古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

正高先生の怒り

2006-01-05 | 経済と世相
 京大霊長類研の正高先生が、またまた過激なご意見を21日の中日夕刊に寄稿していました。
【日本の教育を、このようにまで荒廃させた一つの要因として大学の教員養成課程の授業内容の、お粗末さがあると思う。・・・ 教師になって役に立つことは何一つ学ばず4年間を過ごすと書いても誇張ではない。しかもやっかいにも、そこで給料をもらっている人々は今日の状況に至ったことに何の責任もないと信じ込んでいるらしい。
大学改革も、どこふく風というようである。
 ならばいっそ、関係する部局をすべて無しにしてしまえばいいのではと、私などは考えてしまう。「そんなことをすれば、教師の資格を望む学生が困るではないか」という声が、あるかもしれない。しかし、希望者のための教員免許取得センターを各大学に設置すれば事足りるはずである。】
 このくだりを読んで、私は、先日呼んだ『東条英機と天皇の時代』(保阪正康著)を思い出した。東条の青年時代のエピソードです。
【東条英機の東京陸軍幼年学校での成績は、それほど良くなかった。いや下位のほうだった。だが・・・中央幼年学校に入ると、生来の負けず嫌いな性格も手伝って、急速に成績を上昇させた。彼は好成績を得る秘訣を知ったのだ。教科書をそらんじるほど暗記してしまうのである。すると充分な点数が獲得でき、順位があがるのだ。
 ・・・人間の差異は暗記する努力の時間をもつか否かにある。彼はこの考えを終世の友とした。40年後、首相になったときに、秘書官に正直に告白している。
「幼年学校時代に、いちど習ったところを徹底的に暗記してみた。すると成績はあ
がった。努力とはそういうものだと思った。」】
 
 教育には、目的がある。日本の明治以後の発展期に必要な人材は、いち早く先進文明を導入することができる人材だった。理屈抜きで先進文明のあり方を暗記して、それを実行できる能力が求められ、その場合、暗記能力は重要な能力だった。しかし、暗記能力だけでは、すでに東条の時代に、間に合わないことが証明されていた。にも拘わらず、戦後の教育は、いかなる人材の養成を目的とすべきかを、考えてこなかった。
 したがって、教員養成課程において、どのような教師像を目的にするかが、明らかでなかった。そのカリキュラムは退屈なものにならざるを得ない。

 私は、大学の教員養成課程の現状はよく分かりませんが、ここに、正高先生の怒りの原因があるのではないかと、愚考しました。
 

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