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ITの進化の目標は家族制度の変革

ITの進化の目標は家族制度の変革
 個の自立を達成する
 不破はいつまで過去に囚われているのか? 平等は個の自立から為しうる。生産→消費→共有へと移行。
元町には話相手がいる
 泡多めのラテをコーミーラテというらしい。それにした。
 元町の方がスタイリッシュなのは何故か? 客層が固定できている
 パッツンのおかげで久しぶりに笑うことができた。
 泡多めはフォーミーだった。レシートで判別。
逆流しようにも物がない
 家にたどり着く直前に発作。食べてないからなにも出てこない。
 さすがに腹が減った。
 覚悟の昼飯は松屋でなく、吉野家にしておけばよかったのに。肉が薄い!
豊田のまちづくりに必要なのは三つ
 大学生の誘致、トヨタのオープン性、名古屋をこけにする力。
「超孤独死社会」
 ここにも家族制度崩壊が見える。対象は1000万人。
 家族制度でイメージするのは、ジブラルタル海峡に掘った洞窟に佇むネアンデルタール人の家族。イベリア半島には渡れない。
 今回の「夕食なし」は家族制度崩壊のシミュレーション。
 次のステップに行かないといけない。

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フッサールによって立てられた他者存在の問題

『大人から見た子ども』より 他者の存在
フッサールによって立てられた他者存在の問題
 (『デカルト的省察』一九三一年、ヴラン、新版一九五三年、の「第五省察」)
 問題の提起。他者を考えることは一見不可能に思われる
  デカルトの「われ思う」は、自我と他者の問題を、その解決を不可能にしてしまうように思われる用語で立てています。事実、精神ないし自我が自己自身とのその接触によって定義されるとしますと、他者の表象などどうして可能になるでしょうか。自我は、それがこうした自己意識であるばあいにしか、意味をもちません。自我にとっては、自分が思っているという事実以外、すべては疑いうるものです。また、自分が見ているという事実以外、自分の見ているすべてのものは疑いうるものです。そして、すべての経験は自己自身とのこの接触を前提にし、すべての知は、この第一の知によってはじめて可能になる、というのです。他者とは外から私に現れてくる一個の自我ということになるのでしょうが、これは矛盾しています。
  他者とは、私が彼についてもつ意識にすぎないというのは、定義からして矛盾です。というのも、他者は他者自身にとって、私が私にとってそうであるようなものであり、それゆえ私は他者に近づくことはできないからです。私にとって他者は、彼が自分自身にとってそうであるようなものではありませんから、私には他者を経験することはできません。たとえ私が、他者を認めるために、一種の精神的犠牲によって私の「われ思う」を断念したいと思っても、他者がその存在を受けとるのは、やはり私からでしょうし、してみれば他者は依然として私のもつ現象だということになりましょう。
  こうして、私と他者の関係は、相互排除的な関係のように思われますし、問題は解決不可能に思われます。
 他者の現象の存在
  けれども、他者の現象は否定しがたいものですし、われわれの態度や行為の多くは、他者を顧慮しなければ理解しえないものです。つまり、われわれは、われわれが自分自身についてなす経験ほど確かなものではないにしても(フッサールの言うには、ある種の独我論は克服しがたいのですが)、やはり他者を経験してはいるのです。したがって、問題は、実際に他者が存在している以上、他者を認めなければならない(だが、これは論理的に不可能に思われる)というところにあります。
  解決は、この相互排除の関係を生きた関係に転換することです。
  この問題の既知事項は、
  -―他者のある種の現前は認めなければならないが、しかしそれは間接的現前だということです。というのも、ただ一つ疑いえない現前は私自身だけだからです(これは「われ思う」の要求です)。
  フッサールは、他者の知覚にゆきつくためのいくつかの手段を探しもとめています。
   a 側面的知覚。他者は私の面前に物のような仕方で存在しているのではなく、いつも私に対するある種の「方向」、ある種の参照関係をふくんでいます。それは他我なのであり、私の一種の反映なのです。したがって、考えなければならないのは、一連の「自己意識」ではなく、たがいに他に対して存在している他我の共同体です。他者はつねにその起源を、ある意味で私から引き出しているのです。
   b 「空白」の知覚。われわれは他者を反映として知覚すると同時に、われわれにとっての空白としても知覚します。事実、他者とは、われわれの経験が立ち入ることを禁じられた地帯のようなものなのです。
  たしかに、他者の実的な知覚(否認しがたい経験という意味で--他者は「生ま身で」現前しています)が重要ではあるのですが、しかしそれは、物の知覚と同じような種類の知覚ではありません。物のばあいなら、現に私に与えられていないものも、潜在的に与えられている(別の視点からなら見えたり、顕微鏡でなら見えるといったぐあいに)かもしれません。しかし、他者のばあいには、われわれには他者が彼自身を知覚するのと同じように他者の全体を知覚することはおよそ不可能です。
  「生ま身」の現前には限界があるわけです。われわれは他者とそっくり同じ位置には身を置くことはできません。定義からしても、もしわれわれがそっくり彼の位置に身を置けるとしたら、われわれは彼自身にはかならないことになりましょう(われわれの位置である「ここ」と、他者の位置である「そこ」の区別)。
  しかし、側面的知覚にしても空白の知覚にしても、いずれもまだ真に他者を定立していることにはなりません。私か他者の存在を十分に肯定したいのであれば、もっと先に進み、本当に他者の領野に侵入してゆかねばなりません。
   c 他者の行為の知覚。ここでのフッサールの分析は、ギョームの分析とまったくよく似ています。私が他者の行為の開始を目撃すると、私の身体がそれを理解する手段になり、私の身体性が他者の身体性を理解する能力になります。私の身体が他者と同じ目的を達成しうるからこそ、私は他者の行為の目指している方向を捉えるのです。ここにスタイルという考え方が介入してきます。私の身ぶりのスタイルと他者の身ぶりのスタイルが同じだからこそ、私にとって真であるものが他者にとっても真だということになるのです。この「スタイル」は概念や観念ではありません。それは、私には定義はできないにしても、捉え、模倣することのできる「あるやり方」なのです。
   d 「志向の越境」。しかし、他者の存在を理解する操作は、他者のスタイルを知覚する以上のものです。それは、対の形成といったようなものでなければなりません。つまり、〔私の〕身体が別の身体のうちに、私自身の志向を実現し私に新しい志向を示唆するようなおのれの対項を見いだすのです。他者の知覚は、ある有機体が別の有機体を横領することです。フッサールは、われわれに、われわれ自身の自我を超え出ることによって他者を経験させるこの生きた操作に、いろいろな名前を与えています。彼はこれを、たとえば「志向の越境」とか「統覚の転位」などと呼び、そこでは論理的操作ではなく〔推論でも思考作用でもなく〕)、生きた操作が問題なのだ
  ということをつねに強調しています。他者の行動がある点で私の志向に身を捧げ、私にとって、まるでそれが私によっておこなわれているかのような意味をもつ行為を描いてみせるのです。
フッサールの立場
 フッサールは、直観哲学の枠内で、他者の存在の問題にどの程度の解決を見いだしているのでしょうか。われわれも先に指摘しましたし、彼自身も述べているように、そこにはある基本的な矛盾があります。つまり、われわれに他者経験は実際に与えられているというのに、われわれにはそれを論理的に認めることができない、という矛盾です。問題は他者の存在を明示することなのですが、フッサールが放棄しようとは思わない条件、それどころか解決に近づいたと思われるそのつど彼が思い出させる初次的な条件を考慮に入れると、それはとてもできそうにも思えません。この条件というのが、「われ思う」についてのデカルト的な考え方、つまり意識は本質的に自己意識だという考え方、そして、他者はもう一人の私として考えられねばならないという考え方なのです。フッサールは、他我がなければ他の生体もありえない、と述べています。
 こうしてフッサールは、私の意識から出発し、われわれの行動の類似性を確認することによって他者の意識の存在を結論する疑似-解決をおのれに禁じます。この疑似-解決にあっては、われわれはデカルトによって立てられた延長と思考との二分法に突き当ることになりますが、どのようにして一方から他方へ移行しうるというのでしょうか。これは即自の次元から対自の次元への移行にからむ難問です。他者は、物たちに立ちまじって、身体を介し、したがって即自のうちに現れてくる対自だということになります。この移行を考えるためには、デカルトには考えることのできなかった混合的概念をつくりあげねばなりません。フッサール自身も、他者知覚の構成分になっている矛盾を無視して通り過ぎてしまうことは拒否します。私は、他者が私についてつくる心像に自分を還元することなど認めるわけにゆきません。してみれば、私が自分自身を他者の視 野のうちにうまく定立することができないのですから、私もまた他者を定立していると言い張ることはできないわけです。
 この矛盾を克服するのは不可能だということと、〔自他の〕綜合は不可能だということとを論証したあと、フッサールは、こうした綜合はおこなわれるにおよばないのであり、問題が誤って立てられているのだ、と付けくわえます。つまり、私の視点と他者の視点の違いが生ずるのは、まさしく他者経験がなされたあとになってのことなのであり、こうした違いは他者経験の結果なのです。彼はまたこうも言います--この区別を出発点に据え、それを他者経験についてのすべての考え方に対置してはならないのだ、と。しかし、こうした指摘によってフッサールは、自己意識から出発して他者経験を手に入れることは断念し、別の方向に進もうとしているようにも思えます。ですから、彼の著作には二つの傾向かあるわけです。
  「われ思う」、つまり「私の固有領域」から出発して他者に近づこうとする試み。
  この問題を拒否し、「間主観性」へ向かう方向、つまり初次的「われ思う」を立てることなく、私でもなければ他者でもない意識から出発する可能性をもとめる方向。
 しかし、この第二の可能性を検討しながらも、フッサールは、それが自分にとっては満足のいかないものであり、この可能性によっても彼にとっては問題の困難さは消えず、そっくり残されるということをはっきりと表明しています。こうして、間主観的な考え方の闘ぎわまで進みながら、結局フッサールは統合的な超越論的主観性のうちに踏みとどまるのです。
 もっとあとになりますと、フッサールはこの問題をもっとよく意識するようになり、二つの要求を同時に肯定するようになりました。たとえば未刊草稿のなかで彼は、超越論的主観性は間主観性である(他者が私についてなす経験が私に、私がなんであるかを正しく教えてくれる)と述べています。しかし、彼はとうとうこの二つを調停するにはいたりませんでした。
 2019年04月07日(日) 日清・日露戦争に対するアメリカの態度
『明治政治史』より
日清戦争後、清国において「支那分割」の開幕を想わせるごとき動きが西洋諸大国により続々展開され、わが国はこのような事態を前に烈しい緊張、不安に駆られるにいたったことは、上にふれたごとくである。このような中で、一八九九年(明治三二年)九月アメリカは国務長官ジョン・ヘイの名において英、独、露、仏、伊の諸国およびわが国に対して通牒を送った。そして、現に諸国の勢力範囲にすでになっている清国の諸地域においても外国人の通商活動に関して無差別・平等の処遇の与えられること、すなわち、門戸開放の原則の守られることを要望した。第一次ヘイ通牒とよばれることになっだものが、これである。
アメリカは独立以来アメリカ大陸外の世界と政治的交渉をもつことを可及的に少くすることをその外交の基本方針として来た。一八二三年(文政六年)のモンロー主義の宣言も、そのような外交方針の表明にほかならない。そして、アメリカ外交のこの伝統の背後には、きわめて豊かな国内資源とまことに広大な国内市場とがあった。しかし、とくに南北戦争(一八六一-五年〔文久元-慶応元年〕)後のアメリカにおいて、一つには機械生産が急激な発展をみ、また他方いわゆる西部開拓が一応限界に到達し、このような中でアメリカ産業は国内市場で消化しうる以上のものを生産し得る段階に到達するにいたった。更にまた、アメリカ資牛王義のこのめざましい発展につれて、アメリカにおける資本の蓄積もまた著しく増大した。以上これらの結果、アメリカは市場と投資の場とを次第に熱心に国外に求めるようになった。そして、一九世紀末以来アメリカが太平洋方面へ膨脹を企てるにいたったのも、右のような事態の発展と連関する。すなわち、アメリカは一八八七年(明治二〇年)に当時独立の王国であったハワイと交渉して、真珠湾にアメリカ海軍の給炭および修理施設を設置し、そして、その後一八九八年(明治三一年)八月に派ワイを併合した。さらに、アメリカはこれより先同年四月にスペインとの間に西米戦争を交え、一二月には勝利の中に終結、この戦争によりグァムおよびフィリピン群島をスペインから獲得した。こうして、アメリカは太平洋、極東に領土をもつところの国家へと膨脹した。極東において、アメリカは日本開国のイニシァティヴをとったことを別とすれば、小さな役割を演ずるに止まっていたの に対して、今や極東国際政治における重要な要素となるにいたった。西米戦争における勝利を境としてアメリカは今や本格的な帝国主義国家となったのである。そして、西米戦争以後は、アメリカ大陸内に閉じ寵るべきであるとする伝統的な考え方は、孤立主義の名でよばれることになった。
ところで、急激な発展を辿るアメリカ資本主義は、国外に市場および投資の場を時とともに熱心に求めるようになるが、アメリカ経済界では今後大きな国外市場をもちえない場合には、アメリカ産業は過剰生産に陥り、その結果国内生活水準が下降し、社会不安の高揚することが強く憂慮されることになった。そのような観点から、アメリカは広大且つ人口尨大な清国の市場的価値に大きな期待を寄せることになった。そこで、アメリカとしてはヨーロッパ諸大国による「支那分割」が今後進展し、清国においてこれら諸国が領土または勢力範囲を拡大し、そして、これらの地域を自国資本の排他的な活動の場とし、その結果としてアメリカ資本の将来における清国進出が阻害されることを次第に憂慮するにいたった。ジョン・ヘイの前述の通牒の背後には、以上のような事情が存在していたのであった。
ところで、ヘイの通牒に対して列国はどのように対応したか。イギリス、フランス、ドイツおよびわが国は、清国に利害関係をもつ他のすべての国がこの通牒に同意することを条件として自国もまた同意する旨を回答した。これらの諸国の中でイギリスは当時における世界先進資本主義国の随一であり、自国資本の国際競争力に強い自信を抱いていた。そこで、イギリスは清国の領土のでき得る限りひろい部分がイギリスの通商活動の場として将来も開放されていることを望んだ。そこで、そのようなイギリスはヘイの通牒を全面的に歓迎賛成した。ところで、わが国の場合であるが、当時のわが国は上に述べたように「支那分割」にむかって進んでいるかのようにみえる清国の事態に対して緊張と不安とを抱いていた。従って、事態を抑制する効果をヘイの通牒に期待して、そのような立場からこれを歓迎したのであった。けれども、ロシアはヘイの通牒に対して曖昧な回答を送り、事実上これを拒否した。後進資本主義国であるロシアとしては、その通商活動を他国との自由競争を通して発展させることを全く困難と考えた。そこで、ロシアは清国における自国の勢力範囲を自国通商活動の可及的に排他的、独占的な活動の場とすることを望ましいとしたのであった。こうして、英仏独およびわが国は上述のように通牒に留保付で同意し。ロシアは通牒に同意することを拒否したので、通牒は結局国際的に承認されるにいたらずして終った。
 
日露戦争に入った日本に対するアメリカの態度は好意的であった。アメリカはジョン・ヘイの通牒以来清国の領土的二行政的保全、清国における門戸開放、機会均等を一貫して唱えて来た。さらに注目すべきことは、アメリカはすでに日露戦争前から満州貿易に進出し始めており、同貿易の前途に期待をかけ出していた。そのようなアメリカは、口シアが満州をその支配下に収めた場合に、ロシア資本の後進性から考えて、満州をロシア資本の排他的、独占的な活動の場としようとするものと考えた。以上これらの関係から、アメリカとしてはロシアの満州支配の企図に抗して戦うにいたった日本に対して、強い好感を寄せることになった。大統領ローズヴェルトなどが、「日本はアメリカのために戦ってくれている」としたのは、右のような考量にもとづく。
開戦以来、イギリスおよびアメリカは以上のようにわが国に対して友好的であり、そして、わが国は戦争遂行につきこの両国から少からぬ援助を仰ぐことができた。その一つは戦時財政の面においてであった。約一〇年前の日清戦争におけるわが国の戦費の総額は約二億円であり、それは内債発行、増税および一時借入金によって調達された。けれども、日露戦争の場合にはわが国の戦費は結局において総計一七億一〇〇〇万円に達した。戦争前年の明治三六年度には歳入総額が約二億六〇〇〇万円であったことを考えるならば、右の戦費がわが国当時の財政にとっていかに尨大なものであったかを理解できる。そこで、この巨額の費用はいかにして調達されたかをみると、その極めて一部は増税と一時借入金とによった。しかし、その大部分、すなわち、八〇パーセント近くは財源を公債に求めたのであり、募債総額は一四億七三〇〇万円に上った。そして、その中の約八億円(募債総額の約五四パーセント)は実に外債により、且つそれらは主としてイギリスおよびアメリカにおいて起債されたのであった。さらにまた、軍事面についてもわが国はイギリスから側面的援助をうけた。イギリスはまた、軍需品補給にっいてもわが国に助力を与えた。

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日本企業における「合理的組織運営」-トヨタの「疑似・合理的組織運営」

『日本再生の決め手』より
 日本では、日本に伝統的な「日本型組織運営」によるオベレーションは、世界トップクラスの優位性があるとの誤った認識が定着しており、逆に、「合理的組織運営」は非人間的な運営と理解されています。そして、日本企業の「合理的組織運営」による成功事例については議論されることはほとんどありません。たとえば、「日本型組織運営」の結果、1999年に倒産状態に陥った日産を再建した、カルロスーゴーンの改革の本質は、「合理的組織運営」への移行であったにもかかわらず、多くの専門家はゴーンのコストカットのみに着目します。不適切なコストをカットすることは「合理的組織運営」の一環であり、それを含めて日産の経営を従来の日本的な経営から合理的な経営に移行することにより、ゴーンは、ほぼ自力での日産の復活を実現しました。その後、日産は2018年の現在までほぼ18年間の発展を継続しており、その主な理由がコストカットであるはずはなく、「合理的組織運営」がその原動力であることに注目すべきです。それほど「合理的組織運営」は「日本型組織運営」に対して優位性があるのです。
 また、日本で最も成功している企業のトョタの成功の最大の要因の1つも、「合理的組織運営」にありますが、その事実を専門家が議論することはありませんので、日本企業における「合理的組織運営」の成功事例として、次にトョタ流の「合理的組織運営」について要約します。
 「合理的組織運営」を目指した大野耐一のトヨタ生産方式
  今日のトヨタの繁栄を実現した大きな鍵のトヨタ生産方式と呼ばれる「組織運営方法」は、大野耐一が、日本的な「体験的な知識獲得」ではなく高度な「論理的思考」により生み出した、先例がない多くの革新を含む生産方式でした。この巨大で複雑なトヨタ生産方式を実用化するには、膨大な数の実務の課題などを解決する必要があり、天才の大野であっても一人で完成させることは不可能で、非常に多くの従業員の知恵を結集する必要がありました。そのために大野は、『「なぜ」を5回繰り返し、問題の原因を追究し課題を解決』する『5回の「なぜ」』の考え方を従業員に徹底しました。この『5回の「なぜ」』は、平易に表現されていますが、日本人の主観的で大雑把な考え方を脱却して上記⑧(3)Ⅱのように真の原因を解明するための、詳細までの論理的な一貫性を追求する「論理的思考」を実行することを意味しています。この「論理的思考」を行う「論理的な組織文化」に近い文化を関係者に徹底したことは、従来の日本にはなく、論理的に一貫性があり非常に優れたトヨタ生産方式を確立し実用化する大きな鍵になりました。なぜなら、日本人に一般的な原理原則がない各人の主観的な判断により、この方式を構築していた場合には、いわば、不法建築の迷宮のような脈絡のない方式になり、トョタの成功は困難であったと考えられるからです。
  また、大野が「綸理的思考」を実践していたことは次の事実からも明らかです。大野は、トヨタ生産方式は、フォードの流れ作業とテーラーの科学的管理手法を組み合わせたと言える。合理的な考え方を徹底的に行うフォードー世が長生きしていたら、トヨタ生産方式を作り出したであろうとの意味の発言をしていました。また、トヨタ生産方式は、米国のハーバード大学で体系的に整理されて、リーン生産方式として1990年に世界に紹介され、世界中の自動車産業を大きく変えました。その理由は、トヨタ生産方式の本質的な特徴は、日本ではトヨタの成功の鍵と理解されて注目された「すり合わせ」などの、日本的な特殊な生産方式ではなく、論理的に考える米国人にも高く評価できる、非常に優れた論理的な体系の生産方式であったからです。
  なお、そのトヨタ生産方式の大成功の背景には、自動車には、人が乗り移動すること、人が座席に座り手足で直接運転することなどから、自動車の大きさ、構造などが一定の範囲にあり、20世紀後半以降、「自動車の構造」に大きな変化がない特徴があります。そのため、1970年代の自動車の生産方法を基礎に、論理的な最適化を追求したトヨタ生産方式は、1990年までに、「かんばん方式」などの主要な革新的な要素は完成して現在の最終形に仕上げられました。そして、その後は、その最終形を維持した地道なカイゼンによる微調整を積み重ねて進化しながら、安定的に運用される安定期に入ったと推定されます。
 トヨタの「疑似・合理的組織運営」
  トヨタの運営に関する解説などの文献や情報から判断しますと、トヨタでは、安定期になりますと、当初の次々と生産方式を革新した時期に、大野耐一が目指した「合理的組織運営」とは相当異なる、「疑似・合理的組織運営」を社内に定着させたと推定されます。そのトヨタの「疑似・合理的組織運営」の要点を、それらの情報をもとに整理します。
  I 事業の発展に寄与する「業務の知恵」を従業員に徹底した組織風土の定着
   トヨタでは、150以上の『業務を成功に導く合理的な知恵』(「業務の知恵」と表記)を、OJTを含む教育により社員に徹底していると推定されます。その物の見方や考え方などの知恵は、トヨタの経営の中で蓄積された、『5回の「なぜ」』、ムダの考え方、素人でも正しく作業できる標準作業、良い事例を他部署に横展開するヨコテンなどの、経営に寄与する150以上の物の見方などであり、いずれも論理にかなったものと判断されます。そして、それらの「業務の知恵」を社員が身に付けて全社の組織風土として定着し、優れた経営が実行される状態を、『「トヨタ式」の経営』とこの文献では表現していると見受けられます。その「業務の知恵」が順守される状態では、各人の主観的な判断ではなく、マニュアルに相当する誰でも理解できる標準作業表が用いられるなど、規律がある業務が実行されて組織の運営は「合理的組織運営」に近づき、「日本型組織運営」の多くの問題が排除されます。この全社に定着させた組織風土の結果、「合理的組織運営」に近い運営が実現されることが、トヨタの高い業績に繁ったと判断しています。
   この『「トヨタ式」の経営』は、表面上は「合理的組織運営」とは異なりますが、その内容は「合理的組織運営」に近いことから、その運営を「疑似・合理的組織運営」と表記します。
  Ⅱ トヨタの「疑似・合理的組織運営」と「合理的組織運営」の差異
   その「疑似・合理的組織運営」と「合理的組織運営」の差異を整理します。「疑似・合理的組織運営」では、前項の「業務の知恵」の150以上の項目を社員に徹底的に教育します。そのそれぞれの「業務の知恵」の間には脈絡はほとんどないため、体験により個別に習得するしか方法はなく、すべてを身に付けるのに長い時間が必要ですが、終身雇用の長い年月の勤務とOJTによる業務の継承の特徴がある、日本の労働慣行に適した方法と考えられます。そして、トヨタでは、その150以上の「業務の知恵」が全社員に浸透し、組織風土として定着していることから、個々の業務では、その合理的な知恵の中から適切なものを適用し、業務がほぼ合理的に実行されることになります。ただし、これほど数が多いと、現実にはすべての項目の中から必要なものを漏れなく適切に選択することは難しく、次項Ⅲのような問題が発生する場合があります。
   この問題の分析の際の比較対象の「合理的組織運営」では、全「構成員」に「全体の目的」と「論理的思考能力」の教育を徹底します。そして、全組織で「全体の目的」の実現に向けて論理的に『全体最適』であることを唯一の「絶対的判断基準」として、「自浄機能」を完備した単純明快な運営を目指し、その運営を確実に遂行するために、「マニュアルに基づく業務」を全組織に徹底します。それらの結果、「合理的組織運営」では「全体の目的」が『全体最適』に実現されます。
   他方で、トヨタの「疑似・合理的組織運営」は、日本型の労働慣行が定着、自社の事業が安定期、「業務の知恵」が組織風土として定着などの条件が揃っている場合は、組織を適切に運営できる巧妙な「組織運営方法」ですが、次の根本的な問題が内包されています。その問題は、すべての「業務の知恵」はそれぞれを単独に評価すると合理的なものですが、どの項目にも自社の経営理念などの「全体の目的」との関係は規定されていないことです。そのため、上記②(2)のJALフィロソフィーに関する懸念のように、日本人の良いとこ取りの主観的な判断のために、それらの「業務の知恵」の一部が独り歩きすると、「全体の目的」から乖離した運営に繋がる危険性をはらんでいます。すなわち、トヨタの「疑似・合理的組織運営」には、「合理的組織運営」が持つ、全組織の最も重要な「全体の目的」を判断基準にした「自浄機能」が備わってはいません。
  Ⅲ トヨタの「疑似・合理的組織運営」の限界
   実際2008~11年のトヨタの経営不振では、その問題が大きな原因になっていました。その際の4つの問題の事例と「業務の知恵」(下記の『・・・』との関係を整理します。
   その第1は、ユーザ重視(『一にユーザ、二にディーラ、三にメーカ』の知恵)を大義名分に、効率的に各車種の特徴を実現することに拘ったためか、自動車の共通部分のプラットフォームとエンジンの種類が非常に多くなった問題です。その結果、プラットフォームでは1種類当たりの自動車の販売台数は、フォルクスワーゲン(VWとも表記)の約3分の2、エンジンでは約半分に低迷し、『全社の効率と個々の効率』の知恵は生かされずに全社の効率はVWより劣っていました。また、各車種の特徴を実現する専用部品でも同じ問題が発生していました。第2は、『改善は継続してこそ競争力になる』との知恵から、現行設備の極限までの活用によるムダを根絶した製造の継続に拘ったためか、製造部門は、新しい製造工程や設備が必要な、自動車の安全性能二社量化の実現の鍵になる新しい生産工程を受け入れませんでした。そして、上記の『1にユーザ、・・、三にメーカ』の知恵に反して、ユーザにとって最も重要な安全面などでVWから後れを取る問題が発生しました。第3の事例は、『ペンチマーキングを絶やさない』との智恵にもかかわらず、自動車の低重心化・部品などの低配置化などで後れを取り、自動車の基本性能の走行安定性・運動性能でVWには見劣りしました。第4の事例では、同じように、今後の自動車の設計・製造などを大きく進化させる自動車のモジュール化で、トヨタはVWや日産に先行されました。
   この状況は、トヨタでも、自らに都合が良いように主観的に判断する日本人に特有の特徴に起因して、「トヨタ式」の「業務の知恵」を良いとこ取りした運営が実行され、内部組織の運営は「全体の目的」から乖離していたことを示しています。この状況に関して、豊田章雄社長は、「台数や収益といった、本来、結果であるべきものが、いつの間にか目的になってしまい、誰のために、なんのために、クルマをつくるのかという自分たちの使命(「全体の目的」‥筆者注)を、少し忘れていたのではないかと思います」と語ったとされています。トヨタでは「トョタ式」が全社の組織風土として定着しているとされていますが、その風土であっても、これらの内部組織の都合に配慮した運営が是正されなかったこと、すなわち、「全体の目的」を判断基準にした「自浄機能」が働かなかったことは、「トョタ式」の限界として、真摯に受け止めるべき問題点です。
   このように、トヨタの「疑似・合理的組織運営」には、「合理的組織運営」と比較して、「全体の目的」の全体最適な実現を判断基準にした「自浄機能」が働かない限界があります。
   また、これら4つの事例の共通点は、「論理的思考能力」が重要な、従来の延長ではない変革において、トヨタが他社に後れる事態が発生したことであり、経験を重視する「トヨタ式」は、安定期の経営には適性がある一方で、過去の延長の現状維持に陥りやすい問題があることに注意が必要です。たとえば、「論理的思考」を徹底する欧州のVWは、次世代の自動車事業として、MQBと呼ぶモジュール化を中心に事業の大改革を実行しており、その中で新しい生産方式も構築して大幅な事業の効率向上を目指しています。もし、その新方式の自動車事業が目論見通りに完成した場合には、従来の自動車事業を踏襲するトヨタ生産方式では、「攻撃側有利の原則」により将来の進化の余地が少ないため、トヨタはVWに対して競争力を喪失する可能性があります。
  Ⅳ トヨタの「疑似・合理的組織運営」のまとめ
   結論として、従来、トヨタの成功の鍵に関しては、トヨタの経営手法を礼賛する議論は多いものの、その理由は明確になっていませんでしたが、その本質は、上記に要約したように、ほぼ合理的な運営、すなわち、「疑似・合理的組織運営」を実行している点であると判断されます。その結果、ほとんどの「日本型組織運営」を実行している日本企業は、それが原因で『「発展を継続できず自滅する日本」の問題』に陥り、成功した後に時間が経過すれば経営危機に陥るのとは異なり、トヨタは経営危機に陥ることなく発展を継続できると判断されます。また、トヨタが、日本企業としては珍しく、鍛え上げられた正規軍同士が全知全能を駆使して激突するような、超大規模産業で世界のトップ争いを行う超優良企業である秘密も、その合理的な経営にあります。
   ただし、トヨタの成功の背景には、上記困の「自動車の構造」が大きく変化していないことがある点に注意が必要です。また、この「疑似・合理的組織運営」には、「合理的組織運営」と比較して、「全体の目的」の『全体最適』な実現に向けた「自浄機能」が働かない限界と、進化が激しい分野や安定期の産業に大きな変革があった場合などには、現状維持の弱点があることにも注意が必要です。さらに、体系的ではない「疑似・合理的組織運営」には、上記⑪(2)・(4)Ⅱのような、体系的に「業務方法の進化を強制」する仕組みを作ることが困難な問題もあります。

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