古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

続・北陸路の旅

2014-06-06 | 旅行
『続・北陸路の旅です』女中さんに続けた。「同級会の会食で、女の同級生がこう言いました。“大牧温泉はテレビのドラマで見たから知っている”って。なんというドラマなの?」と聞くと、「後でフロントで聞きます」。返事がこなかったが、船でしか来られないので、ミステリーの密室設定にはもってこいだから、推理物にとりあげられているようです
 大浴場に行く。湯量は豊富だ。数年前、黒部に行った時のことを思いだした。河原にお湯が噴出していた。この地は、どこでも地面を掘れば湯がでてきそうだ。
お風呂の後、恒例の時々放談(爺放談?)を始める。
小生「消費税アップが始まったので、生活貧困者(地方税非課税世帯)を救うために、臨時福祉金として一人5000円を支給するそうだ。それは良いのだが、その支給対象が2000万人もいるんだって。いつから日本はそんな国になったんだろう」」
「企業統計で、企業の変動費率を見ると、その動きは原油等の購入金額の動きとパラレルに動いている。つまり、日本企業は変動費の増えた分を固定費の低減で乗り切ってきた。固定費の低減は非正規労働者を増やすことで人件費を減らしたのだ。だから、円安で原油の購入額を増加させるのは大問題だ。」
Jさんが言う。Jさんは元TR社の労組委員長だ。
「TR社のOB会に行ったら、社長が来て挨拶したのだが、“今、従業員が1万50000人いるけど、海外が1万人だ”って」
「円安にしたって、海外で生産しているものを簡単に国内にもどすことはできない」
軽四のS社の労組書記長だったSさん。
「インドで、労資紛争があって報道されたが、現役のS社の労組幹部にきいたが“インドは労使双方が、労資協調を理解していない、というだけだった。」
夕食も、お酒がおいしいと、話が弾んだ。
「この酒、“3笑楽”というのだネ。良い名だ。」と、Jさん。「今日はHさんが運転してくれたから、楽だった。広島に行ったときはたいへんだった」
Hさん「あの時、家に帰ってから、“広島まで車を運転して言ってきた”と言ったら、“よく無事だったね”と言われた。」
Jさん「ずいぶんいろんなところに行ったね。箱根のポーラ美術館など、この会がなければ行くことなかった。広島のウサギ島(大久野島)や平山郁夫美術館、あんな遠くまでよく行ったわ。NOZUEさんの企画だから運転しなくちゃ、と一生懸命運転した。」
 あのときは、片道400km、今日はここまで200km程度だから、広島行よりは短いが、ドライバーには、いつも苦労かけていると、反省しました。
 翌朝は9時の船に乗船しました。
 砺波IC入り口で、「源」、ますのすし本舗・富山名産の鱒寿司を作り100余年という店によった。土産の寿司を調達、すぐ高速に乗る。東金沢ICで降りて兼六園に向う。11時半ごろ着く。兼六園上の駐車場に車を置き、入場。兼六園には数回来ているが、来るたびに、こんなきれいな庭園だったか、と感銘を受ける。6月の庭園は見事だった。全員無料入場(65歳以上無料)。





兼六園を見た後、車を出し、「今度は金沢城址公園だ。駐車場を近くに探そうと走り出したが、地元不案内で手ごろな

駐車場が見つからず、結局市営の兼六Pに入れて、石川門まで歩いた。
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/kanazawa_castle/map.html
が、門の辺りは、すっかり様子が変わっている。Jさんが、「金沢大学って金沢城にあるの?」と聞くので、受付のお姉さんに聞くと、「1995年に大学は移転しまいた」と言う。
 ボランチアに案内を頼む。「どちらから?」、「「名古屋からです」、「あぁ、親元からですか」
 確かに、前田利家は名古屋市荒子の出身だ。「30分にしますか?15分にしますか?」と言うので「時間があまりないので、15分にしてください」、「じゃこの辺りだけと、石垣の説明。
「昔は雷の所為で、大火が多かったのです。屋根のかわらが鉛製で、石垣に鉛の溶着の跡が見られます」
 「この地は冬に雷がおおいのですよ。」河北門に上がり、「ここは武器蔵として使われました。これが鉄砲狭間、「当時堀の幅は55m、鉄砲の距離が50mでしたので」と、再建された長屋門を説明。「120億円をかけました。国の補助金が80億円です。公園にすれば3分の2の費用が国から出るということで“金沢城址公園”になりました。」
 駐車場に戻り、「さぁ、どう行こうか」、「今の兼六下の交差点を左に行けば、片町、香林坊の通りに出るから、左折して犀川大橋、最初の信号を右折すれば、金沢西インターにぶつかる」と小生。ところが、駐車場の出口で、右に兼六の交差点がみえるのだが、一方通行で右に行けない!それから、左折してぐるぐる走っているうちに道がわからなくなる。苦労して8号線にたどり着き北陸道の高架を見つけた。8号線は高架に沿って走っている。やっと西インターにたどり着き、北陸道に上がる。
 南条SAで休憩。後は米原、羽島まで一気に走る。米原を4時半、羽島を5時に出て、西岐阜駅に5時半でした。昨日、今日450kmのデミオの走りは快調でした。高速料金は東海北陸・北陸道とぐるっと回って10200円でした。名古屋駅でJさん、Sさんと別れ、帰宅は6時半。テレビニュースが、梅雨入りを伝えていました。「雨に降られずに良かった!」
 以上、マツダデミオの北陸の旅でした。