古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

京都の旅二日目

2018-02-06 | 旅行

2日目は9時前、チェックアウトして、銀閣寺に向かうことにした。

銀閣寺は雪景色が見事だときいていたのだが、今日は気温が低いが雪はない。駐車場に車を入れたら、すぐスタッフが来て駐車料金1000円を要求された。

「1000円の駐車料は高い!」とJさん。受け取りを見ると「京都市」とある。市営の駐車場で千円は確かに高い。

入り口に「哲学の路 安楽寺永観堂」の案内が建っている。

銀閣は、本来「観音殿」と呼ばれた二層からなり一層の心空殿は書院風、二層の潮

音閣は唐様仏殿の形式。銀閣上にある聖堂の鳳凰が東面し観音菩薩を守る。

 展望所まで登ってみた。銀閣それ自体より周りの森や庭を含めた景色が素晴らしい。

 駐車場に戻って「千円も払ったのだから、もう少し車は置いておいて 周りを歩こう」と哲学の道を歩いてみることにした。

桜の時期は賑やからしいが、この寒さで歩く人は少ない。

法然院まで歩いた。法然が若年の折修行した寺という。境内には入れたが講堂派未公開で入れないとの掲示があった。「こちらが講堂かな?」とjさんが歩いている女性に聞いてみた。「わかりません」と答えたがアクセントが少しおかしいので「外国の方ですか?」と聞くと「ブラジル」と答えた。

見終わって「安楽寺が近いから行ってみよう」とHさんが言う。少し歩いて安楽寺はすぐ見つかったが公開していない。庭には入れたが、「先日火災があって今公開できません」とのこと。

車に戻り、「次はどこへ行こうか?」、「金福寺(こんぷっくじ)。松尾芭蕉ゆかりの寺」が面白い」と車のナビに金福寺の電話番号を入れ、走り始めた。すぐ到着して「駐車場はないかな?」道端の人に聞くと、「一台だけおける駐車場がむこうにある」、」道の少し広くなった場所に「拝観以外の方は駐車しないでください」とある。ハンドルをぎりぎり切って崖面いっぱいに寄せて駐車した。すぐお寺への登り道があった。

「金福ってなんかお金持ちのためのお寺みたいで、芭蕉にはふさわしくないね」と話ながら坂道を上る。

鉄舟和尚と言う住職が、芭蕉と懇意であって、芭蕉がしばしば訪れ、その関係で与謝蕪村などの俳人が訪れた寺と言う。松尾芭蕉が訪れた草庵(芭蕉庵)があったが、荒廃した為、1776年( 安永5年)芭蕉を敬慕する俳人・与謝蕪村とその一門によって再興されました。なお金福 寺の背後の丘には与謝蕪村や近世の俳人の墓や句碑があった。

京都の寺には珍しく、拝観料無料、駐車料金も無料だった。

見終わり車に戻り、「ここまで来たら直ぐ傍だから詩仙堂に行こう」とナビの案内で詩仙堂に行きました。

詩仙堂は、石川丈山の作った住居で、、詩仙堂の名の由来は、中国の師家三六人の肖像を狩野探幽に書かせ、図上に各詩人の師を丈山が書いて四方の壁に掲げた「詩仙の間」から詩仙堂と呼ばれるようになった。現在は曹洞宗永平寺の末寺になっている。

石川丈山は三河の国(現在の愛知県安城市)出身。徳川家康に仕え大阪夏の陣で功名を立てたが、この役を最後に徳川家をはなれ京都に住まった・

「詩仙堂は「詩仙の間」や庭のさつきや紅葉で有名だが、本来は丈山がスパイをするため創った家です」とは、Jさんの説です。

スパイとは豊臣滅亡後ですから朝廷に対するスパイだったのでしょうか?

見終わって外に出ると「剣豪宮本武蔵の標識が建っている。ここ武蔵一乗寺決闘の場所だった。

「そろそろ帰りましょうか」と京都東インターに戻り、名神に乗りました。大津SAで琵琶尾を一望するレストランにより昼食。

西岐阜駅には三時半でした。ガソリンを満タンにしたら14.56L、15L未満で京都まで往復したことになります。

五時前に帰宅しました。

夕方カメラの写真をパソコンに取り込もうとしたら、そのソフトが動かない。システムデスクからソフトを再インストールしないといけないが、システムデスクが見つからない。修復にはしばらく時間がかかりそうということで、今回は写真未掲載です。