9月18日世を去った。改めてどんな主張をされた方か、著書を読んでみたいと、図書館から、岩波新書『日本の教育を考える』(1998年刊)を借りて読みました。
宇沢さんは、東大理学部数学科を1951年卒業されました。数学者を志しながら、途中で経済学に転向されたのです。
第1部で数学を通じ、教育を語ります。
「教育の出発点は、言語の習得と数学の学習にある」と述べています。数学というのは、簡単に言ってしまうと、数、空間、時間について、その性質を論理的、数学的に考察するものです。
数学を学ぶプロセスは、言葉を身に着けるのと同じです。母親は幼児に対して絶えず話かけます。幼児が言葉を理解できないのはもちろんわかっています。母親はそれでも、幼児が面白いと思い、興味をもてそうなテーマを選んで愛情をもって絶えず話しかけます。・・・数学を学ぶプロセスもまったく同じです。
また山登りに例えます。子供たちのもっている先天的、後天的資質、能力は極めて多様であり、またその身体的、知的、感性的発展の形態、ペースも一人ひとりの子供について、特有で個性的です。とくに、数学を学ぶというのは、山登りと同じ性格をもっています。山登りに際して大事なことは、決して焦らず、ゆっくり自分のペースに合わせながら、一歩一歩確実に歩み続けることです。数学を学ぶプロセスも山登りと同じように、自分のペースをしっかり守って、一歩一歩確実に学び続けることが大事です。決して他の人と競争したり、記録を作るようなことを考えてはならないのです。
こうした考え方で、宇沢さんは子供が数学を好きになる入門書『算数から数学へ』(岩波書店)を上梓(早速、北区図書館で借りて読みました)し、さらに『好きになる数学入門』全6巻(岩波)を著しました。同署は、
Ⅰ方程式を解く 第数
Ⅱ図形を考える 幾何
Ⅲ代数で幾何を解く 解析幾何
Ⅳ図形を変換する 線形代数
Ⅴ 関数を調べる 微分法
Ⅵ微分法を応用する 解析
からなっています。入門書とはいえかなり高度な内容までカバーしているようです。ダランベールの定理(複素数を使うと、どんな代数方程式も根を持つ)、ニュートンの定理(ケプラーの法則から万有引力の法則を導く)まで扱っています。
第Ⅲ部「大学生活50年を振り返って」は、宇沢さんの自伝。自らが受けてきた教育を材料にあるべき教育の姿を論じています。これが面白い!戦後の混乱の中で、数学から経済学への転向の経緯が述べられています。
弥永先生の下で代数的整数論を学ぶ傍ら末綱恕一先生のところで数学基礎論を勉強していました。どちらの先生も、お前は自分の一番得意なことを止めて一番不得意なことに手を出そうとしていると言われて、なかなか許していただけませんでした。私はとうとう日本の社会がこれだけ経済的に混乱し、疲弊していて。国民の大部分が飢えと貧困に悩んでいるときに、数学と言うアリストクラテイックなことをこのままやりつづけるのは、人間として苦痛だだとまで言ってしまったのです。
1956年8月、ケネス・アロー教授に招かれスタンフォード大学に。当初1年の予定が、14年間を外国の大学で過ごすことになった。日本に帰るのはヴェトナム戦争が契機だった。1968年4月日本に帰ってきたが東大紛争が始まる。
日本に帰り、経済統計から見た日本と現実の日本のあまりにも大きなかい離に大きな衝撃を受ける。はなやかな高度成長と裏腹に、日本社会の実態は混乱を極め、自然と人間の破壊がいたりところで行われていた。宇沢さんは、水俣問題に関わるようになり、「社会的共通資本」という概念を経済学に導入します。
第Ⅳ部は「日本の学校教育制度を考える」です。
ここで、明治以来の日本の教育制度を振り返りながら、日本のあるべき教育制度を論じています。
「日本の教育を考える」本ですが、「宇沢弘文を考える」好著でした。
宇沢さんは、東大理学部数学科を1951年卒業されました。数学者を志しながら、途中で経済学に転向されたのです。
第1部で数学を通じ、教育を語ります。
「教育の出発点は、言語の習得と数学の学習にある」と述べています。数学というのは、簡単に言ってしまうと、数、空間、時間について、その性質を論理的、数学的に考察するものです。
数学を学ぶプロセスは、言葉を身に着けるのと同じです。母親は幼児に対して絶えず話かけます。幼児が言葉を理解できないのはもちろんわかっています。母親はそれでも、幼児が面白いと思い、興味をもてそうなテーマを選んで愛情をもって絶えず話しかけます。・・・数学を学ぶプロセスもまったく同じです。
また山登りに例えます。子供たちのもっている先天的、後天的資質、能力は極めて多様であり、またその身体的、知的、感性的発展の形態、ペースも一人ひとりの子供について、特有で個性的です。とくに、数学を学ぶというのは、山登りと同じ性格をもっています。山登りに際して大事なことは、決して焦らず、ゆっくり自分のペースに合わせながら、一歩一歩確実に歩み続けることです。数学を学ぶプロセスも山登りと同じように、自分のペースをしっかり守って、一歩一歩確実に学び続けることが大事です。決して他の人と競争したり、記録を作るようなことを考えてはならないのです。
こうした考え方で、宇沢さんは子供が数学を好きになる入門書『算数から数学へ』(岩波書店)を上梓(早速、北区図書館で借りて読みました)し、さらに『好きになる数学入門』全6巻(岩波)を著しました。同署は、
Ⅰ方程式を解く 第数
Ⅱ図形を考える 幾何
Ⅲ代数で幾何を解く 解析幾何
Ⅳ図形を変換する 線形代数
Ⅴ 関数を調べる 微分法
Ⅵ微分法を応用する 解析
からなっています。入門書とはいえかなり高度な内容までカバーしているようです。ダランベールの定理(複素数を使うと、どんな代数方程式も根を持つ)、ニュートンの定理(ケプラーの法則から万有引力の法則を導く)まで扱っています。
第Ⅲ部「大学生活50年を振り返って」は、宇沢さんの自伝。自らが受けてきた教育を材料にあるべき教育の姿を論じています。これが面白い!戦後の混乱の中で、数学から経済学への転向の経緯が述べられています。
弥永先生の下で代数的整数論を学ぶ傍ら末綱恕一先生のところで数学基礎論を勉強していました。どちらの先生も、お前は自分の一番得意なことを止めて一番不得意なことに手を出そうとしていると言われて、なかなか許していただけませんでした。私はとうとう日本の社会がこれだけ経済的に混乱し、疲弊していて。国民の大部分が飢えと貧困に悩んでいるときに、数学と言うアリストクラテイックなことをこのままやりつづけるのは、人間として苦痛だだとまで言ってしまったのです。
1956年8月、ケネス・アロー教授に招かれスタンフォード大学に。当初1年の予定が、14年間を外国の大学で過ごすことになった。日本に帰るのはヴェトナム戦争が契機だった。1968年4月日本に帰ってきたが東大紛争が始まる。
日本に帰り、経済統計から見た日本と現実の日本のあまりにも大きなかい離に大きな衝撃を受ける。はなやかな高度成長と裏腹に、日本社会の実態は混乱を極め、自然と人間の破壊がいたりところで行われていた。宇沢さんは、水俣問題に関わるようになり、「社会的共通資本」という概念を経済学に導入します。
第Ⅳ部は「日本の学校教育制度を考える」です。
ここで、明治以来の日本の教育制度を振り返りながら、日本のあるべき教育制度を論じています。
「日本の教育を考える」本ですが、「宇沢弘文を考える」好著でした。