スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ALSOK杯王将戦&大山と飯田

2022-02-01 19:06:14 | 将棋
 1月29日と30日に大田原市で指された第71期王将戦七番勝負第三局。
 藤井聡太竜王の先手で相掛り。この将棋は先手の攻め,後手の渡辺明王将の受けという展開が中心に続き,終盤まで均衡が保たれた将棋になりました。後手が受けに回るか攻め合うかというところで受けに回ったのが最初の失着で,そこからうまい手順で細い攻めを繋げた先手が勝勢に。ところが最後に波乱含みとなりました。それが117手目に歩を打って王手を掛けた局面。
 ここで後手は13分の考慮をしています。取るか逃げるかの二者択一で,どちらがよいかの比較だったと推測されます。実戦は逃げましたが,これは金で飛車を取る手が詰めろになっていて,先手の勝ちでした。ただしこれは後手も理解していたようです。取る手の場合は☗9四歩☖同王☗9六金と進み,これも先手の勝ちです。これも後手は理解していて,同じ先手が勝つにしろ,逃げた方がより難しい勝ちになるということで,逃げる方が選択されました。
 実際は☗9四歩には☖9二王と逃げる手があり,これは難解です。つまり後手にもチャンスがありました。なので取った場合は☗9六香が最善です。ですが☗9六香を指すのなら歩を打つ王手は必要ありません。そう指さなかったのは後の☗9六金の余地を残すためだったと思われます。なので☗9四歩に☖9二王は先手の思考にはなかった手であったと思われます。
 だから取れば☗9四歩と打ったかといえば必ずしもそうはいえません。取ったときの相手の雰囲気で,☖9二王に気付くかもしれないからです。この将棋は両者が☖9二王に気付いていなかったのですが,一方が気付くと他方も気付くということが,なぜか将棋では生じるのです。これは対局場の特異な状況が,対局者の思考を遮ったり妨げたりすることがあるからだと思われるのですが,両対局者が☖9二王に気付いていなかったこの将棋は,そうした将棋の一例であるといえそうです。
                                        
 藤井竜王が3連勝。第四局は11日と12日に指される予定です。

 青野の主張を綜合すると次のようになります。
 将棋において,深く読むことや,相手の玉であれ自分の玉であれ,詰むか詰まないかを判断するのは,左脳の働きによるものです。それに対して,ある特定の局面での第一感の指し手の判断や,大局観の明るさは,右脳の働きによるものです。左脳の働きは年齢とともに衰えますが,右脳の働きは年齢を重ねても衰えません。したがって,ある局面で深く読むことや,玉が詰むか詰まないかを判断することは,年齢とともに衰えるのですが,第一感や大局観が衰えることはありません。大山は右脳派の棋士であったので,年齢とともに衰える部分が相対的に少なく,このために高齢になってもA級に所属し続けることができ,そのまま死を迎えることになったのです。
 左脳の働きが何で,右脳の働きが何であるかを別にすると,この点は麻雀における飯田にもある程度は通用しそうです。飯田は63歳で死んでいますから,大山ほどの高齢ではありませんが,もし左脳の働きが衰えるのであるとしたら,その衰えというのはたぶんあっただろうと推測されます。麻雀の場合にも読むという作業は必要であり,おそらく若いときほど深く読むことはできなくなっていたのではないでしょうか。一方,麻雀にも大局観というのはありますし,第一感というのは当然ながらあります。ある局面で何を捨てるべきかということの第一感が働くということはあり得るからです。飯田は右脳を駆使して麻雀を打っていたと思われますから,その部分は衰えていなかったのでしょう。
 飯田が最後に出場した公式戦は,MONDO TVが主催する名人戦です。飯田はこの公式戦を優勝しています。名人戦に優勝すると王座戦に出場できるのですが,体調の悪化によりそちらへの出場は叶わず,そのまま死を迎えました。ここから分かるように,名人戦のときも体調が優れていなかったのは間違いありません。映像もいくつか残っていますが,以前より格段に痩せていますし,抗がん剤の治療も受けていたのではないかと推測されます。そのような状態で飯田は優勝したのです。これは衰えていなかった右脳の力によるものだったのではないでしょうか。
コメント
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