GⅠから中4日での開幕となった広島記念の決勝。並びはまず東日本がふたつで,佐藤には成清,池田勇人に松坂,松岡ー川村-東口―三谷の近畿で,地元の池田良は単騎。
スタートは佐藤が取って前受け。池田良はこのラインを追走するレースになりました。4番手が池田勇人,6番手から松岡で周回。松岡の上昇が遅く,残り2周のバック入口手前で先に池田勇人が動いて佐藤の前に。これを外から松岡が叩いていって打鐘。近畿勢が出きって,池田勇人が5番手,佐藤が7番手の一列棒状。バック3コーナー手前では川村が番手発進。これでは後ろの選手は届かず,そのまま川村が優勝。マークの東口が半車身差の2着で近畿のワンツー。さらに半車身差の3着は直線でよく伸びた松坂。
優勝した京都の川村晃司選手はこれが記念競輪初優勝。ただし,いつ優勝してもおかしくないだけの力はありました。85期ですが37歳ですので,早いうちに達成しておきたかったところではあるでしょう。やや単調な展開となり,その面では恵まれたというのは事実。後ろの動きを待たずに番手から出たのが,ワンツーまで決めることができた最大の要因でしょう。ビッグを制覇する可能性ももっている選手であると考えています。
父が眼底出血の手術のために入院していた当時は,母は運転をしていました。つまり見舞いには自動車で通っていたのです。最後の運転が母の異変が生じた2010年10月8日。現在とは状況は異なっています。ただ,金沢区の横浜市大病院は,無人運行のシーサイドラインの市大医学部駅と直結していますから,そこからは迷いようがありません。そしてシーサイドラインは一方の起点が新杉田。新杉田はJR根岸線も通っていて,これは根岸駅から乗れます。シーサイドラインの新杉田駅と根岸線の新杉田駅は同じ名前の駅としては少しばかり離れていますが,乗換案内の表示がありますから,ここでも迷うことは考えにくいです。これも前に説明したことですが,母は方向感覚には鈍いところがありますので,初めての場所には不安がつきまといますが,こうした事情ですから,市大病院に妹とふたりだけで行くということに関しては,心配の必要はありませんでしたし,母自身にも二の足を踏むような思いは皆無でした。
新杉田駅とは別に,京浜急行には杉田駅があります。これらふたつの駅は,国道16号線や商店街を挟んでいますが十分に徒歩圏内です。そして僕はこの一帯のことをすべて杉田といいます。あるいはそういう認識です。つまり新杉田も杉田も同じように杉田といいます。妹は杉田のボーリング場に何度も行っていますが,このボーリング場は,駅でいえば杉田よりは新杉田の方がずっと近いのです。僕は磯子区内の国道16号線の沿線で,金沢区と接するような付近については,それをすべて杉田と認識していますし,ここで杉田という場合には,そうした広い範囲のすべてを指すと理解しておいてください。
見舞った相手ですが,これは父からみて2番目に上の姉,つまり父のきょうだいの次女の夫でした。僕からみるならば伯父になります。ここからはこの伯父についてはN伯父という表記で進めます。
僕がまだ子ども,これは物ごころがつく頃から小学校の低学年くらいまでですが,この伯父夫婦は僕の家から非常に近いところ,幼かった僕でも十分に歩いて行かれるようなところに住んでいました。よく遊びに行った覚えがあります。
スタートは佐藤が取って前受け。池田良はこのラインを追走するレースになりました。4番手が池田勇人,6番手から松岡で周回。松岡の上昇が遅く,残り2周のバック入口手前で先に池田勇人が動いて佐藤の前に。これを外から松岡が叩いていって打鐘。近畿勢が出きって,池田勇人が5番手,佐藤が7番手の一列棒状。バック3コーナー手前では川村が番手発進。これでは後ろの選手は届かず,そのまま川村が優勝。マークの東口が半車身差の2着で近畿のワンツー。さらに半車身差の3着は直線でよく伸びた松坂。
優勝した京都の川村晃司選手はこれが記念競輪初優勝。ただし,いつ優勝してもおかしくないだけの力はありました。85期ですが37歳ですので,早いうちに達成しておきたかったところではあるでしょう。やや単調な展開となり,その面では恵まれたというのは事実。後ろの動きを待たずに番手から出たのが,ワンツーまで決めることができた最大の要因でしょう。ビッグを制覇する可能性ももっている選手であると考えています。
父が眼底出血の手術のために入院していた当時は,母は運転をしていました。つまり見舞いには自動車で通っていたのです。最後の運転が母の異変が生じた2010年10月8日。現在とは状況は異なっています。ただ,金沢区の横浜市大病院は,無人運行のシーサイドラインの市大医学部駅と直結していますから,そこからは迷いようがありません。そしてシーサイドラインは一方の起点が新杉田。新杉田はJR根岸線も通っていて,これは根岸駅から乗れます。シーサイドラインの新杉田駅と根岸線の新杉田駅は同じ名前の駅としては少しばかり離れていますが,乗換案内の表示がありますから,ここでも迷うことは考えにくいです。これも前に説明したことですが,母は方向感覚には鈍いところがありますので,初めての場所には不安がつきまといますが,こうした事情ですから,市大病院に妹とふたりだけで行くということに関しては,心配の必要はありませんでしたし,母自身にも二の足を踏むような思いは皆無でした。
新杉田駅とは別に,京浜急行には杉田駅があります。これらふたつの駅は,国道16号線や商店街を挟んでいますが十分に徒歩圏内です。そして僕はこの一帯のことをすべて杉田といいます。あるいはそういう認識です。つまり新杉田も杉田も同じように杉田といいます。妹は杉田のボーリング場に何度も行っていますが,このボーリング場は,駅でいえば杉田よりは新杉田の方がずっと近いのです。僕は磯子区内の国道16号線の沿線で,金沢区と接するような付近については,それをすべて杉田と認識していますし,ここで杉田という場合には,そうした広い範囲のすべてを指すと理解しておいてください。
見舞った相手ですが,これは父からみて2番目に上の姉,つまり父のきょうだいの次女の夫でした。僕からみるならば伯父になります。ここからはこの伯父についてはN伯父という表記で進めます。
僕がまだ子ども,これは物ごころがつく頃から小学校の低学年くらいまでですが,この伯父夫婦は僕の家から非常に近いところ,幼かった僕でも十分に歩いて行かれるようなところに住んでいました。よく遊びに行った覚えがあります。