スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典さきたま杯&永遠の一義性

2014-05-28 19:12:25 | 地方競馬
 最近の交流重賞は力量差が明白と思えるレースも多いのですが,今日の第18回さきたま杯は,12頭のうち9頭は勝って不思議ではない能力があると僕には思えるメンバーでの難解なレースになりました。
 ナイキマドリードは揉まれ弱く,内枠に入ると逃げるケースが多くなりますが,ここも2番枠から先導。すぐ外をセイントメモリーが追い,タガノジンガロも続きました。あとはインからセイクリムズン,ノーザンリバー,ダノンカモンの3頭。最初の600mは36秒0でハイペース。
 向正面で外からトキノエクセレントが進出。そのままスピードを緩めずにコーナーを回り,捲りきる形になって先頭に。わりと差が開きましたが,さすがに直線は一杯。外からノーザンリバーがぐんぐんと追い込み,ゴール直前で捕えて優勝。トキノエクセレントはクビ差で2着。ずっとインを回るレースになったセイクリムズンが2馬身差の3着。
 優勝したノーザンリバーは先月の東京スプリント以来の重賞4勝目。混戦メンバーでしたがその中で実力最上位と思われたのがこの馬で,そういう意味では順当な勝利。前走も2着とはいえ差は僅かだったように,非常に安定して走っています。現在のこの路線の中心的存在であることは間違いなく,取りこぼすことがあったとしても,大きく負けることは考えにくいのではないでしょうか。父はアグネスタキオン,半兄に2011年のエルムステークス,2012年のダイオライト記念,2013年の浦和記念,今年の佐賀記念を勝っている現役のランフォルセ。甥に2009年のJRA賞最優秀3歳牡馬のロジユニヴァース
 騎乗した蛯名正義騎手と管理している浅見秀一調教師はさきたま杯初勝利。

 因果性Xが持続duratioの相に属することの論拠は,松田自身が示したものではありません。僕が再構成したものです。ですからその根拠から僕が自身の見解の正当性を主張し,松田の誤りを指摘したとしても,独善的であるといわれかねません。実際には松田には,僕が気付かなかった有力な論拠が別にあるかもしれないからです。なのでこの部分の論争に関しては,一歩だけ譲ってみます。
 松田は因果性Xを持続の相に属すると主張し,僕はそれは,分類するなら永遠の相species aeternitatisに属さなければならないと考えます。因果性Xというのは,神Deusの属性attributumから無限様態modus infinitusが発生する因果性です。僕と松田の間にあるこの乖離は,無限の一義性をどう把握するのかということに関する,僕と朝倉や福居との間にあった乖離と非常に似通っているといえます。僕が解するところでは,朝倉も福居も,無限の一義性を神あるいはその属性の無限性に依拠して解釈し,無限様態の無限性をそこからは除去します。これに対して僕は,無限様態も含めた上で,無限を一義的に理解するべきであるという考え方です。これに倣っていうならば,僕と松田との間には,永遠の一義性という観点において,はっきりとした断絶があるといえるのではないでしょうか。つまり永遠の一義性というものを,松田は神の永遠性および属性の永遠性のみによって解釈し,無限様態の永遠性に関しては,そこから削除します。いい換えれば第一部定義八に示されるものを実在的にいうならば,それは神とその属性だけであり,無限様態はそれには該当しないと考えます。それに対して僕は,無限様態もまた第一部定義八でいわれている永遠性aeternitatemを有するような実在であり,したがって永遠性は,神とその属性だけによってではなく,無限様態まで含めた上で一義的に解釈されるべきであると考えるのです。
 朝倉流と福居流は,無限様態を個物res singularisに類するものと把握するべきであるという前提です。res singularisを永遠であると規定することはおそらく不可能であるだろうと僕は思います。ですから永遠の一義性に関しては,朝倉も福居も松田と同じ立場であると理解するべきでしょう。
コメント
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