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情報メディアとしての図書館

『図書館情報学』

 情報メディアとしての本の役割は変わってくる。電子書籍と言うだけでなく、情報そのものが変わってくる。その際の「図書館」と「図書館人」の覚悟はできていない。

 まずは、本棚がなくなった世界をイメージするところから始めるしかない。本一冊の提供から無尽蔵なコンテンツの提供が可能になる。「本を貸す」という枠がなくなった時に、図書館に与えられる使命は何か

『よくわかる現代経営』

 サービスを付帯のように考えられているが、先の世界では高度サービスしかない世界が表れる。リアルの販売店が何を、誰に提供できるか。存在理由は何か。

 コンビニの無人化、物流なき世界を考えた時に、共有化を可能にするサービスが主役になる。消費者が生活者に変わり、所有から共有に変わる。

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OCR化した11冊

『よくわかる旅行業界』

 旅行業界の将来像

  国家的な取組み

   観光は21世紀の基幹産業

    観光産業への期待の高まり
    時代の変化に取り残された旅行業界

  ライフスタイルと観光

   団塊の世代はどう動き出すのか

    団塊世代の旅行ブームは起きたのか
    団塊世代にとっても新しい企画を

  海外旅行マーケティングの変遷

   周遊型から多品種少量生産に

  ビジネスモデルの変化

   既存のビジネスモデルでは限界に
   新時代を担うビジネスモデル
   今、求められるコンサルティング力
   MICEが業績向上のカギ
   着地型旅行ビジネスの可能性

  社会的・文化的な取組み

   エコツアーとバリアフリー
   産業観光とヘルスツーリズム
   ニューツーリズムと観光圏
   休暇取得促進と「旅育」
   観光産業は平和産業

『嘘の歴史 序説』

『コトラー マーケティングの未来と日本』

 万人に役立つ資本主義を求めて アメリカをモデルに思考する

  資本主義が抱える一四の欠点
  富が「滴り落ちる」という勘違い
  国家を動かす一パーセントの富裕層
  サマーズ「長期停滞論」と市場の波乱
  経済学者がいますぐ考えるべきこと
  このままではアメリカの中間層が消える
  個人主義者 VS 共同体主義者
  アメリカの最低賃金という「恥」
  万人に「有害」なタックスヘイブン
  「コンシャス・キャピタリズム」という潮流
  より賢く望ましい資本主義とは

『再エネ大編成』

 経済性前提のアメリカ市場

  一貫した経済性重視
  変わることのないアメリカの政策姿勢
  シェールオイル/ガスで復活したアメリカのエネルギー産業
  波及するシェールの効果
  天然ガス火力が急増
  石炭産業の雇用問題
  風力発電の急増
  風力発電を支えた国・州の政策
  トランプ政権下でも失速しない風力発電
  アメリカは1つではない
  EU型の西部
  伝統産業温存の東部
  資源経済の南部

 圧倒的な影響力を持つ中国市場

  成長を続ける中国
  中国のエネルギー問題
  石炭産業の雇用問題はアメリカ以上
  石炭依存が引き起こす環境問題
  国策の石油・天然ガス産業育成
  天然ガス調達のための一帯一路
  膨大な風力発電の可能性
  風力発電機器メーカーは世界を制覇する

 風力発電が太陽光発電も牽引

『世代×性別×ブランドで切る!』

 40~44歳 女性

  人生、決めるか、様子見か
  結婚という問題
  リラックス
  福山くん、天海先輩
  実はカレーは面倒だった?
  私たちはパスタ

 60~64歳 女性

  人生これから
  まさに第2の人生
  家族が大事、家が大事
  国産ブランドと海外ブランドと
  商品研究が大好き
  SMAPファンは60代?
  人気のハーゲンダッツ
  人気の衰えないあずきバー

 65~69歳 男性

  いろいろあったが、人生明るい
  団塊の世代の今
  後は余生ということで
  海外ブランドを手に入れたかった
  永遠に長嶋さんです
  iPhoneが普通
  らくらくホン需要は残る

 35~39歳 女性

  とりあえず、自分なりに、前向き
  回復は感じるが…
  前向きです
  自分なりの心地よさ
  現実と理想と
  ハリポタです
  ヒロインになりたいんです

『あなたの人生の意味』

 神の愛
 アウグスティヌス
 世俗的な野心
 内なる混沌
 自己の内面を見つめる
 小さな悪行
 神の存在
 自己改革
 自信過剰
 上昇
 身代わり
 神の愛
 謙虚な野心
 古い愛
 静寂

『公民館を創る』

 今日の公民館の実態

 「公民館の設置」の全体像

  公民館設置に関する調査設計
  「公民館類似施設」の実態とその再解釈

 「公民館の設置」の実態調査

  「公民館を設置している」ということ
  中央館の実態--公民館一館方式か
  公民館の設置形態(エリア)
  「公民館」名称を使わない公民館
  分館の設置

 公民館の指定管理者制度の実態とその問題

  公民館の運営主体--指定管理や補助執行の実態
  公民館の指定管理者
  指定管理団体
  公民館の指定管理者の特徴
  指定管理者制度の問題点-自治体の責務の放棄

『環境法』

 環境法の学習にあたって
 収奪活動と環境法

 現代環境法が対応すべき事象

  「多量、集中、特定、短期、単独、確実」
  「少量、広域、不特定、長期、複合、不確実」
  「汚染」の社会性

 Ⅲ環境法を分解する

  「環境」に関する法であること
   自然環境、人工環境、生活環境
   自然環境と環境法
   人工環境と環境法
   生活環境と環境法
  「現在および将来の世代」に関する法であること
   持続可能な発展と公共の福祉に資する発展
   基本的人権と公共の福祉
  「影響を与える行為」に関する法であること
  「関係主体の意思決定」に関する法であること
  「社会的に望ましい方向の決定の手続と内容」に関する法であること
  「方法」に関する法であること
  「紛争処理」に関する法であること

 環境法、民法、行政法

  裁判を通した個別的ルールの事後的創造
  法律を通した一般的ルールの未然防止的創造 moh
  環境法関係
  一般的ルールの機能不全と個別対応の必要性
  法的介入の経済学的説明

 環境法と開発法

 環境法と歴史

 環境法の類型

 環境法過程

  マクロ的視点
  ミクロ的視点

 環境法学習に対してのアドバイス

  「こう、そう、どう」
  通時間的視点
  制度比較的視点
  現象中心的視点
  学習における「立ち位置」を考える
  環境法裁判例のとらえ方
  環境法の主体から考える
  関係法・関係学問分野との関係

『<世界史>の哲学』

 包摂的な政治制度のアンチノミー

  無限の資本蓄積
  貧しい国と豊かな国
  繁栄を導く経済制度
  包摂的な政治制度
  答えこそが問いだ

『図書館情報学』

 情報メディア

  情報メデイアとは

   情報メディアの捉え方
   コミュニケーションを実現させる情報メディア
   情報メディアの技術的特性
   情報メディアの社会的機能と実践
   情報メディアの形式
   本章の構成

  本

   本の歴史
   情報メディアとしての本
   日本の出版流通

 パブリックコミュニケーション

  新聞
  テレビと放送
  ニュースと報道

 メディアとしてのウェブ

  インターネットとウェブ
  ウェブを構成する基本的な要素
  ウェブによる発信
  メディアとしてのウェブの特徴

 情報メディアの保存

  情報メディアの保存の意義と方法
  図書館資料の保存
  電子資料の保存
  デジタルアーカイブ

 学術コミュニケーション

  学術コミュニケーションとは
  学術コミュニケーションモデル
  学術雑誌
  電子ジャーナル
  オープンアクセス

『よくわかる現代経営』

 サービスの管理を知るサービスの基礎と特性

  交換とリレーションシップ
  サービスとは
  サービスの特性:無形性と同時性
  サービスの特性:無形性と変動性
  サービスの特性:無形性と消滅性

 サービスの分類と交換関係

  サービス分類:事業分野による分類
  サービス分類:対象顧客による分類
  サービス分類:ラブロックによる分類
  サービスの交換関係

 消費者と従業員

  サービス品質
  顧客満足
  サービスの失敗とリカバリー

 消費者と企業

  顧客ロイヤルティ
  市場拡大戦略

 従業員と企業

  サービス・プロフィット・チェーン
  インターナル・マーケティング

 ビジネスのサービス化を知る

  ビジネスモデルと事業システム

   企業活動と顧客価値
   顧客価値を作り出す仕組み
   事業システム

  価値創造の仕組みをつくる時代へ

   規模の経済
   事業環境の大きな変化
   新たな事業システムの構築へ

  いろいろな事業システム

   スピードの経済
   集中特化と外部化
   範囲の経済(組合せの経済)

  サービス志向のビジネス

   取引財とビジネス:物財とサービス財

  サービス・イノベーション

   ビジネスのサービス化傾向
   サービスの“見える化”
   サービス・イノベーションの目的

  顧客関係管理とは

   顧客価値と顧客関係管理
   CRM (Customer Relationship Management)

  新たな顧客関係管理へ

   新たなCRMへの着目と顧客価値創発
   CRMの新展開
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情報メディアとしてのウェブ


『図書館情報学』より 情報メディア メディアとしてのウェブ

ウェブによる発信

 ウェブが始まった当初は、ウェブページを公開するには、HTMLタグを使って記述したファイルをサーバーにアップロードすることが一般的であった。しかし、タグの記述方法やサーバー上のファイル構造を理解している必要があるため、誰もがウェブ上で何かを発信するということは難しかった。1990年代半ば以降、HTMLを知らなくてもウェブページを作成できる、ウィキ、ブログ、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などのサービスが使われるようになった。

 ウィキは、ウェブサイトの利用者が誰でもコンテンツの書き換えを行うことが可能なサービスである。他のサービスと比較すると、性善説に基づく開かれたシステムであり、ウィキペディア(Wikipedia)のように公開された形式で情報共有を行う際に利用される。グループウェアのように特定のメンバーだけが使えるようにセキュリティの設定を行った上で共同作業に用いられることもある。最も初期のウィキは1995年にウォード・カニンガム(Ward Cunning-ham)が開発したものだとされる。

 ブログは限定された個人や組織が、時系列で記事を投稿していく。ウェブを記録する(log)の意味でウェブログ(weblog)とされたが、次第に短縮されブログ(blog)と呼ばれるようになった。ブログには、一般的にコメントを付ける機能、他のブログと関係づけるトラックバック機能、RSSと呼ばれる更新を通知する機能が用意されている。ブログは日本では個人の日記として普及したが、企業などの組織の広報としても使われることが多くなってきている。

 SNSは、人同士のつながりを重視したサービスである。SNSの名でさまざまなサービスが行われており、一概にSNSに必須の機能が何かを示すことは難しい。一般的には、プロフィールや日記の公開機能、それらの公開範囲を制限する機能、他者の更新を通知する機能、自己紹介や人を紹介する機能、テーマごとのコミュニティ形成機能を持つ。SNSは一部のコンテンツを除き、アクセス制限がかけられていることが多い。アクセスが制限されたコンテンツは、検索エンジンからアクセスすることができない。その意味でSNSは閉ざされたウェブを構成しているともいえる。

メディアとしてのウェブの特徴

 規模の大きさと利用の多さ

  ウェブの規模について、2000年前後には、ウェブベージの総数の推計がいくつか発表されていた。ただし、ウェブ上にはアクセスされるたびに自動生成されるページが多くある中、推計そのものの意義が徐々に失われていった。2008年にグーグル(Google)が収集したユニークなウェブページのURLは1兆ページを超えたことを発表したが、それを最後に推計はなされていない。インターネット統計サイトNetcraftによれば、2014年9月にはウェブサイト数は10億件を超えている。

  平成28年度の『情報通信白書』によれば、日本におけるインターネットの利用者は1億46万人、人口普及率は83.0%であり、高齢者や子どもを除くとほぼ全ての人が何らかの形でインターネットを利用しているといえる。

 情報発信手段としてのウェブ

  規模が大きく利用が多いウェブは、情報発信手段として普及してきた。平成27年の「通信利用動向調査」によれば,企業のホームページ開設率は業種や規模を問わず平均して89.5%である。現在、ほとんどの企業が何らかの形でウェブサイトを持ち、情報発信を行っている。

 情報サービスの提供手段としてのウェブ

  各種データベースをはじめとする情報サービスは、その提供手段としてウェブを利用するようになった。以前は情報サービスの多くが独自の手段で提供され、利用者はサービスごとに接続方法や使い方に習熟する必要があった。多くの情報サービスがウェブ上で統一的に提供されることにより、利用者は容易に使うことができるようになった。情報サービスを構築する側にとっても、ウェブに統一することで構築コスト、運用コストを低減することができた。プロトコルをはじめウェブに関わる技術はシンプルかつ柔軟であったため、さまざまな情報サービスに対応可能であったことも普及の理由として挙げられる。

 集合知のプラットフォームとしてのウェブ

  ウェブの登場以前から「集合知(Wisdom of Crowds)」という概念は存在した。集合知とはジェームズ・スロウィッキー(James Surowiecki)によれば“適切な条件下でグループは非常に知的になる。その知はグループの中でもっとも優れる者をしばしば凌ぐ”と説明されている。ウェブの拡大と普及に伴い、実際に集合知を応用したサービスや事例が登場した。その代表的な情報サービスとして、ウィキペディアを取り上げる。

  ウィキペディアはウィキを用いたオンライン百科事典プロジェクトである。作成された項目数や利用数から見ると、ウェブ上の共同作業で、最も成功しているプロジェクトといえる。一般的な百科事典とは異なり、誰でも項目の追加や更新を行うことができる。そのため、従来の百科事典では項目として立てられることがなかった、一般語、俗語、新語が数多く収録されており、それらの記述も充実していることが多い。

  誰でも書き換え可能で、百科事典編纂に関わる編集者や編集長がいないウィキペディアであるが、分野によってはブリタニカ百科事典に匹敵する信頼性があるという調査結果もある。ウィキペディアが全体としてある程度の整合性を持ち、信頼できる情報を提供できている理由は、集合知をうまく集約できているためと考えられる。

  ウィキベディア以外にもウェブ上では多くの情報サービスにおいて、集合知を活用した情報共有が行われている。たとえば、写真共有サイトのフリッカー(Flickr)では、コンテンツについて利用者が自由にキーワードとなるタグを付与し分類するフォークソノミー(folksonomy)と呼ばれるタグ付けが行われている。また、検索エンジンのグーグルのページランクアルゴリズムは、ウェブ上で人々が張ったリンクを収集し、検索結果の重みづけに応用している。これも集合知を応用した事例といえる。

 フィルターバブル

  検索エンジンは単に入力された検索語に応じた検索結果ではなく、過去の検索履歴に応じた検索結果を提示するようになり、SNSは提供する情報を過去の活動の嗜好に応じたものに絞るようになってきた。イーライ・パリサー(Eli Pariser)はこの状況をフィルターバブルとし“アルゴリズムによりもたらされる、情報の個人的生態系”と定義し、問題提起を行った。たとえば、本来は意見が大きく二分されるような政治的案件でも、フィルターバブルに包まれ自分の嗜好に合致する意見のみを受け取る人にとっては、ウェブ上の言論は片側の意見しか存在しないことになる。結果として、フィルターバブルによって自分の嗜好にあう意見が強調され、それ以外の意見に耳を貸さなくなるという主張である。ただし、実際にどの程度そうなっているかには意見が分かれる。
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ビジネスのサービス化

『よくわかる現代経営』より ビジネスのサービス化を知る

物財とサービス財

 消費者が購入するのは、「物的な財」よりも「サービス財」の方が多い。資料X-3に示すように、パソコンや車を購入した場合でも、それら「物財」を購入する費用より、その他の「サービス」に支出する割合の方が高い傾向がわかる。サービス産業は、現在、日本経済の約7割(GDP・雇用ペース)を占め、今後も日本経済の成長に大きな役割が期待されている。このように、われわれの消費行動そして経営活動を理解するには、「サービス」の取引について理解することが大変重要である。

 サービスについては、これまで形があるもの(有体財)と形のないもの(無体財)の性質の違いが、ビジネスのあり方にどのように影響を与えるのか、という研究がされてきた。有体財と無体財の大きな特徴として、まず挙げられるのは、所有権が移転するかどうかである。またサービスは事前にテストすることができないために、購入する前にその品質を知ることができないこと、さらには顧客がそのサービスの生産プロセスに入り込むこと、標準化や品質コントロールが難しいこと、在庫として貯めておくことができないこと、が挙げられる。

 美容院を例にみてみよう。髪の毛は、自分の所有物なので当然のことながら所有権は移転しない。顧客は美容師に自分の注文を伝え、カットしている間でも、細かく指示・要望できる。しかし、初めて訪れる店の場合、実際にどのように自分の髪の毛を切られてしまうか、予め知る方法がない。そして、髪の毛を切るという行動は時間を変えて全く同じに再現することはできないという、取引の同時性をもつ。人間の髪型は、人の好みや流行、職業などにより同じ物はないために、すべての人に対して個別に対応する必要がある。

 サービスと物財の取引で、サービスは“無形”、物財は“有形”と単純に理解すると混乱することになる。例えば、外食産業を例に考えてみよう。ある著名な料理人を雇って、料理を作ってもらうのは、その調理活動中の料理を作るプロセスを買うことになるから、サービスを買っている、と考えることになる。ところが、でき上がった料理を買ってくる、あるいはそのレシピを買ってくる、ということになると、これは物財を買ったことになる。同じように研究開発では、研究者・技術者の研究活動は研究開発プロセスであるため、サービス生産活動と見なすことができる。しかしながら、その成果物である例えば特許を買うというのは物財になる。この場合、「見える」・「見えない」という区分で判断すれば、特許は見えないからサービスという分類になるが、それは誤りである。このように、活動プロセスとその活動結果を区別することがサービスと物財を見分けるうえで有効となる。このプロセスの売買がサービスである。

 サービスは、プロセスの取引関係である。ここで、売り手と買い手との間に意思の疎通を行い、顧客が望んでいることは何か、それを聞き出し、サービス化するというプロセスが生まれる。これは協働関係であり、個々の顧客に合わせて個別対応を行うことである。例えば、レストランでワインを頼む状況を考えてみる。今日の料理と、一緒に来た人の好み、そして最も大事な予算との兼ね合いをソムリエに相談することができる。ソムリエは、お客と相談しながら、最適なワインを選び出してくれる。選び出されたワイン(=“結果”)ではなく、選び出ずプロセズが大事だから、これはサービスといえるだろう。

 次にパソコンのソフトウェアを考えてみる。ソフトウェアの開発には、マーケティング部門、研究開発部門、販売部門等、多くの部門がプロセスに関わっている。しかし、ソフトウェアメーカーは、多くの人が必要だと思われる機能をパッケージ化して、ソフトウェアを販売している。すなわち、顧客は、その開発・製造・営業プロセスを買うのではなく、そのプロセスの“結果”としてのソフトウェア買うことになる。そのためにこれはサービスではなく、“物財の取引”と考えなければいけない。ソフトウェア購入=物財の購入には違いないが、その考え方に注意しなければいけない。

ビジネスのサービス化傾向

 サービスと物財の違いについて説明してきたが。最近のビジネス動向では、このサービスと物財の取引を明確に線引きするのが難しくなってきている。「サービス」がよりその適用範囲を広げた結果、取引のサービス化が進んできているのである。

 もう一度レストランを例として取り上げてみよう。レストランはサービス業に分類されることが多いが、提供する価値の点から再考してみる。レストランには、メニューがあり、顧客はそこから自分の好きな物を頼む。メニューは、そのレストランが調理した結果であり、形が決まっており、誰もが頼むことができ、誰に対してでもほぼ同じ物が出てくる。その延長線上が、中食である。レストランと同じ物を、百貨店やコンビニで購入できる。これは、“結果”としての取引であるから、“物財”とみていいことになる。

 レストランには、ウェイターやウェイトレスがお客に“サービス”するが、それぱ物財”に付属的なサービスでしかない。では、レストランのサービス化とはどのようなものであろうか。漁港にある食堂では、その日獲れた食材が並べてあり、お客は、そうした食材と味付けを選び、自分好みの料理を作ってもらうことができる。予め決められた選択肢のなかから、自分好みのものを作ってもらう、これはマス・カスタマイズと呼ばれる考え方である。昨今、クラウドコンピューティングあるいはSaaSとICT産業でいわれているサービス化もこれと同じである。これまでは、ソフトウェア会社が顧客に販売していたのはソフトウェアであった。これに対し、顧客が望むアプリケーションと呼ばれるサービスを複数用意し、顧客の要望に合わせて、それらのアプリケーションを統合し、顧客に合ったサービスを提供するのである。このように、サービス化には、サービスの提供プロセスを改革することと、個々の顧客に合わせる個別化が重要な要素となってくる。

サービスの“見える化”

 サービス提供プロセスの改革においては、サービスプロセスの“見える化”、が重要となる。物財の生産過程と異なり、サービスの生産過程の特徴として、①サービスの製造プロセスに顧客が入り込む必要があること、②品質に関して顧客毎に求められるレベルが異なること、③定常状態で生産できないこと、が挙げられる。すなわち、サービスを生産し、顧客に提供するプロセスは、プロセス自体が複雑であり、さらにそのプロセスが個々に異なっていることから、物財の生産・販売と異なり、定量化して、標準化されたプロセスにすることが非常に難しいのである。このことから、サービスプロセスの改革の第一歩として、サービス提供のプロセスを“見える化”する、すなわち測定する方法を考え、定量的にそのプロセスを明らかにする必要がある。

サービス・イノベーションの目的

 サービス・イノベーションの目的を考えてみよう。スーパーのレジ業務の効率化を例として取り上げる。顧客価値としてスーパーのレジ待ちをなくすことは重要だが、スーパーのオペレーションコストを勘案すると、単にレジ機械を増やし、レジ係を大量に雇用する、という方法は採れない。まず始めることは、お客をレジで待たせている時間とその状況を明確にし、レジ待ちとスーパーの業務オペレーションとの関係を明らかにすることである。どのような時間帯に客が何人待っているのか、そのときの各レジの状況は、ということが明確にできれば、対策を立てやすくなる。さらに入店した客数とレジ待ちの関係、すなわち入店した顧客が何分後にレジに向かうのかといった状況がわかれば、スーパー側は対策を立てやすくなる。

 対策を行うプロセスではスーパーの業務自体を変える必要が出てくるだろう。例えば、解決方法として、普段レジ係とは異なる仕事をしている従業員は、入場客数が一定以上になった場合、その仕事を終わらせてからレジ業務の応援に向かう、そしてレジ待ちが解消されれば、元の職場に戻る、というオペレーションの改善が可能となる。結果、サービスプロセスの効率化を行い、生産性を向上できる部分が明確になる。一番大事なことは、サービスの生産性向上を、サービス自体の質的な向上につなげることである。レジ業務を省力化することで、実は顧客個々への対応を行うサービスカウンターの人員に回したり、対面販売の導入を可能とし、売場のディスプレイや商品配置のようなマーチャンダイジング活動により注力することができる。

 このように従来のサービスの提供プロセスを“見える化”し、科学的に分析を行うことで、サービス提供プロセスの効率化そして生産性の向上が期待できる。サービス・イノペーションは、サービス提供プロセスの効率化を目的とするだけではなく、効率化によって、業務プロセスの見直しを行った結果、新たなサービスオペレーションが生まれ、そして業界のビジネスプロセス自体にも変化が起こることも目的としているのである。

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情報メディアとしての本

『図書館情報学』より 情報メディア

「固定性」

 書かれた言葉は、話される言葉と違い、変化しない。つまり、「閉じられた」テキストであるということができる。しかも、写本では筆写の際に間違いが混入したり、注釈や変更が付け加えられ、それが継承されていくことが珍しくないが、印刷は同一のものを大量に複製できることから、印刷本は最終的な形のテキストを示していると見なされる。この固定性は、本への信頼や本の権威へと結びつく。物理的な本そのものや本という概念に対する崇敬は、世界中で広く見られる。本が大量生産されるようになっても本の権威は保たれている。現代においてさえ、たとえば図書館のように大量の本を備えた場所では静粛を保ち、あまり気ままな行動はとらないのが普通である。

 オングは、話すこと(声の文化)と対比させる中で、閉じられた完全な空間という感覚は書くこと(文字の文化)によって生じ、印刷によって強められたと述べている。マクルーハンも、声の文化と文字の文化を対比させ、視覚を強調し、世界を断片化して線的に並べる均質な活字文化が人間の知覚を変容させ、近代社会の成立に影響を与えたと論じた。

「物」としての実体

 記された内容という情報だけでなく、情報の入れ物としての本の物理的な形態そのものも意味を持っている。往々にして一定の形態が想定読者層を示し、新しい形態は新しい読者層と結びつく。これをD.F.マッケンジー(D.F. McKenzie)ぱ新たな読者が新たなテクストを生み出し、テクストの意味合いはその新たな形式によって左右されると表現した。たとえば、巻物が主流の時代に、キリスト教徒が当時新しい形態であった冊子体を積極的に採り入れたことを考えると分かりやすい。現代でも、『ハリー・ポッターと賢者の石』のハードカバーの単行書は児童向け、新書版は成人向け、と異なる読者が想定されていることは、明示されなくとも暗黙のうちに了解されている。

 本はまた、文化的な工芸品でもある。本が手作業で作られる貴重品であった時代には、ページに美しい装飾が施されたり、意匠を凝らした芸術的な装丁が施されることも多かった。1830年代頃を境に本が機械で大量生産され画一的に製本されるようになってからも、ブックデザインという考え方に基づき、実用的な、あるいは審美的な理由からさまざまな工夫が凝らされている。

 こうした本の実体に着目し、物理的な「物」として本を捉える英米流の「分析書誌学」という学問分野もある。さらに20世紀後半からは、本と社会との関わりを分析しようとする「書物史」と呼ばれる研究領域が進展している。

著作概念と著者

 著作と著者

  作品を公にすること(publish)は、印刷以前からある概念である。しかし、創造性や独自性といった概念と著者が結びつけられたのは比較的新しい。剽窃という概念は古代エジプトにも見られるものの、中世においては文学的な著作物の無名性は普通であり、中世の著者と現代の著者を同じに考えることはできない。一つの著作には基本的には一人の著者が対応するという現代的な意味での著者性が一般的になるのは、印刷術登場以降のことである。

  ミシェル・フーコー(Michel Foucault)は、ある著作と結びつけられた「機能としての著者」は、処罰の対象となりうるという意味での刑事責任と、保護の対象となりうるという意味での文学著作権とを認める法律の存在を前提にしていると論じた。そして中世においては、科学的な著作は著者名を必要とする一方で文学的な著作はそうでなかったのに対し、17世紀または18世紀にそれが逆転し、科学的著作の権威は既存の知の体系との一致に基礎を置き、権威としての著者名を重視しなくなったのとは逆に、文学的著作は著者としての機能を付与された形でしか受け入れられなくなったと指摘した。

  ロジエ・シャルチエ(Roger Chartier)は、ジャンルによる匿名性と著者性にはそうした転換があったとはいえないと指摘している。シャルチエは、18世紀後半に生じた著者や著作に関する考えの変化は、文筆活動が職業化して直接的に金銭的報酬を得られるようになる一方、佃陛的な創造者としての独立した著者という概念が現れたことによることを指摘した。写本時代には王侯貴族が文芸を保護するパトロンとなっていたが、印刷が始まると、印刷業者や書籍販売業者が商業的な動機に基づくパトロンとなる例が現れる。18世紀後半には伝統的なパトロンは廃れ、出版業者が作品を買い切り、その後の販売部数にかかわらず、一度だけ著者に支払いを行うのが一般的であった。19世紀には著者が同業者団体を形成するなどして出版業者に対する姿勢を強め、現在のような印税の仕組みが確立していった。その結果、著述によって生計をたてる現代的な著者の存在が可能となった。

 著作権と著者

  著作権の歴史を概観すると、著者が保護の対象となったのは最近のことであることが分かる。西洋では印刷術の誕生後間もなく、海賊版に対抗するために、権力者(政府、王侯貴族、教会)による出版の認可や他者による印刷の一定期間の禁止、同業者組合への作品の登録などが行われるようになるが、そうしたものが目指すのはあくまで印刷(出版)業者の保護であり、著者の保護ではなかった。著作権という概念は、18世紀に出版特認の廃止に対抗する中で登場した。

  18世紀の英国では著作にまつわる権利をめぐって多くの争いが起きたが、ロンドンの書籍業者が地方の書籍業者による再刊の差し止めを求める裁判が主であった。これに対し, 1709年に制定されたアン法は、著者への権利を意識し、創作の動機づけとして経済的な権利を著作者に対して与えるものであった。一方、フランスでは革命期の憲法制定国民議会が特許制度を廃止し、自然権としての著作者の権利を認めた。

  こうした論争の中から、著作権を正当化するものとして、創作物の独創性という概念が現れる。著作ぱそれが伝える思想(いかなる個人的領有の対象にもなりえない)によってではなく、その形式によって、つまり作者が自己の提示する概念を生み出し、組み合わせ、表現するそのやり方によって特徴づけられるという新しい定義が出現した。

  日本では、17世紀初めの寛永期に営利事業としての出版が盛んになっていた。享保7年(1722)の出版条例は、著者と板元の実名の明記を義務づけ、本屋の同業者組合(本屋仲間)が奉行所からの許可を受けてから出版するように定めているが、これは出版者の板権を公認することであると捉えることもできる。整版印刷が主流であったため、板権は版木自体にあり、それを「板株」と称して本屋仲間での売買や質入を行っていた。ただし、西洋と同じく著者には経済的な権利としての著作権があったわけではなく、滝沢馬琴らの例外を除くと印税の習慣もなかった。現代的な財産権としての著作権は、1899年にベルヌ条約に加盟するにあたり、旧「著作権法」として整備された。
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