スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

バンブーエール&運行の改変

2021-07-25 19:08:43 | 名馬
 14日のジャパンダートダービーを一杯に逃げ切って優勝したキャッスルトップの父はバンブーエールです。5代母がアンティックヴァリューの5代母にあたる同一牝系。
 2005年7月に2歳でデビュー。3戦目の未勝利戦で初勝利。故障があって休養を挟んで3歳4月のレースも勝って連勝。次のオープンは7着でしたがオープン2戦目で勝利。ユニコーンステークスは5着でしたがジャパンダートダービーで2着。さらに秋の初戦となったダービーグランプリも2着でした。
 休養して4歳初戦の平安ステークス,次の佐賀記念と連続して最下位。ここで距離を短縮し,1400mのオープンを2着になった後,1200mのオープンを勝ちました。
 ここでまた故障して1年以上の休養。復帰戦となったプロキオンステークスは4着でしたがその後は1200m,1200m,1400mとオープンを3連勝。このままJBCスプリントに出走。スマートファルコンを2着に降して初の重賞制覇を大レースで達成しました。
 6歳初戦の根岸ステークスは5着。フェブラリーステークスは8着。ドバイに遠征してドバイゴールデンシャヒーンを4着。帰国してさきたま杯はスマートファルコンの2着。プロキオンステークスで3着になった後,クラスターカップ,東京盃と重賞を連勝。しかしここで引退となってしまいました。
 競走馬の初期は長い距離でも好走していましたが,これは能力の高さで乗り切っていたもので,本質的には1400mまでのスプリンター。種牡馬としてはキャッスルトップが初めての重賞勝ち馬にして大レースの勝ち馬。自身も初重賞制覇を大レースで達成していて,産駒も同じという珍しいケースとなりました。

 11月12日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この週のうち,10日と11日は,グループホームの利用者の中に発熱した人がいたため,通所施設には行かず,グループホームに待機していたとのことでした。この日はその人の熱も下がったので通所施設に通うことができましたので,僕の迎えも通所施設ということになりました。
 11月13日,金曜日。妹の歯科検診でした。
 妹の歯科検診はみなと赤十字病院です。そして僕は必ず午後3時に予約を入れていました。そしてこの場合,家からみなと赤十字病院に向かうのにはパターンがありました。
 まず根岸駅にバスで出ます。根岸駅からみなと赤十字病院には市営バスを利用します。この場合,通常は本牧を経由する系統を利用します。このバスは1時間に3本の運行があります。しかしこれとは別に,1日に2往復だけなのですが,森林公園方面を経由するバスがあります。これは本数が少ない上に遠回りですから,普通は利用しません。ですが僕は妹とみなと赤十字病院に行く場合には,こちらの遠回りのバスを利用していました。ひとつは1日に2往復のうち,午後3時からの診察の場合は,わりと便利な時間だったからです。さらに,本牧を経由するバスは,みなと赤十字病院の敷地内に入るものは1時間に1本ですが,このバスはみなと赤十字病院が終点なので,敷地内に入るからです。しかし最大の理由は,本牧経由のバスは混雑することがあるのに対し,こちらのバスは空いていて,必ず座れるからです。妹と外出してバスを利用するときは,時間が早いということよりは,座ることができるということの方が重要だったのです。
 しかしこのバスは,11月3日で廃止となりました。よってこの日からは本牧経由のバスを利用することになりました。ただし11月4日に運行の改変があり,こちらのバスは1時間に3本から4本に増え,そのうちの2本がみなと赤十字病院行きに路線が短縮され,残りの2本はみなと赤十字病院経由の横浜行きのままでしたが,そのバスもみなと赤十字病院の敷地内を経由するようになったのです。なのでこの改変は,根岸駅方面からみなと赤十字病院に行く場合には,利便性が高まるものでした。
コメント
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