スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

1993年の女子プロレス&裁判員

2018-07-21 19:05:50 | NOAH
 『1964年のジャイアント馬場』を書いた柳澤健には『1993年の女子プロレス』という著作もあります。いずれ詳しく示しますが,僕は学生の頃は女子プロレスも観戦していました。1993年は社会人1年生で,時期が重なる部分もありますので,この本も読んでみました。
                                     
 元は2011年に単行本として刊行されました。僕が読んだのは2016年に単行本を公刊したのと同じ双葉社から発売された文庫版です。一部に加筆と訂正があるとなっていますが,それがどの部分であるのかは,僕は単行本は所有していないので不明です。
 『1964年のジャイアント馬場』は柳澤が独自に取材したものをまとめた一冊です。『1993年の女子プロレス』はそれとは大幅に異なっていて,むしろ選手や関係者へのインタビュー集といっていいでしょう。第1章から14章まではすべてインタビューで,順に,ブル中野,アジャ・コング,井上京子,豊田真奈美,伊藤薫,尾崎魔弓,唯一スタッフとして登場するロッシー・小川,ジャガー横田,デビル雅美,ライオネス飛鳥,長与千種,里村明衣子,広田さくら,神鳥忍です。柳澤は北斗晶にもインタビューをしたかったようですが,北斗が拒否したようで,最終章は北斗について柳澤自身が書いています。さらに巻末に里村とファン代表のような形の雨宮まみ,柳澤による三者対談が収録されています。
 僕は女子プロレスを観戦していた時期はとても短く,ジャガーやデビル,飛鳥や長与の頃は,テレビ放送を見ることはありましたがライブで観戦したことは一度もありません。また里村や広田になると生観戦はおろかテレビ放送も見たことはないです。ですから僕がこの本について書けることは限られるのですが,内容には興味をそそられる部分もありましたから,それは何回かに分けて掲載していくことにします。

 11月15日,水曜日。僕に1通の手紙が届きました。これは裁判所からのもので,抽選で僕が裁判員の候補者に選ばれたことの通知でした。これは翌年,つまり今年のことですが,僕が裁判員になる可能性があるということを知らせるものです。現時点ではちょっとした動きがあったのですが,そうしたことを具体的にどこまで記すことが許されるのかは不明ですので,もし今後,もっと大きな動きがあったとしても,ここに書くことは控える可能性があることをあらかじめご了承ください。
 11月16日,木曜日。母が買い物に行きたいと言いましたので,昼食後にふたりで出掛けました。根岸駅までですが,往復ともにバスを使っています。母がバスに乗ったのは,大腸癌を切除する手術のために入院した日,具体的にいえば9月29日以来のことです。この時点で母の体力はそこまで回復していたことになります。なお,このときに買ったのは,妹が入所するときに必要になるいくつかの備品と,母の化粧品などでした。もちろん荷物は僕が持ちました。というか,そのために同行したわけです。
 また,この日の夕食にKさんを招きました。すでにいったように11月6日からはまた母が夕食の支度をしています。Kさんはとても親しい友人なので,客人というのとはちょっと違うのですが,Kさんを招いての夕食も可能であると母自身も判断していたということです。たぶん14日に通所施設とグループホームの見学に行って,見学のためにそこそこは歩いたのですが,それでもあまり問題が発生しなかったということが,母の自信になっていたのではないかと僕は推測しています。
 11月19日,妹のピアノのレッスンがありました。これは午後2時から。妹はいつからになるかはまだ分かりませんでしたし,正式に契約をしたというわけでもありませんが,グループホームに入所するということはほぼ決定していました。なので12月はどう予定を立てればよいのかがいまひとつ分からない状況でしたので,12月はレッスンはしないということになりました。他面からいえば,これが妹にとって最後のレッスンになってしまう可能性があったということです。
コメント
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