goo

未唯空間目次 第1章 自分編

1.1 生きている
 1.存在と無
  ①存在と無が共存
  ②存在は不思議
  ③無は無
  ④存在の証し
 2.孤立と孤独
  ①放り込まれた
  ②絶対的孤独
  ③他者はいない
  ④承認はいらない
 3.生きるシナリオ
  ①風呂場で決断
  ②真理を求める
  ③数学に救い
  ④シナリオ
 4.数学の真理
  ①数学にあこがれ
  ②本質を見ていく
  ③未来が見える
  ④全体を創造
1.2 考える
 1.考えるしかない
  ①考えること
  ②生きること
  ③答がない問い
  ④啓示を得る
 2.偶然が起こる
  ①大いなる意思
  ②偶然は必然
  ③意図された未来
  ④偶然を生かす
 3.もう一人の私
  ①無敵のμ
  ②内なる他者
  ③私を理解できる
  ④行動できる
 4.夢をかなえる
  ①女性は存在する
  ②夢を描く
  ③夢を聞く
  ④夢を語る
1.3 私って何?
 1.私がいる
  ①何をなすために
  ②私が全て
  ③考えること
  ④願うこと
 2.宇宙の旅人
  ①宇宙を旅する
  ②心を軽く
  ③地球に寄ってみた
  ④宇宙から見る
 3.私は観察者
  ①観察する
  ②全体を見る
  ③組織を見る
  ④配置と循環
 4.私は諦めない
  ①私がいる意味
  ②組織との戦い
  ③個人を生かす
  ④知るしかない
1.4 内なる世界
 1.私は私の世界
  ①私が世界の全て
  ②他者は存在しない
  ③私の世界を表現
  ④私の夢はかなう
 2.存在のなぞ
  ①大いなる意思
  ②存在のあり方
  ③考える日々
  ④私は正しい
 3.他者との境界
  ①私は無
  ②他者は無
  ③無に境界はない
  ④外なる世界になる
 4.他者を挟み込む
  ①コンパクト空間
  ②女性が接点
  ③哲学という手段
  ④存在の力で押出す
1.5 外なる世界
 1.社会と接触
  ①ボランティア
  ②笑顔とあいさつ
  ④勇気づける
  ③市民は動かない
 2.現象を捉える
  ①未唯への手紙
  ②もう一人の私
  ③パートナー
  ④新刊書処理
 3.現象を解明
  ①他者の世界
  ②現象を収集
  ③現象を解明
  ④女性に希望
 4.社会の仮説
  ①持続可能性
  ②循環する世界
  ③部分と全体
  ④仮説の設定
1.6 未唯空間
 1.私の空間
  ①蓄積する
  ②反映する
  ③分類する
  ④マイライブラリ
 2.320のヘッド
  ①全てを対象
  ②カテゴリー分け
  ③配置を表現
  ④プレゼンに表現
 3.言葉の空間
  ①ヘッドで集約
  ②言葉を因数分解
  ③言葉のなぞ
  ④キーワード空間
 4.論考表現
  ①部品表構成
  ②サファイア意識
  ③ヘッド中心構造
  ④論考スタイル
1.7 未唯宇宙
 1.宇宙に出る
  ①未唯空間の分化
  ②ヘッドが全体に
  ③他者を取り巻く
  ④他者に干渉
 2.宇宙から見る
  ①独我論
  ②無限次元
  ③宇宙を表現
  ④旅の果て
 3.組織から配置
  ①組織を分化
  ②情報共有社会
  ③配置の考え
  ④組織を統合
 4.知の世界
  ①情報技術
  ②コンテンツ
  ③メディア
  ④知をまとめる
1.8 全てを知る
 1.全ての範囲
  ①宇宙の果て
  ②社会は存在する
  ③存在の確認
  ④私の独我論
 2.知る意味
  ①ここにいる理由
  ②存在の無の意味
  ③孤独であること
  ④問われたら応える
 3.家族から変わる
  ①数学が示すモノ
  ②サファイア社会
  ③社会は変わる
  ④歴史が変わる
 4.預言する
  ①幸せを望むなら
  ②覚醒せよ!
  ③生活を変える
  ④インフラを開放

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

OCR化した3冊

『大学4年間の宗教学が10時間でざっと学べる』
 宗教学とは何か
  宗教学とは?
   人間や社会を深く知る学問」
  宗教の定義
   なぜ宗教を定義するのは難しいのか
  この世はどのようにして創られたのか?
   なぜか似ている創世神話
  人は死んだらどうなるのか?
   「死後の世界」がある宗教とない宗教
  どうすれば苦しみから逃れられるのか?
   「救い」も宗教によってこれだけ違う
『Creative Selection Apple 創造を生む力』
 熱狂 「ゲームチェンジヤー」の哲学--iPhoneのリリース
  2007年6月29日
  成功しても「変えてはいけないこと」
  ジョブズヘの「最後のデモ」
  天才の思いつき」か、「準備されたアイデア」か
  「これぞ、アップル」
『サピエンス全史 上』
 グローバル化を進める帝国のビジョン
  帝国とは何か?
  悪の帝国?
  これはお前たちのためなのだ
  「彼ら」が「私たち」になるとき
  歴史の中の善人と悪人
  新しいグローバル帝国

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

新しいグローバル帝国

『サピエンス全史 上』より グローバル化を進める帝国のビジョン
新しいグローバル帝国
 紀元前二〇〇年ごろから、人類のほとんどは帝国の中で暮らしてきた。将来も、やはり人類の大半が帝国の中で暮らすだろう。だが、将来の帝国は、真にグローバルなものとなる。全世界に君臨するという帝国主義のビジョンが、今や実現しようとしているのだ。
 二一世紀が進むにつれ、国民主義は急速に衰えている。しだいに多くの人が、特定の民族や国籍の人ではなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じ、人権を擁護して全人類の利益を守ることが政治の指針であるべきだと考えるようになってきている。だとすれば、二〇〇近い独立国があるというのは、その邪魔にこそなれ、助けにはならない。スウェーデン人も、インドネシア人も、ナイジェリア人も同じ人権を享受してしかるべきなのだから、唯一のグローバルな政府が人権を擁護するほうが簡単ではないか?
 氷冠の融解のような、本質的にグローバルな問題が出現したために、独立した国民国家に残された正当性も、少しずつ失われつつある。どのような独立国であれ、地球温暖化を単独で克服することはできない。中国の天命は、人類の問題を解決するために天から授けられた。現代の天命は、オゾン層の穴や温室効果ガスの蓄積といった、天の問題を解決するために人類から授けられる。グローバル帝国の色はおそらく緑なのだろう。
 二〇一四年の時点で、世界はまだ政治的にばらばらだが、国家は急速にその独立性を失っている。独立した経済政策を実施したり、好き勝手に宣戦を布告して戦争を行なったりすることや、自らが適切と判断する形で内政を実施したりすることさえも、本当にできる国は一つとしてない。国家はグローバル市場の思惑や、グローバルな企業やNGO(非政府機関)の干渉、グローバルな世論や国際司法制度の影響をますます受けやすくなっている。国家は、金融面での行動や環境政策、正義に関する国際基準に従うことを余儀なくされている。資本と労働力と情報の途方もなく強力な潮流が、世界を動かし、形作っており、国家の境界や意見はしだいに顧みられなくなっている。
 私たちの眼前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されはしない。この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている。彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

グローバル化を進める帝国のビジョン 帝国とは何か?

『サピエンス全史 上』より
グローバル化を進める帝国のビジョン
 古代ローマ人は負けることに慣れていた。歴史上の大帝国の支配者たちはみなそうなのだが、ローマ人も次から次へと戦いで敗北しながら、それでも戦争には勝つことができた。打撃に耐え、倒れずにいられないような帝国は、本物の帝国とは言えない。だがそのローマ人でさえ、紀元前二世紀半ばにイベリア半島北部から届いた知らせは腹に据えかねた。半島土着のケルト族の住む、ヌマンティアという小さな取るに足りない山の町が、ローマの支配下から抜け出そうとしたのだ。当時のローマは地中海沿岸全域の紛れもない覇者で、すでにマケドニアとセレウコスの両帝国を打ち破り、誇り高いギリシアの都市国家を残らず征服し、カルタゴを焦土に変えていた。ヌマンティアが当てにできるものと言えば、自由を熱烈に愛する気持ちと険峻な地形ぐらいのものだったが、彼らは、次々に襲いかかるローマの軍団をすべて降伏や不面目な撤退に追い込んだ。
 紀元前一三四年、ついにローマの堪忍袋の緒が切れた。元老院は、ローマ随一の将軍で、カルタゴを倒したスキピオ・アエミリアヌスに、ヌマンティア人たちを始末させることに決めた。彼は三万を超える兵から成る大軍を与えられた。ヌマンティア人の闘志と戦闘技能に一目置いていたスキピオは、無用の戦いで兵士の命を無駄にしたくなかった。そこで一連の砦でヌマンティアを取り囲み、外界との接触を断った。後は住民たちが飢えるのを待つばかりだった。一年以上が過ぎ、糧食が尽きた。あらゆる希望を絶たれたことを悟ったヌマンティア人は、自らの町に火を放った。ローマの記録によれば、住民のほとんどがローマの奴隷になるのを嫌って自ら死を選んだという。
 後にヌマンティアはスペインの独立と勇敢さの象徴となった。『ドン・キホーテ』(牛島信明訳、岩波文庫、二〇〇一年、他)の著者ミゲル・デ・セルバンテスは、『ヌマンティアの包囲戦』(『スペイン黄金世紀演劇集』、牛島信明編訳、名古屋大学出版会、二〇〇三年所収。邦訳のタイトルは『ヌマンシアの包囲』)という悲劇を書いた。この作品は、ヌマンティアの町の破滅で幕を閉じるが、そこにはスペインの未来の繁栄のビジョンが描かれている。詩人たちは、この町の猛々しい守護者たちを称える賛歌を書き、画家たちは、包囲戦の壮大な光景をキャンバスに描き出した。一八八二年、ヌマンティアの廃墟は「国家史跡」に指定され、スペインの愛国者たちの巡礼地となった。一九五〇年代と六〇年代にスペインで最も人気のあった漫画本は、スーパーマンやスパイダーマンについてのものではなく、ローマの圧制者と戦った古代イベリアの架空の英雄エル・ハバトの冒険を語るものだった。今日に至るまで、古代ヌマンティア人たちは、スペインの武勇と愛国心の鑑であり、この国の若者の手本とされている。
 だが、スペインの愛国者たちがヌマンティア人を褒めそやすときに使うのは、スキピオの母語であるラテン語に由来するスペイン語だ。ヌマンティア人たちは、今や失われてしまったケルト族の言語で話した。セルバンテスも『ヌマンティアの包囲戦』をラテン語で書き、この戯曲はギリシア・ローマ風の芸術規範に倣っている。ヌマンティアには劇場はなかった。ヌマンティア人の武勇を称賛するスペインの愛国者は、ローマカトリック教会の忠実な信奉者でもあることが多い--そう、ローマカトリック教会の。この教会の指導者は依然としてローマにおり、この教会が敬う神は、ラテン語で語りかけられることを好む。同様に、現代スペインの法律は、古代ローマの法律に由来する。スペインの政治は、古代ローマの基礎の上に確立されている。そしてスペインの料理や建築は、イベリア半島のケルト族の遺産よりもローマの遺産に、はるかに多くを負っている。ヌマンティアのもので残っているのは、この町の廃墟ぐらいだ。この町の物語でさえ、ローマの歴史家の著述があったからこそ私たちに伝わっている。そしてそれは、自由を愛する野蛮人の物語を好むローマの聴衆の嗜好に合わせてあった。ヌマンティアに対するローマの勝利が完璧だったため、勝者たちは敗者の記憶までも取り込んだのだった。
 これは私たちが好む類の物語ではない。私たちは勝ち目の薄い者が勝つのを見るのが好きだ。だが、歴史に正義はない。過去の文化の大半は、遅かれ早かれどこかの無慈悲な帝国の餌食になった。そしてその帝国は、打ち破った文化を忘却の彼方に追いやった。帝国もまた、最終的には倒れるのだが、豊かで不朽の文化の痕跡を残すことが多い。二一世紀の人々のほぼ全員が、いずれかの帝国の子孫なのだ。
帝国とは何か?
 帝国とは、二つの重要な特徴を持った政治秩序のことをいう。帝国と呼ばれるための第一の資格は、それぞれが異なる文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつもの別個の民族を支配していることだ。では、厳密にはいくつの民族を支配していればいいのか? 二つか三つでは不十分だ。二〇か三〇までは必要ない。帝国となるのに必要な民族の数は、どこかその間にある。
 第二に、帝国は変更可能な境界と潜在的に無尽の欲を特徴とする。帝国は、自らの基本的な構造もアイデンティティも変えることなく、次から次へと異国民や異国領を呑み込んで消化できる。現在のイギリスの国境はかなり明確で、国の根本的構造とアイデンティティを変えることなくそれを超えて拡がることはできない。だが一世紀前には、地球上のほぼどんな場所でも、大英帝国の一部になりえた。
 文化的多様性と領土の柔軟性のおかげで、帝国は独特の特徴を持つばかりでなく、歴史の中で、自らの中心的役割も得る。帝国が多様な民族集団と生態圏を単一の政治的傘下に統一し、人類と地球のますます多くの部分を融合させられたのも、これら二つの特徴があればこそだ。
 ここで強調しておかなければならないが、帝国は、その由来や統治形態、領土の広さ、人口によってではなく、文化的多様性と変更可能な国境によってもっぱら定義される。帝国は軍事的征服によって出現する必要はない。アテネ帝国(デロス同盟)は自主的な同盟として始まったし、ハプスブルク帝国は、一連の抜け目ない婚姻同盟によってまとめ上げられたのだから、結婚から誕生したわけだ。また、帝国は独裁的な皇帝に支配されている必要もない。史上最大の帝国である大英帝国は、民主政体によって支配されていた。それ以外にも、オランダ、フランス、ペルギー、アメリカといった民主制(あるいは少なくとも共和制)の近代の帝国や、ノヴゴロド、ローマ、カルタゴ、アテネといった近代以前の帝国がある。
 大きさもあまり関係ない。じつに小さな帝国もある。アテネ帝国は、全盛期にさえ、現代ギリシアよりも大きさも人口も格段に小さい。アステカ帝国は今日のメキシコよりも小さい。それでも両者は帝国だが、現代のギリシアとメキシコは帝国ではない。なぜならアテネとアステカは何十も、何百さえもの異なる国家を徐々に征服したのに対して、ギリシアとメキシコはそうしてこなかったからだ。アテネは、以前は独立していた一〇〇以上の都市国家に君臨し、アステカ帝国は、その徴税記録が信頼できるなら、三七一の異なる部族や民族を支配していた。
 あまり大きくない現代国家ほどの領土に、どうやってそこまで雑多な人々を押し込められたのだろうか? それが可能だったのは、過去の世界には今よりも段違いに多くの異なる民族がいて、それぞれが現在の典型的な民族よりも少ない人口を抱え、狭い領土を占めていたからだ。現在はわずか一つの民族の念願を果たすために苦労している、地中海とヨルダン川の間の土地には、聖書に出てくる時代には何十という国民や部族、小王国、都市国家が楽々と収まっていた。
 帝国は人類の多様性が激減した大きな要因だった。帝国というロードローラーが、数限りない民族(たとえばヌマンティア人)の類のない特徴を徐々に跡形もなく踏み潰し、そこから新たなはるかに大きい集団を作り上げていった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )