スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

KENTA&自己の利益

2024-07-22 19:02:39 | NOAH
 潮崎豪は2006年1月に試合中に大けがを負いました。このときに戦っていたのがKENTAです。
 三沢光晴が全日本プロレスの社長になった後のことだったと思いますが,全日本プロレスは初めてのオーディションを行ないました。そこに参加して合格。全日本プロレスの練習生になりました。2000年3月にバトルロイヤルでデビュー。5月の丸藤正道との試合が正式なデビュー戦になりました。ところがすぐに三沢が全日本プロレスの社長を辞任して退団。NOAHの旗揚げがあり,KENTAもNOAHに移籍しましたので,実質的なプロレスラーとしてのキャリアはNOAHから始まったといえます。
 NOAHに移籍して小橋建太の付き人に。この頃はまだ小林健太でした。KENTAの前の付き人が金丸義信で,KENTAの後任になったのが潮崎です。KENTAに改名してからのベルト初戴冠は2003年7月。丸藤と組んでのGHCジュニアタッグでした。ヘビー級でデビューした杉浦貴が体重を落としてジュニアヘビー級でも戦うようになり,丸藤,KENTA,金丸,杉浦の4人で多くの名勝負を戦っています。
 GHCジュニアヘビー級のシングルの王者になったのは2005年7月で,これは金丸から奪取。翌年の1月にシングルマッチで丸藤から初勝利をあげました。その年の6月に杉浦にベルトを奪われています。ただこの頃から無差別級であるヘビー級にも進出。先に実績を残したのは丸藤で,2006年9月に秋山準を破ってGHCヘビー級王者に。KENTAは初防衛戦の相手に指名され,この試合は敗れてしまったものの,プロレス大賞のベストバウトに選出されました。
 この後,石森太二がNOAHで仕事をするようになり,KENTAは石森と組むことが多くなったので,またジュニアヘビー級での試合が中心に戻りました。石森とのチームでも2008年にGHCジュニアタッグを戴冠しています。ただこの後は膝の怪我の影響があり,休養も多く,実績はあまり残せませんでした。
 2012年に復帰してからはヘビー級が中心に。この年の10月にGHCタッグの王者になり,翌年の1月にはGHCヘビーの王者にもなっています。シングルの王者は約1年ほど保持。2014年4月にNOAHを退団しました。

 このスピノザの主張は,僕たちの常識に照合させるとあまりに不自然だといえるでしょう。僕たちは自分がされて嫌なことは他人にもするなと教えまた教えられるのであって,他人がされて嫌なことを自分にもするななどとはいうこともないしいわれることもないからです。しかしここでスピノザが自己の利益suum utilisの方を重視してこのようにいうのは,人間というのは自分のことをよく知っていなければ,あるいは同じことですが自分のことを正しく認識していないならば,他人がされたら嫌なことを自分にはしてしまうものだからだと國分はいっています。だから逆にいえば,自分を正しく知るということ,あるいは自分の現実的本性actualis essentiaすなわちコナトゥスconatusに従って自己の利益を追求することが重要なのです。それが有徳的であるということを意味するのです。これは徳virtusの規準が自分自身にあるという僕の結論に一致しているといえるでしょう。スピノザは第四部定理五六を証明するにあたって,自分自身を知らない人間は一切の徳の基礎を知らない人間であるという意味のことをいっているのですが,これは自分自身を知らない人間は,この定理Propositioでいわれている高慢superbiaや自卑abjectioといった受動感情に容易に囚われてしまうという意味なのです。
                                   
 ところで,この定理は一般的な規則として十分に成立します。しかしそれを僕たちはどのように具体的に適用するのでしょうか。たとえば高慢な人間に自分は出会ったことがあるか否かということや,自分自身が高慢という感情affectusに隷属したことがあるのか否かといったことは,自分自身の経験を,一般的な規則から理解することができたときです。だから第二部定理二四は,単に有徳的に働くagereということを,理性ratioの導きに従って行動し,生活し,自己の有esseの維持することだといわずに,それを自己の利益の原理に基づいてすることだとスピノザはいっているというのが,國分の指摘です。ただこのことは,第二部定理三七にあるように,理性による認識cognitioの基礎となる共通概念notiones communesは,個物res singularisの本性essentiaを構成しないということからも示すことができるでしょう。現実的に存在する人間の精神mens humanaも身体corpusも個物であって,理性だけで認識できるのは一般的規則だけであるからです。
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