未唯への手紙
未唯への手紙
グローカル人材としての地域公共人材
『地域公共人材をつくる』より いま求められる地域公共人材 グローカルな世界構造と地域公共人材
20世紀後半は、科学技術の発展と産業の巨大化を契機に世界の経済社会システムが地球大に広がり、国境を越えた流動性がヒト・モノ・カネ・情報のすべての分野で顕著になるボーダレス化か支配的な潮流となった。さらに1988年のペルリンの壁の崩壊を契機とする冷戦の終結によって市場経済が世界全体を覆うこととなった結果、世界の構造は完全にグローバル化して、主権国家を核とする世界秩序は根本的に変わった。実際、企業活動が多国籍化し、世界を流動する資本は国家の都合にかかわりなく利潤を求めて金融を動かし、資本の一国に対する集中投資や逃避が世界経済を揺るがす時代になっている。現在世界各国が競って取り組んでいる規制緩和・自由化は、国際化した企業にとって、グローバル経済システムのなかで自由な利潤追及をするうえでの障害物となってしまった国レペルの規制や保護という国家の経済主権を縮小させる結果をもたらしている。また、産業・経済活動の地球規模化に伴い資源・環境・食料・金融などのあらゆる面で国際的な相互依存関係が強くなり、さらに国際機関や世界的課題に直接かかわっているNGOなどの力が強まったために、軍事力の行使も含めて、国家が単独で自己決定できる範囲が次第に狭まる傾向が加速している。
しかし国際社会はグローバル化という概念だけでその構造を理解し、さまざまな事象に対処する政策を形成し、またさまざまな社会経済的活動を展開すれば事足りるほど単純にできているのだろうか。またグローバル化の弊害として言われている地域社会の疲弊や、グローバル化のもとに進行している市民社会における生活レベルの劣化などに対処し、平穏な日常生活を人々に保証する仕組みはグローバル化そのものに内在させることができるのであろうか。世界の大きな潮流がグローバリズムに向かっていることに目を奪われて、その一方で人々の日常生活を平安で充実したものにする理念や制度を確立する契機を見失ってしまえば、世界は社会を構成する基本要素である地域社会という人々のアイデンティティの基盤を失って、国家や企業という大きな組織が支配する反市民社会的なものになるという批判が現実化するのではないだろうか。
現実にはグローバル化という潮流は、その一方で国家の役割を相対的に低下させることによって、国家とは異なる次元の組織やセクターの存在感を高めている。いまや世界を動かすアクターは国家や国際機関だけでなく、これまで国家の壁に隠れて見えてこなかった企業・NGOそして地方政府など、国家以外のものがいわばむき出しになって国際社会と対峙せざるをえない状況が生まれている。 実際に、国連やEUなど国家を超えた「超国家」や、TPPに代表される国際的なルールが国家の機能を浸食するグローバル化か進む一方で、NGOやNPOが国家と並立して世界や地域を動かす主体として登場し、さらに生活の安定や社会的公正さの実現をより身近な「地方政府丿地域集団」などの自己決定に委ねることを求めるローカル化としての地方分権・自治体の地方政府化も顕著になっている。
国家の機能がグローバルとローカルに分極するこの動きは、分割不可能で唯一と定義されてきた近代以後の国家主権を拡散・構造化させ、国家を絶対的な存在から機能的な存在である「機能国家」に変容させるものととらえることができる。世界を主権国家の単一支配から「超国家」「機能国家付地方政府」が共存する「グローカル(glocal = global+local)」な構造へ転換する。
このような潮流を私たちはグローカリズムと呼んでいる(富野2009)。グローカリズムの時代においては、私たちは権力的セクターとしての「超国家」「機能国家」「地方政府」と、非権力的セクターとしての「企業・資本」[地球市民・NGO]が、複雑な相互関係のなかであるときは協調しあるときは競争もするようなダイナミックな世界の状態を前提として、人々を真に豊かにし人間らしい人生を実現するための多者間ガバナンス(マルチパートナーシップ・ガバナンス)を構築しなくてはならない(マルチパートナーシップの文献上の初出は、LORC(龍谷大学地域人材・公共政策開発システムオープン・リサーチ・センタづがその成果として出版した、白石・新川編2008である)。
このようなグローカリズムという新たな世界構造・社会構造への変革を担うセクター横断型の人材が「地域公共人材」の1つの重要な要素である。 ここで特に強調しておきたいことは、「地域公共人材」という場合、その「地域」とは「グローカルな」という意昧であり、地域における課題や生活に確実に立脚しつつ世界の動きを受け止めて活動し、必要に応じて世界に向けた発信や世界的な活動への展開ができる人材であり、いわば、think globally act locally、そしてthink locally act globally、の両面を体現する現代人であると規定することができる。
20世紀後半は、科学技術の発展と産業の巨大化を契機に世界の経済社会システムが地球大に広がり、国境を越えた流動性がヒト・モノ・カネ・情報のすべての分野で顕著になるボーダレス化か支配的な潮流となった。さらに1988年のペルリンの壁の崩壊を契機とする冷戦の終結によって市場経済が世界全体を覆うこととなった結果、世界の構造は完全にグローバル化して、主権国家を核とする世界秩序は根本的に変わった。実際、企業活動が多国籍化し、世界を流動する資本は国家の都合にかかわりなく利潤を求めて金融を動かし、資本の一国に対する集中投資や逃避が世界経済を揺るがす時代になっている。現在世界各国が競って取り組んでいる規制緩和・自由化は、国際化した企業にとって、グローバル経済システムのなかで自由な利潤追及をするうえでの障害物となってしまった国レペルの規制や保護という国家の経済主権を縮小させる結果をもたらしている。また、産業・経済活動の地球規模化に伴い資源・環境・食料・金融などのあらゆる面で国際的な相互依存関係が強くなり、さらに国際機関や世界的課題に直接かかわっているNGOなどの力が強まったために、軍事力の行使も含めて、国家が単独で自己決定できる範囲が次第に狭まる傾向が加速している。
しかし国際社会はグローバル化という概念だけでその構造を理解し、さまざまな事象に対処する政策を形成し、またさまざまな社会経済的活動を展開すれば事足りるほど単純にできているのだろうか。またグローバル化の弊害として言われている地域社会の疲弊や、グローバル化のもとに進行している市民社会における生活レベルの劣化などに対処し、平穏な日常生活を人々に保証する仕組みはグローバル化そのものに内在させることができるのであろうか。世界の大きな潮流がグローバリズムに向かっていることに目を奪われて、その一方で人々の日常生活を平安で充実したものにする理念や制度を確立する契機を見失ってしまえば、世界は社会を構成する基本要素である地域社会という人々のアイデンティティの基盤を失って、国家や企業という大きな組織が支配する反市民社会的なものになるという批判が現実化するのではないだろうか。
現実にはグローバル化という潮流は、その一方で国家の役割を相対的に低下させることによって、国家とは異なる次元の組織やセクターの存在感を高めている。いまや世界を動かすアクターは国家や国際機関だけでなく、これまで国家の壁に隠れて見えてこなかった企業・NGOそして地方政府など、国家以外のものがいわばむき出しになって国際社会と対峙せざるをえない状況が生まれている。 実際に、国連やEUなど国家を超えた「超国家」や、TPPに代表される国際的なルールが国家の機能を浸食するグローバル化か進む一方で、NGOやNPOが国家と並立して世界や地域を動かす主体として登場し、さらに生活の安定や社会的公正さの実現をより身近な「地方政府丿地域集団」などの自己決定に委ねることを求めるローカル化としての地方分権・自治体の地方政府化も顕著になっている。
国家の機能がグローバルとローカルに分極するこの動きは、分割不可能で唯一と定義されてきた近代以後の国家主権を拡散・構造化させ、国家を絶対的な存在から機能的な存在である「機能国家」に変容させるものととらえることができる。世界を主権国家の単一支配から「超国家」「機能国家付地方政府」が共存する「グローカル(glocal = global+local)」な構造へ転換する。
このような潮流を私たちはグローカリズムと呼んでいる(富野2009)。グローカリズムの時代においては、私たちは権力的セクターとしての「超国家」「機能国家」「地方政府」と、非権力的セクターとしての「企業・資本」[地球市民・NGO]が、複雑な相互関係のなかであるときは協調しあるときは競争もするようなダイナミックな世界の状態を前提として、人々を真に豊かにし人間らしい人生を実現するための多者間ガバナンス(マルチパートナーシップ・ガバナンス)を構築しなくてはならない(マルチパートナーシップの文献上の初出は、LORC(龍谷大学地域人材・公共政策開発システムオープン・リサーチ・センタづがその成果として出版した、白石・新川編2008である)。
このようなグローカリズムという新たな世界構造・社会構造への変革を担うセクター横断型の人材が「地域公共人材」の1つの重要な要素である。 ここで特に強調しておきたいことは、「地域公共人材」という場合、その「地域」とは「グローカルな」という意昧であり、地域における課題や生活に確実に立脚しつつ世界の動きを受け止めて活動し、必要に応じて世界に向けた発信や世界的な活動への展開ができる人材であり、いわば、think globally act locally、そしてthink locally act globally、の両面を体現する現代人であると規定することができる。
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