スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

坊っちゃん&方法論

2021-08-25 19:15:43 | 歌・小説
 幕臣と維新の志士について,漱石が特定の思いを抱いていたということは,あくまでも推測であって,確定的にいえることではありません。ただ,そういう要素があると読めるような小説を漱石が書いているということは事実です。それが『坊っちゃん』です。なぜ『坊っちゃん』がそのように読むことができるのかということを説明する前に,僕は『坊っちゃん』についてはほとんど書いたことがありませんので,まず小説の概要を説明します。この小説は基本的に登場人物がニックネームで呼ばれますので,ここでもそれを踏襲します。
                                        
 東京で物理学校を卒業した坊っちゃんは,四国の中学に数学の教師として赴任します。近辺に温泉があり,これは松山と断定できます。松山での教師生活が小説で描かれ,多くのプロットが含まれていますが,ストーリーの中心をなすのは,教員間の人間関係です。
 教頭の赤シャツは,マドンナを巡るトラブル,要するに異性関係から,うらなりという教員のことを邪魔に感じます。そこで画策して,うらなりを延岡に転勤させます。うらなりが望んでそうなったとも読めますが,実質は赤シャツと,赤シャツに阿諛追従している野だいこの策略といって間違いありません。こうした赤シャツと野だいこのやり口にかねがね不満を感じていたのが,山嵐という教員でした。
 坊っちゃんと山嵐は坊っちゃんが赴任した当初は険悪な関係でした。しかしそれは,赤シャツと野だいこに自分が唆されていたからだということに坊っちゃんは気付き,関係を修復します。関係を修復したふたりは,意気投合し,赤シャツに鉄拳制裁を加え,物語は終了します。
 この小説は,坊っちゃん自身が書いているという構成になっています。よって坊っちゃんの意識が前面に出てきます。そこには地方人に対する強い差別意識が含まれます。さほど長くない小説なので読むのは簡単ですが,場合によっては不快に感じる方がいるかもしれないということは伝えておきます。

 経歴の中で触れておいたように,近藤は数学者を志していました。このことから理解できるように,数学は近藤にとっての得意科目だったのです。ただし自身の数学の学び方に関しては,どこはほかの人とは異なるもの,ある種の特別なものを感じていたと近藤はいっています。そしてそれは,自身の育った環境が影響していると分析しています。
 これも経歴でいったように,近藤の実家は塾を経営していて,父親が講師を務めていました。このことから,どのように学ぶのがよいのかということや,どのように教えるのがよいのかということに関して,早い段階から興味をもっていたそうです。これは確かに特殊といえると僕は思います。少なくとも,どのように教えるのがよいのかということは,実際に教える立場に立つ人間でなければほとんど考えることはないといっていいでしょうし,そうした必要がない限り,興味を抱くということもないでしょう。一方,どのように学べばよいかということは,どんな人間でも考えることがあるといえますが,それはたとえばある事柄について学び続けていく過程の中で,自身がある限界を感じたときに考え始めることがほとんどなのであって,学習の当初からどのように学ぶのがよいのかということは,興味をもつことがないとはいえないかもしれませんが,考えることはほとんどありません。というのもそのようなことは,実際にある事柄を学ぶことによってはじめて考えることが可能になるような内容であるといえるからです。
 近藤は実際に自身がどのような方法で数学を学んでいったのかということも説明しています。
 数学は学び続けていく過程で,ある新しい単元や新しい分野の問題に遭遇することがあります。このとき,その取り組みを楽々とこなしてしまう人もいれば,とても苦労してしまう人もいます。それはこの単元なり分野なりを自力で理解することができるか否かということと関係しているのであって,もしもそれを自力で理解することができれば,たとえ新しい単元や分野であったとしても,それを論理的に解いていくことができるのだと近藤はいっています。ですが近藤自身はそれはできなかったそうです。
コメント
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