古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

超マクロ探訪 世界経済の真実(2)

2014-04-17 | 読書
利潤の下がった資本が、高い利潤を得るためにはバブルが必要だった
(萱野)アメリカは、海外から集めたお金を国内のバブルをつうじて膨らませることで利益をあげていきましたよね。90年代後半のITバブルや、2000年代の住宅バブルはその過程で生まれた
(水野)そうですね。結局、ルービン財務長官がとった戦略(強いドル)というのは、アメリカのなかをバブルにして、それからアメリカが外国に投資するとき、相手国をバブルにして、海外から調達したお金を使って高いキャピタルゲインを得ていこうというものです。
(萱野)そもそもなぜ日本ではアメリカよりも早くバブルが起こったのですか
(水野)前提条件として、日本には自国の貯金で十分バブルを起こせるぐらいの資本が蓄積されていた。日本は近代資本主義のしくみ、すなわち実物経済で安く仕入れて高く売るというしくみでもっとも利潤を獲得することができた国なのです。それは、第1次オイル・ショック以降、貿易黒字が定着して、世界屈指の対外純資産国になったという事実にあらわれています。日本は他国の資本を呼び込まなくても、国内の貯蓄がすでに膨大な額に上っていたんです。

(萱野)逆にいうと、アメリカは自国内にバブルを引き起こせるほどの貯蓄がなかったと。だからこそアメリカ(のバブル発生は)は、国際資本が自由化されるまで待たなくてはいけなかったんですね。
(水野)そうです。 もうひとつ、谷口智彦氏は、80年代の土地バブルはアメリカの対ソ冷戦の構図の中で起きたということを述べています。つまり、
「日本は自らバブルを創出することで対米資産還流を積極化し、おりから軍拡を続けていた米国を金融面で支えた。その意味で日本のバブル経済化とは、冷戦にとどめを刺そうとしていた米国の覇権を裏から支える国際政治的意味合いを持っていた(谷口著『通貨燃ゆ』から)。
 プラザ合意でドル安になったとき、日本の生保はたしか大手7社で1.7兆円を上回る損をだしています。
――アメリカの国債で?――
そうです。でも、そこで損をしたので引き上げるとなったら、アメリカは困ってしまう。それで、ザ・セイホがドル債投資で損をしても、それをはるかに上回るような含み益があればいいということで、アメリカの要請のもとで日本でバブルが引き起こされたという。
 バブルのピークは、ベルリンの壁が崩壊した直後の89年12月末に日経平均株価で38000円台を記録したときです。株式の先物市場で日経先物というのがちょうどできて、今度は外国人投資家主導で売り浴びせがなされるんです。
 アメリカからすれば、米ソ冷戦が終われば日本のマネーはもう必要ない、日本のプレゼンスがこれ以上大きくなるのは好ましくないと思っていたとしても不思議ではない。
(萱野)アメリカは自分のところの財政赤字や経常収支赤字を埋め合わせるために外国から資金を呼び込む必要があった。でも95年以降のように国際資本の完全移動性が達成されていなかったから、自国の内部でバブルを引き起こせるようなお金を外からもってくることはできない。ならば、お金がすでにたくさんあるところでバブルを引き起こして、そこで膨らんだお金をアメリカのドル債に投資してもらおうと。
要するに、日本のバブルは、アメリカが実物経済の落ち込みを補うためにバブルを必要としていた状況で、アメリカにはまだその条件が整っていなかったから、そのバブルを先行して肩代わりしたものだと位置付けられる。
(水野)日銀はもっと量的緩和すべきだなんて言っています。でも、量的緩和したところで、円は国内にとどまらないですね。
そういう意味では、インフレは貨幣現象だというテーゼは国民国家経済の枠内でしか成立しない。アダム・スミス以降、経済学というものはすべて]国民国家体系を前提として組み立てられた経済学です。

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