スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

シンコウラブリイ&О眼科

2010-07-02 19:00:26 | 名馬
 関東オークスを優勝したシンメイフジの祖母のシンコウラブリイは,JRAトップトレーナーの藤沢和雄調教師に,調教師として最初の大レース制覇をもたらした馬です。
                         
 2歳11月の新馬を勝つと続くオープンも連勝。阪神3歳牝馬ステークス,現在の阪神ジュベナイルフィリーズに出走するもこれは3着でした。
 アイルランド産馬のため,当時のルールでクラシック出走は不可。3歳初戦の5月の牝馬のオープンはこの馬の競走生活で唯一掲示板を外しました。このため次のニュージーランドトロフィーは人気が下がりましたが,サクラバクシンオーをはじめとする牡馬を抑えて重賞初制覇。続くラジオたんぱ賞も連勝しました。
 秋は当時は3歳牝馬限定だったクイーンステークスで復帰し重賞3連勝。普通なら当時は3歳牝馬限定だったエリザベス女王杯に向かうところですが,目標はジャパンカップと宣言し,古馬相手のオープンに出走してこれも勝利。しかしここで目標を切り替え,連闘でマイルチャンピオンシップに出走。しかしこれは2着でした。
 4歳春は京王杯スプリングカップで2着。目標の安田記念に出走するも今度は3着。この後,札幌に渡ってオープンを勝ちました。
 4歳秋がこの馬の真骨頂。毎日王冠をレコードで勝つとスワンステークスも連勝して重賞5勝目。そしてマイルチャンピオンシップでも前年の雪辱を果たして優勝。念願の大レース制覇を手土産に引退。この年の最優秀古馬牝馬に選出されました。
 繁殖入りして最初の産駒が2001年の中京記念を母の主戦でもあった岡部幸雄騎手の絶妙なコース取りにも導かれて優勝したロードクロノス。翌年の七夕賞でもイーグルカフェの2着に食い込みました。
 1年をおいた妹がレディミューズで,これは重賞は勝てませんでしたが,チューリップ賞2着,オークス4着などの成績。この馬がシンメイフジの母になりました。
 一方,1997年のエプソムカップを勝ったタイキマーシャル,2003年の京都牝馬ステークスを勝ったハッピーパスは,シンコウラブリイの弟と妹。これだけ活躍馬が出ているのですから,一族としてみてもかなり優秀であるということが分かります。

 僕はみなと赤十字病院に通院するときには必ずバスを利用していました。このバスでH町という停留所がアナウンスされると,決まってその近所の眼科の案内が同時に流れました。病院にはもう何度も通っていましたし,行きも帰りも流れるわけですから,さすがに僕もその近辺に眼科があるということを知りました。もっともこの眼科は電信柱にもかなりの数の看板を立てていましたので,あるいは僕がその眼科を知ったのはそちらの方が先であったかもしれません。いずれにしても自分の家から歩いて行かれる距離にある眼科の開業医ということになりますと,僕は最寄りのМ眼科のほかにはそこしか知りませんでしたので,М眼科での検査を断念した以上,必然的にそこで検査を受けるということになりました。これはО眼科というところ。僕の家から最寄りの駅であるJR根岸線の根岸駅近くのビルの中にありました。
 3月5日は午前中は完全にオフという日でしたので,8時過ぎにようやく起き,朝食を摂ったりなんのかんのとぐずぐずしていまして,結局家を出たのが10時半過ぎ。歩いて15分はかからない距離ですから,遅くとも10時50分頃には到着していた筈です。
 到着して驚いたのが患者の数。入口を入りますと開業医にしてはかなり広めの待合室があったのですが,この部屋の椅子の大部分が埋まっていました。僕は予約を取って行ったわけではなく飛び込みでしたから,これはもしかしたら受診できないかもしれないと不安に駆られるほどでした。
 受け付けはこの待合室の最奥。入口からは左側でした。中には何人かの職員がいました。そのうちのひとりが対応してくれまして,僕は網膜症の検査をしたいという旨を申し出ました。職員の返答は時間はかかるかもしれないが待っていれば検査は受けられるということでしたので,僕は待つことに決めました。午後からは外出する予定を立ててはいましたが,必ずこの日のうちにすませなければならないという性質の仕事ではありませんでしたし,仮に待たされたとしても,2時間も3時間も待つということはなく,せいぜい1時間くらいだろうということだったからです。
コメント
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