古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

日本人はどう住まうべきか

2016-01-19 | 読書
「日本人はどう住まうべきか」(新潮文庫、1月1日刊、養老孟司・隈研吾著)という新刊を本屋で見つけました。本を買うときは、まえがきとあとがきを立ち読みします。
前書き(養老孟司さん)「初めて隈さんと出会ったのは、国技館のイベント。以来隈さんとうまが合う。熊さんだから馬があうということではない。隈さんと一緒に誰が同席していたか、その場で何を喋ったかも記憶がない。70歳を過ぎたら人生のたいていのことは、このように消えてなくなっている。ありがたいことですなあ。
そのうち、隈さんの『負ける建築』(岩波)という著書が出て、これが私の心の的を射たから勝手に書評を書いた覚えがある。」
隈さんは、先般来話題の新・国立競技場の設計をされた方で、この本は日経ビジネスオンデマンドの対談を本にまとめたものということです。
更にあとがき(隈研吾さん)にいう。
「養老先生と僕はイエズス会の経営する学校(栄光学園)の先輩・後輩である。
イエズス会の理念は、一言でいうと、現場主義。日本でも馴染みの深いフランシスコ・ザビエルらによって設立さえた(1534)
 ルターたちは、個人が個人の内省により神の国に至るという近代的個人主義を宗教に導入したのに対し、イエズス会は、個人主義・内省主義は人を頭でっかちな観念主義におとしめると考えた。
 現場主義者は肉体を重要視する。強靭な肉体を持っていなければ、現場という過酷な場所を生き抜くことはできない。われらの栄光学園も徹底した肉体主義。毎日、2限と3限の間には上半身裸で、真冬も校庭を走らされた。「お前たちは運動が不足しているから、余計な妄想にとらわれる」。養老先生の思想の根幹もまた、肉体主義である。肉体をおろそかにしていると、脳ばかり肥大して、ろくなことを考えないというのが、養老哲学の中心思想である。都市と言う甘やかされた環境にいると、肉体がふやけ脳ばかり活性化した不自然な状態に陥り、まともなことを考えられない。
 イエズス会は考えた。ヨーロッパという閉じた小さな世界の中で、宗教改革対反宗教改革という観念的論争を続けるのは時間の無駄。そんなことにエネルギーを費やすくらいなら、ヨーロッパの外のアジヤに出て、具体的布教活動に汗を流した方がましだ。

 ここまで立ち読みして購入を決断しました。
縦横無尽に語るお二人の対談が面白い。
養老 経済成長の要因として資本や労働の重要性は低く、エネルギー消費量の増大の方がはるかに重要だというモデルで、アメリカと日本と西ドイツの経済成長を計算したらぴったり当てはまった。
隈 建築の基本はやっぱり人間同士に信頼関係なのです。コンクリートが主流になった20世紀の建築と言うのは、基本的には信用で成り立っている危ない世界です。だって、一度コンクリートを打ってしまったら、中に何が入っているのかわからない。鉄筋がなくたってわからない。