スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女子プロレスキャリア&足のむくみ

2018-09-04 18:59:46 | NOAH
 『1993年の女子プロレス』に関連する事項を書く前に,僕の女子プロレスキャリアをざっと紹介しておきましょう。
                                      
 僕のプロレスキャリアの始まりは小学生のときですが,すぐに女子プロレスは観ていません。この後,クラッシュギャルズの人気で女子プロレスブームが生じ,ゴールデンタイムでテレビ放映される時代がありました。この頃はテレビではいくらか見ています。クラッシュより上の世代のジャガー・横田やデビル・雅美もいましたし,ライバルだったダンプ・松本もテレビでは見ています。また,それより下の世代のJBエンジェルスもいくらかは見ていたことになります。
 クラッシュの時代が終ってゴールデンタイムの放映がなくなると,また見なくなりました。大学生になって深夜にテレビをザッピング視聴していたら,全日本女子プロレスの中継にぶつかり,これが転機になりました。そのときは豊田真奈美と山田敏代が組んで,相手は覚えていませんが,北斗晶,堀田祐美子,みなみ鈴香の3人のうちのふたりだったと思います。この試合の豊田の運動神経に驚いたのが契機です。翌週のうちに友人にこの話をしました。当時は月に1回の放映で,翌月も同じカードが放映されたと思います。その試合は僕が見た限りでは豊田より山田の方が光っていましたが,友人はやはり豊田の運動神経に瞠目したようです。それで僕は女子プロレスの試合も会場に観に行くようになりました。
 ただ,僕はたとえば全日本プロレスはひとりで行ったりほかの友人と行ったりもしていますが,全日本女子プロレスの会場には,このときに僕が話して僕と同じような感銘を受けた友人とふたりで行ったことしかありません。今になって冷静に考えてみると,僕も行ったのですから興味がなかったわけではありませんが,多大な関心をもっていたのは友人の方であったかもしれません。卒業してこの友人とさほど会わなくなると,プロレスは観に行くものの女子プロレスは観に行かなくなったからです。
 ですから僕が女子プロレスを集中して観ていた時期はごく短い期間です。豊田真奈美とひとりの友人が,その時期の僕の観戦に大きな影響を与えたことになります。

 地域ケアプラザの職員の来訪は当初は午前11時の予定となっていましたが,当日に電話で連絡が入り,午後1時に変更になりました。実際に職員が訪れたのは午後1時15分でした。20分強,と面談をして帰りました。単に申請書の受け渡しだけでなく,母との面談が必要であったのなら,母が地域ケアプラザまでは行かれないと思っていた以上,来訪してもらってよかったといえます。申請書はまず区役所に提出しなければならないのですが,これは来訪した職員の方が,月曜日に区役所に行ってくれることになりました。
 3月25日,日曜日。午後3時半ごろにKさんが来訪しました。1時間ほど母と話をして帰りました。
 母はこの頃から,足のむくみがひどくなっていました。これは肝臓の癌の影響で水が溜まってきたからです。母が残したノートに,このむくみについて最初に記述されているのはこの日でした。実際にはこの日になって急にむくんだというわけではなく,徐々に水が溜まっていっていた筈で,それがこの日にははっきりと自覚されるような症状として現れたということだと思います。
 3月26日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 3月28日,水曜日。母の消化器内科の通院に同行しました。
 診察の予約は午後10時半でした。家を出たのは9時50分で,10時10分に病院に到着しました。母との通院の場合は病院までタクシーを使いますが,その途中で本牧通りを通っていきます。本牧通りは街路樹が桜になっていますが,この日は満開でした。母は昨年の時点では今年の桜を見ることはできないかもしれないと思っていましたので,この満開の桜には感じ入るところがあったようです。本牧通りの入口のところは躑躅が植えてあり,この分なら躑躅の花を見ることもできるのではないかと話しました。
 病院に到着してまずは中央検査室で採血ですが,この日は10人の患者が母の前に採血を待っていましたので,やや時間を要しました。そして診察が開始されたのは11時15分です。
 まず貧血の症状に関しては現れていないとのことでした。これは処方された鉄剤の効果であったのだろうと思います。
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