは、アレクサンドロス大王が築いたつかのまの帝国から派生した複数のヘレニズム王国の最後の生き残りであった。しかし、何年も前から内紛がたえず、存続させたほうが自分たちにとって都合がよいと考えたローマの保護がなければ、王朝だけでなくエジプト自体もとっくの昔に滅亡していたにちがいない。クレオパトラもごく若い頃に歴史から消えさりかけた。紀元前四八年に弟のプトレマイオス一三世と妹のアルシノエによるクーデターで追い落とされたのだ。玉座に復帰できたのは、カエサルの介入--これは偶然に近い天祐であった--のおかげであった。経緯は以下のとおりである。ファルサルスの会戦でカエサルに負けたポンペイウスは、エジプト王室が味方になってくれると信じてアレクサンドリアに向かったが、そこで彼を待ち受けていたのは死であった。クレオパトラを追放した少年王プトレマイオス一三世の側近たちは、ローマの新たな覇者になることが確実なカエサルに恩を売ろうと思い、さっさとポンベイウスの灯を斬り落とした。しかし、彼らの思惑ははずれた。アレクサンドリアに着いてポンペイウスの死を知ったカエサルは、これを機に保護国エジプトを自身の益にかなうように再編成しようと意を固め、手はじめにプトレマイオス一三世とクレオパトラの和睦を強制しようとした。納得できないプトレマイオス派は軍事行動に出たが、紀元前四七年三月、ついにカエサルによって鎮圧された。
カエサルにとって残る課題は、ローマに従順な政権をエジプトに打ち立てることであった。王家の野心的すぎるメンバーを排除したうえで、従順なクレオパトラをかつぎあげればよい。プトレマイオス一三世は戦死していたので、クレオパトラの妹でプトレマイオス一三世の側についたアルシノエを捕虜としてローマに送り、古代からのエジプトの風習に従って幼いプトレマイオス一四世を姉のクレオパトラと結婚させるだけでよかった。こうしてクレオパトラは権力を得た。ただし、駐留するローマ軍団三個の監視下での統治である。おそらくは自身の子どもを宿していたと思われるクレオパトラを残して、カエサルは紀元前四七年七月にエジプトを去る。
紀元前四六年の夏、若いエジプト女王は自分にとって宗主であると同時に愛人であるカエサルの招待を受けてローマを訪れた。この公式訪問の目玉は、ガリア、ポントス、ヌミディア、そしてエジプトを舞台とする、あわせて四つのカエサルの勝利をたたえる凱旋式である。クレオパトラは、鎖につながれた敗軍の将が車に乗せられ、群衆の嘲りのなかを進むのをまのあたりにしたことになる。ガリアの反乱軍を率いたウェルキンゲトリクス、自殺したヌミディア王のかわりをつとめるわずか四歳のユバ二世、そしてエジプトの敗者を象徴するクレオパトラの妹アルシノエであった。エジプトの女王は自国の没落を直視するために招待されたのである! クレオパトラとアルシノエは、前者を王位につけ、後者を捕縛した勝者カエサルの意図により、一方は女王の肩書をもつ者として、他方は失墜した女王として凱旋式に参加したのである。どちらも、打ち負かされたエジプトを象徴していた。アルシノエは憎い妹であったが、彼女が第三者に辱められるのを眺めるのはクレオパトラにとっておそろしい教訓となった。一五年後、車に乗せられて見世物にされるアルシノエの記憶はクレオパトラの最終決断に大きく影響したことはまちがいあるまい。
紀元前四四年三月一五日にカエサルが暗殺されると、庇護者を失ったクレオパトラの身は安全でなくなり、ローマから逃げ出さざるをえなくなった。エジプト女王にとって不安な日々がはじまった。カエサル亡き後のローマの内紛のおかげで、エジプトヘのしめつけはゆるくなったものの、ローマ内の覇権争いの結果によってはエジプトの政治的地位がこのままではすまない危険があった。
紀元前四三年、カエサルを殺してローマの共和制の伝統を守ろうとした一派の頭目であるカッシウスとブルートゥスは東方を支配下に置いた。ただし、進軍する時間はなかったのでエジプトは例外であった。他方、西方に残った彼らの仲間は敗北を喫した。数多くの紆余曲折のあと、アントニウスは西方を掌握したが、不本意なことに、もう一人の人物と共闘体制をとっての掌握であった。その人物とは、カエサルの姪の息子、オクタウィアヌスである。カエサルが遺言のなかでオクタウィアヌスを養子に指名していることが明らかになると皆が驚いたが、わずか一九歳のこの青年は政治家としての才能におそろしいほど恵まれていることが程なくして明らかになり、無視することはできなくなった。レピドゥス、アントニウスそしてオクタウィアヌスは「第二次三頭政治」とよばれるカルテルを結成した。残る仕事は、カエサルの仇を討つための、共和国派との勝負である。紀元前四二年一〇月、フィリッピの戦いでカエサル派が勝利、決着がついた。この戦いの真の立役者はアントニウスであった。
三頭がローマを分割統治することがすぐに決まった。オクタウィアヌスはスペインを、レピドゥスはアフリカを担当することになり、威光で二人を凌駕しているアントニウスが残りを手にした。イタリアは分割統治の対象とならなかった。一時的な体制との理解ではじまった三頭政治は一〇年も続くことになる。しかし、当初はアントニウスにとって圧倒的に有利であった力関係はしだいに変化して、オクタウィアヌスが力をつけてきた。紀元前四〇年の終わり、ブルンディシウム協定によって、西方の全域がオクタウィアヌスの勢力範囲となった。イタリアだけが、理論上の共同統治体制を維持した。この協定を確実なものとするため、アントニウスはオクタウィアヌスの姉、オクタウィアと結婚した。その四年後の紀元前三六年、レピドゥスの政治生命が絶たれると、オクタウィアヌスはアフリカを自分の勢力下に置いた。これにより、三頭政治は二頭政治となり、ならび立った二人の巨頭はやがて正面から向きあうことになる。
終わりを理解するには、はじまりをふりかえる必要がある。クレオパトラ七世が紀元前五一年に弟のプトレマイオス一三世とともに共同統治者として玉座についたとき、プトレマイオス王朝のエジプトは、アレクサンドロス大王が築いたつかのまの帝国から派生した複数のヘレニズム王国の最後の生き残りであった。しかし、何年も前から内紛がたえず、存続させたほうが自分たちにとって都合がよいと考えたローマの保護がなければ、王朝だけでなくエジプト自体もとっくの昔に滅亡していたにちがいない。クレオパトラもごく若い頃に歴史から消えさりかけた。紀元前四八年に弟のプトレマイオス一三世と妹のアルシノエによるクーデターで追い落とされたのだ。玉座に復帰できたのは、カエサルの介入--これは偶然に近い天祐であった--のおかげであった。経緯は以下のとおりである。ファルサルスの会戦でカエサルに負けたポンペイウスは、エジプト王室が味方になってくれると信じてアレクサンドリアに向かったが、そこで彼を待ち受けていたのは死であった。クレオパトラを追放した少年王プトレマイオス一三世の側近たちは、ローマの新たな覇者になることが確実なカエサルに恩を売ろうと思い、さっさとポンベイウスの灯を斬り落とした。しかし、彼らの思惑ははずれた。アレクサンドリアに着いてポンペイウスの死を知ったカエサルは、これを機に保護国エジプトを自身の益にかなうように再編成しようと意を固め、手はじめにプトレマイオス一三世とクレオパトラの和睦を強制しようとした。納得できないプトレマイオス派は軍事行動に出たが、紀元前四七年三月、ついにカエサルによって鎮圧された。
カエサルにとって残る課題は、ローマに従順な政権をエジプトに打ち立てることであった。王家の野心的すぎるメンバーを排除したうえで、従順なクレオパトラをかつぎあげればよい。プトレマイオス一三世は戦死していたので、クレオパトラの妹でプトレマイオス一三世の側についたアルシノエを捕虜としてローマに送り、古代からのエジプトの風習に従って幼いプトレマイオス一四世を姉のクレオパトラと結婚させるだけでよかった。こうしてクレオパトラは権力を得た。ただし、駐留するローマ軍団三個の監視下での統治である。おそらくは自身の子どもを宿していたと思われるクレオパトラを残して、カエサルは紀元前四七年七月にエジプトを去る。
紀元前四六年の夏、若いエジプト女王は自分にとって宗主であると同時に愛人であるカエサルの招待を受けてローマを訪れた。この公式訪問の目玉は、ガリア、ポントス、ヌミディア、そしてエジプトを舞台とする、あわせて四つのカエサルの勝利をたたえる凱旋式である。クレオパトラは、鎖につながれた敗軍の将が車に乗せられ、群衆の嘲りのなかを進むのをまのあたりにしたことになる。ガリアの反乱軍を率いたウェルキンゲトリクス、自殺したヌミディア王のかわりをつとめるわずか四歳のユバ二世、そしてエジプトの敗者を象徴するクレオパトラの妹アルシノエであった。エジプトの女王は自国の没落を直視するために招待されたのである! クレオパトラとアルシノエは、前者を王位につけ、後者を捕縛した勝者カエサルの意図により、一方は女王の肩書をもつ者として、他方は失墜した女王として凱旋式に参加したのである。どちらも、打ち負かされたエジプトを象徴していた。アルシノエは憎い妹であったが、彼女が第三者に辱められるのを眺めるのはクレオパトラにとっておそろしい教訓となった。一五年後、車に乗せられて見世物にされるアルシノエの記憶はクレオパトラの最終決断に大きく影響したことはまちがいあるまい。
紀元前四四年三月一五日にカエサルが暗殺されると、庇護者を失ったクレオパトラの身は安全でなくなり、ローマから逃げ出さざるをえなくなった。エジプト女王にとって不安な日々がはじまった。カエサル亡き後のローマの内紛のおかげで、エジプトヘのしめつけはゆるくなったものの、ローマ内の覇権争いの結果によってはエジプトの政治的地位がこのままではすまない危険があった。
紀元前四三年、カエサルを殺してローマの共和制の伝統を守ろうとした一派の頭目であるカッシウスとブルートゥスは東方を支配下に置いた。ただし、進軍する時間はなかったのでエジプトは例外であった。他方、西方に残った彼らの仲間は敗北を喫した。数多くの紆余曲折のあと、アントニウスは西方を掌握したが、不本意なことに、もう一人の人物と共闘体制をとっての掌握であった。その人物とは、カエサルの姪の息子、オクタウィアヌスである。カエサルが遺言のなかでオクタウィアヌスを養子に指名していることが明らかになると皆が驚いたが、わずか一九歳のこの青年は政治家としての才能におそろしいほど恵まれていることが程なくして明らかになり、無視することはできなくなった。レピドゥス、アントニウスそしてオクタウィアヌスは「第二次三頭政治」とよばれるカルテルを結成した。残る仕事は、カエサルの仇を討つための、共和国派との勝負である。紀元前四二年一〇月、フィリッピの戦いでカエサル派が勝利、決着がついた。この戦いの真の立役者はアントニウスであった。
三頭がローマを分割統治することがすぐに決まった。オクタウィアヌスはスペインを、レピドゥスはアフリカを担当することになり、威光で二人を凌駕しているアントニウスが残りを手にした。イタリアは分割統治の対象とならなかった。一時的な体制との理解ではじまった三頭政治は一〇年も続くことになる。しかし、当初はアントニウスにとって圧倒的に有利であった力関係はしだいに変化して、オクタウィアヌスが力をつけてきた。紀元前四〇年の終わり、ブルンディシウム協定によって、西方の全域がオクタウィアヌスの勢力範囲となった。イタリアだけが、理論上の共同統治体制を維持した。この協定を確実なものとするため、アントニウスはオクタウィアヌスの姉、オクタウィアと結婚した。その四年後の紀元前三六年、レピドゥスの政治生命が絶たれると、オクタウィアヌスはアフリカを自分の勢力下に置いた。これにより、三頭政治は二頭政治となり、ならび立った二人の巨頭はやがて正面から向きあうことになる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
スマートコミュニティとしての水素タウン
『環境経営とイノベーション』より ビジネスチャンスとしての水素社会と分散型発電
岩谷産業は2010年から2014年の間に北九州市の八幡東区東田地区を対象として行われた「北九州スマートコミュニティ創造事業」に参加している。この事業は、日本政府が公募した日本型スマートグリッドの構築と海外展開を実現するための「次世代エネルギー・社会システム実証」に北九州市が提案し、採択された事業である。同事業は、タウンメガソーラー、風力発電、省エネ、環境学習、カーボンオフセット、水素タウン、スマートグリッドなどを含む26事業38項目の実証事業から成っている。その目的は、①地域エネルギー共有社会、②地域単位のエネルギー制御・管理システム(CEMS : community energy management system)を通じた地域エネルギーの全体最適と部分最適の両立、③エネルギーの見える化社会、④市民参加型のエネルギー・コミュニティの構築、⑤都市システムの整備、⑥社会システム技術の開発やビジネスモデル・雇用の創造、⑦世界の標準となるモデルの構築・発信、⑧上記の事項をパッケージ化してアジア地域への移転体制を構築することである。事業全体として、市内標準街区と比較して、対象地区が2014年までにC02排出量を2005年比で50%削減するという目標を掲げている。実際に、51.5%の削減を達成した。
岩谷産業が参加した事業は実証事項3「北九州水素タウンプロジェクト」である。この事項には岩谷産業の他、水素供給・利用技術組合(HySUT)、富士電機システムズ、新日本製織、その他地区内立地企業が参加し、事業費総額は16億5000万円であった。実証内容は下記の5っである。すなわち、①新日本製織が所有する八幡製織所で生じる副生水素を、HySUTが地区内に設置するパイプラインを使って、店舗、公共施設(博物館、水素ステーション)、住宅に供給する、②燃料電池を設定し、生活・営業活動において利用を図る、③燃料電池フォークリフトの開発、試用、④燃料電池の廃熱を利用した高圧ヒートポンプシステムの設置、⑤余剰電力を水素に変換(=水素を製造)し、水素ステーション等に貯蔵するシステムの構築、である。このような実証実験において、岩谷産業は主に水素ステーションの設置を行った。実験の結果、航空運賃や宿泊料金などでも採用されているダイナミック・プライシング9によって、11.9%から26.4%の省エネ効果が見られた。また、電気事業法との関係で個別の戸建住宅の低圧契約や集合住宅の高圧一括受電ができない場合があることが明らかになった。北九州スマートコミュニティ創造協議会によれば、このことは電力自由化のためには、法整備とともに低圧契約や高圧一括受電サービスの工夫が必要になることを意味するという。スマートコミュニティを創造し、更にそのコミュニティを水素タウンに変革してゆくためには、水素の製造・輸送・貯蔵、家庭用および業務用・産業用燃料電池、FCV,水素ステーションなどの開発、および関連法規の改正など多くの課題があるようである。
経済産業省は水素社会を確立するためのロードマップ(以下、ロードマップと表記)を2014年に提示している。このロードマップは、燃料電池の社会への本格的実装による水素利用の飛躍的拡大を試みるフェーズ1、水素発電の本格導入と大規模な水素供給システムの確立を目指すフェーズ2、トータルでのC02フリー水素供給システムの確立を目的とするフェーズ3からなっている。本書を執筆している2016年9月現在はフェーズ1に当たる。家庭用燃料電池(2009年導入)と業務用・産業用燃料電池(1998年導入)およびFCV (2014年導入)は既に市場導入されている。ロードマップによれば、フェーズ1では、2020年代半ば頃までこれらの燃料電池を本格的に普及させていくこと、および競争力のある水素価格を実現することが課題である。ロードマップは、2020年代半ばから2030年頃までをフェーズ2として位置付けており、国内の水素利用の拡大に伴い海外での水素の製造および水素の輸入量と国内流通網の拡大、および発電事業用水素発電の本格導入を計画している。 2040年頃までに、クリーンコールテクノロジー(CCT : Clean coa ltechnology)の開発と利用、および国内外の再生可能エネルギーの活用と組み合わせることによって、 C02フリーの水素の製造・輸送・貯蔵を本格化すること、すなわち本格的な低炭素社会としての水素社会の到来を計画している。
行政によるこのようなロードマップの公表に先立って、産業界では、自動車メーカー3社とガス会社10社の民間企業13社による「燃料電池自動車の国内市場導入と水素供給インフラ整備に関する共同声明」(以下、13社共同声明と表記)が2011年に表明されている12。またロードマップが公表された同じ年に、東京都環境局は、水素エネルギーの普及に向けた戦略の供給および機運の醸成を目的とする産官学共同プロジェクトとして東京都戦略会議を設置している。同会議は民間企業16社、学識経験者3名、およびその他2団体からなる外部委員、東京都側の委員と事務局からなっている。東京都戦略会議は、①FCVの普及に先駆けて水素ステーションを整備すること、②HVの普及実績や市場動向を参考にしてFCVを普及させること、③家庭用および業務用・産業用燃料電池の自立的な普及を目指すこと、④大都市圏などの大消費地での水素エネルギーの需要創出と価格低下と水素利用分野の拡大を図り安定的な燃料供給を実現すること、⑤水素の正しい理解と安全・安心な社会を実現するための環境教育(=社会的受容性の向上)という5つの課題を掲げ、これらの課題のそれぞれに短期的および中期的な戦略目標・数値目標を掲げている。
東京都戦略会議に参加している企業および団体は、水素社会という青写真を共有し、水素の製造・輸送・販売、燃料電池やる家庭用および業務用・産業用の燃料電池の開発、JX.エネルギーや岩谷産業などのエネルギなどの製品、水素ステーションやパイプラインなどの水素供給インフラ整備などさまざまな分野において新事業を創出しようとしている。本章で見てきたいくっかの事業活動、すなわちトヨタやホンダなどの自動車メーカーによるFCVの開発、パナソニックや東芝などの電機メーカーによる家庭用および業務用・産業用の燃料電池の開発、JX.エネルギーや岩谷産業などのエネルギー供給会社による水素ステーション等の水素の製造・輸送・貯蔵システムの開発などの事例は、13社共同声明と東京都戦略会議のどちらかまたはその両方に参加している企業による環境経営の事例である。
水素社会の確立は、経済産業省がロードマップによって発展の方向性を示し、東京都戦略会議が5つの課題を掲げてその発展のための戦略・目標を策定し、様々な民間企業が環境経営の一環として、これらの方向性や戦略・目標に対応するかたちで水素ビジネスを実践するという国策民営の体制によって進められている。持続可能なエネルギー供給および水素社会の確立に貢献することは、エネルギー産業・企業の社会的な役割の1つであり責任である。
岩谷産業は2010年から2014年の間に北九州市の八幡東区東田地区を対象として行われた「北九州スマートコミュニティ創造事業」に参加している。この事業は、日本政府が公募した日本型スマートグリッドの構築と海外展開を実現するための「次世代エネルギー・社会システム実証」に北九州市が提案し、採択された事業である。同事業は、タウンメガソーラー、風力発電、省エネ、環境学習、カーボンオフセット、水素タウン、スマートグリッドなどを含む26事業38項目の実証事業から成っている。その目的は、①地域エネルギー共有社会、②地域単位のエネルギー制御・管理システム(CEMS : community energy management system)を通じた地域エネルギーの全体最適と部分最適の両立、③エネルギーの見える化社会、④市民参加型のエネルギー・コミュニティの構築、⑤都市システムの整備、⑥社会システム技術の開発やビジネスモデル・雇用の創造、⑦世界の標準となるモデルの構築・発信、⑧上記の事項をパッケージ化してアジア地域への移転体制を構築することである。事業全体として、市内標準街区と比較して、対象地区が2014年までにC02排出量を2005年比で50%削減するという目標を掲げている。実際に、51.5%の削減を達成した。
岩谷産業が参加した事業は実証事項3「北九州水素タウンプロジェクト」である。この事項には岩谷産業の他、水素供給・利用技術組合(HySUT)、富士電機システムズ、新日本製織、その他地区内立地企業が参加し、事業費総額は16億5000万円であった。実証内容は下記の5っである。すなわち、①新日本製織が所有する八幡製織所で生じる副生水素を、HySUTが地区内に設置するパイプラインを使って、店舗、公共施設(博物館、水素ステーション)、住宅に供給する、②燃料電池を設定し、生活・営業活動において利用を図る、③燃料電池フォークリフトの開発、試用、④燃料電池の廃熱を利用した高圧ヒートポンプシステムの設置、⑤余剰電力を水素に変換(=水素を製造)し、水素ステーション等に貯蔵するシステムの構築、である。このような実証実験において、岩谷産業は主に水素ステーションの設置を行った。実験の結果、航空運賃や宿泊料金などでも採用されているダイナミック・プライシング9によって、11.9%から26.4%の省エネ効果が見られた。また、電気事業法との関係で個別の戸建住宅の低圧契約や集合住宅の高圧一括受電ができない場合があることが明らかになった。北九州スマートコミュニティ創造協議会によれば、このことは電力自由化のためには、法整備とともに低圧契約や高圧一括受電サービスの工夫が必要になることを意味するという。スマートコミュニティを創造し、更にそのコミュニティを水素タウンに変革してゆくためには、水素の製造・輸送・貯蔵、家庭用および業務用・産業用燃料電池、FCV,水素ステーションなどの開発、および関連法規の改正など多くの課題があるようである。
経済産業省は水素社会を確立するためのロードマップ(以下、ロードマップと表記)を2014年に提示している。このロードマップは、燃料電池の社会への本格的実装による水素利用の飛躍的拡大を試みるフェーズ1、水素発電の本格導入と大規模な水素供給システムの確立を目指すフェーズ2、トータルでのC02フリー水素供給システムの確立を目的とするフェーズ3からなっている。本書を執筆している2016年9月現在はフェーズ1に当たる。家庭用燃料電池(2009年導入)と業務用・産業用燃料電池(1998年導入)およびFCV (2014年導入)は既に市場導入されている。ロードマップによれば、フェーズ1では、2020年代半ば頃までこれらの燃料電池を本格的に普及させていくこと、および競争力のある水素価格を実現することが課題である。ロードマップは、2020年代半ばから2030年頃までをフェーズ2として位置付けており、国内の水素利用の拡大に伴い海外での水素の製造および水素の輸入量と国内流通網の拡大、および発電事業用水素発電の本格導入を計画している。 2040年頃までに、クリーンコールテクノロジー(CCT : Clean coa ltechnology)の開発と利用、および国内外の再生可能エネルギーの活用と組み合わせることによって、 C02フリーの水素の製造・輸送・貯蔵を本格化すること、すなわち本格的な低炭素社会としての水素社会の到来を計画している。
行政によるこのようなロードマップの公表に先立って、産業界では、自動車メーカー3社とガス会社10社の民間企業13社による「燃料電池自動車の国内市場導入と水素供給インフラ整備に関する共同声明」(以下、13社共同声明と表記)が2011年に表明されている12。またロードマップが公表された同じ年に、東京都環境局は、水素エネルギーの普及に向けた戦略の供給および機運の醸成を目的とする産官学共同プロジェクトとして東京都戦略会議を設置している。同会議は民間企業16社、学識経験者3名、およびその他2団体からなる外部委員、東京都側の委員と事務局からなっている。東京都戦略会議は、①FCVの普及に先駆けて水素ステーションを整備すること、②HVの普及実績や市場動向を参考にしてFCVを普及させること、③家庭用および業務用・産業用燃料電池の自立的な普及を目指すこと、④大都市圏などの大消費地での水素エネルギーの需要創出と価格低下と水素利用分野の拡大を図り安定的な燃料供給を実現すること、⑤水素の正しい理解と安全・安心な社会を実現するための環境教育(=社会的受容性の向上)という5つの課題を掲げ、これらの課題のそれぞれに短期的および中期的な戦略目標・数値目標を掲げている。
東京都戦略会議に参加している企業および団体は、水素社会という青写真を共有し、水素の製造・輸送・販売、燃料電池やる家庭用および業務用・産業用の燃料電池の開発、JX.エネルギーや岩谷産業などのエネルギなどの製品、水素ステーションやパイプラインなどの水素供給インフラ整備などさまざまな分野において新事業を創出しようとしている。本章で見てきたいくっかの事業活動、すなわちトヨタやホンダなどの自動車メーカーによるFCVの開発、パナソニックや東芝などの電機メーカーによる家庭用および業務用・産業用の燃料電池の開発、JX.エネルギーや岩谷産業などのエネルギー供給会社による水素ステーション等の水素の製造・輸送・貯蔵システムの開発などの事例は、13社共同声明と東京都戦略会議のどちらかまたはその両方に参加している企業による環境経営の事例である。
水素社会の確立は、経済産業省がロードマップによって発展の方向性を示し、東京都戦略会議が5つの課題を掲げてその発展のための戦略・目標を策定し、様々な民間企業が環境経営の一環として、これらの方向性や戦略・目標に対応するかたちで水素ビジネスを実践するという国策民営の体制によって進められている。持続可能なエネルギー供給および水素社会の確立に貢献することは、エネルギー産業・企業の社会的な役割の1つであり責任である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
現代資本主義の終焉とアメリカ民主主義の脆弱 チョムスキー
『現代資本主義の終焉とアメリカ民主主義』より 左翼知識人:N.チョムスキー 脱構造主義哲学と新保守主義哲学へのチョムスキーの批判
チョムスキーは、1890年代の人民党解党以来、資本主義システムの分析を踏まえた対抗団体が1960年代の一時期を除いて存在しないと指摘しつつ、1930年代ファシズムの場合と同じく、1970年代以降のキリスト教原理主義の台頭は、高度工業社会カナダとアメリカにおける特異な代替行為の反映であり、アメリカの危機は簡単にファシズム運動へ進む暴力性を秘めている、と警告する。
かつてヴェトナム戦争を黙認する多くの同僚にたいして「知識人の責任」(1967)を問うた言語学者チョムスキーは、その後もマスメディアから無視され排除され続け、小さな集会でいわば孤立無援状態で現代アメリカを批判してきた。が、たとえば講演集r権力を見抜く』(2008)のなかで、それら大学左翼知識人が拠る構造主義、差異の言語論やその応用でもある脱構造主義論を唱える「デリダやラカン、アルチュセールなどの本を読むと、さっぱり理解できません。……正直に言えば、彼らの言っていることは全部ペテンです」と止めを刺している。
同様に、試行錯誤する経験を重視するプラグマティズム教育を高く評価するチョムスキーは、A.ブルーム(Allan Bloom、1930~1992)の『アメリカ・マインドの終焉』(1987)を取り上げ,1960年代の社会運動を「左翼のニーチエ主義、もしくはニーチエ主義の左翼化」あるいは思想の寛容を許す理神論や近代リベラリズムの鬼子と糾弾し、草創期アメリカ・コミュニティーや「市民の宗教」への回帰を願っている新保守主義の同書を「開いた口がふさがらないほど馬鹿げた内容です。……あの内容が基本的に言っているのは、教育は海兵隊のやり方を手本にすべきで、万人向きの「偉大な思想」の正典を選び、それを無理やり勉強させることです。……これがブルームの提唱している教育モデルです」と酷評している。
チョムスキーの変わらない関心は、「資本主義システムは本質的に、貪欲さが原動力になっている。……資本主義の理論では、貪欲さという個人の悪徳が公共の利益につながるとされていて……このような動きが続ける限り、資本主義システムが自滅することは自明」なのに、「現代社会の中心にあるこの問題を扱う学術的職業は存在しないということ」にある。とりわけ1960年代の社会運動・市民運動の高まりのへ反省から、「人びとを武力で抑えられないなら、彼らの考えをコントロールしなければならない」という認識が頂点に達し、企業・政府・マスメディア・大学が一個のプロパガンダ広報企業となり、状況の一局面をあらわす「したたり(trickle down)論」や「国民国家終焉論」を喧伝しながら、市場原理主義・金融資本主義・グローバリズムがもたらす国内における超格差社会化や国外における第三世界人民への新たな搾取を容易にし、またそれら諸事実を隠しつづけてきている、と非難する。
チョムスキーは、イスラエル入国を拒否されながらも、パレスチナ抑圧を糾弾し続けている。彼によれば、私有財産制・利潤追求・市場主義の総体としての近代資本主義とその展開、ブルジョワ的市民社会とベンサム的利主義文化が、人間に「富と権力を可能な限り増すことを求め」、「市場関係と搾取と外部権力に服従する」人間を競争旺盛な人と称えるのであり、その資本主義の基礎をなす人間観が、「最も深遠な意味で非人間的で、耐え難い」のである。チョムスキーによれば、現代の危機とはとりわけ、「資本」「所有」を優先させる現代資本主義が強いる機制に由来するのであり、「市民権」を重視する近代啓蒙文化に由来するのではない。
近代文化の枯渇論を説くベルらの文化的新保守主義とは、ハーバーマスの一文を借りれば、「危機の諸原因を、経済や国家装置の機能様式に求める」ことから人びとの目を逸らせ、資本主義的近代化(modernization、工業・科学技術主義)を肯定し、文化的近代を拒否すること(Habermas 1985:78-95)、つまり「所有権」優先させる新保守主義者は、不合理な差別・抑圧を否定する近代啓蒙思想の遺産である、法の下での人民の平等・自由つまり近代民主主義を否定するのである。
独占資本主義と帝国主義段階におけるアソシエーアョン型市民社会の形骸化、社会的自我や内面的規範の危機は、広く近代資本主義とブルジョワ文化の止揚(チョムスキーはこの用語を使わないが)を目指す闘いのなかで、とりわけ1980年代以降の新自由主義・新保守主義、市場原理主義・金融資本主義、グローバリズムに対決する闘いのなかで、アソシエーアョンの止揚をめざしてアメリカ[人民]が克服すべきものである。
だがそこには、アメリカ・アソシエーアョンに深く染みこんだ、各人の労働によって得た財産・所有に基づく自由・平等と同意というJ.ロック的社会契約論と、またサラダボールとも称される移民社会からなる歴史、あるいはM.ヴェーバー(Max Weber、1864~1920)が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の〈精神〉』のなかで指摘したように、プロテスタンティズム自体がもつ「選民一非選民」意識による社会的敗者に過酷な社会的ダーヴィニズムを受容してきたアメリカの社会意識、さらにR.ニーバー(Reinhold Niebuhr、1892~1971)の『アメリカ史のアイロニー』(1952)が警告した,とりわけ快適追求を達成させた科学技術が「人間の運命をより大きな矛盾に直面させたという」アイロニー、あるいは外交政策の「アイディアリズムが……自分の置かれている立場から諸目的の全領域を完全に把握しようとするが故に、アイディアリズムは転じて非人間性へと変わる」というアイロニー、それらに無頓着である社会意識も重層して、1980年代以降ますます腐敗度を増してきたベンサム的功利主義を止揚する困難さがあり、2001年のブッシュ政権があからさまに示した「強きアメリカ」を標榜する〈帝国〉アメリカを解消する困難さがある。
それらゆえ、近代アメリカの啓蒙思想と「市民の宗教」に基づいたアソシエーアョン型市民社会を構築した伝統・理念的個性を持ち、かつ先進資本主義・工業社会であるアメリカとその「人民」のアイロニーに満ちた体験のなかに、プラグマデイズム哲学者J.デューイ(John Dewey、1859~1952)の少し長めの一文を借りれば、「民主主義と人類の唯一の、究極の、倫理的理念は、私にとっては同義である。民主主義の理念、自由、平等、友愛の理念は、霊的なものと世俗的なものとの間の区別がなくなり、ギリシャの理論、およびキリスト教の神の王国の理論のなかでのように、教会と国家、社会の神聖な組織と人間的組織とは一つであるような社会を代表する」、そのような人類前史のユートピアを止揚する諸需要が潜んでいるかもしれないのである。
資本主義の本性をなす所有権・貨幣制度・市場などの「経済」、社会的生活基盤・「グローバリゼーション」、さらに再分配に深く関わる「階級」間の闘争は,国家権力による制度の裏付けなしにはうまく機能しない、と論じた。その論にヅェーバー・住谷の洞察を重ねるならば、第1に言えることは、自己分解していく「小ブルジョア的商品生産者層」を「国内市場」へ統合するためにアメリカ国民国家が必要であるということ、つまり、「グローバリゼーション」が「小ブルジョア的商品生産者層」・中下層市民が拠るべき国民国家アメリカから疎外し、放り出された不安と怒りを蓄積してきた、ということである。第2は、1960~70年代の「対抗文化運動」から続く表出主義を「小ブルジョア的商品生産者層」の「反マモン的な非合理的なパトス」(節制・規律・勤勉・誠実・純潔などの徳目)の裏切とする、怒りの高まりである。
〈利潤の極大化〉をむき出し追求してきた先進資本主義国、とりわけアメリカ資本主義は,植民地なき〈帝国〉アメリカの「寄生性・腐朽性」に甘んじて、ドイツ・日本・中国・インドなどの生産力に圧倒され、アメリカ「支配階級の頚廃」と「労働の質の低下」とがら国内での〈限界なき拡大生産〉が不可能になった。『ジャパン・アズ・ナンバーワン:アメリカヘの教訓』(1979)や『美徳なき時代』、『アメリカ・マインドの終焉』(1987)が上梓されてベストセラーになったのも、体制側の危機感を反映していたからである。それでもあくまで〈利潤の極大化〉を追求する反リベラル・エスタブリシュメントつまり〈財界と経済エリート〉は、新自由主義政策によって過去150年かけて獲得してきた労働者の権利と市民への福祉政策(富の再分配)を取り上げ、ドルを増刷する金融資本主義政策によって中下層の富を収奪し、その膨大な負債を未来の世代に課してきた。国外に向かっては、アメリカ第一主義(America First)の国是によって、メキシコとカナダの富を長期に収奪するNAFTAを締結したように、アメリカ巨大多国籍企業は、途上国と先進国を問わず広く世界から富を収奪し、その富を〈財界と経済エリート〉が独占してきた。
2016年アメリカ大統領選挙は、新植民地主義・〈帝国〉アメリカの「寄生性・腐朽性」と、〈財界と経済エリート〉が強行してきた新自由主義とカジノ的金融資本主義とグローバリゼーションのあまりの成功、その「繁栄」が途方もない貧富の格差を拡大しながら「過剰貨幣資本」を累積し、〈利潤の極大化〉の否定でもある「市民権」・民主主義つまりアメリカ・アイデンティーの抑圧を反映していた。言い換えれば、現代資本主義の終焉とアメリカ民主主義の脆弱を自証した。
チョムスキーは、1890年代の人民党解党以来、資本主義システムの分析を踏まえた対抗団体が1960年代の一時期を除いて存在しないと指摘しつつ、1930年代ファシズムの場合と同じく、1970年代以降のキリスト教原理主義の台頭は、高度工業社会カナダとアメリカにおける特異な代替行為の反映であり、アメリカの危機は簡単にファシズム運動へ進む暴力性を秘めている、と警告する。
かつてヴェトナム戦争を黙認する多くの同僚にたいして「知識人の責任」(1967)を問うた言語学者チョムスキーは、その後もマスメディアから無視され排除され続け、小さな集会でいわば孤立無援状態で現代アメリカを批判してきた。が、たとえば講演集r権力を見抜く』(2008)のなかで、それら大学左翼知識人が拠る構造主義、差異の言語論やその応用でもある脱構造主義論を唱える「デリダやラカン、アルチュセールなどの本を読むと、さっぱり理解できません。……正直に言えば、彼らの言っていることは全部ペテンです」と止めを刺している。
同様に、試行錯誤する経験を重視するプラグマティズム教育を高く評価するチョムスキーは、A.ブルーム(Allan Bloom、1930~1992)の『アメリカ・マインドの終焉』(1987)を取り上げ,1960年代の社会運動を「左翼のニーチエ主義、もしくはニーチエ主義の左翼化」あるいは思想の寛容を許す理神論や近代リベラリズムの鬼子と糾弾し、草創期アメリカ・コミュニティーや「市民の宗教」への回帰を願っている新保守主義の同書を「開いた口がふさがらないほど馬鹿げた内容です。……あの内容が基本的に言っているのは、教育は海兵隊のやり方を手本にすべきで、万人向きの「偉大な思想」の正典を選び、それを無理やり勉強させることです。……これがブルームの提唱している教育モデルです」と酷評している。
チョムスキーの変わらない関心は、「資本主義システムは本質的に、貪欲さが原動力になっている。……資本主義の理論では、貪欲さという個人の悪徳が公共の利益につながるとされていて……このような動きが続ける限り、資本主義システムが自滅することは自明」なのに、「現代社会の中心にあるこの問題を扱う学術的職業は存在しないということ」にある。とりわけ1960年代の社会運動・市民運動の高まりのへ反省から、「人びとを武力で抑えられないなら、彼らの考えをコントロールしなければならない」という認識が頂点に達し、企業・政府・マスメディア・大学が一個のプロパガンダ広報企業となり、状況の一局面をあらわす「したたり(trickle down)論」や「国民国家終焉論」を喧伝しながら、市場原理主義・金融資本主義・グローバリズムがもたらす国内における超格差社会化や国外における第三世界人民への新たな搾取を容易にし、またそれら諸事実を隠しつづけてきている、と非難する。
チョムスキーは、イスラエル入国を拒否されながらも、パレスチナ抑圧を糾弾し続けている。彼によれば、私有財産制・利潤追求・市場主義の総体としての近代資本主義とその展開、ブルジョワ的市民社会とベンサム的利主義文化が、人間に「富と権力を可能な限り増すことを求め」、「市場関係と搾取と外部権力に服従する」人間を競争旺盛な人と称えるのであり、その資本主義の基礎をなす人間観が、「最も深遠な意味で非人間的で、耐え難い」のである。チョムスキーによれば、現代の危機とはとりわけ、「資本」「所有」を優先させる現代資本主義が強いる機制に由来するのであり、「市民権」を重視する近代啓蒙文化に由来するのではない。
近代文化の枯渇論を説くベルらの文化的新保守主義とは、ハーバーマスの一文を借りれば、「危機の諸原因を、経済や国家装置の機能様式に求める」ことから人びとの目を逸らせ、資本主義的近代化(modernization、工業・科学技術主義)を肯定し、文化的近代を拒否すること(Habermas 1985:78-95)、つまり「所有権」優先させる新保守主義者は、不合理な差別・抑圧を否定する近代啓蒙思想の遺産である、法の下での人民の平等・自由つまり近代民主主義を否定するのである。
独占資本主義と帝国主義段階におけるアソシエーアョン型市民社会の形骸化、社会的自我や内面的規範の危機は、広く近代資本主義とブルジョワ文化の止揚(チョムスキーはこの用語を使わないが)を目指す闘いのなかで、とりわけ1980年代以降の新自由主義・新保守主義、市場原理主義・金融資本主義、グローバリズムに対決する闘いのなかで、アソシエーアョンの止揚をめざしてアメリカ[人民]が克服すべきものである。
だがそこには、アメリカ・アソシエーアョンに深く染みこんだ、各人の労働によって得た財産・所有に基づく自由・平等と同意というJ.ロック的社会契約論と、またサラダボールとも称される移民社会からなる歴史、あるいはM.ヴェーバー(Max Weber、1864~1920)が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の〈精神〉』のなかで指摘したように、プロテスタンティズム自体がもつ「選民一非選民」意識による社会的敗者に過酷な社会的ダーヴィニズムを受容してきたアメリカの社会意識、さらにR.ニーバー(Reinhold Niebuhr、1892~1971)の『アメリカ史のアイロニー』(1952)が警告した,とりわけ快適追求を達成させた科学技術が「人間の運命をより大きな矛盾に直面させたという」アイロニー、あるいは外交政策の「アイディアリズムが……自分の置かれている立場から諸目的の全領域を完全に把握しようとするが故に、アイディアリズムは転じて非人間性へと変わる」というアイロニー、それらに無頓着である社会意識も重層して、1980年代以降ますます腐敗度を増してきたベンサム的功利主義を止揚する困難さがあり、2001年のブッシュ政権があからさまに示した「強きアメリカ」を標榜する〈帝国〉アメリカを解消する困難さがある。
それらゆえ、近代アメリカの啓蒙思想と「市民の宗教」に基づいたアソシエーアョン型市民社会を構築した伝統・理念的個性を持ち、かつ先進資本主義・工業社会であるアメリカとその「人民」のアイロニーに満ちた体験のなかに、プラグマデイズム哲学者J.デューイ(John Dewey、1859~1952)の少し長めの一文を借りれば、「民主主義と人類の唯一の、究極の、倫理的理念は、私にとっては同義である。民主主義の理念、自由、平等、友愛の理念は、霊的なものと世俗的なものとの間の区別がなくなり、ギリシャの理論、およびキリスト教の神の王国の理論のなかでのように、教会と国家、社会の神聖な組織と人間的組織とは一つであるような社会を代表する」、そのような人類前史のユートピアを止揚する諸需要が潜んでいるかもしれないのである。
資本主義の本性をなす所有権・貨幣制度・市場などの「経済」、社会的生活基盤・「グローバリゼーション」、さらに再分配に深く関わる「階級」間の闘争は,国家権力による制度の裏付けなしにはうまく機能しない、と論じた。その論にヅェーバー・住谷の洞察を重ねるならば、第1に言えることは、自己分解していく「小ブルジョア的商品生産者層」を「国内市場」へ統合するためにアメリカ国民国家が必要であるということ、つまり、「グローバリゼーション」が「小ブルジョア的商品生産者層」・中下層市民が拠るべき国民国家アメリカから疎外し、放り出された不安と怒りを蓄積してきた、ということである。第2は、1960~70年代の「対抗文化運動」から続く表出主義を「小ブルジョア的商品生産者層」の「反マモン的な非合理的なパトス」(節制・規律・勤勉・誠実・純潔などの徳目)の裏切とする、怒りの高まりである。
〈利潤の極大化〉をむき出し追求してきた先進資本主義国、とりわけアメリカ資本主義は,植民地なき〈帝国〉アメリカの「寄生性・腐朽性」に甘んじて、ドイツ・日本・中国・インドなどの生産力に圧倒され、アメリカ「支配階級の頚廃」と「労働の質の低下」とがら国内での〈限界なき拡大生産〉が不可能になった。『ジャパン・アズ・ナンバーワン:アメリカヘの教訓』(1979)や『美徳なき時代』、『アメリカ・マインドの終焉』(1987)が上梓されてベストセラーになったのも、体制側の危機感を反映していたからである。それでもあくまで〈利潤の極大化〉を追求する反リベラル・エスタブリシュメントつまり〈財界と経済エリート〉は、新自由主義政策によって過去150年かけて獲得してきた労働者の権利と市民への福祉政策(富の再分配)を取り上げ、ドルを増刷する金融資本主義政策によって中下層の富を収奪し、その膨大な負債を未来の世代に課してきた。国外に向かっては、アメリカ第一主義(America First)の国是によって、メキシコとカナダの富を長期に収奪するNAFTAを締結したように、アメリカ巨大多国籍企業は、途上国と先進国を問わず広く世界から富を収奪し、その富を〈財界と経済エリート〉が独占してきた。
2016年アメリカ大統領選挙は、新植民地主義・〈帝国〉アメリカの「寄生性・腐朽性」と、〈財界と経済エリート〉が強行してきた新自由主義とカジノ的金融資本主義とグローバリゼーションのあまりの成功、その「繁栄」が途方もない貧富の格差を拡大しながら「過剰貨幣資本」を累積し、〈利潤の極大化〉の否定でもある「市民権」・民主主義つまりアメリカ・アイデンティーの抑圧を反映していた。言い換えれば、現代資本主義の終焉とアメリカ民主主義の脆弱を自証した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
生ちゃんのレミゼの博多公演
音声入力が少ない
なぜ、音声入力が少ないのか。どうしても、未唯空間全体の話になってしまう。哲学的思想、といってもたかがしれてしまう。
もっと、日常的なもの、記事に対するものなどで心に引っかかれたものを書きとめないと、それが深いものになれば、池田晶子の「考える日々」のようにしていきたい。宇宙の旅人としての世界観が感じられるように。
サイゼリアのステーキ
サイゼリアでステーキって、こんなに固いものだと思い知らされます。
生ちゃんのレミゼの博多公演
レミゼの博多公演は15500円です。インターネット発売は6/10だけど、生ちゃん分は今日から抽選販売です。
帝国劇場は売り切れているので、博多まで行く人もいるんでしょう。いくら掛るのか。最期に名古屋公演が控えている。交通費は2千円で済みます。まだ、売り出していない。だけど、コゼットって、どのくらい出てくるのかな。
博多は8/1~29の公演で、フルで一日2回もかなりあります。トリプルキャストだから、可能なんでしょう。
生ちゃんの分は後半の2週間みたいです。前半は乃木坂の全ツに出たりするのかな。例年の8月末のファイナルも可能だけど、身体が持つのかな。生ちゃんのいないのは耐えられないでしょう。
OCR化した本の感想
『環境経営とイノベーション』
ビジネスチャンスとしての水素社会と分散型発電
水素とその製造方法、エネファームと燃料電池自動車の開発と普及、水素の輸送と貯蔵、スマートコミュニティとしての水素タウン
これからインフラを国策民営で作って、何を儲けようとしているのか。リモコンで爆発できるテロの道具になるかもしれないものを地域インフラにできるのか。そういう議論が為されない。
『王妃たちの最期の日々』
クレオパトラの時代はヘレニズムの最期の時代だった。クレオパトラはアレキサンドリアに住んでいた。だから、アレキサンドリアはローマ軍に攻められ、アレキサンドリア図書館は焼失した。
図書館が潰滅したのは、30年後に生まれたキリストによって、一神教が生まれ、多神教のシンボルとして、攻撃されたため。
『現代資本主義の終焉とアメリカ民主主義』
チョムスキーの本をヘルシンキ大学図書館の螺旋階段を上がった最上階で見つけた。全体を見渡すような所に飾ってあった。何となく、自由の意味を感じた。
元老院のところで、ガイドにこの近くの図書館と聞いたら、旧市立図書館と現市立図書館とヘルシンキ大学図書館を教えてくれた。元老院の横にありました。早速、入ってみました。
なぜ、音声入力が少ないのか。どうしても、未唯空間全体の話になってしまう。哲学的思想、といってもたかがしれてしまう。
もっと、日常的なもの、記事に対するものなどで心に引っかかれたものを書きとめないと、それが深いものになれば、池田晶子の「考える日々」のようにしていきたい。宇宙の旅人としての世界観が感じられるように。
サイゼリアのステーキ
サイゼリアでステーキって、こんなに固いものだと思い知らされます。
生ちゃんのレミゼの博多公演
レミゼの博多公演は15500円です。インターネット発売は6/10だけど、生ちゃん分は今日から抽選販売です。
帝国劇場は売り切れているので、博多まで行く人もいるんでしょう。いくら掛るのか。最期に名古屋公演が控えている。交通費は2千円で済みます。まだ、売り出していない。だけど、コゼットって、どのくらい出てくるのかな。
博多は8/1~29の公演で、フルで一日2回もかなりあります。トリプルキャストだから、可能なんでしょう。
生ちゃんの分は後半の2週間みたいです。前半は乃木坂の全ツに出たりするのかな。例年の8月末のファイナルも可能だけど、身体が持つのかな。生ちゃんのいないのは耐えられないでしょう。
OCR化した本の感想
『環境経営とイノベーション』
ビジネスチャンスとしての水素社会と分散型発電
水素とその製造方法、エネファームと燃料電池自動車の開発と普及、水素の輸送と貯蔵、スマートコミュニティとしての水素タウン
これからインフラを国策民営で作って、何を儲けようとしているのか。リモコンで爆発できるテロの道具になるかもしれないものを地域インフラにできるのか。そういう議論が為されない。
『王妃たちの最期の日々』
クレオパトラの時代はヘレニズムの最期の時代だった。クレオパトラはアレキサンドリアに住んでいた。だから、アレキサンドリアはローマ軍に攻められ、アレキサンドリア図書館は焼失した。
図書館が潰滅したのは、30年後に生まれたキリストによって、一神教が生まれ、多神教のシンボルとして、攻撃されたため。
『現代資本主義の終焉とアメリカ民主主義』
チョムスキーの本をヘルシンキ大学図書館の螺旋階段を上がった最上階で見つけた。全体を見渡すような所に飾ってあった。何となく、自由の意味を感じた。
元老院のところで、ガイドにこの近くの図書館と聞いたら、旧市立図書館と現市立図書館とヘルシンキ大学図書館を教えてくれた。元老院の横にありました。早速、入ってみました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
豊田市図書館の29冊
336.4『ヤフーの1on1』部下を成長させるコミュニケーションの技術
775.5『唐十郎 特別講義』演劇・芸術・文学クロストーク
764.6『「行動四原則」で強くなる 吹奏楽』
291.01『地名の研究』
104『哲学的な何か、あと科学とか』
323.01『憲法の急所 権利論を組み立てる』
410.4『心はすべて数学である』
288.49『王妃たちの最期の日々 上』
288.49『王妃たちの最期の日々 下』
335.6『協同の再発見』「小さな協同」の発展と協同組合の未来
281.04『NHKラジオ深夜便 こころの時代 インタビュー集①』
281.04『NHKラジオ深夜便 こころの時代 インタビュー集②』
367.21『枕崎 女たちの生活史』ジェンダー視点からみる暮らし、習俗、政治
369.26『ケアマネジメントのエッセンス』利用者の思いが輝く援助技術
365.3『住まいと町とコミュニティ』
336.4『事業を創る人事』グローバル先進企業になるための人づくり
041『高校生と考える 人生のすてきな大問題』
019.9『仕事と人生に活かす「名著力」①』テレビマン「挫折」から「成長」への50冊
311.7『カウンター・デモクラシー』不信の時代の政治
379.47『「ラーニングフルエイジング」とは何か』超高齢社会における学びの可能性
519.13『環境経営とイノベーション』経済と環境の調和を求めて
689『観光学入門』
361『社会学のエッセンス』世の中のしくみを見ぬく
451.75『ビッグショット・オーロラ』
319.8『核のない世界への提言』核物質から見た核軍縮
304『「やらせ」の政治経済学』発見から破綻まで
309.02『現代資本主義の終焉とアメリカ民主主義』--アソシエーション、プラグマティズム、左翼社会運動--
007.13『シンキング・マシン』人工知能の脅威--コンピュータに「心」が宿るとき。
210.3『建築から見た日本古代史』
775.5『唐十郎 特別講義』演劇・芸術・文学クロストーク
764.6『「行動四原則」で強くなる 吹奏楽』
291.01『地名の研究』
104『哲学的な何か、あと科学とか』
323.01『憲法の急所 権利論を組み立てる』
410.4『心はすべて数学である』
288.49『王妃たちの最期の日々 上』
288.49『王妃たちの最期の日々 下』
335.6『協同の再発見』「小さな協同」の発展と協同組合の未来
281.04『NHKラジオ深夜便 こころの時代 インタビュー集①』
281.04『NHKラジオ深夜便 こころの時代 インタビュー集②』
367.21『枕崎 女たちの生活史』ジェンダー視点からみる暮らし、習俗、政治
369.26『ケアマネジメントのエッセンス』利用者の思いが輝く援助技術
365.3『住まいと町とコミュニティ』
336.4『事業を創る人事』グローバル先進企業になるための人づくり
041『高校生と考える 人生のすてきな大問題』
019.9『仕事と人生に活かす「名著力」①』テレビマン「挫折」から「成長」への50冊
311.7『カウンター・デモクラシー』不信の時代の政治
379.47『「ラーニングフルエイジング」とは何か』超高齢社会における学びの可能性
519.13『環境経営とイノベーション』経済と環境の調和を求めて
689『観光学入門』
361『社会学のエッセンス』世の中のしくみを見ぬく
451.75『ビッグショット・オーロラ』
319.8『核のない世界への提言』核物質から見た核軍縮
304『「やらせ」の政治経済学』発見から破綻まで
309.02『現代資本主義の終焉とアメリカ民主主義』--アソシエーション、プラグマティズム、左翼社会運動--
007.13『シンキング・マシン』人工知能の脅威--コンピュータに「心」が宿るとき。
210.3『建築から見た日本古代史』
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
未唯空間見直し 概要 9.環境社会
9.1 問題と方向
自由と平等
少子高齢化
社会格差
多くの人がいる
コンパクト
資源の配分
原因と結果
自然エネルギー
資源の枯渇
国の方針
循環させる
廃棄物処理
リサイクル
静脈から環流
高齢者処理
集中から分散
原発は集中
効率的に拡散
地産地消
自律分散
9.2 多様化対応
国民国家
国の単位
国に依存
分配の仕組み
地域は多様
地域の活性化
地方自治
地域の活動
共有意識
変革の実験
市民の覚醒
自ら求める
市民の分化
コミュニティ
多様な活動
市民が変わる
全体を考える
先を見る
政治に関わる
配置という考え
9.3 グローバル化
国を超える
国境ありき
超国家と市民
ポスト・アメリカ
新経済理論
ローカル日本
経緯
日本の現況
EUは先行
各国状況
日本の選択肢
考えない体質
このままだと
アジアと共に
世界の盟主
世界の情勢
国家連合
EU・地中海
インド洋・シナ海
アメリカ大陸
9.4 循環
Sa-fire
Facilitation
Empowerment
Interpretation
Realization
持続可能性
考える力
内なる力
企画する力
外なる力
内なる思考
生活者主体
多様な知恵
核を作り出す
コンパクト
全体を企画
資本主義構造
分配から循環
市民を配置
市民を強くする
9.5 機能
循環エネルギー
地域から取得
外部エネルギー
エントロピー
循環のキッカケ
内なる行動
内部エネルギー
高度サービス
近傍に拡大
思考をカタチに
外部支援
意思決定
知識と意識
つながる
取り込み
勇気づける
共有意識
ユニット活動
専門家育成
合意形成
9.6 構造
情報共有
町つくり
地域の要望
LAN配置
WAN接続
家庭変革
身近なインフラ
地域で支援
地域と家庭
新しい循環
企業変革
組織の分化
市民を支える
シェアの要望
マーケティング
教育変革
市民の分化
やれること
教育の一貫性
国つくり
9.7 革命
覚醒
137億年の物語
国民国家
集中の限界
覚醒で新展開
伝播
役割を認識
覚醒から始める
パートナー
全体が変わる
超・資本主義
所有は非効率
政治形態
資本主義が崩壊
共同体主義
超・民主主義
自由と平等の関係
内から覚醒
配置の世界
分化と統合
9.8 環境社会
社会の位相化
地域財源
地域の位相
国民国家を超える
社会保障
社会の様子
寄り添う
グリーン雇用
高度サービス
利用する社会
シェア社会
持続可能性
多方面に展開
所有からシェア
お互い様の世界
持続可能性
歴史哲学
知の世界
生活者主体
地域から組立
自由と平等
少子高齢化
社会格差
多くの人がいる
コンパクト
資源の配分
原因と結果
自然エネルギー
資源の枯渇
国の方針
循環させる
廃棄物処理
リサイクル
静脈から環流
高齢者処理
集中から分散
原発は集中
効率的に拡散
地産地消
自律分散
9.2 多様化対応
国民国家
国の単位
国に依存
分配の仕組み
地域は多様
地域の活性化
地方自治
地域の活動
共有意識
変革の実験
市民の覚醒
自ら求める
市民の分化
コミュニティ
多様な活動
市民が変わる
全体を考える
先を見る
政治に関わる
配置という考え
9.3 グローバル化
国を超える
国境ありき
超国家と市民
ポスト・アメリカ
新経済理論
ローカル日本
経緯
日本の現況
EUは先行
各国状況
日本の選択肢
考えない体質
このままだと
アジアと共に
世界の盟主
世界の情勢
国家連合
EU・地中海
インド洋・シナ海
アメリカ大陸
9.4 循環
Sa-fire
Facilitation
Empowerment
Interpretation
Realization
持続可能性
考える力
内なる力
企画する力
外なる力
内なる思考
生活者主体
多様な知恵
核を作り出す
コンパクト
全体を企画
資本主義構造
分配から循環
市民を配置
市民を強くする
9.5 機能
循環エネルギー
地域から取得
外部エネルギー
エントロピー
循環のキッカケ
内なる行動
内部エネルギー
高度サービス
近傍に拡大
思考をカタチに
外部支援
意思決定
知識と意識
つながる
取り込み
勇気づける
共有意識
ユニット活動
専門家育成
合意形成
9.6 構造
情報共有
町つくり
地域の要望
LAN配置
WAN接続
家庭変革
身近なインフラ
地域で支援
地域と家庭
新しい循環
企業変革
組織の分化
市民を支える
シェアの要望
マーケティング
教育変革
市民の分化
やれること
教育の一貫性
国つくり
9.7 革命
覚醒
137億年の物語
国民国家
集中の限界
覚醒で新展開
伝播
役割を認識
覚醒から始める
パートナー
全体が変わる
超・資本主義
所有は非効率
政治形態
資本主義が崩壊
共同体主義
超・民主主義
自由と平等の関係
内から覚醒
配置の世界
分化と統合
9.8 環境社会
社会の位相化
地域財源
地域の位相
国民国家を超える
社会保障
社会の様子
寄り添う
グリーン雇用
高度サービス
利用する社会
シェア社会
持続可能性
多方面に展開
所有からシェア
お互い様の世界
持続可能性
歴史哲学
知の世界
生活者主体
地域から組立
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |