未唯への手紙
未唯への手紙
豊田市図書館の追加の12冊
440『宇宙への旅』
499.09『最新 薬局業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』医療費抑制、超高齢社会 勝ち残る薬局・薬剤師とは?
069.02『北米の小さな博物館3』「知」の世界遺産
943.7『帰ってきたヒトラー 下』
674.3『キャラクター・パワー』ゆるキャラから国家ブランディングまで
685.05『黄色いバスの奇跡』十勝バスの再生物語
019.9『「紙の本」はかく語りき』
461.1『いきものとなまものの哲学』
198.2『ヴァティカンの正体』究極のグローバル・メディア
209『戦争の世界史 上』技術と軍隊と社会
209『戦争の世界史 下』技術と軍隊と社会
327.95『ザ・ナイン アメリカ連邦最高裁の素顔』
499.09『最新 薬局業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』医療費抑制、超高齢社会 勝ち残る薬局・薬剤師とは?
069.02『北米の小さな博物館3』「知」の世界遺産
943.7『帰ってきたヒトラー 下』
674.3『キャラクター・パワー』ゆるキャラから国家ブランディングまで
685.05『黄色いバスの奇跡』十勝バスの再生物語
019.9『「紙の本」はかく語りき』
461.1『いきものとなまものの哲学』
198.2『ヴァティカンの正体』究極のグローバル・メディア
209『戦争の世界史 上』技術と軍隊と社会
209『戦争の世界史 下』技術と軍隊と社会
327.95『ザ・ナイン アメリカ連邦最高裁の素顔』
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これからの自治体をどうするか 自治体観を改める
『自治体再建』より 原発避難自治体はどのように行動したか 多重市民権を保障する自治体
ここまで、現代の「移動する村」から、自治体の原像を見出そうとしてきた。このような見方には、次のような反応が返ってくることがある。それは村や町の話であって、都市のあり方は別ではないかというものだ。確かに、電車の車窓から見て、何キロも何十キロも住宅が密集する都市部と、山林や田畑が広がる村や町とが同じ環境にめるとは思わない。しかし、繰り返し述べてきたように、村や町は決して牧歌的、情緒的な共同体集落ではない。少なくとも近世以降、村や町は政治的共同体であり、人々を保護する役割と規制する役割を両方とも備えている。内に向けてと外に向けての、いずれの意味でも権力を持っていたのだ。
もちろん、本源的には、権力などない方が暮らしやすいことは言うまでもないが、人間が共同生活をする以上、お互いを調整するために最低限の権力が必要になる。問題は、その権力がどのようにして構成され、どのようにして行使されるかということだ。近世の村や町と現代の自治体とではそこが異なる。現代では、一人ひとりの個人が出発点で、そこから信託されたところに権力行使の権限が発生する。市町村でも、都道府県でも、国家でも同じことだ。そういう意味では現代の「移動する村」も、都市部の自治体も何ら変わるところはない。
現代の「移動する村」は、住民の生命をギリギリのところで守った。もちろん、それぞれの対応には相違もあり、一律に評価されるわけではないが、もし本書で既述したように自治体が動かなかったとすれば、さらに大きな犠牲者が出たり、健康不安に苦しめられる人たちが増えたりしたことは確かだ。もし、自治体の使命を一つだけあげろと言われれば、住民の生命を守ることではないか。最も基礎的な自治体がやるべきことはこれだ。
私事になるが、私の義父母は三宅島に暮らしていて、二〇〇〇年の噴火で全島避難になり、船で東京に連れられてきた。まず、代々木のオリンピックセンターに収容され、そこで避難先の公営住宅を斡旋された。住宅に移ると、その日のうちに、ふとんや冷蔵庫、鍋や包丁など、とりあえずその日の夜を過ごすことができる物が次々と配送されてきた。私はその祥子を見て、三宅島とそれを支えた自治体の東京都を含めて、自治体とはこういう存在だったのかと初めて理解した。本人の責任に帰すわけにはいかない突然の災禍に対して、生命と生活を守るのが自治体の最低限の使命なのだ。
私は、今回の「移動する村」でも同じ光景を見て、ひょっとしたら自分たちの自治体観は間違っていたのではないかと考えるようになった。そもそも大規模化、超広域化した市町村が、今回のような緊急事態に遭遇したときに、住民とともに避難することなど可能だろうか。ひょっとしたら大規模化、超広域化した市町村では、避難指示が出ても住民は動かないかもしれないし、もし動いたとしても、そのような市町村が住民の避難場所を確保できるとは思えない。ある程度、財政的な基盤がしっかりとしていて、平時にどんなに豊かな行政サービスを提供していたとしても、緊急時、住民の生命を守るという使命を果たせなかったら、もはや自治体とは呼べないのではないか。
現在の支配的な自治体観では、市民生活に関することをできるだけ幅広く、できるだけ大量に処理することが自治体の使命とされているように見える。そしてそれを阻害しているのが国や都道府県とされる。このような自治体観では、自治体は国との同心円状に限りなく大規模化し、限りなく国家行政に近づいていく。都市自治体や合併によって異様に広域化した市町村は、そのようにして形成された。しかし、これが本当の意味で「分権」だったのか。
「分権」とは、「国から県へ」「県から市町村へ」事務の移譲を進めることだと思われている。だが、本来は広域で処理する方が望ましい仕事を移譲しても、それは「分権」ではなく、むしろ「集権」を持ち込むことになる。なぜなら、そのような仕事は、広域の基準に基づいて処理することが求められるので、実務を移譲したとしても、広域側から介入せざるを得ないからだ。それを避けるためには、自治体を大規模化するか、広域化するかしかなくなる。こうして、自治体の本来の意味である住民を保護するということがないがしろにされてきてはいないか。
本来の分権とは、自分たちがやるべきことを自分たちが考えて自分たちが決めるということではないのか。地域の子どもをどのように育てるか、町をどのようにつくっていくのか、住民の生命をどのように守っていくのかといったことだ。これに対して、国や県ができることといったら、資源を分配することだろう。決して学校教育を統制したり、日本中の海岸を防潮堤で囲むようなことではない。
ここまで、現代の「移動する村」から、自治体の原像を見出そうとしてきた。このような見方には、次のような反応が返ってくることがある。それは村や町の話であって、都市のあり方は別ではないかというものだ。確かに、電車の車窓から見て、何キロも何十キロも住宅が密集する都市部と、山林や田畑が広がる村や町とが同じ環境にめるとは思わない。しかし、繰り返し述べてきたように、村や町は決して牧歌的、情緒的な共同体集落ではない。少なくとも近世以降、村や町は政治的共同体であり、人々を保護する役割と規制する役割を両方とも備えている。内に向けてと外に向けての、いずれの意味でも権力を持っていたのだ。
もちろん、本源的には、権力などない方が暮らしやすいことは言うまでもないが、人間が共同生活をする以上、お互いを調整するために最低限の権力が必要になる。問題は、その権力がどのようにして構成され、どのようにして行使されるかということだ。近世の村や町と現代の自治体とではそこが異なる。現代では、一人ひとりの個人が出発点で、そこから信託されたところに権力行使の権限が発生する。市町村でも、都道府県でも、国家でも同じことだ。そういう意味では現代の「移動する村」も、都市部の自治体も何ら変わるところはない。
現代の「移動する村」は、住民の生命をギリギリのところで守った。もちろん、それぞれの対応には相違もあり、一律に評価されるわけではないが、もし本書で既述したように自治体が動かなかったとすれば、さらに大きな犠牲者が出たり、健康不安に苦しめられる人たちが増えたりしたことは確かだ。もし、自治体の使命を一つだけあげろと言われれば、住民の生命を守ることではないか。最も基礎的な自治体がやるべきことはこれだ。
私事になるが、私の義父母は三宅島に暮らしていて、二〇〇〇年の噴火で全島避難になり、船で東京に連れられてきた。まず、代々木のオリンピックセンターに収容され、そこで避難先の公営住宅を斡旋された。住宅に移ると、その日のうちに、ふとんや冷蔵庫、鍋や包丁など、とりあえずその日の夜を過ごすことができる物が次々と配送されてきた。私はその祥子を見て、三宅島とそれを支えた自治体の東京都を含めて、自治体とはこういう存在だったのかと初めて理解した。本人の責任に帰すわけにはいかない突然の災禍に対して、生命と生活を守るのが自治体の最低限の使命なのだ。
私は、今回の「移動する村」でも同じ光景を見て、ひょっとしたら自分たちの自治体観は間違っていたのではないかと考えるようになった。そもそも大規模化、超広域化した市町村が、今回のような緊急事態に遭遇したときに、住民とともに避難することなど可能だろうか。ひょっとしたら大規模化、超広域化した市町村では、避難指示が出ても住民は動かないかもしれないし、もし動いたとしても、そのような市町村が住民の避難場所を確保できるとは思えない。ある程度、財政的な基盤がしっかりとしていて、平時にどんなに豊かな行政サービスを提供していたとしても、緊急時、住民の生命を守るという使命を果たせなかったら、もはや自治体とは呼べないのではないか。
現在の支配的な自治体観では、市民生活に関することをできるだけ幅広く、できるだけ大量に処理することが自治体の使命とされているように見える。そしてそれを阻害しているのが国や都道府県とされる。このような自治体観では、自治体は国との同心円状に限りなく大規模化し、限りなく国家行政に近づいていく。都市自治体や合併によって異様に広域化した市町村は、そのようにして形成された。しかし、これが本当の意味で「分権」だったのか。
「分権」とは、「国から県へ」「県から市町村へ」事務の移譲を進めることだと思われている。だが、本来は広域で処理する方が望ましい仕事を移譲しても、それは「分権」ではなく、むしろ「集権」を持ち込むことになる。なぜなら、そのような仕事は、広域の基準に基づいて処理することが求められるので、実務を移譲したとしても、広域側から介入せざるを得ないからだ。それを避けるためには、自治体を大規模化するか、広域化するかしかなくなる。こうして、自治体の本来の意味である住民を保護するということがないがしろにされてきてはいないか。
本来の分権とは、自分たちがやるべきことを自分たちが考えて自分たちが決めるということではないのか。地域の子どもをどのように育てるか、町をどのようにつくっていくのか、住民の生命をどのように守っていくのかといったことだ。これに対して、国や県ができることといったら、資源を分配することだろう。決して学校教育を統制したり、日本中の海岸を防潮堤で囲むようなことではない。
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エコツーリズム 持続的な社会開発の基盤形成
『エコツーリズムを学ぶ人のために』より エコツーリズムと地域社会 「宝探し」から始まるエコツーリズム
自然、文化、歴史等々の「宝探し」によって抽出された数多くの宝を、どのように地域づくりへと展開しているのであろうか。
この点については「光」である宝を観せる側と観る側の間に成立する関係を煮詰めていく努力が重要であり、宝をより輝いた「光」として真の来訪者たる「観光客」に誇れるよう、地域では、宝探しの展開として、次のような「宝探しの5段階」展開を試みている。
(1)第1段階「宝を探す」--資源調査
第1段階は、先に述べた地域の誇り探しで、これは住民同士が一つ一つの資源の価値をお互いに共通のものとして認めていく作業の段階である。
地域の良さを住民同士で探して自分のものに昇華する、エコミュージアム運動の第一人者・阪南大学の吉兼秀夫が語る「自文化の自分化運動」である。
(2)第2段階「磨く」--住民が宝の価値を知る作業
同じ地域に住む他の人々と、世代を超えて価値の共有化を行う作業である。
掘り起こされた宝は、掘り出されたままでは光り輝くことができない。これを生かすためには、宝を「磨く」という作業工程が必要である。宝の性質によって多様な方法があるが、地域の人々の川で、宝をどう料理し、どう楽しむか、アイディアを出し合いながら試行錯誤を重ねていくことが重要である。この段階で重要なことは、宝を磨く人材をなるべく多くし、地域の中に、宝の価値を理解し大切に思い誇りと感じる人を増やすことである。多くの人々の意識を宝に寄せることによって、生かし方も、多様かつユニークなものとなっていく。
①修復する:損傷している有形物や歴史文化遺産、原風景として思い起こされたものなど、往時の状態が損なわれている宝に補修や修復を施すことで、再び最盛期の姿を現在によみがえらせるという手法であり、トラスト運動もこの部類に入る。
②楽しむ:宝を「楽しむ」仕掛けづくりが、宝を磨く最も効果的な方法である。宝を体感する機会をつくることによって得られるものは大きい。宝の価値を参加者に理解してもらうことができ、参加者の反応から宝の磨き方を習得することができる。参加者に地域の宝の価値をわかってもらうことができれば、その参加者と地域は、単なるホスト・ゲストの関係から、宝の価値と保全意識を共有する仲間となる。
エコツアー、自然観察会、ワークショップ、農作業体験、山村留学、体験交流など、様々な形で楽しむ仕掛けは具体化されている。歴史・文化遺産を訪ねるガイド付きツアーや地域の農家に滞在して生活文化を体験するグリーンツーリズムなども、世界の各地で実施されている一例といえる。
(3)第3段階「誇る」
住んでいる人々のホストとしての継承の仕方と体制づくりであり、外から訪れる人々に地域をよく知ってもらうための仕掛けづくりの段階といえる。
これは地域の観せ方、表現の仕方についての模索の開始でもある。宝の……一部の常設展示、宝ツアーの開始、地域をきれいに観せる運動などが挙げられる。また集まった宝情報の結果をより多くの人に知ってもらうため、食文化レシピの本作りや学習など、共有化の作業の開始段階でもある。
(4)第4段階「伝える」
「知られていない」という理由だけで埋もれてしまっている地域の資源は、情報提供の可否を検討しながら効果的に情報発信を行うことによって再び光を当てることが可能である。ただ闇雲に情報を流すのではなく、その資源の価値をよりよく伝える方法で、良い関心を持ってくれる層に届く手法を選択して発信することが重要である。歩いてもらうための地図づくりや、ガイドブックの発行、ホームページの開設などを実践しているところは多い。
(5)第5段階「宝おこし」--宝の活用による新しいものづくり
資源としての宝の担保を図りつつ、積極的に活用して、地域住民が自慢し誇れる個性ある産業に結び付ける。地域固有の宝商品の開発作業段階でもある。
外部の人々との宝を通じた交流の促進と拡大を図るための交流拠点の設置や、それに付随した、宝の展示作業の実施などが挙げられる。今ある資源を新しい形で作り変えたり、産業をきっかけに新しい風を取り入れて特産品や業態を作り出すなど、社会の時流やニーズを踏まえて新しい地域の顔を作っていく段階である。
自然、文化、歴史等々の「宝探し」によって抽出された数多くの宝を、どのように地域づくりへと展開しているのであろうか。
この点については「光」である宝を観せる側と観る側の間に成立する関係を煮詰めていく努力が重要であり、宝をより輝いた「光」として真の来訪者たる「観光客」に誇れるよう、地域では、宝探しの展開として、次のような「宝探しの5段階」展開を試みている。
(1)第1段階「宝を探す」--資源調査
第1段階は、先に述べた地域の誇り探しで、これは住民同士が一つ一つの資源の価値をお互いに共通のものとして認めていく作業の段階である。
地域の良さを住民同士で探して自分のものに昇華する、エコミュージアム運動の第一人者・阪南大学の吉兼秀夫が語る「自文化の自分化運動」である。
(2)第2段階「磨く」--住民が宝の価値を知る作業
同じ地域に住む他の人々と、世代を超えて価値の共有化を行う作業である。
掘り起こされた宝は、掘り出されたままでは光り輝くことができない。これを生かすためには、宝を「磨く」という作業工程が必要である。宝の性質によって多様な方法があるが、地域の人々の川で、宝をどう料理し、どう楽しむか、アイディアを出し合いながら試行錯誤を重ねていくことが重要である。この段階で重要なことは、宝を磨く人材をなるべく多くし、地域の中に、宝の価値を理解し大切に思い誇りと感じる人を増やすことである。多くの人々の意識を宝に寄せることによって、生かし方も、多様かつユニークなものとなっていく。
①修復する:損傷している有形物や歴史文化遺産、原風景として思い起こされたものなど、往時の状態が損なわれている宝に補修や修復を施すことで、再び最盛期の姿を現在によみがえらせるという手法であり、トラスト運動もこの部類に入る。
②楽しむ:宝を「楽しむ」仕掛けづくりが、宝を磨く最も効果的な方法である。宝を体感する機会をつくることによって得られるものは大きい。宝の価値を参加者に理解してもらうことができ、参加者の反応から宝の磨き方を習得することができる。参加者に地域の宝の価値をわかってもらうことができれば、その参加者と地域は、単なるホスト・ゲストの関係から、宝の価値と保全意識を共有する仲間となる。
エコツアー、自然観察会、ワークショップ、農作業体験、山村留学、体験交流など、様々な形で楽しむ仕掛けは具体化されている。歴史・文化遺産を訪ねるガイド付きツアーや地域の農家に滞在して生活文化を体験するグリーンツーリズムなども、世界の各地で実施されている一例といえる。
(3)第3段階「誇る」
住んでいる人々のホストとしての継承の仕方と体制づくりであり、外から訪れる人々に地域をよく知ってもらうための仕掛けづくりの段階といえる。
これは地域の観せ方、表現の仕方についての模索の開始でもある。宝の……一部の常設展示、宝ツアーの開始、地域をきれいに観せる運動などが挙げられる。また集まった宝情報の結果をより多くの人に知ってもらうため、食文化レシピの本作りや学習など、共有化の作業の開始段階でもある。
(4)第4段階「伝える」
「知られていない」という理由だけで埋もれてしまっている地域の資源は、情報提供の可否を検討しながら効果的に情報発信を行うことによって再び光を当てることが可能である。ただ闇雲に情報を流すのではなく、その資源の価値をよりよく伝える方法で、良い関心を持ってくれる層に届く手法を選択して発信することが重要である。歩いてもらうための地図づくりや、ガイドブックの発行、ホームページの開設などを実践しているところは多い。
(5)第5段階「宝おこし」--宝の活用による新しいものづくり
資源としての宝の担保を図りつつ、積極的に活用して、地域住民が自慢し誇れる個性ある産業に結び付ける。地域固有の宝商品の開発作業段階でもある。
外部の人々との宝を通じた交流の促進と拡大を図るための交流拠点の設置や、それに付随した、宝の展示作業の実施などが挙げられる。今ある資源を新しい形で作り変えたり、産業をきっかけに新しい風を取り入れて特産品や業態を作り出すなど、社会の時流やニーズを踏まえて新しい地域の顔を作っていく段階である。
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209『戦争の世界史 上』技術と軍隊と社会
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499.09『最新 薬局業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』医療費抑制、超高齢社会 勝ち残る薬局・薬剤師とは?
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