ここからの景色は素晴らしかった。大通りの両側に立ち並ぶビルを眺めつつ走る。やはり、ここは世界の銀座だ。やがて日本橋・水天宮・浅草橋・駒形橋。雷門の折り返しに来た、28km。どうやら雨が上がった。 蔵前付近でビニールのカバーを脱いで路傍のボランチアに返却。少し身体が軽くなった気分だ。
銀座まで戻った。天下の銀座で、へばって歩いてる姿なぞ見せたら恥ずかしいと、かなり疲労はきていたものの粘って走り続けた。銀座4丁目、東銀座方向に曲がる。築地に来た。35km地点だ。
ここで尿意を催してトイレの表示を見つけ走りこむと、なんとトイレは2基しかなくて先客が並んでいる。
「これはないよなぁ。スタート前に済ませておけば15~20kmはトイレなしで走れるんだから、トイレの設置数は前半少なくして後半多くしないといけない。18kmで10基もならべて35kmで2基はないよ」
余談だが、本日用意した仮設トイレは600台、金額にして約2億円という。折角お金をかけたトイレ、有効に設置しなくっちゃ。
用を済ませて、横を見たら介護所のテントである。太腿の後にサロンパスでも噴霧してもらおうと、スタッフに声をかけた。
「サロンパスない?」
「どこが痛むの?」
「ここ」と腿の後を指すと、「ベッドに寝てください」と言う。
「冗談じゃない。こんなところで寝ていたら5時間で走れない。サロンパスの噴霧だけでいいんだ」と言おうとしたら、若い女性が寄ってきて「ベッドにうつむいて寝てください」と言う。なかなかのかわい子ちゃんだったので、考えが変わった。
「急いでゴールへ行っても誰も待っているわけじゃない。ゴールしたら、後は家に帰るだけ。帰宅が30分・1時間遅れたってなんの支障もない」と思ってベッドに寝た。
女性に言われると、すぐ考えが変わってしまうのは、寅さん映画の見すぎか?
あったかいお絞りらしい。太腿の後を湿布して念入りにマッサージしてくれた。
「右足の筋肉が本当にかたーくなってますね!」
「そう?年寄りの冷や水みたいなことやってる所為かな」と雑談を交わす。
結局、20分ぐらい休憩してしまった。マッサージで20分も遅れるとは、まったく想定外。実際、マラソンは何が起きるか、走ってみないと分らない。
再びコースに戻り走り始めたが、マッサージの効果は絶大だった。35km過ぎというのは、早い人でも遅い人でも、すごくつらいのだ。今日まで29回の35m以後の走りで一番つらくない(決して楽ではないが)。
ここからの給水場。ボトルごと水をくれる(勿論蓋を外しているが)。多分、紙コップがなくなったのだろう。これはもったいない。ランナーは回数を多くして少しずつ飲みたいのだ。ボトル1本も飲めないから、一口二口飲んで残りは捨ててしまう。
だから、紙コップに3分の1か4分の1入れておいてくれると嬉しい。そういうテーブルもある。ここのボランテイアは走った経験がある人だ。
ともあれ走り続けた。41km地点で「完走だ!」と確信した。そこからはゆるやかな下り坂が続いていたからだ。東京ビッグサイトにフィニッシュした時、公式時計は5時間34分を示していた。スタッフが、小ぶりだが格好いい完走メダルを首に掛けてくれた。
タイムはワーストだったが、完走は出来た。やりやれ。
自分で自分を「お疲れ様」とねぎらった。
着替えして、帰途についたが、帰りもラッシュで、ゆりかもめの駅で切符を買うのは、万博並みの混雑だった。
皮肉なことに、ゆりかもめに乗る頃には青空が出てきた。
東京駅で駅弁・缶ビールを買い、17:06のひかりに乗車して早速昼飯とも夕食ともつかない食事を始めた。
そのとき気がついたのは、今日のマラソンは最後まで、水はふんだんだったが、食べるものがなかった!最後にゴール後バナナを1本ずつ貰っただけ。
通常のフルマラソンの大会は30km以降の給水場でバナナやオレンジがいっぱい出てくるのだが、今日は食べ物のカケラもなかった。
道端の女性がチョコレートを分けていたのを数回見て、2回ほど頂いたので、結局42kmをチョコ二切れ(寒さで指の感覚がなくなり包装紙をはがすのに苦労したが)で走りとおした。
後日新聞で確認したら、食べ物は用意したが、先行ランナーがかたづけてしまったという。
もう一つ、本日のマラソンの完走率96%。これは、この悪条件の中で、立派です。勿論制限時間が7時間と余裕があったためだが、日本人の根性はすてたものではない、と思いました。以上、長くなりましたが、私の東京マラソンでした。
銀座まで戻った。天下の銀座で、へばって歩いてる姿なぞ見せたら恥ずかしいと、かなり疲労はきていたものの粘って走り続けた。銀座4丁目、東銀座方向に曲がる。築地に来た。35km地点だ。
ここで尿意を催してトイレの表示を見つけ走りこむと、なんとトイレは2基しかなくて先客が並んでいる。
「これはないよなぁ。スタート前に済ませておけば15~20kmはトイレなしで走れるんだから、トイレの設置数は前半少なくして後半多くしないといけない。18kmで10基もならべて35kmで2基はないよ」
余談だが、本日用意した仮設トイレは600台、金額にして約2億円という。折角お金をかけたトイレ、有効に設置しなくっちゃ。
用を済ませて、横を見たら介護所のテントである。太腿の後にサロンパスでも噴霧してもらおうと、スタッフに声をかけた。
「サロンパスない?」
「どこが痛むの?」
「ここ」と腿の後を指すと、「ベッドに寝てください」と言う。
「冗談じゃない。こんなところで寝ていたら5時間で走れない。サロンパスの噴霧だけでいいんだ」と言おうとしたら、若い女性が寄ってきて「ベッドにうつむいて寝てください」と言う。なかなかのかわい子ちゃんだったので、考えが変わった。
「急いでゴールへ行っても誰も待っているわけじゃない。ゴールしたら、後は家に帰るだけ。帰宅が30分・1時間遅れたってなんの支障もない」と思ってベッドに寝た。
女性に言われると、すぐ考えが変わってしまうのは、寅さん映画の見すぎか?
あったかいお絞りらしい。太腿の後を湿布して念入りにマッサージしてくれた。
「右足の筋肉が本当にかたーくなってますね!」
「そう?年寄りの冷や水みたいなことやってる所為かな」と雑談を交わす。
結局、20分ぐらい休憩してしまった。マッサージで20分も遅れるとは、まったく想定外。実際、マラソンは何が起きるか、走ってみないと分らない。
再びコースに戻り走り始めたが、マッサージの効果は絶大だった。35km過ぎというのは、早い人でも遅い人でも、すごくつらいのだ。今日まで29回の35m以後の走りで一番つらくない(決して楽ではないが)。
ここからの給水場。ボトルごと水をくれる(勿論蓋を外しているが)。多分、紙コップがなくなったのだろう。これはもったいない。ランナーは回数を多くして少しずつ飲みたいのだ。ボトル1本も飲めないから、一口二口飲んで残りは捨ててしまう。
だから、紙コップに3分の1か4分の1入れておいてくれると嬉しい。そういうテーブルもある。ここのボランテイアは走った経験がある人だ。
ともあれ走り続けた。41km地点で「完走だ!」と確信した。そこからはゆるやかな下り坂が続いていたからだ。東京ビッグサイトにフィニッシュした時、公式時計は5時間34分を示していた。スタッフが、小ぶりだが格好いい完走メダルを首に掛けてくれた。
タイムはワーストだったが、完走は出来た。やりやれ。
自分で自分を「お疲れ様」とねぎらった。
着替えして、帰途についたが、帰りもラッシュで、ゆりかもめの駅で切符を買うのは、万博並みの混雑だった。
皮肉なことに、ゆりかもめに乗る頃には青空が出てきた。
東京駅で駅弁・缶ビールを買い、17:06のひかりに乗車して早速昼飯とも夕食ともつかない食事を始めた。
そのとき気がついたのは、今日のマラソンは最後まで、水はふんだんだったが、食べるものがなかった!最後にゴール後バナナを1本ずつ貰っただけ。
通常のフルマラソンの大会は30km以降の給水場でバナナやオレンジがいっぱい出てくるのだが、今日は食べ物のカケラもなかった。
道端の女性がチョコレートを分けていたのを数回見て、2回ほど頂いたので、結局42kmをチョコ二切れ(寒さで指の感覚がなくなり包装紙をはがすのに苦労したが)で走りとおした。
後日新聞で確認したら、食べ物は用意したが、先行ランナーがかたづけてしまったという。
もう一つ、本日のマラソンの完走率96%。これは、この悪条件の中で、立派です。勿論制限時間が7時間と余裕があったためだが、日本人の根性はすてたものではない、と思いました。以上、長くなりましたが、私の東京マラソンでした。