古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

自費出版

2016-03-09 | 読書
  先日、弟から本を1冊プレゼントされました。「歴史探訪とマラソン大会駆け巡り」(設楽五郎著、文芸社2016年4月刊行、文藝社)という本です。設楽五郎は、弟のペンネームで、設楽(したら)は郷里の設楽が原(長篠合戦古戦場)から取り、五郎は兄弟で5番目の男児の意味です。つまり自費出版の本です。
 弟は私より10歳若いのですが、愛知県庁を平成19年3月定年退職後、全国各地のマラソン大会を走り、その紀行文を本にまとめて出版したのです。
 表紙の帯には、表は「平成19年3月末日定年退職した記念に長岡ロードレースに参加。以降日本各地のマラソン大会に参加しがてら精力的に敢行した歴史探訪&ランニング紀行記」。裏は平成19年から22年までエントリーしたマラソン大会名を列記している。16の大会が載っていますが、どんな内容かを知って頂くため、「ヒロシマMIKANマラソン」の章を要約します。
平成21年1月16日、走友K。T.M氏と一行4人。新幹線で11:38広島駅着。乗り換えて宮島口、名物のお好み焼きで腹ごしらえ、厳島神社へ。神社の西数百mに清盛神社がある。絢爛豪華な厳島神社と比べると、小規模で質素なたたずまい。後ろに弥山に上るロープウェイがある。厳島神社の東には五重塔と千畳閣がある。千畳閣は秀吉が安国寺恵瓊に命じて建立したものだという。
宮島は厳島合戦の史跡として知られる。室町期から戦国時代初期、権勢を誇った大内氏の重臣陶晴賢が謀反を起こし大内義隆を弑逆し、義隆の姉の子義長を擁立し実験を握った。毛利元就は出雲の尼子氏の支配を断ち大内氏の庇護のもとにあったが、陶の主君弑逆は元就に主君の仇を討つ大義名分を与えた。元就は弘治元年(1555)厳島合戦で陶晴賢を破り、
中国地方の毛利の地位を固めた。本能寺の変の秀吉とよく似た経緯である。
宮島観光後、午後4時、宿舎の「グランドプリンスホテル広島」にはいる。
 翌日、広島駅前でレンタカーを借り、安芸高田市の郡山城址へ行く。国道54号線を三次方面へ、江の川沿いに54号を走って吉田町の歴史民俗資料館。資料館の東に郡山、標高389.7m。山頂に本丸跡。
昼食後江田島に向かうが、途中「桂」という集落を通る。街道沿いに福原、国司という集落もあった。いずれも毛利家の家臣の姓。福原越後、国司信濃、桂小五郎など有名だ。
 江田島の海上自衛隊第一術科学校に3時5分前着く。旧海軍兵学校である。
この日は国民宿舎「能美海上ロッジ」に泊まる。
翌日、駐車場確保のため早く出る。8時に出てマラソン会場の大柿高校グランドへ。
ハーフマラソンはおよそ750名、10時35分大柿郵便局前をスタート。487号線を北へ。4.5㎞で県道36号に。1時間5分で才越峠の折り返し点。2時間21分でゴールした。駐車場に戻る途中に灘尾弘吉(元文相)の銅像を見つけた。江田島市大柿町の出身とか。
16時、レンタカーを返し17:01「のぞみ」で帰名。
まぁ、こんな内容の本ですが、自分もこの種の本を作ってみたい。いつかこの世を去るのですが、自分の葬儀の折には、会葬者にお配りするといいですね。まさに生きた証になるわけですから。と思いました。



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