スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リアルスティール&ユダヤ人

2023-12-05 19:34:18 | 名馬
 JBC2歳優駿を勝ったフォーエバーヤングの父はリアルスティールです。父はディープインパクト。母はラヴズオンリーミー。4つ下の全妹に2021年のJRA賞で最優秀4歳以上牝馬に選出されたラヴズオンリーユー
 2歳の12月に新馬を勝つと2月にドゥラメンテを2着に降して共同通信杯を勝って2戦目で重賞制覇。スプリングステークスはキタサンブラックの2着で皐月賞はドゥラメンテの2着。ダービーはドゥラメンテの4着でした。
 秋は神戸新聞杯で復帰して2着。菊花賞はキタサンブラックの2着。3歳の秋シーズンはこれで終了。
 4歳になって復帰した中山記念はドゥラメンテの3着。遠征したドバイターフで大レース制覇を達成しました。帰国すると安田記念に出走して11着と生涯初の大敗。
 ぶっつけで天皇賞(秋)に出走してモーリスの2着。ジャパンカップがキタサンブラックの5着で4歳の秋も2戦でシーズンを終えました。
 5歳も初戦に中山記念を選びましたが8着。これで秋まで休養に入りました。
 復帰戦となったのが毎日王冠で重賞3勝目。極悪馬場となった天皇賞(秋)はキタサンブラックの4着。この年も秋は2戦だけ。
 6歳初戦となったのが2年前に勝ったドバイターフ。この年は3着。帰国してまた安田記念に出走したものの15着に大敗して現役を退きました。
 戦った相手がドゥラメンテやキタサンブラック,モーリスといった超一流馬でしたから,国内では大レースは勝てなかったのですが,きわめて堅実に走り,超一流ではなくても一流の能力はもっていた馬です。血統背景はしっかりしたものがありますから,種牡馬としての成功は望めるのではないでしょうか。

 このことは,ユダヤ人とは何かという壮大な問題に関連してきます。ユダヤ人がひとつの国家Imperiumで暮らしていたときは,その国家の住民がユダヤ人であったわけですが,その国家が滅ぼされた後は,ただユダヤ民族というだけでその人がユダヤ人であり続けることは簡単なことではなかったし,実際にそういえるわけでもありませんでした。自分たちの国家はないにしても,他国の領土で共同体を形成し,ラビが命じる戒律を遵守しながら生き続けることによって,ユダヤ人はユダヤ人であり続けることができたのです。そういう意味ではウリエル・ダ・コスタUriel Da Costaというのは,ユダヤ民族が出自ではありましたが,ユダヤ人だったわけではないのであって,だからユダヤ人としてのアイデンティティというものは必要なく,ただモーセの律法が神Deusの法であるということを,自身の方法で信仰することができれば十分であったのです。
 スピノザはアムステルダムAmsterdamのユダヤ人共同体の中で産まれそこで育ったわけですから,ダ・コスタとは違ってユダヤ人であったといえます。しかし,ユダヤ人としてのアイデンティティを必要とはしなかったという点では,スピノザはダ・コスタと同様であったのではないかと僕は推測します。
                                   
 モーセの律法やラビの戒律を遵守することによって,ユダヤ人がユダヤ人であり続けることができたということについては,スピノザも認めていると理解して間違いないと思います。スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』において,かつてユダヤ人あるいはヘブライ人の国家があった地域へのユダヤ人の帰還がいずれはなされるであるという意味のことを書いて,後にシオニストたちがこの一文を喜んだというエピソードが残っているわけですが,スピノザがそのようにいったのは,国家を失った後もユダヤ人がユダヤ人としてのアイデンティティを失わずに生きているからであって,これからもそのように生き続けるであろうからということが根拠になっているといえます。つまりスピノザは,モーセの律法を人間の法ではなくて神の法であるとユダヤ人が解することによって,ユダヤ人がそのアイデンティティを保ち続けられたということについては,肯定しているのです。
コメント
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