goo blog サービス終了のお知らせ 

スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

佐幕派への挽歌&ことばと観念

2022-01-20 20:18:58 | 歌・小説
 うらなり,坊っちゃん,山嵐の3人の出自と出身の規定や,職員会議における山嵐の発言などを見てみると,確かに『坊っちゃん』という小説は,徳川幕府に仕えた側が,明治維新によって権力を握ることになった人びと,それは維新の志士たちが中心でしょうから,維新の志士たちに対して,復讐をする物語であると読むことが可能です。もちろん『坊っちゃん』は,単純な勧善懲悪の小説ではないので,復讐するといっても,社会的成功を収めるのは維新の志士たちの方であるという側面はありますが,その場合でも,幕臣と維新の志士の対立という構図が描かれていることには変わりはありません。
                                        
 『坊っちゃん』をそのような小説として読むことができるということは,実は僕が自力で発見したことではありません。評論に教えられたことです。この説を敷衍している論評はいくつか目にしたように記憶していますが,ここでは石原千秋の『漱石と三人の読者』という書籍の中の指摘を紹介します。この書籍自体は未紹介ですから,全体の内容などは後に詳しく書くことにします。
 この本の中に,『坊っちゃん』というのは佐幕派が明治の時代において再び敗れるという物語であり,同時に佐幕派への挽歌であるという主旨の指摘があります。文脈の全体でいうと,江戸と明治の対立軸があり,明治批判が近代批判に通じるという視点です。僕はこうした指摘を受けるまで,近代批判は別に,江戸と明治という対立軸があるということには気付いていませんでした。そこで『坊っちゃん』を読み直すと,確かにこの指摘は妥当だと思ったのです。
 ただ,それ以上の関心は広がりませんでした。なぜそのように読むことができる物語になっているのかということがまったく分からなかったからです。ところが後に『漱石追想』の中の,「腕白時代の夏目君」というエッセーを読むと,漱石自身に佐幕派への挽歌を書くという動機が潜んでいたのかもしれないと思うようになりました。ブログでは先にエッセーがあり,後に『坊っちゃん』の読解に移行していますが,僕の中での実際の順序は以上のようなものだったのです。

 スピノザがことばと観念は異なるということを指摘するとき,重視するのは観念ideaは思惟の様態cogitandi modiで,実在的有entia realiaであるのに対し,ことばはそのようなものではないことです。観念は観念対象ideatumを撮影した写真のようなものではないのに対し,ことばは観念対象に便宜的に命名された記号であって,観念に比較していうなら,観念対象を撮影した写真とか,観念対象をスケッチした絵画のようなものです。他面からいえば,観念は,第一部公理六から,必ず観念対象を有するものではありますが,そうした観念対象がなくてもあることも考えるconcipereこともできるものであるのに対し,ことばというのはそのことばによって意味されるものがないなら,あることも解することもできないような記号なのです。
 観念が実在的有であるということは,次のように考えると簡単に理解することができます。第二部定理四三にあるように,僕たちは僕たちの精神mensのうちに真の観念idea veraがあるなら,自分の精神のうちに真の観念があるということを知ることができます。いい換えれば,僕たちの精神のうちにあるその観念が真の観念であるということ,あるいは同じことですがその観念が十全な観念idea adaequataであるということを知ることができます。僕たちがそのように知ることができるのは,その観念が実在的有であるからなのであって,もしそれが実在的有でないとしたら,こうした事象は生じようがないことになるでしょう。
 たとえば第一部定義六を理解するために必要なことは,絶対に無限なabsolute infinitum実体substantiamというのが十全に概念されるということであり,それが神Deumであるということではありません。神ということばからこの定義Definitioが認識されるのではないのです.この定義でいわれている神は,キリスト教神学における神とは異なるのであって,神学的立場における神ということばからこの定義を理解すること,十全に認識することはできません。このことはスピノザの哲学が無神論とみなされたことからも明白だといえるでしょう。神ということばが何か意味をもつのではなく,絶対に無限な実体およびその観念が実在的有であるということにのみ意味があります。それが神といわれなければならない理由はないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする