古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

TPPは決まらない

2015-09-23 | 経済と世相
 新聞報道によると、交渉が停滞している環太平洋連携協定(TPP)について、甘利明TPP担当相は二十八日、「カナダで選挙戦が始まってしまうと、もう厳しい」と述べ、十月十九日のカナダの総選挙までに大筋合意しない場合は、交渉が中断する恐れがあるという認識を示した。交渉関係者が十七日に明らかにしたが、三十日から米南部アトランタで閣僚会合を開く方向で調整に入った。残された難航分野を決着して交渉全体の大筋合意を目指すが、各国の主張には隔たりが残ったままで、合意できる見通しは立っていない。
この問題の論客、中野剛志さんの意見を服してみようと、「TPP黒い条約」(中野剛志著、集英社司書、1913年)を読み直した。
安倍首相は、米国政権の政策は(防衛政策に限らず)常についてゆく意向のようだが、経済政策については、考え物だと中野さんは言う。アメリカの対日経済政策は、冷戦終了以後、それ以前とまるで違ってきたからだ。
『アメリカは、冷戦構造の下で、西側諸国の共産化を防ぎ、ソ連を中心とした共産圏に対抗して、アメリアを中心としたドル経済圏を構築することを最大の外交目標としていた。そのため、アメリカは西ヨーロッパや日本の戦後復興をおおいに支援し、貿易の自由化も、アメリカの国内市場を積極的に開放していく形で進められた。たとえば1950年代、アイゼンハウワー大統領は、日本を京参加させずに西側世界につなぎとめておくためには、日本がアメリカに対して積極的に製品を輸出できるようにしておく必要があると考えていた。こうしたことから、アメリカは関税を広範にわたって引き下げたが、日本は主要な関税をほとんど引き下げないということも認められた。
 1989年に冷戦が終結すると、アメリカは唯一の超大国としてのパワーを背景に、世界秩序を自国に有利につくりかえようとする一極主義へと傾斜し、これに伴い、日米関係も変化した。
 社会主義圏が崩壊したことで、アメリカは資本主義の勝利を確信したが、同時にそれを1980年代以降に台頭した新自由主義に基づいて運営されるべきだという認識が広く共有ようになった(ワシントン・コンセンサス)。
この時期、アメリカ経済は好景気を謳歌し、ヨーロッパと日本の経済は停滞に陥っていた。このためアメリカは、ワシントン・コンセンサスにますます自信を深め、アメリカ型の新自由主義的経済エイドによって各国経済を画一化する世界経済戦略を志向する。
いわば経済におけるアメリカ一極主義である。
たとえば、1995年に設立されたWTOでは、アメリカ主導によって、これまで自由化の対象外とされていた農業関税や、サービスの分野における非関税障壁をも対象とすることになり、従来のGATT体制よりもグローバル化を徹底するものとなった。
 また、IMFや世界銀行は、開発途上国への融資の際に、貿易や投資に自由化、民営化、規制緩和、財政削減といった条件を課し、新自由主義的な構造改革を強いる機関と化した。』
 冷戦終了以後の経済政策はアメリカ追随では、日本の益にならない。TPPが決着しないのは、アメイカの指導力の低下を意味するが日本にとっては、幸いであろう。

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