未唯への手紙
未唯への手紙
逆ハディージャ
どう見ても間に合わない!
間に合うってなに? 存在しないから関係ないのに。
逆ハディージャ
「夕食なし」を家族制度崩壊の検討資料にしよう。そのために、逆ハルージャ
OCR化した6冊
『世界史大図鑑』
はじめに
古代の歴史物語
道徳的教訓
「暗黒時代」
ルネサンス期の人文主義
啓蒙時代
ロマン主義精神
「大きな物語」
社会史の台頭
ヨーロッパ中心のアプローチ
ポストコロニアリズム時代の修正論
21世紀の視点
人類の起源 20万年前~紀元前3500年
歴史の発見
遊動する狩猟採集民
農業革命
古代の文明 紀元前6000年~後500年
出現する文明
文字と哲学
増加する人口
文明の衰退
中世の世界 500年~1492年
イスラムの勃興
西ヨーロッパの富
拡大と縮小
発明品と進歩
近世の時代
植民地政策の開始
経済の成長
知識と思考の発達
変わりゆく社会 1776年~1914年
人権と平等
西洋の帝国主義
ナショナリズムの台頭
現代の世界 1914年~現代
ふたつの世界大戦
イデオロギー闘争
進歩と悲観
アテネの民主主義(紀元前507年ごろ)
政体は少数者ではなく、多数者の手にある
寡頭制支配者と重装歩兵
ソロンとクレイステネス
完璧な民主主義?
哲学の中心地
ソクラテスの継承者
民主主義の凋落
アレクサンドロス大王による征服(紀元前4世紀)
勇敢な者に勝ちとれぬものはない
世界の王
ヘレニズムの遺産
ユリウス・カエサルの暗殺(紀元前44年)
専制者はみな、かくのごとく
共和制の起源
共和制の崩壊
ユリウス・カエサルの出現
カエサルの新秩序
殺害計画
独裁者の死
ローマ最初の皇帝
パクス・ロマーナ
帝国の遺産
ムハンマドが神の啓示を受ける(610年ごろ)
真実が訪れ、虚偽は消え去った
イスラム教以前のアラビア
メッカのムハンマド
メディナヘの逃亡
アラビア半島の外への拡大
急激な敗退
イスラム社会
深まる亀裂
バグダードの建設(762年)
精神の高まりと知性の目覚め
アッバース朝の台頭
知識の探求
知恵の館
複雑な計算
天文学と医学
イスラム科学のひろがり
王家による支援
学びの伝統
マンサ・ムーサのメッカ巡礼(1324年ごろ)
臣下の首長や王宮の役人で多量の黄金を賜らぬ者はいなかった
アフリカの交易とイスラム
学問の中心
ヨーロッパで黒死病が大流行する(1347年)
かろうじて生き残ったのは身分を問わず10人にひとりだった
黒死病の蔓延
疫病への反応
コンスタンティノープルの陥落(1453年)
わが都の陥落とともに、われも死なん
帝国の弱体化
オスマン帝国の台頭
政府と軍隊
オスマン帝国の全盛期
ゆるやかな衰退
カスティヨンの戦い(1453年)
戦争はまったく異なるものになった
百年戦争の終結
大砲と銃
コロンブス交換(1492年以降)
われわれのものとは、昼と夜ほどにちがっているのです
食物と農作
生物学上の大変異
経済の変化
マルティン・ルターの95か条の論題(1517年)
わたしの良心は神のことばにとらえられている
宗教改革のひろがり
神のことばの重要性
強力な同盟者
内側からの改革
対抗宗教改革
王立アフリカ冒難轟人公枝の設立(1660年)
プランテーションの存亡はまさに黒人奴隷の供給に頼っております
会社の設立
三角貿易
ヨーロッパの植民地
三角貿易以外の奴隷貿易
ディドロが百科全書を刊行(1751年)
全地球上に散らばっているすべての知識を集積する
思想の変革
科学と理性
平等と自由
啓蒙の光
サンクトペテルブルクの難設(1703年)
ヨーロッパの輝きを取りこむ窓として、わたしはサンクトペテルブルクを建設した
近代的で新しい文化
バスティーユ牢獄襲撃(1789年)
陛下、これは革命でございます
国王の反応
第1共和政
国外からの脅威
取りもどされた秩序
歴史上の意義
十月革命(1917年)
もしいまわれわれが権力を掌握しないなら、歴史はわれわれを許さないだろう
土台を築く
革命諸政党の台頭
革命は間近
内戦
荒廃した国
ナチスのポーランド侵攻(1939年~1945年)
戦争を開始し遂行するにあたって問題になるのは、正義ではなく勝利である
ナチス支配下のポーランド
ナチスの台頭
ヒトラーの「生存圏」
ヨーロッパのファシズム
西欧の介入
ブリテンの戦い
世界戦争
協力か亡命か
ソ連との戦い
太平洋とアフリカ
潮流の逆転
インドの独立と分割(1947年)
世界が眠っていて、時計が午前零時を告げるとき、インドは生と自由に目覚める
独立への道
パキスタンの誕生
アフリカでの動乱
フランスでのテロリズム
独立する国々
スエズ危機(1956年)
われわれは、血と力でこれを守り、攻撃には攻撃を、悪には悪をもって応じる
分割された土地
野心的計画
イラン・イラク戦争
9・11の攻撃
アラブの春
中東の不安定
世界人目が70億を超える(2011年)
今日は、わたしたち全人類のための日です
緑の革命
奇跡の米
遺伝子組み換え作物
消えゆく農地
気候変動
飢える世界
『日本再生の決め手』
日本企業における「合理的組織運営」- トヨタの「疑似・合理的組織運営」
(「合理的組織運営」を目指した大野耐一のトヨタ生産方式
トヨタの「疑似・合理的組織運営」
事業の発展に寄与する「業務の知恵」を従業員に徹底した組織風土の定着
トヨタの「疑似・合理的組織運営」と「合理的組織運営」の差異
トヨタの「疑似・合理的組織運営」の限界
トヨタの「疑似・合理的組織運営」のまとめ
『大人から見た子ども』
他者の存在」
フッサールによって立てられた他者存在の問題
問題の提起。他者を考えることは一見不可能に思われる
他者の現象の存在
フッサールの立場
マックス・シェーラーの考え方
シェーラーについての討議
結論
『明治政治史』
『意味の深みへ』
シーア派イスラーム--シーア的殉教者意識の由来とその演劇性--
『超孤独死社会』
人も遺品も〝ゴミ〟として処理される社会
人も遺品も〝ゴミ〟として処理される社会
『超孤独死社会』より 人も遺品も〝ゴミ〟として処理される社会
日本社会が途方もない底なし沼に、じわじわと引き込まれつつあるのを感じる。一度足を取られると、誰もそこから抜け出せない。
特殊清掃、略して〝特掃〟--。遺体発見が遅れたせいで腐敗が進んでダメージを受けた部屋や、殺人事件や死亡事故、あるいは自殺などが発生した凄惨な現場の原状回復を手がける業務全般のことをいう。そして、この特殊清掃のほとんどを占めるのは孤独死だ。
私が、特殊清掃に興味を持ったのは、一言で説明すれば、亡くなった人の抱えていた生きづらさが、他人事のように思えなかったからだ。
孤独死の現場は、遺族ですら立ち会えないほど過酷である。大量の蝿が飛び交い、姐虫が這いずり回り、肉片が床にこびりついている。故人が苦しみのあまり壁や床をかきむしり、脱糞した形跡もあったりする。私は、そんな惨状を前に立ちすくみ、幾度となく気が滅入ったが、取材を続けるうちに真の問題は、グロテスクな表層ではないことを思い知った。
そこには、故人の生きづらさが刻印されていた。
孤独死には社会的孤立の問題が根深く関わっている。
私の試算によると、わが国で現在およそ1000万人が孤立状態にある。日本人の10人に1人という、とてつもなく大きな数字だ。孤独死とは、家でたった1人、誰にも看取られずに亡くなることを言う。その約8割に見られるのが、ゴミ屋敷や不摂生などのセルフネグレクトだ。こうした自己放任は、〝緩やかな自殺〟とも言われている。彼らは周囲に助けを求めることもなく、社会から静かにフェードアウトしていっている。
取材を進めるうちに、彼らは何らかの事情で孤立し、人生に行き詰まり、セルフネグレクトに陥っていたことがわかった。
ある者は恋愛関係でもがき苦しみ、そしてある者は虐待などで親子関係が絶たれ、ある者は会社でのパワーハラスメントで心が折れていた。結果として、彼らは周囲から取り残されて緩やかな自殺へとただ、ひた走るしかなかったのだ。もちろん、人間関係が良好でもたまたま発見の遅れたケースもあるが、それは非常に稀なケースだということがわかってきた。
私は壮絶な現場の臭気に圧倒されながらも、遺品の数々から生前の彼らの姿がありありと目に浮かぶようになった。
そんな強烈な体験をした後に自宅や出張先のホテルに帰ると、1人ベッドに体を横たえながら彼らの生前の人となりに思いを馳せた。そして、その日初めて存在を知った彼、彼女らの抱えた苦しみを考えると、一晩中眠ることができなかった。
それは、私も彼らとどこか似ていて、社会をうまく生きられず、生きづらさを抱えた人間の一人であるからだ。
小学校時代から内向的な性格で、激しいいじめに遭った私は、中学校のときに2年間の不登校生活に陥った。いわゆる、引きこもりである。もう完全に自分の人生は終わったと感じていた。孤立無援の状態で、何度も自殺を考え、実際に家の窓から飛び降りようとしたこともある。そういうこともあって、私が今も生きているのは、ただ運が良かったに過ぎないと思っている。
もし私にできることがあるとすれば、それは遠からず私と同じように生きづらさを感じるこの社会で、人知れず亡くなってしまった彼らのありのままの姿を伝えることではないだろうか。孤独死者のほとんどが生前、周囲の住民から奇異な目で見られていたり、忌み嫌われていたりする。遺族がいてもなるべく関わりたくないというケースも多い。
そのため、彼らの遺体は警察によってひっそりと運び出され、遺品は誰の目にも触れずに、ほとんどがゴミとして処理される。そう、まるでこの世に存在すらしなかったかのように--。
ワンルームの賃貸アパートで、友達を呼んで騒ぐ学生の部屋の、わずか10センチ隔てた壁の向こうに、死体がゴロリと転がり、何カ月も発見されず、無数の姐と蝿が群がっている。それが、現代日本が抱える問題の縮図だ。
日夜生きづらさと向き合っている私にとって、彼らの名もなき死が他人事だとは決して思えない。彼らは明日の私であり、私はきっと彼らの仲間である。
私は、彼らが亡くなった孤独死の現場をたどるだけでなく、遺族や大家などその周囲の関係者に話を聞くことで、彼らの歩んできた軌跡をたどりたいと思った。
それは、彼らの人生の苦悩に触れると同時に、私自身の過去のトラウマを振り返る作業でもあった。
そんなとき、私は同じ現場を共にする特殊清掃人たちに励まされた。遺族さえ立ち入ることのできない凄まじい腐臭の漂う部屋で、最後の〝後始末〟をする特殊清掃人の温かさを知ることができたのは、私にとって何ものにも代えがたい救いであった。
特殊清掃用の衣類を脱ぎ、ガスマスクを外すと、当然ながら彼らもまた、私たちの社会を生きる一人の生身の人間である。彼らと接するうちに、彼らに血の通った人としての優しさを感じ、思いのほか安堵している自分に気がついた。そして、故人の死を巡って、その最後に立ち会う特殊清掃人たちの物語も描きたいと思うようになった。近年、孤独死はもはや特殊な出来事ではなくなってきている。
年間約3万人と言われる孤独死だが、現実はその数倍は起こっているという業者もいるほどだ。
特殊清掃の現場から見えてくるのは、やがては訪れる日本の未来である。
特殊清掃人の多くが口を揃えて、「人と人のつながりが希薄になった」と危機感を露わにする。そしてこうも言う。「こうなる前に、どうにかならなかったのだろうか」と。
変な話に聞こえるかもしれないが、本書の取材に協力してくれた特殊清掃人たちは、内心では自分たちのような仕事のない社会が望ましいと感じている。
私もそう思う。
本書のテーマは、特殊清掃のリアルにとことんまで迫ることだ。それは、特殊清掃人たちの生き様や苦悩にもクローズアップしながら、私にとっての生と死、そして現代日本が抱える孤立の問題に向き合うことでもある。
今後、孤独死は、日本全体を巻き込む大問題となる。特殊清掃の世界は、そんな日本の恐るべき未来を映し出す万華鏡である。特殊清掃人たちは、さながら毎日タイムマシーンに乗ってディストピアを目の当たりにしているのだ。崖っぷちで清掃を続ける彼らは、日本という社会の瀬戸際にいる。
死は、誰もが逃れられない現実である。
いつ、どこで、どのように死ぬのかはわからない。
けれども、死を迎えるに当たってあらかじめ準備することはできる。死別や別居、離婚などで、私たちはいずれ、おひとり様になる。そんなときに、どんな生き様ならぬ死に様を迎えるのか。1000万人の孤立する日本人たちも、決して自分と無関係とは言えないはずだ。
そう、特殊清掃の世界を知るということは、きっと、私や本書の読者であるあなたの未来を知るということなのだ。だから、たとえ目をそむけたくなる場面があっても最後まで希望を捨てずにお付き合いいただきたい。
最後の1行まで、あなたの救済の書となることを願って。