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追加の豊田市図書館の13冊
 331『経済学大図鑑』
 573.2『伝統産業の経営学』陶磁器産地の協働の仕組みと企業家活動
 699.64『TVニュースのタブー』特ダネ記者が見た報道現場の内幕
 519『生存の条件』生命力溢れる地球の回復
 334.45『ストロベリー・デイズ』日系アメリカ人強制収容の記憶
 132.1『アウグスティヌス』
 223.8『物語 ビルマの歴史』王朝時代から現代まで
 021.3『専門家のための「本を書こう!」入門』
 461.1『有性生殖論』「性」と「死」はなぜ生まれたのか
 543.6『日本の知らない風力発電の実力』風力発電をめぐる『誤解』と『神話』を解きほぐす
 414.81『幾何学の基礎をなす仮説について』
 675『O2O、ビッグデータでお客を呼び込め!』ネットとリアル店舗連携の最前線
 451.8『学んでみると気候学はおもしろい』
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植村直己は一種の記録魔だった

『植村直己・夢の軌跡』より 冒険旅行に出る前に

どんなときでも自分の行動と思考を克明に記録した日記を残した。彼が書いた冒険行の本は、すべてこの厖大な日記やメモをもとにしている。ただし自分の冒険や登山が世間の注目を集めだしてから日記を書きはじめたのではない。無名時代、大学卒業直後から四年半にわたる世界放浪の旅でも、かなり克明な日記をつけている。

植村は後年、原稿を書くのはいちばん嫌いなことだと公言していたが、それはそういおうと心に決めたからそういいつづけたようなおもむきがある。彼は若くして記録することの重要性を直観的にさとり、それを生涯にわたって実行した。

ついでにいうと、世界史上に残るような大冒険家や大旅行家は、ほとんどそれが一つの資格であるかと思われるほど、例外なく記録魔だった。前人未到の場所に足を踏み入れる者にとって、ただ一つの証しは自ら記録することである。彼らは文字で書き記し、カメラ出現以後は写真をうつした。大冒険家にとって記録することはほとんど第二の本能といっていいのだが、植村直己もまさにそういう人間のひとりだった。ただし、それだけではいい足りない。植村の写真には、たんなる冒険の記録という以上の、自然への心からの讃嘆が表われている。冒険の対象にした大自然が彼にとって何であったかが、写真からおのずと伝わってくるのを忘れてはならない。

さて、植村直己は冒険や山行の行動を開始する以前、すなわち準備段階でも必ずノートを用意し、その進行をメモした。そういうノートが断片的にではあるが何冊か残っている。

そこには行動の日記とはまた別種の、興味津々の文字がある。

私がいま手にしているのは一九七二年の三月から四月にかけてのノートである。行きつ戻りつしながら、そのノートに日をこらしてみる。

ノートは、備忘メモ、スケジュール表、人名リスト、さらにはその日の日記までまじって、まさに混沌としている。混沌は植村のエネルギーの高まりそのものとも感じられる。

植村は七二年四月十一日、羽田空港からコベンハーゲンに向って出発した。グリーンランドに入って先住民エスキモーとともに暮らし、①犬橇の操縦を習得すること、②極地の気候に体を馴化させること、という目的があった。期間はほぼ一年の予定。

ノートはその旅に出る準備期間のほぽ一ヵ月のものである。準備にかける緻密な面と、かなり大雑把な面とがここから読みとることができる。ケース・スタディのようなつもりで、グリーンランド入りの準備がどんなふうに行なわれたかを追ってみたい。

なお、この準備期間にあたる一九七二年春には、植村直巳はもう無名ではなかった。七〇年に日本人として初めてエベレスト登頂を果たした登山家として、世間一般ではともかく、登山の世界では名が知れわたっている存在だった。用具の準備などでは、そのことが少しは有利に働いている。

一九七二年の二月末(おそらく二十六、七日)に植村は南極偵察旅行から帰国、グリーンランドヘの出発を三月末日と予定していた。出発まで混沌とした多忙の日々を送ることになるのだが、準備が遅れて結局出発は四月十一日になった。

この一ヵ月余の準備期間をうかがうことができるノートが二冊残されている。ひとつはB5判の大学ノート。〈MEMO〉と表紙に大書されていて、いちおう日付の記載はあるが、予定、必要情報のメモ、日記ふうの感想などが雑然と並んでいる。もうひとつは、赤い表紙のやや小型のノート。一月の南極調査行からひきっづき書かれている日記。南極以後の部分は三月一日から始まり、三月二十二日で終わっている。出発が迫って日記を書く余裕がなくなって中断したと思われる。

この二冊のノートから植村の「旅の支度」の一ヵ月を追ってみたい。以下では「MEMO」「日記」と二冊を区別するために表記するが、どちらかというと、雑然とした「MEMO」の方が準備のプロセスを生々しく伝えている。「日記」は、決意、反省などが書かれているために準備の具体的進行はつかまえにくい。
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世界一の〝摺り合わせ技術〟でできた日本のHV

『人口が減り、教育レベルが落ち、仕事がなくなる日本』より 「2020年、日本車消滅」という衝撃未来

世界一の〝摺り合わせ技術〟でできた日本のHV

HVは2つの異なる動力源・エネルギー源を持っている。そのため、ガソリンエンジンの他にモーターと電池を積んでいるので、クルマ自体が重くなる。つまり、その分、燃費が悪化する。

それにHVは、エンジンで発電し、その電力を直流に変換して充電する。そして、周波数や電圧を変換してモーターを駆動するという仕組みになっている。

したがって、直接エンジンで駆動するだけの従来車より、エネルギーを変換して使う部分はロスも多くなるのだという。

「それなのに、なぜ、低燃費が実現できたのか?」

「それは、日本のものづくり技術が優れていたからだ。簡単に言うと、この技術は〝摺り合わせ〟で、これに関しては、日本は世界一と言っていい。しかし、コンピュータが発達したいま、このような摺り合わせ技術は、やがて無用化すると思われる」

「なぜ?」

「それは、ガラケーがスマホに代わったことでわかるように、昔は電話だったものがいまはコンピュータに置き換えられている。テレビも同じで、テレビ独自で発達した技術は必要なくなり、いまはテレビではなくスマートテレビになった。これもコンピュータだ。だから、次はクルマもコンピュータになる。そうなれば、ガソリンエンジンはいらなくなる」

日本の自動車産業は、摺り合わせ技術の集積であるガソリンエンジンを中心として、現在の地位を築いてきた。ところがEVは、電池とモーターさえあれば簡単につくることができるという。パソコンがパーツの組み合わせで誰でもつくれるようなったように、自動車もEVになれば、そうなるというのだ。つまり、EVはモジュール化した電機製品だから、将来的にはパソコンやデジタルテレビと同じ類のものとなるというのである。

「もしそうなると、日本の自動車産業が築き上げてきたガソリンエンジンの技術はほとんど必要ないということなのか?」

「そうだ。本当にEVの時代が到来したら、トヨタやホンダなどの完成車メーカーばかりか、その裾野を形成してきた膨大な数の中小企業がビジネスを失うだろう」

もう一点、HVには欠点があるという。

それは、エコカーを標榜しながら、本当の意味で「環境に優しいクルマ」ではないこと。HVといってもガソリンを使う。つまり、二酸化炭素を排出することに変わりはない。

この点を重く見て、ハイブリッド技術で先行したトヨタやホンダに対し、日産や三菱はEVにシフトしている。欧州メーカーは、ハイブリッド技術で後れを取ったため、開発資金が安くて開発期間も短く済み、燃料も安く調達できることから、低燃費ディーゼル車の開発に力を入れている。

現在のところ、HVは価格が高いため、新興国市場では売れていない。新興国市場だけを考えると、日本メーカーがつくるHVは一般庶民の手には届かない。それなら、手軽なEVのほうがはるかに競争力があるというのだ。

現在、調査会社、証券会社、商社などが入り乱れて、2020年のEV(PHEV=プラグインハイブリッドEVも含む)がクルマ市場のどれくらいを占めるかを予測している。普及台数予測は500万~2400万台とばらついているが、平均値は約1300万台である。2020年に世界新車販売台数は9000万台と予測されるので、EVがクルマ全体に占める平均的比率は14%となる。

Y氏が再び言う。

「こうした予測は当てにならないね。よく聞くのは、2020年時点で、EVはクルマ全体の10%を占め、1台の平均価格が200万円とすれば、18兆円の市場に成長するというものだ。そして、2025年には20%になるという。たしか、日産のゴーン社長は、控えめに900万台としていた。ただし、上方修正される可能性があるとも言っていた」

「では、もっと普及するというのか?」

「そのとおりだ」

彼に言わせると、予測が当たるかどうかわからないとしても、次の2点は言えるという。

①普及速度は明らかではないが、EVが普及することに異論の余地はない。

②ゴーン社長が言うように、EVの普及速度は上方修正される傾向にある。

②については、2009年時点で「EVは2020年に10万台程度」と予測されていたが、たった数年で数十倍以上になったことからも明らかであるという。
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暗黙知は創発を起こす力

『科学の未解決問題』より 心脳問題

ポランニーは後年、ノーベル賞受賞間近と言われなから、突然、社会科学・科学哲学に研究分野を移したのですが、彼に言わせると「当然な方向へ考えを深めただけ」なんだそうです。いやはや、天才の考えを理解するのは難しいですね。

そんなポラソニーか「暗黙知」という概念を提唱しました。暗黙知というのは「知識」のことではなくて、「知識を得るときに身体の中で起きるプロセスや活動、メカニズム」のことです。ちょっとわかりにくい表現ですね。つまり、私たちが「わかった!」と思ったときに身体の中で起きている何かに「暗黙知」という名前を付けた、ということです。

私たちの感覚は、常に部分だけを受け取りますよね。たとえば、かばんの中のキーホルダーを手探りで見つけようとするとき、手や指には何かの一部が触れるだけです。でも「あ、見つけた!」と思ったときには、頭の中ではキーホルダーの全体を把握して、目で見なくても、キーホルダーのどこを持っているかわかっているはずです。この部分と全体の関係を観察すると、「部分(触覚)に注目したら、いつの間にか全体(探し物)が見えてしまう」という構造があるということがわかります。

別の例で、車を運転するときを考えてみましょうか。前方の視野、バックミラーやサイドミラーに映る後方の視野、ハンドルを握る触覚、お尻や背中に伝わる振動、エンジンの音、アクセルやブレーキを踏む足の力の強さ、これら個別の感覚は、それぞれの感覚に集中するうち、いつの間にか消えて、「運転」という一つの行為に意識が集中されるようになります。私たちは必ず部分に注目して、それによって頭の中に全体ができあがるのです。「部分から全体へ」。まさに創発が起きるときに働く力のことを、ポランニーは暗黙知と呼んだわけですね。部分と全体の関係は、複層的に積み重なります。今度は「言葉」を例に考えてみましょう。文章の意味を読み取るときに、まず私たちは、物理的な点と線を部分とする集合に注目します。すると文字という全体がわかります。次に、文字の集合に注目すると、今度は単語という全体がわかります。さらに単語に注目すると文か、文に注目すると文章がわかります。このとき、筆者の伝えたいことがわかるのです。

「点・線」「文字」「単語」「文」「文章」「筆者の意思」のそれぞれを違う「層」が重なっていると表現すると、それぞれの層は「1つ上の層」からすると部分であり、「1つ下の層」からすると全体です。私たちは、常に「ある層」を部分として注目することで暗黙知により「1つ上の層」を全体として把握し、このとき「2つ上の層」か意味として理解できる、という構造があるわけです。

そして、全体を把握して意味が理解できているときは、少しくらい部分が欠けていたとしても補える力があるのです。ある程度なら虫食いの文章が読めたり、ちょっとくらい壊れていても何とか道具を使えたりするのぱ、そういうことです。

逆に、全体が把握できていないと、欠けた部分を補うことはできません。こうした連続的な層の積み重ねを特徴とした、暗黙知による注目と理解の構造を「層の理論」と呼ぶことにします。

ポランニーは、言語の考察から、こういう暗黙知の働きと層の理論をもっと一般化しようと考えました。たとえば「花」を考えたとき、花を形作る部分(花弁、かく、おしべ、めしべ、茎、葉)に注目することで、全体像としての「花」が見えてきます。このとき、「全体像としての花」ぱ「花という構造・現象」で、ひと塊の花ではありません。でも、「花」の1本1本を部分として見たなら、草原に広がる花の群生か全体として見えるでしょう。あるいは小さな女の子の髪に飾られた「花」は、女の子を全体とするときの部分で、「花の髪飾り」という具体的な物になるでしよう。

はたして、花は物なのでしょうか? それとも現象なのでしょうか?

「部分と認識するか、全体と認識するか」の違いで答えは変わる、というのが「層の理論」での説明になります。読者の皆さんは、小学生の頃に漢字の書き取り練習をしていて、書き順に意識が向くあまり、だんだんと「漢字そのもの」が、ただの「点と線の集合」に見えてきて、変な気分になったことはありませんか? これはゲシュタルト崩壊という現象で、暗黙知理論からは部分と全体の関係が一時的に逆転した状態と説明できるんです。
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大量絶滅を超えて生物は進化する

『科学の未解決問題』より 大量絶滅

ここまで、原生代から顕生代に移るときのスノーボールアース、古生代から中生代のときのスーパープルーム、そして中生代から新生代のときの巨大隕石、と地球上の生物が何度も危機に瀕した様子を見てきました。しかし、過酷な環境をクリアした次世代生物が、環境の回復とともに、世界中へと広かっていくことも不思議な事実だったりします。

原生代からスノーボールアースを超えて顕生代に時代が移ったときは、かの有名な「カンブリア爆発」が起きました。生物が爆発的に増加し、現代に生きる動物たちの祖先が、「門」のレベルで、すべて誕生したと言われています。「門」というのは、あるレベルで生物を分類するときの項目です。現在、動物は35門に分類されていて、すべての生物は、「門」だけでなく、「界」から「種」へと細かく分類されています。

たとえば、私たちヒトは「真核生物、動物界、脊椎動物門、哺乳綱、霊長目、ヒト科、ヒト属、ヒト(種)」になります。本当はもっと精密な分類のレベルが途中途中にあるのですが、これでも十分長いですよね。

話を戻すと、「門」か出そろったということは、現代を生きる生物の祖先がほぼ全員誕生したことになります。中には「ウルトラマンに出てくる宇宙怪獣!?」と言いたくなるデザインの生物も多くいて、彼らのことを「カンブリアモンスター」と呼んだりもします。ただ、カンブリア爆発で誕生しつつも、現在の生物の祖先になれなかった、途絶えた生物も多くいたことがわかっています。

また先ほどの古生代からスーパープルームの大量絶滅を耐え抜いたあとはどうだったでしょうか。生き延びた一割未満の生物の子孫は、中生代に恐竜を代表として大繁栄しました。同じように、中生代の終わりに落下した巨大隕石の大量絶滅を生き延びた3割の生物の子孫は、新生代を謳歌する哺乳類と鳥類の礎になりました。いったい、この逞しいまでの生命の力は、どこから出てくるんでしょうか。まったく、すごいものです。

今のところ、こうした絶滅から復活するまでのメカニズムは謎だらけなんですが、まったく仮説がないわけではありません。ヒントはガラパゴス諸島にあります。

極端に狭い環境で生物が孤立していると、細かく分化した種か増えることが知られています。これは、生活環境を少しずつ棲み分けることによって生物の多様化が進行からだと考えられています。

限られた条件と環境に追い込まれた生物たちは、そこで生き残り、多様化を進め、豊かな環境に解放されたとき、自分たちの生活域を広げていく。極端に言うと、大量絶滅が生物の爆発的な進化と多様化をプッシュしたのかもしれません。ただし、このストーリーは仮説だらけで、まだまだ科学的な証拠は、そろっていません。

本章の最後に、少し読者の皆さんにも考えてもらいたいな、と思うことがあります。

生物のおよそ7~9割が死滅した大量絶滅を「ビッグ5」と言いましたが、もしかして現代は、6回目の大量絶滅「ビッグ6」の真っ最中かもしれない、ということです。

国際自然保護連合(IUCN)の「レッドリスト(2012年版)」には、すでに絶滅寸前の動物種が2万種以上も記載されています。もちろん地球上には200万種に近い動物がいますから、まだまだ大丈夫と言えなくもありません。

でも、「ビッグ6」が本当なら、これまでの大量絶滅とは違うところがあります。それは、絶滅の原因が自然環境の変化だけでなく、私たちにもあるということです。私たちヒトも地球環境の一部と言えなくもないのですけど、積極的に自然環境へ働きかけるようになった初めての種じゃないですか。同じ、環境に働きかけるなら、地球に何が起きているのかを正確に知って、科学的に正しい方法で自然と一緒に生きていきたいですよね。
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