古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

借金はこうして膨らんだ 

2010-12-06 | 経済と世相
5日朝10時からBS2で『借金はこうして膨らんだ 862兆円』という番組を見ました。11月7日NHK総合で放送した番組の再放送です。面白い番組でした。

 今年はじめNHKは、昭和40年(最初の赤字国債を出した年)以降の大蔵省の幹部が現役時代の財政政策につういて記した内部文書があることを知り、それを入手、記録した当事者にインタヴューをして、国民1人当たり700万円もの借金がどうして出来てしまったかを探求した。

 インタヴューに登場したの官僚の殆どが大蔵省事務次官。大蔵省の事務次官というのは、官僚の中で最も優秀と目される人です。37兆円の税収で歳出は92兆円(本年度)というようなことに、優秀な人たちが付いていてどうしてなったのか?

谷村裕氏(昭和40年)「赤字国債は苦渋の選択だった」

田中内閣で老人医療無料化と年金の増額。「福祉元年、社会福祉、原資は経済の拡大」。毎年10%歳出が増えることになった。

藤井元財務相(S40年代、大蔵省で社会保障費担当)は語る。「将来の財源まで考える雰囲気になかった」。そこにオイルショック、「一旦できたしくみの予算は減らせない」。昭和50年、2兆円の赤字国債。

 借金による経済対策。福田内閣は11兆円の借金に基く景気刺激。長岡次官「欧米から景気の牽引策を期待された。日本の国内だけを考えていることは出来ない」、「日本の国としてはムリをしなくてはいけないと思った」

大倉真隆氏、「日本の体質が変わったという認識はなかった。経済刺激しても税収は伸びず・・・日本は既に成熟国になっていて、公共投資を注ぎこんでも思ったほど経済は伸びず、税収は伸びなかった。

 53年大倉次官は大平総理に消費税を訴える。大平は54年秋の総選挙で敗れた。

平成元年、消費税。バブル景気で平成2年には赤字国債ゼロ。しかし4年後の平成6年また発行。

斎藤次郎氏「アメリカとの関係。クリントン政権の対日要求。日本の減税を求める。米国商品を日本人に買わせるためだった」。

金融危機は予想もしてなかったと小村武。小渕内閣の大型予算。

田波耕治氏(平成10年)「日本経済はそこまで重傷だったのか。ここまでやらないといけなかったか。正直言ってよく分かりません」。(田波さんは、まことに正直な人だ。)

 次々と続く元大蔵時間の証言。

「かくすればかくなるものと知りながら、止むに止まれぬ大和魂」で突き進んだらしい。

 これらの証言を聞きながら思ったのは、こんな優秀な人たちが、考えていたことは我々庶民の考えていたこととあまり違いがない。

 官僚として優秀ということは、過去の事例を良く知っていて、それを応用できることであって、過去の経験が役立たないまったくの未体験ゾーンに入ると、官僚はたいした智慧を出さないものらしい。経済のグローバル化というのは、彼らにとって、勿論日本にとって未体験ゾーンだった。

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