日本時間で21日の深夜にイギリスのヨーク競馬場で行われたインターナショナルステークスGⅠ芝2050m。
ドゥレッツァは前半は6番手の外から。道中で外を漸進して,直線に入ったところでは3番手の外。手応えはよく映ったのですが,いざ追われると前の2頭から離され,追い上げてきた後続の馬群に飲み込まれる形。そのまま沈んでいくのが競馬のパターンですが,追いつかれるとその中で頑張り,勝ち馬からは10馬身半ほど離されましたが5着でした。
この馬は菊花賞を勝ったときも道中で上昇して一旦先頭。その後に位置を下げたのですが直線でまた伸びてくるという競馬の常識からは外れた勝ち方をしていた馬で,要は現状はそういう馬なのであるということでしょう。レースで効率よく力を出すことを馬自身が覚えていく必要がまだあるということなのではないかと思います。
消極的理由の方は実際はレベッカをスピノザの妹であるとする理由にはなっていませんから,積極的理由が吉田がレベッカをスピノザの妹だという理由のすべてを構成するといえます。そこでその理由をみていきましょう。
『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』に,レベッカと最後の日々を共にした人びと,というのはレベッカの死を看取った人びとという意味だと思われますが,そうした人びとはレベッカをスピノザの異母姉であるという印象を有していたという主旨の記述があります。ただしこれは誤訳です。書評でいったようにこの本は英語の直訳になっているのですが,この部分はsisterを姉と訳したために生じたものです。その証拠にレベッカの死を看取った人びとが有していた印象は,レベッカがスピノザの母であるハンナの子ではなく,エステルの娘であるというものだったとその部分に記述されていますが,スピノザの父であるミカエルが結婚した相手は,ラヘル,ハンナ,エステルの順であったからです。つまりレベッカがエステルの子であるという印象を抱かれていたのであれば,レベッカがスピノザの異母姉であるという印象を抱かれていたのではなく,スピノザの異母妹であるという印象を抱かれていたという意味でなければなりません。
実際にはスピノザを含む5人のきょうだいの母はいずれもハンナであって,スピノザには異母姉も異母妹も存在しません。同様に異母兄も異母弟も存在しません。つまりレベッカの死を看取った人びとが有していた印象というのはあくまでも印象に過ぎないのであって,事実とは異なったものでした。しかし吉田はレベッカがそういう印象をもたれていたという点を重視するのです。人がある印象をもたれるのであれば当然ながら何らかの理由があってもたれるわけですが,その理由がどういうものであったのかということはどうあれ,そうした印象が多数の人びとの間に広まるのであれば,それだけの人びとがレベッカはスピノザの姉ではなく妹であるという印象をもっていたのでなければなりません。そしてそれだけの人がそういう印象をもったのは,事実としてレベッカがスピノザの妹だったからというのが吉田の見解opinioです。
ドゥレッツァは前半は6番手の外から。道中で外を漸進して,直線に入ったところでは3番手の外。手応えはよく映ったのですが,いざ追われると前の2頭から離され,追い上げてきた後続の馬群に飲み込まれる形。そのまま沈んでいくのが競馬のパターンですが,追いつかれるとその中で頑張り,勝ち馬からは10馬身半ほど離されましたが5着でした。
この馬は菊花賞を勝ったときも道中で上昇して一旦先頭。その後に位置を下げたのですが直線でまた伸びてくるという競馬の常識からは外れた勝ち方をしていた馬で,要は現状はそういう馬なのであるということでしょう。レースで効率よく力を出すことを馬自身が覚えていく必要がまだあるということなのではないかと思います。
消極的理由の方は実際はレベッカをスピノザの妹であるとする理由にはなっていませんから,積極的理由が吉田がレベッカをスピノザの妹だという理由のすべてを構成するといえます。そこでその理由をみていきましょう。
『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』に,レベッカと最後の日々を共にした人びと,というのはレベッカの死を看取った人びとという意味だと思われますが,そうした人びとはレベッカをスピノザの異母姉であるという印象を有していたという主旨の記述があります。ただしこれは誤訳です。書評でいったようにこの本は英語の直訳になっているのですが,この部分はsisterを姉と訳したために生じたものです。その証拠にレベッカの死を看取った人びとが有していた印象は,レベッカがスピノザの母であるハンナの子ではなく,エステルの娘であるというものだったとその部分に記述されていますが,スピノザの父であるミカエルが結婚した相手は,ラヘル,ハンナ,エステルの順であったからです。つまりレベッカがエステルの子であるという印象を抱かれていたのであれば,レベッカがスピノザの異母姉であるという印象を抱かれていたのではなく,スピノザの異母妹であるという印象を抱かれていたという意味でなければなりません。
実際にはスピノザを含む5人のきょうだいの母はいずれもハンナであって,スピノザには異母姉も異母妹も存在しません。同様に異母兄も異母弟も存在しません。つまりレベッカの死を看取った人びとが有していた印象というのはあくまでも印象に過ぎないのであって,事実とは異なったものでした。しかし吉田はレベッカがそういう印象をもたれていたという点を重視するのです。人がある印象をもたれるのであれば当然ながら何らかの理由があってもたれるわけですが,その理由がどういうものであったのかということはどうあれ,そうした印象が多数の人びとの間に広まるのであれば,それだけの人びとがレベッカはスピノザの姉ではなく妹であるという印象をもっていたのでなければなりません。そしてそれだけの人がそういう印象をもったのは,事実としてレベッカがスピノザの妹だったからというのが吉田の見解opinioです。