古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

銀行と生保会社の売却

2009-02-13 | 経済と世相
「平成経済20年史」(紺谷典子著、幻冬舎新書)では、日本の銀行と生保会社の米国資本への売却には、裏がありそうだと、状況証拠について述べています。

【最終的に長銀には、7兆9000億円の公的資金が注入された・・・平成11年(1999)、“再生“した長銀は、民間に売却されることになった。金融再生法に基づき任命された柳沢金融大臣は、政府の代理人(フィナンシャル・アドバイザー)として、ゴールドマン・サックスを指名、米国の大手証券が、売却先の決定や条件の交渉を担うことになったのである。】

 【長銀買取に、いくつかの金融機関が名乗りを上げた。日本の金融機関の多くは、自身の建て直しに手一杯で、長銀を買い取る余裕はなかったが、・・・中央・三井の信託銀行の日本連合も入っていた。

 だが、結局、選ばれたのは、米投資会社リップルウッド・ホールデイングスである。長銀の全株式が10億円で引き渡された。11兆円を超える資産と多くの営業上のネットワークを持つ巨大銀行の売却が10億円というのは、あまりにべらぼうだが、きめたのは政府の代理人ゴールドマン・サックスである。

 リップルウッドの長銀買収の中心的役割を演じたのは、ゴールドマン・サックスの共同経営者だった人物だ。両者はつまり身内同士なのである。泥棒と警備会社が仲間だったようなものと言うと、たとえは悪いかもしれないが・・・。】

【長銀売却にあたり、ゴールドマン・サックスはリップルウッドとの契約に「瑕疵担保特約」を加えていた。

 譲り受けた長銀の債権が、譲渡時点の評価と比べ2割以上悪化したとき、3年以内なら売った価格で国が買い戻すという契約になっていたのである。】

【平成12年6月、長銀は、「新生銀行」と名を改め、日本初の外資系銀行としてスタート。

新生銀行は、長銀がメイン、サブメインであった上場企業をはじめ、大企業をつぎつぎ破綻に追い込んだ。ライフ、第一ホテル、マイカル、そごう、ハザマ、熊谷組・・・。しかも、瑕疵担保特約を盾に国に引き取らせた企業が転売に供されると、新生銀行自身、あるいはリップルウッドなど関連企業がその買収に名乗りを上げた。】

 更に同書は、銀行だけでなく、生保についても、こんな記述を載せている。

【平成9年4月、日産生命が破綻した。日産生命を皮切りに、中堅生保がつぎつぎ破綻することになる。中堅とはいえ、世界に名を轟かせた「ザ・セイホ」の破綻である。

破綻の原因は超低金利である。保険契約は、その時点での平均的な金利が続くとの前提で結ばれる。バブル時代の予定利率は、5%から6%以上で契約されている。掛け金が、それを上回る利率で運用できなければ逆ザヤになる。前代未聞の超低金利で、逆ザヤが長期間続き、生保の体力の限界に達したわけだ。】

【そして、破綻した生保は外資の軍門に降った。国内生保には買収・合併に乗り出さないよう、それとなく大蔵省から指示があったという。外資に買収させるためだ。平成15年、保険業法が改正され、予定利率の変更が認められるようになった。しかし、あまりに遅すぎたのである。破綻生保を買い取った外資が、その恩恵を受けるのは間違いないが・・】

『経済のグローバル化を推進したのは、米国でした。工業生産における競争力が落ちてきて、貿易で稼ぐことが困難になってきた米国が、覇権国であり続けるためには、そのための資金を稼ぎ続けなければならない。貿易で稼げないなら、金融で稼ごうと考えた。金融で稼ぐためには、金融のグローバル化、即ち経済のグローバル化が必要であった。』と,以前私は述べましたが、この米国の国策に全面的に協力したのが、日本政府です。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20090204/
紺谷さんもこう述べています。

【小泉政権においては、ほかならぬ日本政府が、米国政府・米国金融と共謀した疑いが強い。日本政府は、米国に従うために、国民を犠牲にしてはばからない。】

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