三浦九段の地位の保全について最も重大だったのは,順位戦のA級の地位でした。
A級順位戦は定員が10人。原則的に6月に開幕し,3月までに10人が総当たりのリーグ戦を行います。優勝した棋士は名人に挑戦し,下位のふたりはリーグから陥落し,翌年度はB級1組で戦うことになります。
この年度の三浦は6月の初戦で広瀬章人と対戦して負け。7月の佐藤康光に負け。8月は順位戦の対局はなく,9月に稲葉陽に負けて3連敗。対局停止の処分を受ける直前の10月3日に渡辺明に勝って1勝3敗。対局停止の期間中の屋敷伸之,行方尚史との対戦は不戦敗となっていました。
9月まで1勝3敗の成績は,優勝して名人に挑戦する可能性は0とはいえませんがきわめて小さく,むしろ陥落する可能性がありました。勝敗だけを考えて最も公平にするためには,2戦の不戦敗を取り消し,対局をやり直すことだったと思います。ただ,日程面の問題はありますし,たとえその問題が解消できるとしても,不当な処分によって対局の機会を奪われていた三浦にとって,短期間で残りの5局を指すとなれば,明らかに不利です。なので特例として,残りの対局も不戦敗として,三浦は来期もA級に残留するという措置が講じられました。
僕は今でも,最も公平であったのは,不戦敗を取り消して対局をやり直すことであったと思っています。ただし,不当な処分を受けた三浦に対して不利な措置を講じるということはあり得ないことなので,この特例というのはやむを得なかったとも思います。ただ,このために大きな問題が生じました。というのは,三浦はA級から陥落する可能性がある成績であったからです。三浦の地位を保全しておいて,その他にふたりが陥落するということになると,これはこれで陥落する棋士にとって不利になるでしょう。なのでこの期は,陥落をひとりとして,B級1組から昇級してくるふたりと合わせ,来期は11人のリーグ戦を行うことになりました。
これで問題は解決のようですが,僕には必ずしもそうは思えませんでした。
僕が『麻雀 理論と直感力の使い方』を読み終えたのは,昨年の5月16日でした。それ以降の日記です。
5月17日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。この日,妹が施設の入口から建物の間で転び,背中を打ってしまいました。前にもいいましたが,僕は妹と歩くときは常に手を繋いでいます。僕は坊主ですので外出するときは帽子をかぶっているのですが,この日はとても風が強く,その帽子が飛ばされてしまいました。なので僕は妹から手を離し,その帽子を取りに行ったのですが,手を離したことで妹がバランスを崩し,風にもあおられて転んでしまったようです。僕は帽子の方に気を取られていましたので,妹が転んだ瞬間は目撃していません。仰向けに倒れていましたので,背中から倒れたものと思います。妹は通所施設と家の往復のときはリュックを背負っていますので,それが緩衝となり,大事には至りませんでした。
5月19日,水曜日。眼科検診に行きました。異常はありませんでした。
5月20日,木曜日。グループホームから封書が届きました。これは妹の預かり金の残高の精算書と,預り金の使用明細書です。預り金というのは,たとえば妹がグループホームで個人的に食べるおやつを買うための金銭であり,要するにお小遣いのようなものだと思ってください。
5月21日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。帰りにО眼科に寄って,目薬を処方してもらいました。

5月22日,土曜日。20日に送られてきた精算書と明細書は,僕の同意書が必要なものでした。なのでこの日にその同意書を送付しました。僕は送迎は特別の事情がない限りは通所施設に行っています。なのでグループホームに行くことはあまりありません。この書類はグループホームの書類でしたので,送付しました。通所施設の事務宛の書類については,僕は原則的に送迎のときに持参し,事務員に手渡すようにしています。
5月24日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
5月25日,火曜日。駐車場の仲介事業を名乗る人が訪問してきました。僕の家の前のスペースを,駐車場として利用することができないかという打診でした。
A級順位戦は定員が10人。原則的に6月に開幕し,3月までに10人が総当たりのリーグ戦を行います。優勝した棋士は名人に挑戦し,下位のふたりはリーグから陥落し,翌年度はB級1組で戦うことになります。
この年度の三浦は6月の初戦で広瀬章人と対戦して負け。7月の佐藤康光に負け。8月は順位戦の対局はなく,9月に稲葉陽に負けて3連敗。対局停止の処分を受ける直前の10月3日に渡辺明に勝って1勝3敗。対局停止の期間中の屋敷伸之,行方尚史との対戦は不戦敗となっていました。
9月まで1勝3敗の成績は,優勝して名人に挑戦する可能性は0とはいえませんがきわめて小さく,むしろ陥落する可能性がありました。勝敗だけを考えて最も公平にするためには,2戦の不戦敗を取り消し,対局をやり直すことだったと思います。ただ,日程面の問題はありますし,たとえその問題が解消できるとしても,不当な処分によって対局の機会を奪われていた三浦にとって,短期間で残りの5局を指すとなれば,明らかに不利です。なので特例として,残りの対局も不戦敗として,三浦は来期もA級に残留するという措置が講じられました。
僕は今でも,最も公平であったのは,不戦敗を取り消して対局をやり直すことであったと思っています。ただし,不当な処分を受けた三浦に対して不利な措置を講じるということはあり得ないことなので,この特例というのはやむを得なかったとも思います。ただ,このために大きな問題が生じました。というのは,三浦はA級から陥落する可能性がある成績であったからです。三浦の地位を保全しておいて,その他にふたりが陥落するということになると,これはこれで陥落する棋士にとって不利になるでしょう。なのでこの期は,陥落をひとりとして,B級1組から昇級してくるふたりと合わせ,来期は11人のリーグ戦を行うことになりました。
これで問題は解決のようですが,僕には必ずしもそうは思えませんでした。
僕が『麻雀 理論と直感力の使い方』を読み終えたのは,昨年の5月16日でした。それ以降の日記です。
5月17日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。この日,妹が施設の入口から建物の間で転び,背中を打ってしまいました。前にもいいましたが,僕は妹と歩くときは常に手を繋いでいます。僕は坊主ですので外出するときは帽子をかぶっているのですが,この日はとても風が強く,その帽子が飛ばされてしまいました。なので僕は妹から手を離し,その帽子を取りに行ったのですが,手を離したことで妹がバランスを崩し,風にもあおられて転んでしまったようです。僕は帽子の方に気を取られていましたので,妹が転んだ瞬間は目撃していません。仰向けに倒れていましたので,背中から倒れたものと思います。妹は通所施設と家の往復のときはリュックを背負っていますので,それが緩衝となり,大事には至りませんでした。
5月19日,水曜日。眼科検診に行きました。異常はありませんでした。
5月20日,木曜日。グループホームから封書が届きました。これは妹の預かり金の残高の精算書と,預り金の使用明細書です。預り金というのは,たとえば妹がグループホームで個人的に食べるおやつを買うための金銭であり,要するにお小遣いのようなものだと思ってください。
5月21日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。帰りにО眼科に寄って,目薬を処方してもらいました。

5月22日,土曜日。20日に送られてきた精算書と明細書は,僕の同意書が必要なものでした。なのでこの日にその同意書を送付しました。僕は送迎は特別の事情がない限りは通所施設に行っています。なのでグループホームに行くことはあまりありません。この書類はグループホームの書類でしたので,送付しました。通所施設の事務宛の書類については,僕は原則的に送迎のときに持参し,事務員に手渡すようにしています。
5月24日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
5月25日,火曜日。駐車場の仲介事業を名乗る人が訪問してきました。僕の家の前のスペースを,駐車場として利用することができないかという打診でした。