スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ドゥラメンテ&結果の相違

2021-12-03 19:47:58 | 名馬
 菊花賞を鮮やかに逃げ切ったタイトルホルダーの父はドゥラメンテです。父はキングカメハメハ。母はアドマイヤグルーヴで祖母がエアグルーヴ。5代母がパロクサイド。Duramenteは音楽用語で荒々しく。
                                        
 デビューは2歳10月。新馬を2着に負けた後,未勝利戦で初勝利。
 3歳初戦の500万の特別戦を勝つと共同通信杯に出走して2着。賞金を上積みできたのでそのまま皐月賞に出走すると,4コーナーで外に大きく膨れ,ほかの馬に迷惑をかけたものの優勝。初の重賞制覇が大レースとなりました。さらにダービーも勝って大レース連勝。故障で休養に入りましたが,この年のJRA賞の最優秀3歳牡馬に選出されました。
 故障が癒えて4歳初戦となったのが中山記念でこれは優勝。遠征したドバイシーマクラシックは2着。帰国して臨んだ宝塚記念も2着。また故障を発症してしまったため,これで現役引退となりました。
 競走能力は確かなものがありましたが,精神面は常に課題であった馬。とはいえこの能力で血統も確かですから,種牡馬として成功できないとは考えにくいです。まだ重賞の勝ち馬がタイトルホルダーだけというのはやや意外なくらいです。

 スピードを優先させるか,得点を優先させるかということで,当然ながら打ち方に相違が生じてきます。打ち方に相違が生じてくれば,ゲームの結果も異なってくるということになります。つまり,同じようにデジタルといっても,得られる結果まで完全に一致するというわけではありません。このあたりは,第二部定理四〇備考二とは一致しないので注意してください。ただしこの相違は,与えられているテーマの相違に依拠するものです。つまり,比例数を抽出するという問題の場合は,3つの項が与えられさえすれば,残る1つの項は決まっているのであって,得られる解はそれが唯一です。そして唯一の解を求める場合には,どのような知性intellectusが第二種の認識cognitio secundi generisを駆使してそれを求めようと,求める手順には相違が生じる可能性はあるでしょうが,求められる解は同一です。この点は僕がいうスピノザの哲学の特徴のひとつである,主体の排除と関連しています。しかし麻雀のようなゲームの場合には,勝ついい換えればトップになるための解というものが存在するわけではなく,各々のプレイヤーが各々の方法でその解を求めにいくことになります。したがって各々のプレイヤーが何を重視するのかということに差異があると,打ち方に差異が生じ,そのために結果が異なってくるのです。そしてそれは前にいった,将棋でいう場合の棋風と同じ,雀風によるものなのであって,デジタルすなわち第二種の認識に即して打つにしても,その雀風に応じた相違が発生するということです。
 さらに注意しなければならないのは,オカルトに依拠して打つのか,デジタルに即して打つのかということは,雀風の相違には還元することができないということです。というのは,たとえば,オカルトに依拠したとしてもスピードを重視するのか得点を重視するのかといった相違は当然ながら生じてくる筈だからです。したがって,デジタル派の打ち手がふたりいて,オカルト派のふたりの4人で麻雀をプレイすると仮定して,得点重視派とスピード重視派がひとりずつオカルト派とデジタル派に含まれていれば,似た打ち方をするプレイヤーはデジタル派とオカルト派では分けられないでしょう。
コメント
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