スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ノースフライト&ダ・コスタの例

2023-12-04 19:01:55 | 名馬
 ハイセイコー記念を勝ったダテノショウグンの3代母はノースフライトです。
 デビューは3歳の5月。当時は未出走馬だけが出走できる未出走戦というのがあり,これを勝ちました。続く特別戦も連勝。3戦目は負けたのですが2勝馬の身で挑んだ府中牝馬ステークスを勝って重賞初勝利。そのまま当時は3歳牝馬限定だったエリザベス女王杯に出走。これは2着でしたが暮れの阪神牝馬特別で重賞2勝目をあげました。
 4歳の初戦は京都牝馬特別でこれは6馬身差の圧勝。さらにマイラーズカップもレコードタイムで制して重賞4勝目。そして安田記念も勝利。大レースを制覇しました。
 秋はスワンステークスで復帰。ここはサクラバクシンオーのスピードに屈して2着でしたが,距離が延びたマイルチャンピオンシップはサクラバクシンオーを2着に降して優勝。大レース2勝目を達成して現役を引退。JRA賞のこの年の最優秀3歳以上牝馬に選出されました。
 デビューは遅く引退は早かったのですが,競走成績はほぼ完璧。クラシックには出走できなかったのですが,同世代の牝馬の中でトップクラスの能力があったのは間違いありません。
 子孫はオープンを勝った馬はいるのですが南関東重賞を勝ったのもダテノショウグンが初めて。重賞の勝ち馬はまだ出ていません。

 極端ないい方をすれば,祖国を追われた後のユダヤ人たちが,他の民族と同化することなく現在までユダヤ民族として存続し続けているのは,ユダヤ人がユダヤ人としてのアイデンティティを失わなかったからであって,そのことにはモーセの律法や,ラビたちが定めた事細かな規定が大きく貢献したのだと僕は考えているのです。ただこれは事実としてそうであったといっているのであって,だから教会の権力は肯定されるものであるという意味ではありません。ラビたちはたぶんこのようなことを意識して細かい規定を命じたわけではないのでしょう。
                                   
 ウリエル・ダ・コスタUriel Da Costaは,スピノザより少し前にユダヤ教会から破門の宣告を受け,悔悛の意を示したものの復帰するための儀式が屈辱的なものであったために,自殺してしまったのでした。このダ・コスタの破門の例は,ここで僕が示した事情といくらかの関係を有しているのではないかと思います。というのもダ・コスタはユダヤ人の子孫ではあったのですが,祖先の時代にカトリックに改宗していましたし,ポルトガルでカトリックの教育を受けています。つまりユダヤ人共同体でユダヤ教神学の教育を受けたスピノザとははっきりとした違いがありました。後にモーセ五書に触れることによってユダヤ教に憧憬の念を抱き,オランダに移ってユダヤ教に改宗したのです。だからダ・コスタにとって,モーセの律法は重要な教え,すなわち人間の法lexではなく神Deusの法であったのですが,ラビたちが細かく規定した教えは不要なものであって,むしろモーセの律法に反するものと感じられたのです。確かに民族でいえばダ・コスタはユダヤ人であって,改宗者とはいえユダヤ教徒ではあったのですが,だからといってユダヤ人としてのアイデンティティを必要としていたわけではないのです。こういう人物にとってはラビの細かな指導は,ユダヤ教を信仰するにあたっては邪魔なものでしかなかったでしょう。ダ・コスタがラビおよびラビたちの教えを批判するようになり,またその教えを遵守しなくなるのには必然性necessitasがあったのであって,それが破門の宣告から自殺へと至るダ・コスタの人生を決定したように僕には思えます。
コメント
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