スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典日刊スポーツ賞北海道スプリントカップ&定点観測

2024-08-16 19:11:29 | 地方競馬
 昨晩の第28回北海道スプリントカップ
 オスカーブレインの逃げで2番手にエートラックス。3番手はジョーローリットとリコーシャーマンとトラジロウ。6番手にエスカルとヴィヴィアンエイト。8番手以下はストリーム,チカッパ,オソレ,ティントレット,デュアルロンドという順で続き,ピコイチは大きく離されました。前半の600mは35秒1のハイペース。
 直線の入口でエートラックスが単独の先頭に。一旦は抜け出しましたが中団に控えていたチカッパが鋭い末脚であっさりとエートラックスを差し切って優勝。エートラックスが2馬身差で2着。後方から大外を追い込んだティントレットが1馬身半差で3着。
 優勝したチカッパは重賞初制覇。3月にオープンを勝った後,兵庫チャンピオンシップに出走して2着。ここはそれ以来の出走。兵庫チャンピオンシップで負けていたエートラックスを逆転したのは,距離短縮が要因かもしれませんし,コーナーが2回のレースに変わったことが要因だったかもしれません。このあたりのことは今後の対戦成績で明らかになっていくでしょう。今年からこの時期の3歳限定戦になったのですが,兵庫チャンピオンシップの上位2頭が着順を入れ替えて上位を占め,優駿スプリントの勝ち馬が3着という結果は,来年以降の指標になるものと思います。父はリアルスティール。馬名は博多弁ですごくという意味だそうです。
                            
 騎乗した武豊騎手第10回,11回,12回に続き16年ぶりの北海道スプリントカップ4勝目。管理している中竹和也調教師は北海道スプリントカップ初勝利。

 中身に入る前にもう少し本の紹介を続けます。
 この本ははじめにとおわりに,さらにおわりのおわりにというみっつの部分を除くと,15章で構成されています。この15章は,第1回,第2回という具合に記述されています。すでにいっておいたように,本の元になったのは大学での講義録ですから,第1回が1回目の講義,第2回が2回目の講義にそれぞれ該当していると考えるのがよいでしょう。つまり15回の講義があって,その講義の1回がそれぞれまとめられているということです。
 この講義の特徴は,時系列に沿って進捗していくということです。もちろんスピノザが主題のテーマですから,時系列というのもスピノザに沿ったものです。つまり第1回はスピノザが誕生した頃のことが講義の内容になっていて,第15回はスピノザの死後のことも含まれています。
 一般的にこのように時系列で進捗していくのは伝記です。たとえば『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』は基本的に時系列で進んでいきます。しかし『スピノザ 人間の自由の哲学』は伝記ではありません。むしろ吉田が講義として伝えたいことは,スピノザの人生であるというよりはスピノザの思想であり,とくに吉田が『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を翻訳していることからも分かるように,スピノザの政治論です。ところが講義は時系列で進んでいくわけですから,その時系列の中でスピノザが残した著作の内容が紹介されていくことになります。つまり講義の内容の中に,スピノザの伝記にあたるような内容と,スピノザの思想の解説とが混在していることになります。吉田自身はこのような方法を定点観測といっています。つまりスピノザという定点から,時代の流れを追い,その定点となっているスピノザという人物の思想を紹介していくという方法を,吉田は定点観測というわけです。しかし一般的にこのような方法は,入門書にはそぐわないといえるでしょう。入門書であれば伝記的な部分とその人物の思想の概説は,別々に紹介されるのが通常であるからです。そして吉田がこのような方法を採用しているということも,この著作が入門書の域を超越していると思わせる要因のひとつを構成しているといえます。
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日刊スポーツ賞黒潮盃&スピノザ 人間の自由の哲学

2024-08-15 19:03:38 | 地方競馬
 昨晩の第58回黒潮盃
 好発はスマイルナウでしたが逃げたのはオーウェル。2番手にムットクルフェ。1馬身半差でシシュフォスとケンタッキースカイ。1馬身半差でサーマウントとスマイルナウ。1馬身差でマコトロクサノホコとバハマフレイバー。2馬身差でイモノソーダワリデとミライヘノシンゲキ。3馬身差の最後尾がクリコマ。前半は後方にいたダテノショウグンは向正面で外から追い上げ,3番手まで上昇しました。最初の800mは52秒0の超スローペース。
 3コーナーからオーウェル,ムットクルフェ,ダテノショウグンの3頭で併走。3馬身差でシシュフォスが続き2馬身差でケンタッキースカイ。直線の入口でも3頭は並んでいましたが,ほどなくダテノショウグンが単独の先頭に。そのまま抜け出して快勝。シシュフォスが外から追い上げ3馬身半差の2着。オーウェルを競り落としたムットクルフェが1馬身差で3着。
 優勝したダテノショウグンハイセイコー記念以来の南関東重賞2勝目。デビューからの連勝を7に伸ばしました。5連勝でハイセイコー記念を制した後,蹄に故障を発症したため休養に入り,春のクラシック戦線は出走がかないませんでした。復帰戦は先月のオープンで5馬身差の快勝。ここも斤量面での恩恵はあったものの,これだけの差をつけて勝ちましたので,少なくとも南関東生え抜きの3歳馬の中ではこの馬の能力が傑出しているということでいいと思います。重賞でも通用の余地があるでしょう。父はバンブーエール。母の父はマンハッタンカフェ。3代母がノースフライト
 騎乗した大井の御神本訓史騎手はサンタアニタトロフィー以来の南関東重賞71勝目。黒潮盃は初勝利。管理している大井の森下淳平調教師は南関東重賞18勝目。黒潮盃は初勝利。

 12月6日,水曜日。この日がお寺の奥さんが席主となる御講の日でした。事前に連絡を受けていましたので,僕も出席しました。前にいったかもしれませんが,総講というのは朝参詣の場合を除くと午後10時半に開始されます。これに対して御講は原則的に午前11時の開始で,この日もそうでした。なお,この日はお寺に常駐している住職の奥さんが手術をする当日でした。なので御講の後に,その手術の成功を祈願する読経が30分ほどありました。この関係で僕の帰宅もいつもの御講の日よりも30分ほど遅くなりました。
 12月14日,木曜日。個別支援計画書が送付されました。これは中間報告です。そして僕はこの日に1冊の本を読み終えました。吉田量彦の『スピノザ 人間の自由の哲学』です。吉田は光文社版の『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の訳者なので,それに付せられている解説などの文章は読んでいますが,基本的には訳書なので,分量はそう多くありません。まとまったものを読んだのはこれが初めてです。2022年2月20日に,講談社現代新書から発売になったものです。
                           
 この本の終わりの方に吉田は,『スピノザの世界』,『はじめてのスピノザ』に続いてスピノザに関する入門書・概説書的な著作が講談社現代新書から3冊並ぶことになったという意味のことをいっています。つまり吉田にとってはこれは入門書という位置づけなのでしょう。ですが僕が読んだ感覚でいえば,この本は入門書という枠は超えているように思えます。もしもスピノザの哲学にまだそこまで詳しくないのであれば,上野の本や國分の本を読んだ後で,この吉田の本を読むことを僕はお勧めします。
 著書の元になっているのは吉田が大学で行った講義です。これはひとつではなく,まず2004年に慶應義塾大学の通信教育課程の夏季集中講義です。次に2015年に千葉大学で行った秋学期の講義です。そして最後に2020年の春学期に慶應義塾大学で行った講義です。これらの講義ノートが著書の元になっています。このうち,千葉大学での講義は専門課程の科目だったそうで,専門的な話になってもいいと吉田は思っていました。この関係で入門書の枠を超えているのでしょう。
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農林水産大臣賞典クラスターカップ&喪中はがき

2024-08-14 18:53:27 | 地方競馬
 12日に予定されていたものの台風の影響で今日に順延になった第29回クラスターカップ。北海道競馬の開催日と重なったためスペシャルエックスは岩橋騎手から高松騎手に変更。
 ジレトールは発馬であおって1馬身の不利。逃げたのはドンフランキー。内を開けての逃げになりました。サンエイウイング,枠入りを嫌っていたケイアイドリー,ビクトリールーラーの3頭が並んで2番手で5番手にスペシャルエックス。6番手はアヴェントゥリストとクロジシジョーで8番手にコスタノヴァ。9番手にルチルクォーツとキモンリッキー。11番手がゲンパチプライド。ユニコーンを挟んでジレトールが最後尾。前半の600mは35秒5の超スローペース。
 直線の入口でもドンフランキーが先頭。最内を回ったサンエイウイングが2番手で外のケイアイドリーが3番手。その外からクロジシジョーが追い上げてきました。直線に入ると内を回ったサンエイウイングは一杯でケイアイドリーが2番手に。そこにクロジシジョーが差し込み,ケイアイドリーを差して2番手に上がったのですが,逃げたドンフランキーには届かず,逃げ切ったドンフランキーが優勝。クロジシジョーが半馬身差の2着でケイアイドリーが2馬身差で3着。大外から猛然と追い込んだジレトールが1馬身差の4着。
 優勝したドンフランキー東京盃以来の勝利で重賞3勝目。1200mよりも1400mの方がよい馬ですが,ここは強敵が不在で,力を遺憾なく発揮して,順当な優勝。JBCスプリントを目指すものと思われますが,今年は1400mですからチャンスではないでしょうか。父はダイワメジャー
 騎乗した池添謙一騎手と管理している斉藤崇史調教師はクラスターカップ初勝利。

 11月22日,水曜日。午後5時に,給湯器のリモコンの修理のための工事をしてもらった会社から電話がありました。これはその後の状況の確認でした。工事の後は以前と同様に給湯器のリモコンは問題なく操作することができていましたので,その旨を伝えました。この確認ですべての作業が終了するとのことでした。
                     
 11月24日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日はそのままО眼科に向かい,妹の目薬の処方箋を出してもらいました。
 11月25日,土曜日。午後8時55分にピアノの先生からの電話がありました。いつものように,翌日のレッスンの開始時刻の通知でした。
 11月26日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後5時半の開始でした。
 11月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 11月28日,火曜日。午後5時20分にお寺の奥さんから電話がありました。これは奥さんが席主となる御講が行われることになったという連絡でした。
 11月30日,水曜日。父のきょうだいの長男からの喪中はがきが届きました。これは長男の姉,長男の姉ということは僕の父の姉でもありますから,僕からみると伯母にあたりますが,その伯母が4月に死んだので,来年,というのは2024年のことですが年賀状は出さないというものでした。
 父のきょうだいというのは上5人が女で下の3人が男です。この伯母は四女にあたるのですが,死んだということを僕は知りませんでした。これには理由があって,この伯母はアメリカ人と結婚したためにロサンゼルスに住んでいたのです。このために死んだからといって通夜や葬式に出かけるということはできませんから,別に僕に伝える必要はなかったのです。父は8人きょうだいですが,これで5人の姉はすべて死んだことになります。生きているのはふたりの兄だけになりました。
 12月2日,土曜日。総講に出席するためにお寺に行きました。
 妹はこの日が土曜レクリエーションでした。この日はクリスマスの作品の制作をしたとのことでした。この作品というのはたぶん通所施設で催されるクリスマス会で使用するものだったと思われます。
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ドストエフスキーとスピノザ&薬局

2024-08-13 19:14:45 | 歌・小説
 汎悪霊論について書いたときにいったように,僕はドストエフスキーがスピノザを知っていたとは思いません。普通に考えて,ドストエフスキーがスピノザのことを知るような機会があったとは思えないからです。ただ,ドストエフスキーとスピノザを繋ぐラインがまったくなかったというわけではありません。細いものではありますが,1本だけそういうラインは確かにありましたので,それを紹介しておきましょう。
                         
 『悪霊』でフェージカがスタヴローギンの使嗾によってスタヴローギンの妻であるマリヤを殺す場面は,火事も含めて『ファウスト』をモチーフにしていると『ドストエフスキー 父殺しの文学』の中で指摘されています。『ファウスト』の作者はゲーテですが,ドストエフスキーとゲーテの間には一定の関係があって,ドストエフスキーはゲーテのことを評価していました。つまりドストエフスキーはゲーテを読んでいたのです。
 何度もいっているようにゲーテはスピノザ主義者であって,いわゆる汎神論論争のときには親スピノザの立場からヤコービに反論しました。つまりゲーテが書き残したものの中にはスピノザに触れたものがあるのです。したがって,『ファウスト』のようなゲーテの小説だけでなく,ゲーテが書き残したスピノザに関連したものもドストエフスキーが読んでいたとしたら,ドストエフスキーはスピノザのことを知っていたということになるでしょう。僕はその可能性はないとみるのでドストエフスキーがスピノザを知っていたということはないと思いますが,僕がいっていることが絶対に正しいとは僕はいいません。
 ただし,あったとしてもラインはこれだけですので,仮にドストエフスキーがスピノザのことを知っていたとしても,それはゲーテを通したスピノザです。いい換えればゲーテが解釈したスピノザであって,ドストエフスキーが自身でスピノザの哲学を解釈したことはないのは間違いないと僕は思います。なので佐藤がいっていることが正しいとしても,ドストエフスキーが意識したのはゲーテを通したスピノザで,スピノザそのものではない筈です。

 妹の薬を処方してもらっているのは,根岸駅の近くにあるチェーン店の薬局です。これはてんかんの薬だけでなく,目薬も同じです。薬局は同一店に集中させた方がよいと僕は考えているのでそのようにしています。このチェーン店の薬局になったのは,僕が中心に妹の世話をするようになった時点で,そうなっていたからです。そしてそれ以降はそれで何の不都合もありませんでしたから,今でもそのようにしています。
 ただ,僕は同じ薬局を選ぼうとは思っていませんでした。母もこの薬局を利用していましたから,母のS字結腸癌が発見された後,母に処方された薬を僕が取りに行くというときにはここを利用していました。ただ母の癌がいよいよ末期になり,麻薬が処方されたときには,ここではすぐに処方してもらうことができなかったからです。そしてそのとき,僕は僕の薬を処方してもらっていた個人薬局に行ったのですが,そこでは当日の午後には処方できるということでした。つまり特殊な薬品になると,チェーン店よりも個人薬局の方が頼りになるということを僕は経験的に知っていましたから,選ぶなら個人薬局の方にするということも,前もって決めておいたのです。
 I歯科とО眼科は,何度かいっているように同じビルの中にあります。どちらも2階にあるのですが,1階には2軒の薬局があるということを僕は知っていました。このビルも根岸駅の近くなので,僕はその2軒のうちのどちらかにしようと思っていました。そしてその予定通り,その2軒のうちの一方を選びました。このときに一方を選んだ規準は簡単で,その日に空いていた方を選んだということです。空いている方が早く処方してもらえるだろうということです。ただこの日はさすがにインスリンも注射針も在庫がありませんでした。インスリンとか注射針というのは普通に在庫があるような薬品ではないのです。なので発注だけ依頼して帰りました。帰宅したのは午後4時25分でした。
 11月21日,火曜日。前日に発注しておいたインスリンと注射針は,この日の午後には受け取れる手筈になっていました。出掛けた帰りに寄って受け取ることができました。
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丸藤正道&2023年11月の通院

2024-08-12 18:58:35 | NOAH
 KENTAはパートナーとしても対戦相手としても,丸藤正道と名勝負を数多く戦っています。丸藤について改めて詳しく紹介しておきましょう。
 丸藤は全日本プロレスでデビューした選手。1998年8月のことで,相手は金丸義信でした。馬場は翌年の1月に死んでいますので,馬場が生きていたときに全日本プロレスでデビューした最後の選手です。入門はこの年の3月,高校を卒業した時点でしたので,短期間でのデビュー。これは高校時代にアマレスの経験があったことが関係していて,三沢光晴と似通っています。その後,三沢の付き人になりました。
 2000年7月のNOAHの旗揚げで移籍。初の戴冠は2001年の12月で,GHCジュニアヘビー級の王座でした。ところが翌年に左膝の靭帯を負傷して欠場。このあたりの経歴も三沢によく似ています。
 2003年に三沢の付き人を卒業。同時にKENTAと組むようになりました。7月にKENTAとのタッグで新設されたGHCジュニアタッグの初代王者に。この翌年には秋山準に勝ち,GHCのハードコアクラウンの王者にもなっています。このタイトルはその後に封印されましたが,最近になってマンデーマジックのタイトルとして復活しました。
 無差別級の真の意味での初戴冠といえるのは2005年の6月で,これはGHCタッグ。パートナーは鈴木みのるでした。翌年の1月にKENTAに挑んだGHCジュニアヘビー級選手権で負けたのを最後に,ジュニアヘビー級の試合からは離脱。9月に秋山を破ってGHCヘビー級の王者に。この後,この年のプロレス大賞のベストバウトに選出されたKENTAとの防衛戦は勝ちましたが,2月に師匠にあたる三沢に敗れて失冠しました。
 丸藤はこの頃から現在まで,杉浦貴と共にNOAHの中心選手として戦い続け,他団体も含めて数々のタイトルを手中にしています。海外での評価もとても高い選手で,日本プロレス界全体の中でもその時代を代表する選手のひとりといえるでしょう。

 11月17日,金曜日。妹の歯科検診でした。右上に歯周病が発生するおそれがあると告げられました。
 11月19日,日曜日。妹をグループホームに送りました。
 11月20日,月曜日。妹の受給者証の申請書を区役所に送付しました。16日にコピーした妹のグループホームの家賃は,この申請書に必要な書類のひとつでした。
 午後は内分泌化の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時25分でした。中央検査室では採血を待っている患者がいませんでしたので,すぐに採血をして,採尿をしてから注射針の処理をしました。
 診察が開始となったのは午後3時5分でした。HbA1cは7.5%でした。10月よりも上昇していたのはこの間の血糖値の平均値が高くなっていたからです。何度もいっているように,これはおそらく気候の変化の影響だったと思います。ただこの時点では対処しなければならないほどの高血糖はみられませんでした。ですからインスリンの注射量は変更せず,そのまま様子を見るということになりました。
 この日はこれ以外に,アルブミンの数値が3.8g/㎗と,下限値の4.1g/㎗を下回るという異常が検出されていました。この異常は9月の通院のとき以来のことでした。
                     
 帰りに薬局に寄って処方されたインスリンと注射針を持ち帰らなければならなかったのですが,10月の通院のときにいっておいたように,それまで処方されていた薬局が閉店,正確には移転のために,新しい薬局を利用しなければなりませんでした。新しい薬局を決めるにあたって僕にとって最も重要なのは立地です。みなと赤十字病院の周囲にはいくつかの薬局があるのですが,そこは僕には候補には入りませんでした。というのは,もしも処方された分の薬剤の在庫がないために,後に取りにいかなければならないというケースが生じ得るのですが,その場合にはみなと赤十字病院の近くまで取りに行くというのは大変だからです。したがって,薬局は僕の家の近くか,僕の日常生活の圏内にあるということが僕にとっては最も重要で,これまで根岸駅の近くの薬局を利用していたのはそうした理由からでした。なので今回も同様にしたいと思っていました。
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道後温泉杯争覇戦&給湯器のリモコン

2024-08-11 19:21:52 | 競輪
 松山競輪場で争われた道後温泉杯争覇戦の決勝。並びは新田‐飯野の福島に宿口,片岡‐坂本の西国,真鍋‐吉田‐福島‐原の四国。
 スタートを取りに行ったのは福島と新田と吉田。枠の通り,福島が誘導の後ろに入り,真鍋の前受け。5番手に新田,8番手に片岡で周回。残り3周のバックの出口から片岡が上昇。誘導との車間を開けて待ち構えていた真鍋がホームから突っ張ると,片岡はあっさりと引きました。ここから新田がインを上昇。先行してしまうかの勢いでしたが真鍋は内を閉めていたので打鐘からそのまま先行。新田は引いて吉田の内で粘る形に。その後ろに福島と原が続きました。ホームからバックにかけてのコーナーで新田が吉田をどかして番手を奪取。そのままバックから発進。福島と原が続き,新田をマークしきれなかった飯野が外から自力で追い上げ。直線に入って踏み直した新田が福島の差しを凌いで優勝。マークとなった福島が半車輪差で2着。両者の中を割ろうとした原が1車輪差で3着。外の飯野は1車輪差の4着。
 優勝した福島の新田祐大選手は1月のいわき平記念以来の優勝でGⅢ13勝目。2014年3月に当地の記念競輪を優勝しています。このレースは新田の脚力が断然で,負けられないといっていいくらいのメンバー構成。ただ四国勢は二段駆けが見込める並びでしたので,それでどこまで対抗できるかという図式。インを回って番手を取りにいくというのは僕には意外な作戦選択であったのですが,新田としては二段駆けの上を捲るのは無理と考えていたということでしょう。四国勢も新田がこのようなレースをしてくるということはあまり予想しておらず,やや油断があったかもしれません。

 11月9日,木曜日。給湯器のリモコンが不調になってしまったので,給湯器を購入した会社に電話をしました。
                    
 リモコンといってもこれはテレビやエアコンのリモコンとは異なり,室内に設置されているものです。ガスを利用するのはキッチンと浴室なので,それぞれに設置されています。このとき調子が悪くなったのは浴室のリモコンの方で,ボタンを押しても反応がなくなってしまいました。ふたつのリモコンは通じていますので,シャワーを浴びることはキッチンのリモコンを利用することで可能だったのですが,浴槽に湯を溜めるとか,追い炊きをするといったことはできませんでした。シャワーからはお湯が出るので,シャワーを浴びることはできましたし,シャワーの湯を利用して浴槽に湯を溜めるということはできたのですが,それらをすべてキッチンのリモコンを利用して行わなければならないのはとても不便でした。なので電話で連絡を入れたのです。翌日に調査に来てくれるとのことでした。
 11月10日,金曜日。午後1時に給湯器を購入した会社から電話があり,今から行くとのことでした。調べてもらった結果,浴室のリモコンに繋がっているコードが引きちぎられているということが判明しました。ネズミの仕業ではないかとのことでした。そもそも電源が繋がっていないのですから,リモコンが反応しないのは当然です。なので新しいコードを引いてもらう工事をしてもらうことにして,見積もりをしてもらい,その場で工事の予約をしました。もう引きちぎられるということが生じないように,高いところにコードを引いてもらうことにしました。これらすべてのことは午後2時5分に終わりました。
 11月11日,土曜日。前日に予約を入れた工事はこの日に施工されました。工事の作業員が到着したのは午前9時で,10時50分には工事が終了しました。妹はこの日は土曜レクリエーションでした。ボーリングのようなゲームをしたようです。
 11月13日,月曜日。総講のためお寺に行きました。
 11月16日,木曜日。妹のグループホームの家賃をコピーしました。午後は妹を通所施設へ迎えに行きました。
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書簡六&貧血

2024-08-10 18:57:19 | 哲学
 書簡十一は書簡六への返信でした。これは1662年4月にレインスブルフRijnsburgのスピノザからオルデンブルクHeinrich Ordenburgに宛てられたもので,遺稿集Opera Posthumaに掲載されました。ただこれは原書簡がロンドンの王立協会に残っていて,それは遺稿集に掲載されたものといくらかの相違があるとのことです。遺稿集に掲載されたものはスピノザが書き残しておいたもので,当然ながら遺稿集の編集者たちはそちらを利用しましたから,それが遺稿集に掲載される運びとなりました。オルデンブルクに宛てたものは,書簡の最後にスピノザの自伝的なものが数節含まれていて,それはスピノザが保管していたものには省略されていたので,その部分は遺稿集には掲載されていません。他面からいえば,スピノザは将来的に書簡を公開するつもりで保管しておいたのですから,その部分は公開の必要はないとスピノザが考えていたということの証明といえるでしょう。
                         
 オルデンブルクとスピノザがレインスブルフで会見したのはこの前年のことで,おそらくこの書簡が書かれるまでは1年が経っていません。その間にオルデンブルクとスピノザの間には文通があったのですが,その中でオルデンブルクがロバート・ボイルRobert Boyleの著書を送りました。同時にオルデンブルクはその本に対する講評を求めました。書簡六の内容はすべて講評に充てられています。硝石並びに,物体の流動性と固定性に関するロバート・ボイルの著書への批評を含む,というのがこの書簡のタイトルで,実際に原書簡はスピノザの自伝的なものも含まれていたのでそういう題名になっているのでしょうが,遺稿集に掲載されている部分,したがって『スピノザ往復書簡集Epistolae』に掲載されている部分は,そのすべてがロバート・ボイルの著書への批評になっています。
 批評といってもその中でスピノザはいくつかの疑問点をあげ,その疑問をオルデンブルクにぶつけています。もちろんオルデンブルクにぶつけるというのは,オルデンブルクを介してロバート・ボイルにぶつけるという意味です。書簡十一は,投げ掛けられたその疑問に対するロバート・ボイルからの解答ということになります。

 帰途に薬局に寄って帰りました。この日は注射針の在庫が足りませんでした。配達を依頼して帰りました。また,この薬局が10月一杯で閉店すると知らされました。厳密にいうと閉店ではなく移転だったのですが,移転先が屛風浦駅の近くでしたので,僕がそこで薬を処方されるには不便でした。なので僕がこの薬局でインスリンと注射針を処方されたのは,この日が最後になりました。11月からは別の薬局を利用しています。その薬局については11月の通院のときに詳しく説明します。帰宅したのは午後4時でした。
 10月26日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。インフルエンザの予防接種の申込書が事前に郵送されていましたので,記入したものを妹の通所施設の担当者に渡しました。
 10月27日,金曜日。午前中にО眼科に行き,妹の目薬を処方してもらいました。いつもは妹を迎えに行った後,そのままО眼科に行くのですが,О眼科は木曜日は休診なので前日には行くことができず,この日に行ったものです。午後は本牧脳神経外科の通院でした。前回の通院のときに採血をしたのですが,貧血が進行しているとの指摘を受けました。妹は以前にも貧血の症状があり,鉄剤の処方を受けていました。ただ鉄剤は便を固くするので,みはりいぼ痔にはよくありません。このため,貧血の症状が一定程度まで改善した時点で,鉄剤の服用を中止したという経緯がありました。本牧脳神経外科の主治医はこうした経緯は知りませんでしたので,僕の方から伝えました。数値が悪化していたとはいえ,すぐに鉄剤を服用しなければないほどではないので,現状はこのままでいいだろうととのことでした。なお,後にさらに貧血を示す数値が悪化したら,鉄剤は本牧脳神経外科でも処方できるとのことでしたので,いずれは処方してもらうことになるかもしれません。
 10月29日,日曜日。この日の朝に注射針が配達されていました。注射針であれインスリンであれ,配達は薬剤師がその日の仕事が終わった後,つまり薬局の閉店後に行うものですので,実際に配達されたのは前日の夜だったのだと思います。午後は妹をグループホームに送りました。
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印象的な将棋⑲-13&2023年10月の通院

2024-08-09 19:00:26 | ポカと妙手etc
 ⑲-12の第2図では後手は☖7八角と打ちます。
                         
 先手は☗5九玉と逃げるのですが☖7九龍と桂馬を取って追います。これで☗4八玉に☖3六桂と打てるようになります。
 ☗3七玉と逃げる方が手数としては長いのですが,それは☖3九龍として先手玉が詰みます。この変化は実戦の指し手や先手の勝ち筋とは関係ないので割愛します。
 ☗5七玉とこちらに逃げたときには☖6六金があります。
                         
 取る一手ですが角筋が通って☖5六銀で詰みです。
 先手は⑲-10の第2図で,この変化が負けであることは理解しました。なので実戦はそこで☗7四銀とは打たなかったのです。

 9月29日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。そのままО眼科に向かい,診察を受けました。白内障の進行はみられませんでしたので,点眼の治療を継続することになりました。
 10月1日,日曜日。妹をグループホームに送りました。
 10月8日,日曜日。総講でしたのでお寺に行きました。
 10月13日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 10月14日,土曜日。午後8時半にピアノの先生から電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通知でした。
 10月15日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後5時半の開始でした。
 10月16日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 10月18日,水曜日。僕の歯科検診の予約を入れました。
 10月20日,金曜日。18日に予約を入れた歯科検診でした。午前10時から。クリーニングをしただけです。
 10月21日,土曜日。妹の土曜レクリエーションでした。10月の土曜レクリエーションというのは,学校でいうところの文化祭のような催しをすることに決まっています。
 10月23日,月曜日。内分泌化の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時20分でした。中央検査室で採血を待っている患者はいませんでしたので,すぐに採血をし,採尿を済ませて注射針の処理をしました。
 診察が始まったのは午後3時20分でした。HbA1cは7.3%で,9月の通院のときよりも上昇していました。ただこうなった理由ははっきりしています。本当は持続効果型のインスリンであるトレシーバを,0.1㎎打たなければならなかったのですが,僕は0.09㎎しか打っていなかったのです。なので処方の注射の量は変更せず,僕が実際に打つ量を増やすという措置になりました。このとき,血糖値が高いときには超即効型のヒューマログを補正注射する方がよいという話がありましたが,これは将来的なことで,現時点でもまだ実施はしていません。
 この日はこれ以外にP/C比が300で,上限の150を上回るという異常が出ていました。この異常が出たのは同じ2023年の6月以来のことでした。
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日刊スポーツ賞スパーキングサマーカップ&国家の精神と身体

2024-08-08 19:05:35 | 地方競馬
 愛知から1頭,高知から1頭が遠征してきた昨晩の第21回スパーキングサマーカップ
                         
 逃げたのはアランバローズ。飛ばしていったので向正面に入るところで4馬身くらいのリードに。2番手以下はスマイルウィ,ランリョウオー,リンゾウチャネル,ブルベアイリーデの順で続き,4馬身差でポリゴンウェイヴ。7番手にフォーヴィスム。3馬身差でボンディマンシュとスピーディキック。2馬身差でトランスナショナル。4馬身差でブラックストームとモダスオペランディ。2馬身差でアドマイヤルプス。2馬身差の最後尾にゴールドホイヤーととても縦に長い隊列に。前半の800mは49秒8のハイペース。
 3コーナーでもアランバローズのリードは5馬身くらい。追いかけていたスマイルウィの方が苦しくなり,内を回ったリンゾウチャネルが直線の入り口では単独の2番手に。ただアランバローズとの差は直線に入っても徐々にしか詰まりませんでした。その間に外から伸びてきたのが控えていたフォーヴィスム。鋭い差し脚でリンゾウチャネルを差して2番手に上がると,その勢いのまま逃げ粘るアランバローズも差し切って優勝。逃げたアランバローズが2馬身差で2着。詰め寄ったリンゾウチャネルは半馬身差で3着。
 優勝したフォーヴィスムは南関東重賞初制覇。昨年の10月までJRAで走って4勝。転入初戦が重賞で4着。その後は南関東重賞が3着と4着。前々走のオープンが2着で前走のこのレースのトライアルで転入後の初勝利をあげていた馬。アランバローズとの比較からしてスマイルウィとスピーディキックは体調が整わず,能力を十全に発揮したとはいえないと思いますが,最も得意なパターンに持ち込んだアランバローズを差し切ったのは評価できるところ。今後もこの路線では有力候補になるでしょう。父はドゥラメンテ。Fauvismeは前世紀の初頭にフランスで起こった絵画運動の名称。
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手習志野きらっとスプリント以来の南関東重賞35勝目。第20回からの連覇でスパーキングサマーカップ2勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞は24勝目。スパーキングサマーカップは初勝利。

 スピノザが人間の論理を示したのが『エチカ』です。それに対して国家Imperiumの論理を示したのが『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』であり『国家論Tractatus Politicus』であったといえます。すでに指摘しておいた通り,『神学・政治論』では社会契約論が用いられているのに対し,「国家論」ではそれが姿を消していますから,『神学・政治論』と『国家論』では論理のあり方が変わっているという見方をすることも可能でしょう。一方,『神学・政治論』は政治理論を中心に考察したのに対し,『国家論』は政治の実践を対象に据えているので,その部分の齟齬は問題とするには値しないという考え方もできると思います。僕は今はどちらの見方が正しいかということに優劣はつけませんが,ひとついえるのは,国家の論理を示すには『エチカ』だけでは十分ではないのであって,『神学・政治論』や『国家論』のような,国家を考察の対象として据える考察がスピノザには必要であったということです。確かにスピノザは『神学・政治論』でも『国家論』でも,国家をひとつの身体corpusに喩え,そのひとつの身体の精神mensが国家を統治するという説明をします。しかしそれはあくまでも国家そのものの身体でありまた精神なのであって,現実的に存在する人間の身体humanum corpusおよび精神とは異なったものです。だから人間を国家に喩えることはできないし,逆に国家を人間に喩えることもできないのです。
 『神学・政治論』も『国家論』も,『エチカ』への言及はみられます。ですから国家の理論の基礎となるのが人間の理論であるという考えをスピノザはもっていたと僕は思っています。それは純粋に国家を構成するのが人間だからだというのが僕の考えで,これは単純にいえば,スピノザの政治論が国家主義的なものよりも個人主義的なものを志向しているからでしょう。国家がなければ個人はあり得ないというのはスピノザの考え方にはそぐわず,個人がなければ国家はあり得ないというのがスピノザの基本的な考え方になっているのだと思います。
 『スピノザー読む人の肖像』に関連する論考はこれで終わりとします。明日からは日記に戻ります。僕がこの本を読み終えたのは昨年の9月27日でしたから,それ以降のことです。
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大成建設杯清麗戦&人間と国家

2024-08-07 18:59:54 | 将棋
 日光で指された昨日の第6期清麗戦五番勝負第三局。
 福間香奈清麗の先手で5筋位取り中飛車。後手の加藤桃子女流四段が向かい合った銀を交換しにいく将棋に。
                         
 ここで先手は☗4六歩と突いていきました。
 後手は☖2四角。先手は☗2五歩☖3五角☗3六銀と角を追い☖4六角☗同角☖同歩で角を交換。すぐに☗5五角と打ちました。
                         
 これで先手の駒得が確定したのですが,どうもその後の展開からするとそれで先手がかなり優勢になっているようです。なので後手はこの順に進めるのはまずく,☖2四角とか☖4六角のところで別の手段を用いなければならなかったということになると思います。
 福間清麗が勝って2勝1敗。第四局は20日に指される予定です。

 僕の方から指摘しておきたいことはこれだけですので,國分の考察に戻ってそちらを検討します。
 國分は,スピノザは人間を国家Imperiumに喩えること自体を批判しているといっていました。しかしもしそうであるなら,国家を人間に喩えることも同様に批判されなければならないといえるでしょう。もし人間を国家に喩えることが何らかの理由で批判されなければならないのであれば,それと同じ理由によって,国家を人間に喩えることも批判されなければならないであろうからです。
 一見するとこれは変に思われるかもしれません。というのも,スピノザ自身が国家を人間に喩えているように思えるからです。実際にスピノザは,国家をひとつの身体corpusのようなものとしてみて,その身体の精神mensが統治をするというようないい方をしているからです。これは国家を人間に喩えることそのものといえるように思えないでしょうか。
 ところが,スピノザの哲学的観点からはこれらが両立するのです。というのは,スピノザがいう精神というのは,個物res singularisの観念がideaその観念対象ideatumである個物と合一した形態のことをいうので,どのような個物にも精神があるということが結論されます。したがって国家をひとつの個物とみる限り,その国家にはその国家に独自の精神があって,その精神と合一した国家という個物を,その個物の身体とみることは可能なのです。
 したがって,こうしたことから帰結するのは,現実的に存在する人間に精神があるように,現実的に存在する国家にもその国家に独自の精神があるのですが,その国家の精神を人間の精神に喩えることはできないし,逆に人間の精神を国家の精神に喩えることはできないということです。たとえば現実的に存在する人間は,常に理性ratioに従って行動するということはありません。それと同様に,国家が常に理性的に統治されるということもありません。しかし理性的であるということがどういうことであるのかということは人間と国家で一致するわけではありません。当然ながら理性的でないという状態も一致しません。人間のことは人間の論理で考えられなければならないように,国家は国家の論理で考えられなければならないのです。
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続・谷津の雑感⑦&自然の秩序

2024-08-06 19:12:03 | NOAH
 で馳浩の話をした後で,谷津はインタビュアーから全日本と新日本の違いについての質問を受けています。インタビュアーは堀江ガンツ。日時は特定できませんが,2019年の1月か2月ではないかと思われます。つまりこの答えはその時点でのものと理解してください。
 谷津が全日本プロレスで仕事をするようになった頃は,全日本と新日本の違いが明確にあったと谷津は答えています。その頃はあったという答えですから,この話をしている時点ではその相違がなくなっている,あるいはなくなってきていると谷津は見ているわけです。基本的に新日本のプロレスが全日本に寄ってきたので,新日本と全日本の相違がなくなってきたというのが谷津の見方です。
 谷津が仕事をしていたころの新日本は,アグレッシブに次から次へと攻めていくことで強さを表現するプロレスで,機が熟したらフィニッシュにもっていくというスタイルで,このスタイルは簡単だったと谷津は言っています。全日本の方はピンフォールの攻防を互いに繰り返し,一方が消耗したところでフィニッシュにするというスタイルで,このスタイルはやらなければならないことがたくさんあったとのこと。基本的に全日本プロレスの方がエンターテイメント性が高かったという評価です。
 全日本プロレスは基本的にチームで戦うので,たとえば今日は組んで明日は戦うというようなことがほとんど生じません。このためにマッチメークは画一化しがちで,そのマンネリを防ぐために,攻防のプロレスというスタイルを必要としたのではないかと僕は思っています。しかし谷津の考えはそれとは異なっていて,これを複雑化していく物語という観点から説明しています。トータルの物語とは別に,ひとつの試合の中でも物語を見せるというのが全日本プロレスのスタイルであったとする観点です。そしてその契機となったのは,長州力らが新日本プロレスに戻り,天龍源一郎阿修羅・原と組むようになったことだったと谷津は言っています。

 自然Naturaに共通の秩序ordoと知性の秩序ordo intellectusの相違をここでは気にする必要がないというのは,知性の秩序もまた広くみれば自然の秩序の一部だからです。僕たちが理性ratioに従って何ごとかを認識するcognoscereとき,それは僕たちが自然の秩序に従って事物を認識するとはいわれずに,僕たちの知性の秩序に従って事物を認識するといわれます。ただしこれは事物を十全に認識するのかそれとも混乱して認識するのかという観点からそのように分類されるのです。すなわち僕たちは知性の秩序に従って事物を認識すれば,その事物を十全に認識します。これに反して自然に共通の秩序に基づいて事物を認識すれば,その事物を混乱して認識します。
 しかしながら,僕たちが事物を十全に認識するのも混乱して認識するのも,広い意味で自然の秩序の下で発生するということは同じです。他面からいえば,僕たちは知性の秩序によって自然の秩序を超越することができるわけではありません。第四部定理四でいわれているように,僕たちが自然の一部分Naturae parsでないということは不可能なのであって,このことは僕たちが事物を十全に認識しようと混乱して認識しようと同じことだからです。あるいはこのことは,第二部定理三六からも明らかだといえるかもしれません。ここでいわれている必然性necessitasというのを,自然の秩序と解すれば,僕たちの知性のうちにある十全な観念idea adaequataも混乱した観念idea inadaequataも,同一の自然の秩序から発生するということになって,十全な観念を僕たちの知性のうちに発生させる様式も,広く自然の秩序の一部であるということになるからです。
                    
 このようなわけで,前もって結論としていっておいたように,自然の秩序を乱すというのは,実際に自然の秩序を乱している,つまり自然の秩序に反しているということではないのであって,自然の秩序をある秩序としてみる側からみたときに,その秩序を乱しているようにみえているということにすぎません。したがって,自然の秩序に従う人間と自然の秩序を乱す人間が存在するというようにみえるのは,それもまた謬見のひとつです。あるいは同じことかもしれませんが,自然の秩序というのを自分に都合よく誤って解しているということの証明なのです。
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多くの死&秩序

2024-08-05 19:00:16 | 歌・小説
 『夏目漱石『こころ』をどう読むか』の中に,荻上チキのエッセーが掲載されています。このエッセーは僕には意外な観点から『こころ』に触れています。しかし荻上のエッセーについて触れる前に,僕はこのエッセーを読むことによって気付いたことがありますので,それを先にいっておきます。それは,『こころ』という小説は,直接的であれ間接的であれ,多くの人の死が語られているという点です。ここでは物語の順序ではなく,時系列でどのように死が語られているかをみていきます。
                         
 まず最初に死ぬのは先生の両親です。正しく並べると,まず先生の父が死に,看病の結果として父と同じ病気に感染した母が死にます。
 この後で先生は遺産の管理を叔父に任せるのですが,叔父に裏切られたことを契機に故郷には戻らないと決め,東京で下宿を探します。探し当てたのが日清戦争で未亡人が住んでいた仮定です。ここでは間接的にこの未亡人の旦那の死が語られています。
 先生はこの下宿にKを住まわせます。そしてKはこの下宿で自殺してしまいます。
 Kの死の後,先生は未亡人の娘,お嬢さんと結婚しますが,結婚後に未亡人が病死します。
 先生と私が出会うのはこの後です。最終的に先生は自殺する,正確にいえば自殺を仄めかす遺書を私に送ります。このとき私は故郷に帰っていたのですが,これは私の父が死の床にあったからです。こちらも物語の中では死にませんが,物語の終了後にすぐに死ぬのは確実という状況ですから,死が語られているといっていいでしょう。
 そしてこれとは別に,物語の登場人物とはいいがたいのですが,物語の進行過程の中で明治天皇が病死し,乃木が明治天皇を追って殉死します。この殉死は実際には乃木の妻である静子との心中で,それはまったく触れられていませんが,『夏目漱石「こゝろ」を読み直す』でいわれているように,先生の結婚相手のの名前がと名づけられる理由を構成しているといえます。
 『こころ』はそんなに長い物語ではありません。それなのにその中で,これだけの死が語られているのです。これは異様といっていいかもしれません。

 結論から端的にいっておきますが,愚者は自然の秩序ordo naturaeに従うよりそれを乱す者であるということはありません。もっともこのことは愚者にだけ特有に妥当するのではなくて,現実的に存在するすべての人間に妥当します。いい換えれば,この文からは,愚者に対して賢者は自然の秩序に従い,愚者はそれを乱すということが暗示されているのですが,賢者が自然の秩序に従っているのと同様に,愚者も自然の秩序に従っているのです。いい換えれば,賢者は自然の秩序に従っているようにみえるような仕方で自然の秩序に従っていて,逆に愚者は,自然の秩序を乱すようにみえる仕方で自然の秩序に従っているまでです。このことは第四部定理四系から明白であるといわなければなりません。
 ここで自然の秩序といわれるとき,それがどのような秩序として含意されているのかまでははっきりと分かりません。このこと自体はスピノザがそのように考えているというわけではなく,スピノザからはそのようにみえているというだけなので,スピノザからそのようにみられている人びとにとっての自然の秩序が具体的に何であるのかということまでは措定することが難しいからです。ただスピノザがいいたいのは,どのように自然の秩序というものを表象したとしても.本来的な自然の秩序には現実的に存在するすべての人間が従っているので,表象されている自然の秩序に従っているようにみえるとしても逆にそれを乱すようにみえるとしても,そのこともまた自然の秩序から出てくるのであるということです。したがってこのことは,自然の秩序といわれる秩序だけではなく,すべての秩序に妥当するといわなければなりません。つまり何らかの秩序があって,その秩序を乱す者が存在するとしても,それは自然の秩序によってその秩序を乱しているということになります。
 ただしスピノザは自然の秩序に対して知性の秩序ordo intellectusを引き合いに出すことがあります。第二部定理二九備考では,知性の秩序とはいわれていませんが,ふたつの秩序が比較されていて,自然に共通の秩序に対応する秩序は知性の秩序といわれることになります。ただこのことはここでは重視する必要はありません。
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燦燦ダイヤモンド滝澤正光杯&謬見

2024-08-04 19:17:46 | 競輪
 松戸記念の決勝。並びは平原‐阿部の東日本,新村‐深谷‐岩本‐和田の南関東,取鳥‐清水‐月森の中国。
 清水がスタートを取って取鳥の前受け。4番手に平原,6番手に新村で周回。残り3周のホームから新村が上昇。平原が一旦は牽制しましたが,コーナーで新村が外を乗り越え,バックで取鳥を叩いて前に。取鳥は後ろまで引かず,深谷の内での競りを選択。その後ろも清水と岩本の競りになりましたが,この競りはホームであっさりと清水が奪い,岩本は後退。バックに入ると平原が踏み込み,打鐘で新村を叩いて先行。ずっと取鳥の外を並走していた深谷がバックから発進しようとしましたが,さすがに力が残っていませんでした。競りの後ろにいた清水が深谷の外から捲っていくと,楽に捲り切り,後ろを突き放して優勝。マークしきれませんでしたが何とか追ってきたマークの月森が3車身差で2着に流れ込み,中国ラインのワンツー。月森を追うような形になった和田が4分の3車身差で3着。
 優勝した山口の清水裕友選手は2月の静岡記念以来の優勝で記念競輪12勝目。松戸記念は初優勝。このレースは新村の先行が有力。経験は浅い選手なのでうまく駆けられるかが不安だったのですが,叩くことには成功しました。取鳥は前受けが作戦だったようですから,飛びつきは予定だったのでしょう。これで隊列が短くなったのですが,平原が打鐘から叩いて先行していくのは意外でした。清水はあくまでも取鳥マークのレースを続けていましたが,バックで見捨てて自力で発進。脚力は深谷と並んでこのメンバーでは上位ですから,深谷が脚を使ってしまった以上,快勝になったのも自然だと思います。南関東ラインを苦しめるような作戦を選択したのもうまくいきましたし,簡単に岩本の位置を奪えたことが最大の勝因となりました。

 『国家論Tractatus Politicus』の第七章第二七節では,人間に内在する様ざまな悪徳を庶民だけにみられるものとしている人びとが批判されています。これは人間の共通の本性essentiaという観点からの批判です。すなわち人間に共通の本性はひとつですから,それは本当はすべての人に共通するのです。したがって様ざまな悪徳が帰せられなければならない人びとと,そのような悪徳を帰さずともよい人びとが存在するわけではありません。もし庶民に悪徳がみられるのであれば,庶民を支配する支配者にもそうした悪徳はみられるといわなければならないのです。ところが僕たちは,たとえばXをなすことはAという人間には許されるけれどBという人間には許されないという見方をします。これはなす事柄が異なっているからそういわれるのではなく,なす人が異なっているからそのようにいわれるということは明白でしょう。支配者には傲慢がつきものなのであって,そうした傲慢さからこのようにいわれるのだとスピノザは指摘しています。
                         
 人間は理性的に生活するのが好ましいというのが『エチカ』の結論のひとつです。これと同じように,国家Imperiumも理性的に統治されるのが望ましいというのはスピノザの政治論の結論のひとつです。ですが,だから国家は常に理性的であるとは限りません。スピノザがいっているのは,国家が理性的に統治されることを目指すべきであるということにすぎません。なので,第二章第六節でいわれていることを,人間を国家と同様に理性的であるとみなす謬見を糾そうとしていると読解することは誤りerrorなのです。人間は常に理性的であるわけではありませんから,人間を常に理性的なものとみなすのが謬見であるというのは事実です。しかし国家が理性的なものであるとみなすのも謬見なのであって,それは国家の統治形態の目標であると解さなければなりません。
 ここで國分の考察を進める前に,僕の方から指摘しておきたいことがあります。國分が引用した『国家論』の第二章第六節では,多くの人びとは愚者は自然の秩序ordo naturaeに従うよりもこれを乱す者と信じているという意味のことがいわれていました。僕はこの部分だけを抽出していっておきたいことがあるのです。
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完全性の喪失&有機体

2024-08-03 19:19:40 | 哲学
 スピノザの哲学では,努力と能動は直接的に結びつくわけではありません。努力conatusはコナトゥスconatusを意味するので,現実的に存在する人間は能動的であろうと受動的であろうと常に努力をしているといえるからです。ただフロムErich Seligmann Frommが『人間における自由Man for Himself』の中で,こうした人間の働きと目標は,人間以外のあらゆる事物と異なるものではないというとき,これは完全に正しいといわなければなりません。フロムは人間の働きactioと目標を第三部定理六に訴えて規定していますが,この定理Propositioは現実的に存在する人間にだけ適用されるわけではなく,現実的に存在するすべての個物res singularisに適用されるからです。
                         
 この後でフロムは第四部定理二四を援用し,スピノザが到達したvirtusの概念notioは,一般的規範を人間に対して適用したものであるといっています。実際にはこの定理は,単に自己の利益suum utilisを求める原理に基づいて自己の有esseを維持するということを,理性ratioの導きに従ってなすという点が重要ではあるのですが,コナトゥスを原理としていることは間違いないのであって,確かにスピノザは人間の徳というのを規定するときに,一般的な規範を人間に対して適用しているといえるでしょう。いい換えればこれが人間の徳であれば,現実的に存在するすべての個物にとって,このことは徳であることになるでしょう。
 さらにフロムは,人間がその現実的存在を維持するということは,人間が可能性としてもっている姿になるということであるとスピノザはいっているといっています。僕はこの点についてはいくらかの補足が必要だと思います。
 まずフロムは,このこともまた人間にだけ適用されるのではなくて,現実的に存在するすべての個物に適用されるといっています。これは正しい解釈です。馬が人間になるということは,たとえば馬が昆虫になるというのと同じ意味において,馬にとっての完全性perfectioの喪失を意味します。いい換えれば馬が人間になるのであれば,それは馬にとっての悪malumです。馬が現実的存在を維持するというのは,馬が人間や昆虫になることを意味するのではなく,馬が馬としての現実的存在を維持することです。このことが人間にも妥当するのであって,たとえば人間が神Deusになってしまうなら,それは人間にとっての完全性の喪失であり,悪なのです。

 これは『国家論Tractatus Politicus』を巡る考察です。
 スピノザは『国家論』の第二章の第六節の冒頭で,多くの人びとは,愚者は自然の秩序ordo naturaeに従うのではなく自然の秩序を乱すのであって,自然における人間は国家の中の国家imperium in imperioのようなものと考えているという意味のこといっています。
 この部分を理解する前提として理解しておかなければならないのは,スピノザは国家というものを,ひとつの有機体であるかのように考えているということです。これは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』においてもみられる図式ですが,『国家論』では顕著にみられる図式であるといえます。つまり国家をひとつの身体corpusと喩え,それがひとつの精神mensによって導かれていくかのように国家論を展開していくのです。もう少し具体的にいうと,国家というものを複数の個物res singularisによって構成されるひとつの個物とみなし,かつその個物がひとつの生物であるかのようにみて論述を展開していくのです。ではそれがどのような生物としてみられるかということを國分は探求しています。たとえば身体と精神が合一した人間のようなものとして,国家をみるべきかというのが具体的な問いで,それを解明する鍵として,『国家論』の第二部第六節の冒頭を示しているのです。
 この部分は一読すると,現実的に存在する人間を,国家と同様に理性的であるとみなす謬見を糾そうとしているように解せます。国家というのは理性的であるけれど,人間は理性的であるわけではないのだから,人間というのを国家の中の国家であると考えてはいけないと主張しているようにみえるからです。しかしこの解釈は,この部分は確かにそのように解釈することができるというだけなのであって,『国家論』の全体からみると,適切といえない解釈になります。むしろスピノザが糾そうとした謬見というものがあったとすれば,それは別のものであったと國分は指摘しています。それはそもそも,人間を国家のようなものとして喩えること自体を批判しているというのが國分の見解opinioです。あるいは同じことになりますが,国家の中にあるもの,つまり国家の中の人間が,その外枠である国家と同じような仕方で存在していると考えることを批判しているのです。
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お~いお茶杯王位戦&至福の規準

2024-08-02 19:05:08 | 将棋
 7月30日と31日に徳島市で指された第65期王位戦七番勝負第三局。
 藤井聡太王位の先手で角換わり。後手の渡辺明九段の超急戦に先手が時間を使って対応。局面も後手がよくなりました。
                         
 先手が飛車を打って馬と交換し,自玉の詰めろを解消した局面。ここは☖6六香と打つのが正着で,☗6七歩に☖5九金☗同王と捨てて☖5七飛と打てば後手の勝ちだったそうです。ただ後手がはっきり勝ちの順はこれだけだったようで,そうであればこの局面はAIが示すほど差がなかったということだと思います。
 実戦は3九に打つか4九に打つかで迷い☖4九飛と打ちました。これは☗5九金☖6六香☗6八歩と進んだときに,☖同香成☗同王☖5七金☗同王☖5九飛成で勝ちという予定だったようですが,そこで☗5八香という妙防があり,☖6八角☗6六王☖6五金のとき☗同銀が両王手となり後手の負け。先手はこの順に途中で気付いたので,☗6八歩のときに☖5九飛成☗同王☖3七角と進めました。
 そこで☗4八桂と合駒をするのが妙手。後手は☖5七金と打ったときにはまだ勝ちと思っていたようですが,☗4五銀右と出る絶妙手がありました。
                         
 4八に打った桂馬が攻めに働き,これでどう応じても先手の勝ちでした。これはかなりの名局だったと思います。
 藤井王位が勝って2勝1敗。第四局は19日と20日に指される予定です。

 第二部定理四三備考でスピノザが示している文章も,真理veritasと真理の規範あるいは真理と虚偽falsitasの規範を,肯定的命題で示しているとはいえます。しかし一方でこの文章は,真理と虚偽を分かつ規範が具体的にいかなるものであるかということをだれかに教えることはできないということを同時に示しています。だれかがこの規範を具体的に知るということは,そのだれかが何らかの真理を獲得するということと同じことであって,したがって僕たちは真理を有していない人に対して,真理の規範がいかなるものであるのかということを具体的に教えることはできないからです。
 このことは,スピノザの哲学において確実性certitudoとはいかなるものかということと関係しています。第二部定理四三がいっているように,スピノザの哲学において確実性というのは,ある事柄の真の観念idea veraを有するということにほかなりません。しかるにスピノザの哲学における真理とは,真の観念の総体のことを意味するのですから,真の観念と確実性との間にある関係は,真理と真理の規範との間にある関係と構造的にはパラレルです。第二部定理四三は確実性について直接的に記述しているわけではありませんが,真の観念を有する人はその真の観念について確実性を有するといい換えることが可能なのであって,この文章は真の観念と確実性について肯定命題の形式で規定しています。しかし一方で,確実性の何たるかを具体的に教えることはできないということも同時に示しているのです。
 第五部定理四二も,これらと同じ構造にあることは明白でしょう。すなわち,もしもスピノザの哲学で至福beatitudoの規準とか至福のしるしsignumといったものを示そうとするなら,それは徳virtusそのものであるというのがこの定理Propositioの意味なのです。したがって至福の何たるかを知るのは有徳的でさえあれば十分なのであって,それ以上の規準やしるしがあるというわけではありません。しかし一方で,有徳的でなければ至福を得ることはできないのですから,至福が具体的にどのようなものであるかを教えるということはできないのです。
 この部分の考察はこれで終了です。次が『スピノザー読む人の肖像』の最後の考察になります。
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