古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

SLに乗る

2014-06-15 | 旅行
 
6月13,14日はD社OB会の旅行会でした。8時15分、旧本社前を出発し、バスは名古屋高速、東名道を走り、9時、上郷SAで犬山からくるバスと合流した。今日の宿泊地は、舘山寺温泉だが、浜松西ICを通り過ぎ、掛川ICで高速を降りる。関東からくる仲間をJR掛川駅に迎えるためです。掛川駅で7名の顔なじみが乗り込んできた。これで61名の顔ぶれがそろった。バスは新金谷駅に向かう。初日のメインテーマは。SLに乗ることである。大井川鉄道のSLに11:45乗り込む。C56というSLだ。
「昭和11年の製造です」と車内放送。「小生と同年の生まれだ。「5号車は昭和21年の製造です」。客車についても放送がある。12時45分、汽笛一声出発、大井川に沿って上流に走る。

小一時間、レトロの旅を楽しむ。「昔はトンネルなどに入ると、衣服が煤で黒くなりましたが、今日は無煙炭を使用していますので、その心配はありません」と言う。駅弁が配られ、昼食。11:42下泉駅に着き下車。駅前に回送・待機していたバスに再度乗り込む。新東名に乗って森・掛川ICで高速を降り、可睡斎を見学に行く。

11代和尚が家康の師であったと伝えられる。言い伝えによると、11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまいました。
 その後、浜松城主になった徳川家康は、親しく和尚を招いて旧恩を謝し、その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ
 「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」
と申されました。
 それ以来仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められました。
見学後、袋井ICから浜松西ICに戻り、4時過ぎ今宵の宿舘山寺サゴーロイヤルホテル。

14日は龍潭寺を見学しました。朝、ホテル周辺を散策すると、海岸にはヤシが植えられ、トロピカル風なホテルです。
曹洞宗舘山寺というお寺がありました。
火伏せの神さまを祀るお寺、神仏混交のようです。 
 今朝も良い天気で暑くなりそう。

9時出発。最初に龍潭寺に向かいます。途中気賀という街を通りました。亡き父の言葉によると、小生のご先祖が住んでいた町だそうです。この辺りは「野末」という名字が多いとか。
 龍潭寺(りょうたんじ)は、小堀遠州の庭園で有名な遠州の古刹ですが、井伊大老の井伊家の菩提寺です。

http://www4.ocn.ne.jp/~ryotanji/
昔、井伊家はこの辺りで豪族でしたが、家康に仕え、徳川四天王と謳われ、関ケ原合戦の功により、彦根藩主となったようです。
本堂内の廊下は左甚五郎作と伝えられ、鴬張りの廊下がある本堂に上がり、和尚様の説明を聞く。
見学を終えた後は、浜松名物「うなぎパイ」の工場の見学です。
工場団地の一画に「春華堂」の工場がありました。うなぎを粉末にして小麦粉に練り込み冷蔵庫に寝かす。その生地を取り出してパイに成型する工程が通路の窓越しに見られるようになっていました。
http://www.i-tokai.net/report/palpal/unagipai/index.html
その後、浜松西IC近くのレストラン「さかな屋」で昼食。浜松だから「うな丼」と期待しましたが、通常の和定食。「絶滅危惧種」とかで、簡単に口にはいらない存在になったようです。
昼食後、JR浜松駅に関東の仲間を送る。来年を約してお別れ。浜松西ICに戻りました。東名を走って、あっという間に東郷SAに着き、最後の休憩。名古屋高速黒川ICの出口でバスを下してもらい、4時帰宅しました。