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消費税の地方税化

消費税の地方税化

 消費税を地方税化して、その地域で自由に使わせれば、状況はかなり違ってきます。社会保障そのものが活きてきます。そうなると、国債の償還が一番の問題になります。これが論知的かどうか。

 アメリカ社会に対しては、地域の独立とボランティア的な集まりと宗教でもって、政府以外にもう一つの軸ができていることが安定につながる。それがデモクラシーにつながる。

 日本の場合は、地域は連続しているし、ボランティアは育っていなくて、宗教は役立っていない。そこで、消費でもって、存在を確認していたら、当然、日本は最後尾です。

 最後まで、国民国家を貫いて、滅亡する姿です。移民で、人口一億人を維持するのはムリです。

消費が存在の確認

 消費が存在の確認という定義がしてある以上、共有はどうなるのか。存在をどこで確認していくのか。消費で確認するのは、もったいないというか、答がなくなります。

市民社会と国家と個人の関係

 ヘーゲルの「欲望の体系」としての市民社会をどう見ていくかです。それと国家との関係、個人との関係。

 人々は本当に政治的な諸問題を理解し、適切な判断が下すことができるのか。デモクラシーの担い手として、個人の能力を問い直されるのである。ここに、マスメディアとかプロパガンダが入ってくる。それをうまく使ったのが、ナチです。

 その意味では、意思の力に頼る以上は、全体主義が解決の一つになります。存在の力にすれば、それは在りえない。存在の力を作るにはどうすればいいのかが一番の問題でしょう。一人ひとりがそこに居てもいいんだと、発信してもいいんだと覚醒をすることはそう簡単な話ではない。

 人間は生まれながらにして、意思の力(親の力)で育ってきた。存在の力のためには、かなりの努力が必要だし、方向性が必要です。だけど、周りの環境は、家族主義といい、町内会といい、会社のように意思の力を阻害する要因が主になっている。

間接民主主義と直接民主主義

 間接民主主義の悪さはたぶん、そこにあるんです。自分の意思をまとめようとしても、間接である以上は人に頼ることができない。自分がやらないといけないけど、そのための環境がない。

 その点では、ウクライナ・クライシスのような直接民主主義では、他の人がどう考えているのかを参考にして、行動する力で動ける。

 スイスとか、アテネにおける直接民主主義も同じです。顔が見える単位の意思決定ができる。

 今の日本の間接民主主義は力になりえない。風潮によって、マスメディアによって変わってくる。将来のことを考えなくても投票ができる。だから、意思の力で方向が変えられてしまう。これでは存在の力は活きてこない。では、どうするか。

 子どもから教育すると言っても、子供の教育のために親が変わらないといけないけど、親が変わりえない以上は、子どもの教育はなしえない。

 毛沢東の紅衛兵ではないないけど、中学生が親を吊し上げるような、「司令塔を撃て」というようなメッセージはカリスマがいて、初めて成り立つし、それ自体はいい方向にはいかない。それにしても、毛沢東のやり方で2千万人の人間が殺されたのに、よく、毛沢東についていけたものです。未だにそうです。

 地域で見える範囲で、成功体験を加えながら、生涯学習などを使って、変えていくしかない。カリスマが使えない以上は、いっぺんに変わることはない。ゆっくりした変革です。
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ハイデガーの時間

『「紙の本」はかく語りき』より

もしかすると、過去・現在・未来へと直線的に流れていた、通俗的な時間了解内容の方向性が変わったのではないか。そう思うと俄かに、時間が前方からやってくるような気がした。ひとつ、滝をイメージしてほしい。

時間が前から流れてきて、私の後ろで滝のように落ち込む。私は意味もなく滝の手前の流れの中に放り出されて生まれてきた。これを「被投性」と実存哲学では言うらしい。滝壷は死である。私は滝壷に落ちる前に必死で上流に泳ぎあがろうとする、鮭のようである。

未来は前方からこちらに向かって到来する。だが待てよ。それに近い考えをどこかで読んだ気がする。

現存在は、おのれがいわば「前方へと向かって」実存するが、すべての既在するものを「おのれの背後に」置き去りにするというふうに、主題化されたにすぎない。(『世界の名著74ハイデガー存在と時間』原佑・渡辺二郎訳、中央公論社、一九八〇年)

うーむ。分かる訳がない。哲学とは論理的でない事柄を記述するのであるから、このように論理的ではあり得ないのである。ただ、ハイデガーは通俗的な過去・現在・未来を、既在・現成化・到来と呼んでいる。だから、彼にとって前方が到来であり、背後が既在なのである。これで引用文を読み解くと、「現存在であるボクは、前方の未来へ向かって実存するが、すべての過去をボクの背後に置き去りにするというふうに、ボクを客観化する」と解釈できる。

ならば、私の直観と同じはずではないか。時間は前からやってきて、後ろに流れ去る。

だが、ハイデガーはどうもそうは考えていないようなのだ。ペルクソンをバカにして、時間現象は決して質的時間というものが空間へと外化したものではない、と言い切っている。

ならばハイデガーの時間とは一体何なのか。

読み解くと、現存在はおのれの行く方向を切り開きつつ、遠ざかるものを奪って生きているという。ゆえに「生誕と死との間の現存在の伸び拡がり」が空間を作り、次々とそれをケンケンのように飛び渡っていくことにより、時間的な連続が生じる、と考えているようだ。

現存在がおのれに空間を許容するはたらきは、方向の切り開きと遠ざかりの奪取とによって構成される。……

現存在は、そのつど今においてのみ「現実的」であるのだから、おのれの「時間」の今連続を、次々といわば跳び渡ってゆくというように、通過するのである。

つまり、時間を示すものが外にあるわけではなく、人間が空間を作り、その空間を抜け出すことによって時間を作っていくというのが、ハイデガーの時間なのである。では過去となった世界はどうなったのかといえば、そうした世界はもはや存在していないのである。

消滅した過去には、史跡や史料という遺物が残る。その遺物は、「過去となったもののほうへと手探りつつもどってゆくのでは断じてなく、歴史学的開示もまた到来から時熟するのである」とあるように、前から到来して来るのである。ゆえに、歴史学者は過去を振り返るのではなく、眼前にやってくる史料に直面し、「歴史的に実存しつつある現存在が現にそこに既在していた現存在を取り返しつつ開示しようと決意することによって、開かれるのである」。

この最後の部分が、たぶん冒頭にかかげたトニー・ジャットの、「過去は……現在のわたしたちの関心事を参照することで、意味を獲得する」に近い表現なのではないだろうか。
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複雑性の縮減

『<世界史>の哲学』より インドと中国

仏教を代表する図像が曼荼羅であるとすれば、キリスト教を代表する図像は磔刑図である。前章で、われわれは、両者を比較することで、仏教とキリスト教の相違の要諦を整理した。そこで論じたことを、現代の社会システム論の概念に対応させて、一般化しておこう。

まず、曼荼羅や磔刑図を社会システムと対応させることが、決して、突飛な関連づけではない、ということを確認しておこう。曼荼羅は、仏教から見た宇宙のイメージである。たとえば、胎蔵界曼荼羅は、ブッダの身体を描いたものだが、この場合のブッダの身体とは、仏教で言うところの「法身」であって、宇宙と同じものである。さらに、金剛界曼荼羅は、主体がそれへと同一化すべき対象(即身成仏)として、ブッダの身体を提示する。ところで、磔刑図におけるキリストの(死にゆく)身体もまた、信者の同一化の対象ではないだろうか。というのも、パウロが述べているように、キリストの身体こそは教会、つまり信者たちの普遍的な共同体だからである。とするならば、磔刑図において描かれているのは、包括的な社会システム(教会)のイメージである。そして、その仏教側での対応物は、曼荼羅だ。このように考えれば、これらの図像を、社会システムについての直感的な表現であると見なすことは、決して不自然なことではない。

ニクラス・ルーマンによれば、社会システムの基本的な機能、すべての機能の前提となる基礎的な機能は、複雑性の縮減である。複雑性とは、「要素および要素間の関係」の可能性の集合のことであり、社会システムの場合には、要素はコミュニケーションである。システムにとっては、世界は、常に可能性の過多、大きすぎる複雑性として現れる。過剰な複雑性はシステムにとっての根本問題である。システムが成り立っている状態は、世界の複雑性の中から、許容されたり、承認されたりしている可能性が制限され、限定されていることを指している。つまり、社会システムの内部では、論理的に可能なコミュニケーション(とその接続)は限定され、その一部しか現れない。

たとえば、ある官僚が、大好きなホットドッグを食べていたとして、それが仮に勤務時間中のことであったとしても、その行為は行政システム(という社会システム)に所属しているとは見なされない。実際、この官僚は、ホットドッグを食べる歓びや感謝を、同僚や上司に向けることはなく、彼にそれを持たせた妻に向ける。「ホットドッグを食べる」という行為は、行政システムの中で可能とされている要素には初めから含まれていないからである。行政システムが成り立っているとき、その内部では複雑性は大いに縮減されている。システムに内部化されていない可能性は、そのシステムにとっては環境に属している。

環境の複雑性とそこからの縮減によるシステムの形成という関係は、「図/地」の構図で理解できるだろう。「地」(環境)としてあるところの過剰な複雑性の中から、一部が「図」(システム)として切り出されるのである。

ところで、システム論の領域では、(社会システムに限らず) 一般に、システムの能力、すなわちどれほど複雑で多様な環境を認識し、それらに対応できるかという能力は、システム自身の内的な多様度・複雑性に比例していることが知られている。これを、(この比例関係を唱えた学者の名前にちなんで)「アシュビーの最小多様度の法則」と呼ぶ。たとえば、ダェは、酪酸を発している物体(哺乳類)を感知して、その物体の表面に着地し、吸血する。ダェにとっては、その物体が酪酸を発するかどうかという区別は存在するが、その他のこと--たとえばその物体が何色かとかどんな音を発しているかといったこと--は無に等しい。ダェの知覚系には、酪酸の有無を区別する程度の複雑性しか備わっていないからである。したがって、システムは、複雑性を縮減するのだが、十分に多様で複雑に変化する環境に、鋭敏に対応するためには、自分自身の内的な複雑性を高めなくてはならない。

社会システムは--心理システムとともに--意味構成的システムである。「意味」という概念を現象学から借用し、社会システム論に自覚的に導入したのはルーマンだ。システムが、システムの内外の対象を「何ものか」として同定しているとき、その「何ものか」にあたるのが「意味」である。意味とは、否定の能力を媒介にした「体験加工」である。この点を、ルーマンに従って要約しておこう。対象を何ものかとして同定することは、そうではない可能性を否定し、それらから対象を区別することである。意味は、このように人間の否定の能力に基づいている。否定は、他なる可能性を廃棄することではない。むしろ、否定は、他のありえた可能性を保存し、維持するのだ。このように、選択されなかった「他なる可能性」を潜在的に維持することを、ルーマンは、体験加工と呼んだ。
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ヘーゲルの歴史哲学

『<世界史>の哲学』より 「東」という歴史的単位

キリストの死のことを考慮に入れても--あるいはこれを考慮に入れることによってこそ--、中華帝国を存立させた論理と西洋という文明へと連なるキリスト教の論理とは明確に対照させることができる。前者は、贈与を皇帝へと中心化することで機能する。贈与とそれへのお返し(反対贈与)という関係が、常に、皇帝と従属者との間に結ばれる。こうしていわゆる再分配の関係が形成される。それに対して、後者は、こうした関係、つまり贈与とお返しという関係を否定することによって成り立っている。

この対照を、世界史のさらに大きな視野の中に置きなおしておきたい。ここで、参考になるのが、ヘーゲルの歴史哲学である。ヘーゲルは、世界史は東から西へと向かった、と論じている。世界史の起源が東にあって、それが西へと向かったとヘーゲルが主張するとき、彼は、事実過程を記述しているわけではない。人類の発祥の地がユーラシア大陸の東にあったとか、何かの伝播の過程について、ヘーゲルは主題化しているのではない。ヘーゲルが言う「東から西へ」は、純粋に論理的なステップである。

ヘーゲルの考えでは、世界史とは、まったく野蛮で勝手気ままな意思が訓練されて、普遍的で主体的な自由が実現されるまでの論理的な過程である。こうした尺度に基づいて、次のような有名なテーゼが提起される。東洋は、一人が自由であることを認識し、ギリシア・ローマ世界は、特定の人々が自由であることを認識し、そして最後にゲルマン世界〔非西洋〕は、万人が自由であることを認識する、と。簡単に言えば、自由な主体として承認される範囲が、次第に拡張し、普遍化していく過程が、ヘーゲルの世界史である。この観点から捉えたとき、歴史は東から西へと進行したというのが、彼の判断だ。

ヘーゲルによれば、歴史の幼年期に対応する東洋世界においては、共同体の精神を体現する一人だけが自由な主体として認識されており、他の諸個人は、自己統制できずに勝手気ままな心をもっているだけで、自由な主体とは見なされない。自由である唯一の主体とは、王国の王や帝国の皇帝である。王や皇帝は、共同体に対して家長として君臨している。共同体の富や豪華さは、この特定の個人に集中している。他の個人は、共同体の精神から独立した、あるいは共同体の精神に対抗しうる自由な主体性をもたない、とされる。このような共同体が、後にマルクスによってアジア的専制国家と言い換えられ、ヴェーバーによって家産制として一般化される。

これに、青年期・壮年期にあたる、古代ギリシア世界とローマ帝国が続く。ヘーゲルの考えでは、これは、共同体から自立した個人が形成される段階である。放縦とは異なる、自律的で自由な個人が、出現する。自己反省に基づく統制の程度が、ローマ帝国のほうがギリシア世界よりもいくぶんか高まっているとされている。この段階では、しかし、自由な主体は、共同体の一部の者に過ぎない。

ヘーゲルの図式では、最後に、歴史の老年期(完全なる成熟期)たるゲルマン世界(西洋)が登場する。自由な主体が普遍化するのがこの段階である。これに深く与っているのが、キリスト教である。ヘーゲル独特の表現を用いれば、ゲルマン国家によって、ゲルマン世界の原理であるキリスト教が具体的な現実性を獲得する、というわけだ。キリスト教のもっている原理が、世俗の国家の中に統合され、実現されるというのである。

こうしたヘーゲルの歴史哲学の基本的な段階区分を今日の視点から振り返ったときに、われわれは、対照的な二つの印象をもつ。一方で、それは、歴史の進歩や近代化を、「民主化」の過程と見なす、素朴な社会観と大筋においては一致しているように思える。しかし、他方で、学問的な厳密な観点からすると、ヘーゲルの考えは、ヨーロッパ中心主義やナショナリズムに基づく偏見や、一九世紀前半の学問的な知見の限界に規定されていると見なさざるをえない。学問的な妥当性を重んじるならば、今日の研究は、ヘーゲルのこうした段階区分をそのまま採用することはとうていできない。

もし今日、ヘーゲルの歴史哲学に真に読むに値するものがあるとすれば、二つの印象の狭間にこそある。つまり、ヘーゲルの緻密な思索が、今日の社会で流通している素朴な歴史観や社会観とずれを呈し、それらを逆撫でするような部分にこそ、ヘーゲルの価値が現れるのだ。たとえば、「一人が自由(東洋)/一部が自由(ギリシアーローマ)/万人が自由(西洋)」という三段階の図式は、今日の素朴な了解に写像させれば、「君主制/貴族制/民主制」に対応するように思えるだろう。しかし、ヘーゲルは、東洋世界を「専制政治」と呼び(ここまでは誰もさして驚かないが)、その上で、民主制は、貴族制と並んで、第二の段階に含め、第三段階の「万人が自由」であるような社会は君主制である、としている。専制政治と君主制とはどう違うのだろうか。どうして、万人が自由な主体として承認されている社会が、民主制ではなくて君主制なのか。その場合、君主とは何か。こうした問いにこそ、ヘーゲルの真骨頂が現れるのである。
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