古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

京都冬の旅

2018-02-05 | 旅行

 「京都冬の旅」の報告です。かれこれ50年ちかい付き合いの4人。恒例の一泊ドライブ旅行、1月30日、31日京都に出かけました。30日8時半家を出て、9時30分過ぎJR西岐阜駅に着きました。1本あとの電車で浜松のSさんと小牧のJさんが顔を見せました。

 ここ10数日異常な低温が続いている。登山家のJさんは冬山装備姿で現れた。

ことさら寒い季節をえらんだわけではなく、秋の京都の紅葉を見ようと昨年11月に起案したのだが、4人の日程が空いているときに日にちが取れず、1月になったのだが、いまや70代2人、80代2人の高齢になっているのに、みなさんk簡単に日程が取れないほど忙しいのは喜ぶべきかもしれないが、この寒さは想定外だった。

揃ってエレベータを降りて駅正面に降りるとHさんの車がついたところ、挨拶を交わして乗り込みました。

 青空から冬陽が漏れている。「お天気は天気予報より良くなってるね」

でも、関ケ原まで来ると、周りは見事な雪化粧。でも渋滞するほどではなく、順調に走る。11時頃多賀のSAでトイレ休憩、「ついでに早めの昼食をすませよう」とラーメンで、軽い昼を済ませた。

京都に近づくと雪はなくなる。京都南Iで高速を降り京都市街に入る。

今日の泊まりは花園会館。1時到着。ここの駐車場に車を預け妙心寺を見学することにした。

 フロントで、宿泊者サービスの拝観券を貰い、妙心寺に行った。旅館は妙心寺南口の前にあった。

 妙心寺は約10万坪の敷地に46もの塔頭が並んでいる、

南総門の受付に行くと、「拝観料は一人500円です」という。

「これで入れないの?」と旅館でもらった拝観券を示すと「妙心寺三門と東海庵の拝観券で、妙心寺は別です」

そうか46も塔頭があれば、全院すべてで500円ではなりたたない。

宿のパンフにあった。「 「第52回京の冬の旅 非公開文化財特別公開」にあわせて1泊2食+妙心寺特別拝観をセットにしたお得なプランです。当館に隣接する大本山 妙心寺では、今回「三門」と「東海庵」の2ヶ所を特別公開致します。」

 

院という名の塔頭が多い。

「天皇の別荘などを寺院にすると、院という名になるらしい。

妙心寺は花園天皇の別邸を寺院にしたらしい。花園天皇は

禅宗の信仰に傾倒し、建武2年(1335年)11月、出家、法名を遍行と称した。興国3年(1342年)1月には仁和寺の花園御所を寺に改めて妙心寺を開基している。禅宗妙心寺派の総本山になっている。

京都市右京区花園木辻北町1-5が、旅館の住所だから、街の名も旅館の名も花園天皇にちなんでいるかも。

尚、花園天皇は後醍醐天皇の前の天皇である。

妙心寺では、法堂で狩野探幽の筆になる竜の天井画.

国宝妙心寺鐘の紹介、ついで明智光秀の菩提をと弔うために造ったとされる浴室、明智風呂。徒然草に記された妙心寺鐘に案内された。続いて、案内してくれたのは、三門です。

 三門とは、三つの解脱の門の意味らしい。三つの解脱とはなんだったか、聞いたがすぐ忘れてしまった。

 その後は東海庵という趣の異なる三つの庭のある塔頭。以上二つが普段は非公開の、今回のみこう公開のたてものという。

後、自由にみてくれというが、とても見切れないので、通年公開の退蔵院に拝観料500円を払い入ってみた。庭が有名な塔頭でした。

元信の庭

狩野元信の作と伝わる枯山水の優美な庭園で、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれている。

余香苑

1963年(昭和38年)から3年の月日を費やして造園家の中根金作が作庭した昭和を代表する名園で、大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち,深山の大滝を見るような風情がある。

3時半を過ぎていた。寒くて体が冷えてきたので、宿に戻って温まろうと、宿に戻りチェックインした。

部屋に入ると「この部屋ちょっと小さいじゃない?まちがってない?」

「いや10畳の部屋をいちばんおおきい部屋だとして予約したよ」

数えてみると、畳は確かに10枚。でも京間と言うか、江戸真というか、畳が小さいのだ。」

1時間ほど風呂で温まり、5時から1時間、恒例の勉強会。

私が佐伯啓思の本三冊(従属国家論、さらば資本主義、西田幾多郎)の内容紹介し、彼の発想を紹介した。

 Hさんが、一昨年訪れた新宮市の大逆事件の犠牲者医師大石誠之助が新宮市の名誉市民にに推挙され、朝日新聞1月22日の天声人語に紹介された旨の報告があった。

 6時から夕食。お酒が口当たりが良く、すっかり酔ってしまいすぐ寝込んでしまった。い、